曲がり角の奥に消えた伊東さんの背中をしばらく眺めていると、
「どうしたんですかィ、ぼおっとして」
 入れ替わりのように総悟くんが後ろから声をかけてきた。伊東さんから配布されて以来いつ見てもずっとつけている聴診器のようなイヤホンを下げながら。総悟くんとまともに話すのは武器が配布されたあの日以来だった。
「ううん、何でも……気に入ってるんだね、それ」
「刀におまけでついてるちゃっちいもんかと思ったら、案外音質が良くってねィ」
 低音もしっかり出るし、と音楽好きの人がよく言うそれが私はあまりよくわからないので曖昧に相槌を打った。
 総悟くんは拍子抜けするくらいいつも通りだ。ここのところ皆がどことなくよそよそしい屯所の中でひとり、ずっと様子が変わらない。でも、だからこそよくわからなかった。
 総悟くんが伊東さんについたという噂がまことしやかに流れていて、そんなものを真に受けるつもりはないけれど、でも、この落ち着きは自分の身の振り方を決めていることからくる余裕なのだと思う。とはいえ、トシのことを完全に見限ったとも思えない。なぜならトシが切腹を免れることができたのは、総悟くんの一言が決め手になったからだ。
――伊東さんの実力はもう充分隊内に伝わってることでしょうし、あとは懐の広さも見せておいちゃあいかがです? 安心してくだせえ、もし土方さんが謀反でも起こそうもんなら俺が叩っ斬ってやりやすんで
 近藤さんや他の隊士が止めても聞き入れる気のなさそうだった伊東さんは、その言葉でどうにか切腹を思い留まってくれた。沖田くんがそう言うなら、と。私はそれを総悟くんのトシへの助け舟だと思っていたのだけれど、でもトシの更迭については「いいんじゃねえですかィ」の一言だった。
 だからよくわからないのだ。もしかしたら総悟くんは伊東さんについたふりをしてトシをどうにか救済する方法を探っているのかもしれない……というのは楽観視しすぎだとしても、完全にトシを排除しようとも思っていないはずだ。普段素直でない態度をとっていたって、心底嫌っているわけでないことは明らかだし、何より、私なんかより遥かに長くトシの近くにいて、一緒に真選組を築き上げてきたのだから。
「総悟くん」
「何です?」
 ちょっと、と目の前のトシの部屋に総悟くんを引き入れて障子を閉める。いつも煙草のにおいで満たされていた部屋は数日開け放たれたままだったせいか、何の匂いもしなくなっていた。
「トシのこと、なんだけど」
「はあ」
「総悟くんは本当にこのままでいいと思う?」
「このままってのは?」
「その……無期限謹慎のままじゃトシ戻ってこれなくなっちゃうから。それでいいとは総悟くんも思ってないでしょ?」
「そもそも土方さんの処分は本来切腹なんですぜ。命があっただけありがてえ話で、戻るも何もねえでしょうよ」
「総悟くんは、それでいいと思ってる?」
「構いやせんよ。隊内の規律を乱す者、士気を下げる者、全員切腹。それを言い出したのは土方さんで、当の本人がそれを破っておいてのうのうと残るのもおかしな話でさァ。俺がどう思っていようがこれがあるべき形でしょう」
「それは……確かに、そうなんだけど」
 シャカシャカとイヤホンからアップテンポな音が漏れてくる。その場違い感は私を少し焦らせた。
「でも、トシが何でああなったのか、せめて本人からちゃんと話聞かないとすっきりしないと思わない? 何のきっかけも理由もなくトシがあんな風にいい加減な態度取るってちょっと考えづらいと思うんだ。総悟くんだって」
 そう思うでしょ、と言わせてもらえなかった。ひゅんと風を切る音がして、はっと気付いたときには総悟くんの刀が首元につきつけられていた。
「あんたって人はよくわかりやせんね、仕事はできるのにいまいち空気が読めてねえ」
「え……」
「俺は副長の座を狙ってるって散々言ってきたでしょう」
「言ってた、けど……」
「憎まれ口を叩こうが本心では土方さんに懐いてる可愛い弟分。そんな風にでも思ってやした? 俺に何を夢見てんのか知りやせんが、これまでその機会に恵まれなかっただけで本気ですぜ」
 皮膚の切れないぎりぎりのところまで刀が押し込まれる。まっすぐに私を捉える瞳からは何の感情も読み取れなくて、その薄情さに私は苛立った。お姉さんの件で総悟くんの立場を守ろうとひとり奔走していたトシの気持ちが踏みにじられたような気がしたのだ。
「そう……じゃあどっちにしろ叶わないね。トシがいなくなったって今のままじゃ伊東さんが副長になるんだから」
 悔し紛れに言うと、ようやく総悟くんの眉がぴくりとわずかに動いた。けれど痛いところを突かれたという手応えではなかった。
「本当、甘くって困りまさァ。あんたも、土方さんも」
「え……?」
「人を見る目がなさすぎるんでさァ」
 総悟くんは刀を下ろして、小さくため息をついた。
「土方さんの新しい刀が妖刀だったそうで」
「妖刀?」
「その妖刀に魂が食われかけてるんだと。このところのへたれっぷりはそのせいなんですって」
 へたれてんのはいつものことなのにねィ、と総悟くんが事もなげに続ける。
「そんなことをいの一番に俺なんかに言うから甘いんですよ、土方さんは。それでつけこまれてこのざまでさァ。まあ、魂乗っ取られてる今の状態じゃ俺にはめられたことにも気付いてるかどうか」
 カチャンと刀が鞘に収められる。
「そういうことです。俺は本人から話を聞いてこれ幸いと奴を追い出した。これで質問の回答になってやすか?」
 冷たく見下ろしてくる視線は、そう高さは変わらないはずなのに妙に圧倒されてしまった。
「……総悟くんに、そこまで情がないと思ってなかった」
「情があるから気に食わねえんですよ」
 総悟くんはくるりと背を向け、障子に手をかけたところで一度止まった。
「今後は不用意に土方さんの肩を持つような発言は控えた方がいいですぜ。どこで誰が何聞いてるかわかったもんじゃありやせんから」
 すいと障子を開き、総悟くんは何の未練もないようにさっさと部屋から出ていってしまった。
 本当にもう、どうしたらいいのかわからなくなった。自分のことが客観的に見られているのかもわからない。
 魂が食われかけていると総悟くんは言った。あの日トモエちゃんを観ながら私に何か伝えようとしてくれていたのは、妖刀に抗うトシ本人だということだろうか。
 わかっていることは、やっぱりトシのあの刀がキーだということ。トシがそれを総悟くんには伝えていたこと。近藤さんはトシの刀のことを知っているのだろうか。いや、知っていたらきっと事情を皆に伝えて何が何でも更迭になどさせなかったはずだ。トシはおそらく総悟くんにしか言わなかったのだ。そしてその結果がこれだ。
 自分が手を出せない状況下で真選組がこうなってしまっていることをトシがどう思うのか、考えただけで悔しくなる。
 私にできることは何だろう。この局面を変える力は私にはない。既に乗り遅れている。
 とりあえずトシを探そうと玄関に向かおうとしたとき。
 複数人が抜刀し、ばたばたと廊下を駆け抜ける音がした。トシの部屋からこっそり様子を窺うと、何人かの隊士が裏口の方へと向かっていて、中には伊東さんもいた。攘夷浪士の襲撃にしては妙に落ち着いていて、けれども決して穏やかな雰囲気ではない。
 私は周りに警戒しながらそちらを追うことにした。