目を三日月のようにして札束を数える男のなんといやらしいことだろう。もう既に二往復はしているというのに、また数え始めた。
いやらしい男、銀さんが数えているのはよくある依頼、ペット探しの報酬なのだけれど、珍しい種類の飼い猫を無傷で捉えたことに感激した飼い主が奮発して多めに支払ってくれたのだ。
「何回数えてんすか。何回数えたって一緒ですよ」
「あーあー情緒ってもんがわかってねえなあ、お前は。味わってんだよ。お前だって寺門通のCD擦り切れるほど聴いてんだろ、それと一緒だよ」
「情緒もクソもねえよ、そんなもん。お通ちゃんの歌と一緒にしないでください」
「CDって擦り切れるアルか?」
ソファの上であぐらをかく神楽ちゃんの質問に、銀さんと僕は顔を見合わせた。
「ああ、えっとね、CDが普及する前、カセットテープで音楽を聴いてた頃の言い回しだよ。確かにCDには使うものじゃないかもね」
「じゃあ何て言やいいんだよ。表面の凹凸がなくなるくらいとかか?」
「何回も聴く、になっちゃうんでしょうかね」
ほんと情緒がねえなァ、とまた銀さんがぶつぶつ言う傍ら、チャイムが鳴った。
「お、立て続けに依頼が二件たァ今日は金回りがよさそうだな。後で打ちに行くか」
「どうせ全部スって帰ることになるんですよ。僕出てくるんで早くその札束しまってください」
はいはーい、と廊下を渡り玄関を開ける。目の前に立っていた人と目が合って、僕は言葉を失ってしまった。背が高く、細く、そして、端麗な顔のそのお客さんに。
「こんにちは」
まるでモデルのようなその男性が人当たりの良い笑顔を浮かべた。
「こ、こんにちは。ご依頼ですか? どうぞ上がってください」
けれども僕が絶句したのは、容姿の良さ以外に理由があった。予め聞いていた特徴とぴったり一致したからだ。いつかもしかすると、万事屋に来るかもしれないと聞いていた特徴と。
ソファに案内すると、銀さんと神楽ちゃんも同じことを思ったようで、はっと小さく息を飲んだ。
「はじめまして。北川京之介と申します。万事屋さんにお願いしたいことがありまして」
やっぱりそうだった。北川さんの弟さんだ。
事情を説明するには、まず私の生い立ちから話さないといけません。
万事屋に依頼に来た日、北川さんはそう前置いて、依頼に至った経緯を説明をしてくれた。
九歳のとき、故郷である京で大火が起こって、一晩で天涯孤独となりました。絶望の中街をさまよっていた私は、黒焦げになったある家屋の瓦礫の中に、生きた赤ん坊がいるのを見つけました。赤ん坊は泣きもせず小さい手足をばたばたさせてひとりで遊んでいて、私が覗き込むと嬉しそうに笑いかけてきました。こんなときになんて呑気なんだと思った途端、何だかその赤ん坊に愛着が湧いてきて、自分の食べ物すらままならないのに私はその子を育てることにしました。お互い親を亡くしながら生き残った戦友のような、勝手にそんな絆を感じたんです。
赤ん坊に京之介と名付け、弟ということにしてふたりで暮らしました。暮らすといっても、街をうろつく女衒から逃げ、物を盗み、悪評が立てば場所を移動するというめちゃくちゃな生活でした。でも、それでも幸せでした。京之介がいてくれたから。私の生きる希望でした。
けど、京之介も私も成長するに従い、物を盗むだけではだんだん立ち行かなくなってきました。そんなとき、京之介が喘息を起こしてついに行き詰りました。お金はもちろん保険証もない。あてを探しているうち私は良くない、つまり、裏の世界に足を突っ込むことになりました。
しばらくは薬の売り子をして生活を繋いでいたんですけど、京之介に手術を受けさせないといけなくなって、さらにお金が必要になったんです。それで私はお金欲しさによそのシマに手を出し、ばれて捉えられました。遊郭に売り飛ばされかけ、でも京之介に会えなくなっては困るという一心で抵抗し、人を斬りました。するとその胆力を買われてそこで護衛の仕事をすることになり、それから真選組に入るまでそこで働き続けました。売られていたらきっと大した遊女にもなれず京之介にも会えずだったことを思うと、護衛の仕事は楽園のようでした。
それが私が十二歳、京之介が三歳のときのこと。
それから三年後、京之介の手術も無事成功して生活も安定していた頃でした。ふたりで茶屋に連れ立ったある日、隣の席の男たちから衝撃的な話を耳にしたんです。何でも、とある知人が酒を飲むたび京の大火のときに失った息子の話をするのだと。失ったといっても遺体は見ておらず、その後娘がふたり生まれたものの、どうしても長男に自分の店を継がせたかった男はまだ息子の生存を諦めていないのだと。そして、その息子にはお尻に特徴的な黒子があったのだ、と。ええ、そうです。京の大火で焼けた瓦礫の中から拾った京之介に、それとまったく同じ黒子があるんです。男たちの話から他にわかったのは、京之介の親はどこかで店を出していて、そのうち江戸に店を出す予定があるらしいということでした。
そのときすぐに男たちに京之介のことを伝えるべきでした。けど、京之介を手放すなんてできなかった。私は京之介を隠すように早々に店を出ました。
けど、大人になるにつれ、後悔しはじめました。家族が生きていると知らなかったとはいえ、京之介を家族から引き離したのは私です。本来の居場所に戻してやるべきだし、それに何より、私と家族関係にあることが京之介にとってデメリットしかないことに気付いたんです。私は組員ではなくフリーで雇われているような形態だったんですけど、それでも暴力団関係者には変わりない。そんな人間の家族なんていうレッテルを京之介に貼ってしまうことに、そのときになってようやく思い至ったんです。
だから私は、京之介が独り立ちできるようになったら姿を消そうと決めました。そして京之介が十八になった去年、薬学を学ぶため京之介が別の星に出たのをきっかけに、私と京之介を繋げるすべての物を消して、私は真選組に転職しました。
真選組に転職した理由のうち、ひとつは職場が江戸だったことです。そう、京之介の親を探すことができるから。十年以上前に得た、江戸に店を出す予定があるという情報だけで探す中、ある日京之介とそっくりな顔の女の子を見つけました。それは伊勢屋の長女でした。つまり、私が茶屋で聞いた話の男は、伊勢屋のご主人で、京之介は伊勢屋の長男だったんです。
というわけで、万事屋さんに投函をお願いしたいこの手紙には、伊勢屋のご主人に対して京之介が生きているという旨を書いています。本来なら私の口から直接伝えるべきなんですけど……彼らから息子を奪って今まで黙っていたなんて、とても言えませんでした。だから、私の身元がわからないようにこの手紙を出してほしいんです。
伊勢屋のご主人は店を男児に継がせることに強いこだわりがおありだから、きっと京之介に連絡をします。その後どうするかは京之介に任せます。希望すればあの大店の主人になれかもしれないし、なれないにしてもひとりで生きていけるように育てたので、どうとでもなるはず。どれを取っても私と一緒にいるより絶対に良い。
あと、万事屋さんには、もうふたつ依頼があります。ひとつは、このことを真選組含め誰にも口外しないでほしいこと。もうひとつは、もし京之介がやってくるようなことがあっても、この依頼のことは知らないふりしてほしいこと。
そういう話だったから、僕と神楽ちゃんは反対したのだ。だって、そんなのどう考えたって京之介さんが可哀相だ。突然姉に捨てられるようなものだし、京之介さんはきっと北川さんと離れたくないに違いない。僕と姉上に置き換えればよりいっそうそう思った。けれど銀さんは淡々と依頼を受けたのだ。てっきり、説教のひとつでもして北川さんを思いとどまらせるだろうと思っていたのに。
そしてその京之介さんが、今万事屋にいる。
「実は、真選組に北川凛子という女性がいるんですが、彼女と会わせていただきたいんです」
そして僕たちはもう一度驚いた。
京之介さんがもし来るとしたらきっと、姉を探してほしいという依頼をするのだと思っていたからだ。しかし彼はもう、姉の居所は突き止めていた。
✳︎
昨晩から降っていた雨が徐々に強まり、暴力的に屋根を叩きつけていた。
「ひでえなこりゃ」
「ね。今日外廻りじゃなくてよかった」
机の向かいで書類整理を手伝う凛子の顔を窺った。キョウノスケが現れてから数日経ったが、凛子の様子に変わりはない。絶対に何か知っているはずだが、一度知らないと言われたものを改めて確認するのは容易ではなかった。そもそも、おふみと顔が同じだと言ったところでいくらでもしらばっくれることはできる。問い詰めるには材料が足りなかった。
ごろごろと唸っていた空がついにちかっと光った。それとほぼ同時に爆音の雷鳴が響く。家を一軒くらいは木端微塵にしていそうなほど激しい音だった。
「えらい近くだな」
障子が閉まっているので外の様子は見えないが、あまりの音に思わずそちらを向いて言った。しかし相槌が返ってこないので凛子を見ると、顔を強張らせたまま障子の向こうを見つめている。
「おい、大丈夫か」
それでも返事がないので顔の前で手を振ってやる。すると、はっとしてやっとこちらを向いた。
「雷だめなのか?」
「ううん、びっくりしただけ」
凛子は笑ったが、すぐに嘘だとわかった。なぜなら、
「顔色悪ぃぞ」
珍しく、わかりやすく動揺しているからだ。攘夷浪士にも巨大ゴキブリにも物怖じしないくせ、雷はだめだとは不思議なものだ。
しかし凛子は動揺を一瞬で消し去り、ぱちぱちと目を瞬かせ何か言いたげにこちらを見つめてきた。その顔は、凛子がいつも自分のペースに持っていくときに見せる前兆のようなもので、俺は瞬時に嫌な予感がした。
「……何だよ」
「女子に顔色悪いとか、そういうこと言っちゃうんだ、と思って」
「あのなあ、俺は心配して――」
そのとき、どたどたとけたたましく足音がして障子が勢いよく開かれた。
「副長! 攘夷浪士が市民を人質に、先日捉えた仲間の解放を要請しています!」
「人質? 誰だ?」
「それが、誰というのは名言してなくてですね」
「どういうことだ」
「えっと、臀部に左右対称の黒子がある男と言えばわかる、と……」
はっと息を飲んだ。ケツの黒子。キョウノスケだ。
報告に来た隊士が遠慮がちに「ご存じなんですか?」と俺たちの様子を窺う。
「……一番隊と二番隊を集めて指示が出るまで待機してろ」
「はい!」
隊士が走り去っていく。そしてすぐ障子を閉じて振り向き、雷が落ちたときとは比べ物にならないほど血色を失った凛子に詰め寄った。
「凛子、お前本当はあの男のこと知ってんだろ」
「……」
「弟なのか?」
凛子は目を伏せたまま、かろうじて首を横に振る。
「じゃあ一体何だ。この状況でまだ知らぬ存ぜぬを通せると思うなよ」
「……」
「あのなあ……この際だから言うが、知ってんだぞ、お前がずっと誰か探してたこと。色んな飲み屋で聞き回って、こまめにシステム覗いたりして。それが伊勢屋のおふみと出会った途端ぱったりなくなったことも。そんで、そのおふみと同じ顔のキョウノスケがお前を訪ねてきて人質にされた。偶然とは言わせねえからな」
屯所に突撃してきたことから考えるに、キョウノスケは同じような調子でむやみやたらに街中凛子のことを聞き回っているうち攘夷浪士に捕まってしまったのだろう。
「……知ってる」
「あ?」
「ザキに私のこと監視させてたの、気付いてたよ」
「は……」
追いつめたつもりが思わぬカウンターをくらった隙に、凛子が脇をすっと抜けていく。だがかろうじてその腕を掴んだ。
「待て、質問に答えろ!」
「肉親がいないのは誓って本当。前に話した生い立ちも嘘じゃない」
「キョウノスケのことは伏せてただけで嘘はついてねえってか。じゃあ、知ってるってことでいいんだな?」
「……ねえ、放して」
「だったら答えろ」
「答えない」
「何でだよ!」
「私の個人的な問題だから! 迷惑かけたくないの!」
「もうかかってんだろ。お前がこないだあいつに会ってやってりゃこんなことになんなかったんじゃねえのか」
「だから、今から私ひとりで行く。ひとりで解決してくるから」
「もう個人の問題を超えてんだよ、真選組に対する脅迫なんだぞ」
「じゃあ真選組隊士としてひとりで行ってくるから!」
「おい言ってることが支離滅裂」
「お願い放して!」
掴んだ腕を凛子は強引に振り払おうとした。押さえようにも体術をかけて逃れようとするので上手くいかない。少しの間組み合っていたが、仕方なく脚を払って床に押し倒した。こんなやり方は心底不本意だが、身体の使い方が滅法上手い凛子に膂力のアドバンテージなどあまり意味がなく、他に方法がなかったのだ。片手で凛子の両手をまとめて腹の上に跨り、もう一方の手を振りかぶる。目を瞑り歯を食いしばった凛子の頬を、ぺちと手の甲で軽く弾いた。
「落ち着けよ、なあ」
努めて柔らかく言うと、開いた凛子の目にうっすら膜が張っていった。けれども決して零す気はないらしく、ずっと歯を食いしばっている。それが未だ凛子に残る抵抗のように感じられてもどかしい。
「……ごめん」
「いいから。とりあえず深呼吸しろ」
凛子は素直に深く呼吸をすると、多少落ち着きを取り戻したらしかった。しかし、立ち上がるときに取ったその手は少し震えていた。
「手荒なことして悪かった」
凛子は黙ったままかぶりを振った。俺も少し落ち着くため煙草に火をつける。
「個人的な問題、迷惑、上等だ。うちはそんなんばっかじゃねえか。ストーカーの尻拭いだとか、壊した家屋のフォローだとか」
凛子はそれでも目を伏せたまま口を噤んでいた。
「……俺らはそんなに信用ならねえか」
「そういうわけじゃ……」
言い淀み、しかしとうとう決心したように目を瞑った。
「京之介とは戸籍上も血縁上も繋がってない……けど、大事な子なの」