見覚えのある顔だ。屯所の門を出たところでこちらに近づいてくるその男を見た瞬間、そう思った。
「あの、すみません。真選組の方ですか?」
「そうだが」
 形の良い切れ長の目がゆるやかに弧を描いている。この目を惹く端正な顔立ちは、確かにどこかで見たことがある。だが、一体どこだったか思い出せない。
「人を探しているんですが」
「人探しだァ?」
 警察とは言っても真選組は対テロに特化した組織だ。人探しなど、そんなものは町奉行所にでも尋ねてくれ、と言いかけたが。
「ええ。北川凛子という女性なんですが」
 知った名前に思わず何の用だと言いかけ、すんでのところで口を噤む。なのに隣にいた隊士が「凛子さんなら」と口走ってしまったので、俺はそいつの爪先を強く踏んだ。真選組は公務員であるしメディアに出ることもあるため、隊士の所属情報を手に入れるのはそう難しいことではないが、見知らぬ相手にわざわざ教えてやることではない。
「いるんですね!?」
 男は目を見開き、一歩こちらに近寄った。俺より少し身長が高かったが、詰められてもまるで威圧感を感じない。おそらく年齢が若いせいだ。二十歳くらいだろうか。
 仕方がないので、結局「何の用だ」と尋ねる。
「申し遅れました、僕は北川京之介、北川凛子の弟です。事情があって今姉と連絡が取れなくて。なので取り次いでいただけませんか?」
「弟……?」
 おかしい、と瞬時に思った。凛子の話では兄弟姉妹はいなかったはずだ。それに、以前書かせた家族の台帳にも誰の名前も書かれていなかった。
「俺ちょっと確認してきます」と隊士が言うのを「いや、いい」と制止する。
「アイツにゃ家族はいねえと聞いてる。最近じゃ家族を偽って隊士に近付こうとする不逞浪士も現れ始めてんだが、お前もそのクチか?」
 そう言いながらもしかし、攘夷浪士の類ではないと俺は思っていた。親兄弟は家族を偽るには関係が近すぎるし、偽るとすれば実在するかどうかくらい調べてから来るものだからだ。それに、こういった手口にわざわざこんな見目麗しい若い男を使うことも考えにくい。目立ちすぎる。
 だが、それはそれで意図の見えない恐ろしさがある。
 刀に手をかけると男は慌てた様子で一歩退き、胸の前で両手のひらを見せた。
「ま、待ってください。決して怪しい者じゃ……」
「じゃあ家族と偽ってまで乗り込んでくる理由は何だ」
「……本当に、姉は家族がいないと言ってるんですか?」
「ああ」
 男は一瞬目を伏せ、また笑顔を作った。
「わかりました。それなら会えそうにはありませんね。では代わりと言ってはなんですが、伝言だけお願いできますか?」
「内容による」
「僕が今日から数日松竹荘という木賃宿に滞在することと、あと、お尻の黒子、とお伝えください」
「尻の黒子? 何だそりゃ」
「僕のお尻には左右対称の位置に黒子があって、それを目と見立ててお尻全体が顔みたいになってるんです。特徴的だから僕であるという証拠になるはずです」
「はあ……」
 一体何の話を聞かされているんだ、と思っているうち、男は姿勢を正して一礼し、去っていった。淡い黒髪が、光に照らされ鈍色に透けていた。
「いやあ、モデルみてえなイケメンでしたねえ」
「……」
 さっきの迂闊な発言について注意するつもりだったが、すっかり気が削がれてしまった。
「今の話、凛子に伝えてくる。後で合流するから先に見廻り行ってろ」
「はいっ」
 屯所内に引き返し、一直線に居間に向かう。最近凛子はよくあの部屋に顔を出すようになった。非番である今日も、さっき昼休憩中の隊士たちとそこで喋っていた。
 廊下の角を曲がると、こちらは今日非番でないはずの総悟が居間に入っていくのが見えた。おい、と怒鳴ろうとした瞬間、中から刀と刀のぶつかる激しい金属音がした。
 何事かと居間まで走っていくと、どういうわけか総悟と凛子が刀を合わせている。
「何してる!」
 叫ぶと、激しい剣幕の凛子がはっと我に返ったように力を抜いた。みるみる顔が青ざめていく。
「ご……ごめん、総悟くん……」
「いきなりひでえじゃねえですかィ」
 凛子はひどく動揺しているらしく、刀を一度床に落とし、小さく震える手で鞘に収めた。その間もしきりに「ごめん」と繰り返した。
 総悟も刀を収めたところで改めて「今のは何だ」と問う。
「俺ァ凛子さんが斬りかかってきたから受けただけでさァ」
 ねえ、と総悟が同意を求めると、凛子はまだ青ざめたままの顔で頷いた。
「……実は私、熟睡ができなくて……寝てるときも気を張ってるみたいで……。だから寝てるときに近付かれると、反射的に刀を向けちゃうの」
「防衛本能的なやつってことですかィ」
「多分、そういうやつ、だと思う」
「それならこんなとこで寝ないでくだせえよ。普通の隊士だったら今ので死んでやしたぜ」
「本当にごめん……。ずっと自分の部屋以外で寝ないようにしてたんだけど、ちょっと気が抜けてた……。二度とないようにする」
「だ、そうですよ、土方さん」
 淡々と、総悟が振り返った。
 気が抜けて眠ってしまったくせに、眠っているときも気が抜けずに斬ったのか。その大いなる矛盾も、生い立ちを知った今、なんとなく理解はできる。気が抜ける瞬間などなかったのだろう。それが真選組には少し気を許し始めている、と楽観的に捉えれば悪い気はしないが。
「……怪我人も出なかったから今回は不問でいいが、隊内には通達するからな。今後自室以外では絶対に寝るなよ」
「はい……」
「それ以外に、何か伝えてねえことはねえだろうな」
「うん……」
「ならいい」
 しん、と重くなってしまった空気を、総悟の間抜けな声が破った。
「じゃ、この話は終わりってことで。テレビ点けていいですかィ?」
「何堂々とサボろうとしてやがる! お前はさっさと仕事に戻れ!」
 首根っこを引っ掴んで部屋の外に追い出すと、「何でィ、殺されかけたってのに」と門の方に向かっていった。
 凛子に目をやると、まだ青ざめたままじっと俯いている。
「……まあ、何だ。総悟でよかったじゃねえか」
 凛子の不意打ちを止められる者など、隊内にそうはいない。さっきのは総悟がいなければ俺がくらっていたはずで、皮肉なことにサボりがもっけの幸いとなった。
「さっき、お前を訪ねて来た奴がいるんだが」
「私?」
「北川キョウノスケ、お前の弟だってよ」
「……私、家族いないけど」
「ああ。そう伝えたらあっさり帰ってった。まあ弟は嘘なんだろうが、何か心当たりあるか?」
「ないなあ……どんな人?」
「背は百八十ぐらいで細身、黒髪で、整った顔した野郎だった。年は二十歳頃か……あ、そうだ、ケツに黒子があってそれが顔に見えるってよ」
「え、お尻見たの?」
「んなわけあるか! そいつがお前にそう伝えてくれって言ってたんだよ!」
「何それ、新手のセクハラ……?」
「それが自分であることの証拠になるんだと」
「ふーん……でもやっぱわかんないや。そんな若いイケメンも他人のお尻事情も知らないし」
「そうか。ああ、あと今日から数日木賃宿に滞在するってのも伝えてくれってよ」
「その人まだ屯所にいるの?」
「いや、追い返した」
「そっか。何かまた怪しい感じのやつかもね。気を付けるよ」
 まだ眠いから部屋に戻るね、と凛子は居間から出ていった。
 ひとりになった居間で、キョウノスケと名乗った男の顔を思い出す。一体どこであの顔を見たのだろう。

 その日、隊士の送別会があった。除隊する者の大半は葬式での別れとなるため、生きてここを出る者には命あることを喜び前途を祝して盛大に送り出してやろうということで必ず送別会をしている。
 夕方頃から仕出屋が出入りしてにわかに屯所が慌ただしくなり、外が暗くなった頃には会場にずらりと膳が並んだ。
 雑務を早めに切り上げ、歓迎会前に厠へ寄ろうと会計方が仕出屋の女と料金や片付けの話をしている横を通ったとき、俺は全身に電撃が走った。咥えていた煙草を落としそうになった俺を見て、仕出屋の女もはっと目を見開いた。会計方の男が彼女と俺の間で視線を往復させる。
 俺が言葉を発せずにいると、向こうが先に口を開いた。
「あの……以前ひったくりに遭ったところを助けていただいた伊勢屋のふみです。覚えていらっしゃいますか?」
 そう。吉原から足抜けした松風の捜索をしていた日の、あのときの娘だ。
「ああ……覚えてる」
「その節は大変お世話になりました」
 おふみが深々と頭を下げると、後ろでまとめられた髪が照明の明かりで鈍色に透けた。再び上げられた顔を改めて見て、俺は確信した。
 どこかで見たキョウノスケの顔。それはおふみの顔だった。キョウノスケとおふみが、同じ顔をしているのだ。
 確信した途端、断片的だった情報がかちかちっと音を立てて繋がっていった。おふみと出会った日を境に不審な行動がなくなった凛子。そのおふみとそっくりな男が、凛子の弟を名乗り訪ねてきたこと。無関係だとは思えなかった。
 しかし、それ以上のことはさっぱり読めない。繋がりはしたが、それが意味するものがまったく見えてこない。キョウノスケは凛子の弟だと言っていたが、血の繋がりがあるとすれば、どう考えてもおふみの方だ。顔も、髪や瞳の色まで同じなのだ。それもこの国では珍しい、漆黒でも赤みを帯びた黒でもない、灰色に近い淡い黒。対して凛子との共通点はないと言ってもいい。
 だが。
 凛子は本当は、キョウノスケという男のことを、何か知っているのではないのか。