その晩、もう一度部屋に来たザキにトシの刀のことを伝えた。今持っているのは代替であること、それと、トシがこの刀について何かを言おうとしたこと。
「そっか、じゃあやっぱり……。凛子ちゃん、俺が今日調べてわかったことだけど。伊東さんから武器の配布があった日、副長は鍛冶屋に行ってたみたい」
「鍛冶屋……じゃあ」
 うん、とザキが頷いた。
「あの日トシは鍛冶屋でいつもの刀を刀匠に預けて、その間の代替として今の刀を受け取った。時間から考えてその道中、例の土下座事件が起きた。そしてそれは十中八九、行きでなく帰り。なぜなら、その代替の刀がトシに何らかの悪影響を与えているから……こういうこと?」
「状況から考えて、おそらく」
 一体、あの刀に何が?
「凛子ちゃん、明日以降も副長の様子を見ながら話を聞き出してもらえるかな」
「うん、やってみる」
「頼んだよ」
 そうしてザキは弱く笑って、付け加えた。
「副長、俺にはそういうこと話してくれないからさ」
「ザキ……」
 確かに、トシはプライドの高い男だ。けれど、じゃあそれが信頼のバロメータなのかというと、また別の話だと思う。
「……トシは誰にも言えない内緒の仕事は絶対ザキに頼むじゃん」
 たとえば私の監視だったり、総悟くんのお姉さんの件だったり。トシが秘密裏に動くときは必ずザキがそばにいる。他の隊士には頼まないし、近藤さんにだって相談していないはずだ。
 ザキは目を瞬かせ、そして、そうだね、と笑って部屋を出ていった。
 強い風が吹いて、障子の向こうから庭の木の葉が擦れ合う音がした。壁に立てかけている美顔ローラー付きの刀を見ているうち、妙に不安になった。自分を落ち着かせるために、目を閉じて深く息を吸う。大丈夫。原因にはあたりがついたから、あとはトシに詳しく話を訊くだけだ。きっとどうにかなる。トシがいつもの調子を取り戻せば、いつもの真選組に戻る。
 でも、事はそううまくいかなかった。
 翌日は朝からずっとトシを見つけられず、電話をしても出てくれず、そのまま夕方の幹部会議が始まってしまった。当然のように不在のトシを見かねた伊東さんが厳罰を主張しているところに、焼きそばパンを握ったトシが襖を突き破って飛び込んできた。そうしてついに伊東さんがトシの切腹を声高に主張しはじめたのを古参が必死で止めに入り、トシはどうにか切腹は免れたものの、無期限の謹慎処分となってしまった。事実上の更迭。
 処分が正式に決まるまでにトシと話すチャンスは何度かあったけれど、いずれもアニメに傾倒している状態でまともな話は一度もできなかった。
 そうしてそうこうしているうち、トシは屯所から忽然と姿を消してしまった。ザキや私が見失うほどの隙をついて。
 状況が目まぐるしく変わって、どうしてこうなったのか、何をどうすればよかったのか、ひとつもわからないまま取り返しのつかないことになってしまった。伊東さんがトシをはめたという噂もあるけれど、それは眉唾ものだと思っている。でも、結果的に屯所内が完全に伊東さん優勢の流れになっていることは事実で、近藤さんすら伊東さん寄りなのは明らかだったし、戸惑っている間に乗り遅れた私は浮いてしまっている。
 トシが持っていったのか、主人のいなくなった部屋からフィギュアがひとつ消えていた。規則的に並んだフィギュアの列の中、不自然に空いたひとつ分は、なんだかトシがもう戻ってこないと言っているような気がした。
「北川くん」
 トシの部屋をぼおっと眺めていると、ふいに少し離れたところから声をかけられた。
「……伊東さん」
 伊東さんが近付いてきて、思わず二、三歩後退った。
「ちゃんとした挨拶が遅くなってすまないね。改めて、伊東鴨太郎だ」
「北川凛子です。こちらこそ……挨拶は私の方から伺うべきでした」
「君とはずっと話してみたかったんだ。噂は色々と聞いているよ。何をさせても優秀だって」
「それは、多少噂が独り歩きしていると思いますが」
「謙遜を。でなければこんなに早く幹部にのぼりつめられるわけがないじゃないか」
「……伊東さんには及びません」
 だって、まるまる同じことが伊東さんにも言える。それどころか、入隊時期も私とさして変わらないのに、序列はトシとほぼ同じ。あくまで現場仕事を買われただけである私に対して、伊東さんはさらに管理側の仕事まで任されているのだから、どう考えたって比べるまでもない。
 そして、そんなことはわかっていて伊東さんはこんなことを言っているのだ。つまり、相当にプライドと自己顕示欲が高いと見た。
 伊東さんは満更でもない顔で笑い、トシの部屋の中をちらりと横目で見た。
「土方くんのことは、残念だったね」
 残念、というのはどういう意味なのだろう。こうなってしまったことに対してなのか、それとも、切腹させられなかったことに対してなのか。
 私がその意味を図りかねていると、
「優秀な隊士だったのに」
 と伊東さんは付け加えた。
「彼の切腹を提言するとき、反対する者がいるだろうことは予想していたんだ。彼は真選組発足時からのメンバーでもあるからね」
 伊東さんは目を伏せ、また私の方を向いた。
「しかし、君は彼らと違って入隊して日が浅い。にもかかわらず土方くんに肩入れするのはどうしてだい?」
「肩入れというか……最近の様子が普段とずいぶん違っていたので、まず本人から話を聞きたかったんです」
「様子がおかしい。そうだったらしいね。しかし、どういう理由があろうと違反は違反だ。彼だけ特別扱いをしてはこれまで粛清されてきた隊士に申し訳が立たないとは思わないか?」
「それはごもっともですが……伊東さんは、自分の身近な人がそんな風になってもすっぱり切り捨てられますか?」
 伊東さんは一瞬、口を噤んだ。
「……僕はきっと、そうするだろうね」
「そうですか……武士らしく潔くいらっしゃるんですね」
「北川くん、君も今身近な人だと言っていたが、土方くんとは懇意だそうだね」
「懇意……」
 質問の意図を図りかねた。トシが失脚した今、私がどちら寄りなのかを定めてもあまり意味がない気がするからだ。反乱因子の把握だろうか。ただ、伊東さんは私のことをある程度調べたうえで訊いているようだったから、私は正直に答えることにした。
「そう、ですね。同い年で仲は良かった方だと思います」
「しかし君の入隊時、彼は君が女性だという理由で反対し、入隊が決まったあともしばらくそっけない態度を取っていたと聞いている。ずいぶんと独善的に思えるが、正直腹立たしく思わなかったのかい?」
「それは……」
 屯所にいなかったのに、かなり詳細な話まで伝わっているみたいだ。だったら、トシがどういう人間かだって知っているだろうに。
「……確かにいい気分はしませんでした。でも、それは副長の信念ゆえでしたから」
「信念?」
「近藤さんが、真選組が大切で……自分のことより何より一番で、それを守るためならどれだけ自分が泥を被っても平気な、そういう人なんです」
 器用じゃないくせうまく立ち回ろうとして、誰にも頼らないまま、被らなくていい泥まで被る。だからきっと、今回もひとりでどこかへ消えてしまった。私には隠しごとをするなと言っておきながら、自分は誰にも何も言わずに。
「最初こそひと悶着ありましたが、入隊してから副長を見てきて、私は……今は、副長のそういうところに素直に敬意を払っています」
 なのに、こんなよくわからない状況のままトシが失脚してしまうなんて納得がいかない。真選組という器が守れたって、そこにトシがいなかったら意味がない。私以外にも、そう思っている人はいるはずなのに。
「君はとても理性的なんだね」
「過去のことですから……」
「じゃあその信念を引き継いで、これからは僕たちと一緒に真選組を良い組織にしていこうじゃないか」
「……はい」
 当然と言えば当然だけれど、伊東さんはもうトシのいない未来しか見えていなかった。
 よろしく頼むよ、と言った伊東さんの背中に、私はどうしてか不安を覚えた。
 何かが引っかかる。何かを見落としているような気がする。伊東さんの言うように、私はトシに肩入れしすぎていて客観的に物事を見られなくなっているのだろうか。
 伊東さんの立場に立ってみれば、あの状態のトシを置いておけば隊内の士気に関わると感じることも、私たちのことを身内びいきだと感じることも不自然ではない。伊東さんが何かを仕組んだという証拠だって何もない。
 だけど、どうしてだろう。胸騒ぎがする。