総悟くんの刀から聴診器のようなイヤホンが伸びていた。
「……どうしたの、それ」
「新しく配布された武器でさァ。凛子さんの分も持ってきやした」
消去法で悪いんですが、と渡されたのは、刀と小冊子。刀の絵の描かれた小冊子の表紙には「美顔ローラー付き」とある。
「野郎どもがどうしてもこれは嫌だっつーんでねェ、すいやせん」
「ううん、大丈夫。ありがとね」
刀に美顔ローラー。セーラー服と機関銃に似た不協和音は感じるけれど、センスが圧倒的に足りない。まあ、それはいいとして。ともかく、刀に美容器具はいらない。というか、急に武器の配布なんてどうしたんだろう。刀はこだわりのある人も多いし、どうせなら銃火器系の方が良かったんじゃないだろうか。
「伊東さんが調達してきてくれたんで、会ったら礼言っといてくだせえ」
私が色々と腹落ちしないのを察してか、総悟くんはそう言って戻っていった。
先日、伊東さんが屯所に帰ってきた。といっても私はほとんど面識がない。
私より少し前に入隊した参謀、つまり政治担当で、京やその他地方へ赴くことも多く、屯所において私以上のレアキャラだ。たまに何かの報告で屯所に立ち寄っても、はぐれメタルの如くすぐにいなくなるので、私は二、三度遠くから姿を見たことがあるだけだった。
伊東さんの帰ってきたタイミングで帰陣祝いと称した宴会が開かれたけれど、それからこちら、なんとなく屯所全体がそわそわとして落ち着かない。少し前から感じていた、新参と古参の間のひずみ、それがはっきりしたような気がする。これまでは、古参が一律近藤さんに向いていたのに対し、新参は少しずれた方向をぼんやりと向いていたのが、一気にまっすぐ伊東さんに向いたような感じ。どこまでが本当のことかはわからないけれど、トシと伊東さんが権力争いを繰り広げているだとかそういう話まであって、隊士の間ではお互い相手がどちら側なのか探り合う空気が流れている、気がする。
刀にローラーなんていらないと思いながらも、私はせっかくなので使ってみることにした。ボタンを押すと、柄のお尻のところから安っぽくてかるローラーが現れた。それをくるくると顔面で滑らせる。やっぱり刀につけるものじゃない。使いにくくて、全然実用的じゃない。
でもせっかくだからどうにかできないかと説明書に手を伸ばしたとき、ふと顔を上げると、部屋の入口にトシが立っていた。その顔が明らかに呆れた様子で、私の血行の良くなった顔がさらに熱くなった。
「こっ……声かけてから開けてよ」
「開いてたんだよ。見られたくねえなら閉めとけ」
ばつが悪くなって、私は刀と説明書をわきに避けた。それを見下ろしながらトシが小さく息をつく。
「どいつもこいつもはしゃいでやがんな」
「……トシだってもらったんでしょ?」
「いや。俺ァ間に合ってる」
「意地張らずに、素直にもらえばいいのに」
「別に意地なんか張ってねえ」
目ェ通しておけ、と次の討入り先の見取り図が文机に置かれ、心持ち強く障子が閉められた。
トシが閉めた障子から、見取り図に目を移す。そこからまた、部屋の端で窮屈にしている刀と説明書に目をやって、私は後悔した。おとなげなく、いやみったらしい言い方をしてしまった。トシの口調に何だか棘があって、少し気持ちがささくれ立ってしまったのだ。
わかっている。今一番張りつめているのはトシだ。だって、そうだろう。私の入隊時もそのあとも、いつだって誰よりも組織の、真選組のことを最優先に考えて行動する男なのだから。今の危うい空気をよしとしているはずがない。権力争いは大袈裟にしても、伊東さんに思うところがあってもおかしくない。
でも、と思う。トシはさっき、私にも見定めるような目を向けてきた。こいつはどっち派なんだ、と。トシとはそれなりに信頼関係が築けたと思っていたから、何だか寂しくなってしまったのだ。
その日から、事態が大きく動き出した。
第一報は、攘夷浪士に囲まれたトシが土下座して命乞いをしたという話だった。それだけを聞いたとき、半分くらいの隊士はまさかと鼻で笑った。私もそうだ。だって、私と和解するのですらあのありさまだったトシが、そんなことできるはずもない。噂の出所が伊東さん派の隊士だったこともあって、その話はすぐに流れかけた。
けれど、そのあとたたみかけるようにトシの様子がおかしくなった。職務怠慢に始まり、局中法度を片っ端から破っていく。そうなるとだんだん笑ってもいられなくなり、土下座の件も蒸し返されて信憑性を帯びた。そうして近藤さんとトシが仲違いしたという噂が立って、いよいよ隊内は本格的に不穏になった。最初鼻で笑っていた隊士たちも次々にトシに冷たい視線を送りだし、目に見えて伊東派という派閥が膨れ上がっていった。
それでも、私はただただトシのことが気がかりだった。何かわけあったとしてもトシの行動は隊規違反に違いないけれど、それでもわけを聞かないことには皆のようにトシに幻滅できなかった。かといって伊東さんと敵対する気にもなれなかった。だって私は伊東さんのことは何も知らないから。でも、そうしてどっちつかずにしているうち隊士たちは私から距離を置くようになり、中には憚ることなく敵意を向けてくる者まで出てくる始末だった。
「凛子ちゃん、今いい?」
だからザキに声をかけられたときは、心底安心した。周りを確認して、ザキを部屋に入れる。そのうえでできる限り声を潜めた。
「副長のことなんだけど」
「どうしちゃったの、トシ?」
「それが俺にもよくわかんなくて。凛子ちゃん何か気付いたことない?」
「ザキでも気付かないなら私じゃ……」
そもそも、伊東さんが武器を調達してきたあの日から、トシとろくに話していない。トシと話さない日があること自体は珍しくもないけれど、あんな嫌な言い方をしてわだかまったまま、こんな状況になってしまった。
「あ……伊東さんが武器配ってくれた日……最初に変な噂が立ったの、あの日だったよね?」
「噂って、攘夷浪士に土下座したってやつ?」
「うん」
「確か……うん、そうだったと思う」
「でもトシは伊東さんから武器は受け取ってない……んだよね」
「うん、俺はいいって。あのときは副長に特段変わった様子はなかったな」
あの日の変わった出来事といえば、それくらいだ。配布された武器が何かヒントになるかと思ったけれど、肝心のトシだけが武器を受け取っていない。私の部屋に来たときも、少しぴりぴりしていたもののいつも通りだった。ということは。
「……伊東さんの武器配布以降、土下座した時間までの間にトシに何かがあった可能性が高い?」
「そうだね」
ザキと顔を見合わせる。
「じゃあ、俺はあの日の副長の行動を洗ってみる。凛子ちゃんは副長の様子を見ててもらってもいい?」
「わかった」
何かあったら連絡して、と早速ザキが立ち上がる。
「待って、ザキ」
「ん?」
「私のこと、信用してくれてる、ん、だよね?」
「だから相談しに来たんだろ」
ザキが呆れたように言う。
「信用しない方がいいの?」
「いや……そうじゃないけど」
私は、自分がどう立ちまわるべきなのかわからなかった。トシのことは信じている。けれど、伊東さんと対立したいわけでもない。伊東さんが悪だとする確証もないのだから。気付いたらこんな状況になっていて、どうしてこうなったのか、私には漠然としすぎていていまいちわからないでいるのだ。
「……まあ、伊東さんのことはひとまず置いといてさ。副長のことは心配だろ?」
うん、と頷く。
「ならそれでいいんだよ。俺だって副長が心配だし」
ザキはそう言って、小さく息をついた。
「そう言う凛子ちゃんこそ、俺を信用する根拠は?」
「私が入隊したばっかの頃、土方スペシャルが親愛の印だって教えてくれたから」
トシが憎まれ役を買って出てくれているから、真選組はまとまった組織でいられるとザキは言っていた。だから、多少の理不尽は耐えるとも。ザキだって、真選組を想う気持ちはトシと同じなのだ。
「はは、そんなこともあったね」
じゃあ情報はこまめに共有し合おう、とザキは部屋を出た。
ちょうどいいことに、今からトシと話をする予定があった。そろそろ私の下に誰かをつけようという話が出ていて、それを近藤さんと三人で話し合うのだ。今そんなことを話し合っている状況なのか、わからないけれど。
いつも以上に煙が充満しているトシの部屋には、まだ近藤さんはいなかった。
「お疲れ……」
「おう」
私が障子を開けて中に入っても、向かいに座ったあとも、トシは目を合わせてくれなかった。きっとそれは、あの日のことを怒っているわけではなくて、ここのところずっと痛い視線を浴び続けているから、多分誰に対してもそうなのだと思う。
けれどそれはそれとして、この間のことを謝っておこうと顔を上げたとき、ふとトシの刀が目に飛び込んできた。柄と鍔が、いつもと違う。
「あれ、刀……いつものじゃないよね?」
「あ? ……ああ、まあな」
いつからだろう。あの日、伊東さんが武器を調達してきた日は、いつもの刀だった。
まさか、これが原因?
「伊東さんから、結局刀もらったの?」。
「違げえよ。これは刀匠に預けてる間の代替だ」
配布された武器に何かあるのかもしれない。そう思って言ったそれはいらぬ誤解を生んでしまったらしく、投げつけるように言われた。
「トシごめん、今のはいやみじゃなくて」
「入るぞー」
けれど障子が開いて、弁解の機会を逃してしまった。部屋に入ってきた近藤さんは私たちの空気を察したようだったけれど、それについては触れなかった。すぐ私とトシの間に座り「早速始めるか」と切りだした。
一瞬、おとなげなく泣いてしまいたくなった。近藤さんとトシ、私とトシ、どちらの間にも、とてつもなく暗澹とした何かが横たわっているのに、全員が見て見ぬふりをしていた。その状況が私たちらしくなさすぎて、苦しかった。
すると、唐突にトシが勢いよく立ち上がった。どうしたの、と訊く間もなく障子を開け、走って出ていってしまった。まただ。また様子がおかしくなった。
近藤さんが大きくため息をついた。
「……今日はもう話し合いは無理だな」
本当にどうしちまったんだ、と右手で目元を覆うようにしてうなだれた。
「……近藤さん、私様子見てくる」
立ち上がった私を見上げ、近藤さんは弱々しく笑った。なんだか近藤さんがとても小さな生き物のようだった。
「頼むよ」