列車の中から連れ出された伊東さんは、足取りも覚束ないまま両脇を支えられてどうにか歩いているような状態だった。左手は失い、身体中銃弾の痕だらけだった。
 息を呑んでその様子を見守っていると、私の横で伊東さんが足を止めた。
「北川くん」
「はい」
「君がさっき僕に尋ねたこと……自分の身近な人間の様子がおかしくなったときにあっさりと切り捨てられるかという質問なんだが、答えを撤回するよ。やっぱり僕も、きっと切り捨てられない」
「……」
「この短時間で考えが変わったわけじゃない。本当は最初からそうだった。だが、悔しかったんだ。僕にはそんな人がいなかったから……いないと思い込んでいたから。羨ましかったんだ。あんな醜態を晒しておきながら……いや、晒したからこそ皆に気にかけてもらえる土方くんがね」
 伊東さんが言い終え目を閉じると、両脇の隊士が伊東さんを急かすように歩きだした。
「伊東さん!」
 私は急に焦ったような気持ちになって、思わず伊東さんの背中に投げかけた。何か言わないといけないと思った。
「伊東さんから配布された刀……刀に美顔ローラーなんて全然いらないし使い勝手も悪いし、あんな困った贈り物きっと後にも先にもないと思うから……一生忘れません」
 伊東さんがふっと笑ったような気がした。
 次の瞬間、伊東さんは地面に放られた。そしてその前に刀が投げ捨てられる。
「立て、伊東。決着つけようじゃねえか」
 刀を握って立ち上がった伊東さんが、また地面に伏せるまで一瞬だった。脈や瞳孔を確認された伊東さんは、そのまま病院へ運ばれていった。

 ◇

 暗い雲が垂れ込めていた。
 屯所にやってくる猫に餌をあげようと野良猫スポットに行くと、先客がいた。総悟くんは振り返ることなく「お疲れ様です」と手に持っていた最後のソーセージを放って立ち上がった。
「前にもこんなことありやしたね」
 同じことを私が言う前に総悟くんがそう言った。両手をぱんぱんと擦るように叩き合わせる。
「身体の方はもう大丈夫なんで?」
「うん、もうすっかり。ありがとう」
 私はあのあと数日入院した。あの日負った左腕の傷そのものは大したことがなかったけれど、そこから細菌が入って高熱を出したのだった。
 今回の件での負傷者は、当然私以外にも多数いた。そしていなくなった隊士も同じくらいいた。圧倒的人員不足の中、事後処理まで重なってしばらくてんやわんやしていた隊内は今、ようやくあらかた片が付き落ち着いてきたところだった。一時は幹部である伊東さんが鬼兵隊と関わっていたことで隊の存続さえ危ぶまれたけれど、背信派閥を内々で処理した自浄作用を幕府に認めてもらえるよう松平さんが尽力してくれたおかげでどうにか事なきを得た。抜けた隊士の穴埋めも、近藤さんたちが改めて武州へ向かってとりあえず頭数分はかき集めてきた。とはいえ、その育成は一朝一夕にはいかない。
「そりゃよかった。凛子さんにはまだしばらく休みなしで働いてもらわにゃなりやせんから」
 そう土方さんが言ってやした、と総悟くんがいつもの調子で言いながら私の横を抜けていく。
「総悟くん、ありがとね」
 背中に向かってそう言うと、総悟くんは振り向いて大きな目をぱちぱちさせた。
「案外M気質なんですねィ。喜んでたって土方さんに伝えときやす」
「そうじゃなくて。あのとき、私に忠告してくれたんでしょ?」
 あのときとは、総悟くんが私に刀を突きつけたときのことだ。事態を理解できずにふらふらしていた私を見かねた総悟くんは、私を冷たく突き放したようでその実、釘を刺してくれていたのだ。
 事件の全容を理解してから思い返してみると、総悟くんは一分の隙も無駄もなく完璧に動いていた。行動の読めない状態のトシを切腹から免れさせたうえ安全圏である隊の外へ一旦放り出し、さらに武州への列車に一緒に乗り込む権利を得て近藤さんを守った。いずれも伊東さんの信頼を得ることで叶えられたことだ。
 トシから妖刀の話を聞き、屯所で起こっていたことの全体像を把握し、他の誰を頼るでもなくすべてひとりの判断で動いていた。敵を騙すなら味方から。守るべきを守り、罰すべきを罰するために。真選組が真選組であるために。弱冠十八歳の子が。
 そんな視点からは私のことがどれほど危なっかしく、そして邪魔に見えていただろうか。
 総悟くんは表情を変えず小さく鼻で笑った。
「やっぱ凛子さんは甘くていけねえや」
 副長の座は本気で狙ってやすんで、と手をひらひらさせながら自室の方に歩いていった。そうやって悪ぶるところ、誰かさんにそっくりだ。
 猫に餌をやろうとしゃがむと、猫たちはもう満腹になってしまったらしく、毛繕いも済ませて散り散りにどこかへ行ってしまった。
 むき出しになってしまったソーセージは、仕方がないので自分で食べるしかない。
「お前が食うのかよ」
 一口目を口に入れた途端ふいに声をかけられ、そのままソーセージを飲み込んでしまった私はひどくむせてしまった。
「わ、悪い」
 声をかけてきたトシが私の背中を軽く叩いた。珍しく次から次へと人が来る。
「まさか自分で食うんだとは思わなくて、ついつっこんじまった」
「袋開けたけど、猫いなくなっちゃって」
 トシが庭に目をやって、小さく「ああ」と呟いた。
 もう大丈夫、と伝えるとトシは私の隣に腰を下ろした。そうしていつものように煙草に火をつけ、何を言うでもなく草がぼうぼうに生えっぱなしの庭を眺めたままゆっくり煙を吸って吐き出した。何をしにきたのかはなんとなくわかっていたので、私も何も言わなかった。
 トシは無事に謹慎が解け副長職に復帰した。妖刀の呪いはいまだ解けず時々様子がおかしいままだけれど、伊東さんの件のインパクトのおかげで多少の隊規違反は誰も気にしていないというのが現状だ。
 ザキも順調に快復しつつあり、しばらくは内勤や軽い調査を受け持つことになった。といっても実質トシの小姓、というよりほぼパシリ状態で「俺一応怪我人なのになあ」と言いながら少し嬉しそうでもあった。
「迷惑かけたな」
 私がソーセージを食べ終わった頃、トシが言った。
「大丈夫。トシがへたれなのは元からだから」
「……そうかよ」
 あらら。舌打ちをして拗ねてしまった。まだ少し元気がないのかもしれない。
「私もごめんね。伊東さんのこと最後まで疑いきれなくて、どっちつかずで」
「別に、伊東の敵イコール俺の味方ってわけでもねえだろ」
 総悟がいい例だ、とトシは煙を吐きながら鼻で笑った。
「逆も然りだ」
「……そっか。でも、そんなだったから私、何もできなかったし……ごめん」
 今度はトシが、おや、という顔でこちらを見た。
 総悟くんのようにうまく立ちまわれなかったことともうひとつ、私は今回の件で自信をなくしたことがあった。
 それは、左腕に負った傷のことだ。本来の実力差であればかすり傷ひとつ負わずに勝てた相手からの攻撃を受けてしまったのは、決して油断したわけではない。ただ、ひとつ屋根の下で暮らし、毎日同じ釜の飯を食べ、ときには笑い合った隊士の切っ先が自分に向いたことに戸惑ってしまったのだ。そのことに自分でも驚いた。
 私は自分のことをもっと理性的でいられる、時には冷酷にもなれる人間だと思っていた。京之助を除く他人にそこまで執着がない人間なのだと。いや、実際そうだった。生きることに必死でそんな余裕がなかったから。それが真選組に入隊し、自分でも気付かないうちに状況が変わっていた。いつの間にか思った以上に皆に情が移ってしまっていたのだ。
 幸せなことだと思う。そんな自分自身も人生も嫌じゃない。しかし。また同じようなことがあったとき、いざというとき、私は相手をためらいなく斬れるだろうか。斬って、心に残る何かをおくびにも出さず平然としていられるだろうか。
 総悟くんはそれらをすべてやってのけた。総悟くんに斬られた隊士はきっと自分が斬られたことにも気付かず絶命しただろうと検死を担当した医者が言っていたそうだ。あの状況で、徹底的な冷静さと冷酷さだと思った。
「そうでもねえよ。皆が俺のこと腫れ物触るようにしてくる中、お前だけは違っただろ」
「ザキも忘れないであげて」
「あ? ああ、まあそうだな……と、とにかく、近藤さんとも仲違いしてた状況だったから、その……助かった」
 煙草を潰して空いた指でトシは頬をかいた。
 でも結局トシが話をして頼ったのは総悟くんや銀さんだったじゃないか。そう思ってしまったことを、私は気付かなかったふりをした。それは私のわがままだ。
 そんなわがままが生まれてしまうほど、トシには強く情が移ってしまった。この感情はこの先ずっと理性的に上手に扱っていかなければならないのに、そうできる自信も、今の私にはあまりないのだった。