潜入捜査から戻ってくると、屯所に女の子がいた。五歳くらいだろうか。
「……どちら様?」
驚いて思わずそんな訊き方をしてしまったけれど、顔はちゃんと満面の笑みを浮かべた。にもかかわらず、女の子は俺をぽかんと見上げたあと、大声で泣きだしやがった。するとその声で屯所にいた隊士たちがわらわらと集まってきて、俺たちを見ては一様に絶句した。
「潜入捜査でガキ作ってきたのか?」
「一週間でできるわけねえだろ!」
そんな風ににっちもさっちもいかなくなっていたところ凛子ちゃんがやってきて、女性の登場で安心したのか女の子は泣きやんだ。話を聞けば母親とはぐれて屯所に迷いこんだらしく、電話番号を覚えていたおかげですぐに母親に連絡がつき一件落着。
「よりによってこんな男臭いとこに迷いこむなんてねえ」
凛子ちゃんが女の子の頭を撫でた。女の子は出してあげたプリンをおとなしく食べている。さっきそれにマヨネーズをかけようとして周りから全力で止められた副長が、小さく息をついて立ちあがった。
「じゃあ凛子、母親が来るまで面倒頼む。俺らよりお前のがそいつも安心だろ」
「女の子のことよくわかってない私でよければ」 てっきり快い了承が返ってくるものだと思っていたから、妙に険のある返事に俺は驚いた。副長を見やると、少しばかり顔をしかめる。
凛子ちゃんがこんな子どもじみた態度をとるなんて珍しい。少なくとも、俺は初めて見た。
俺のいない間に何があったのだろう。十中八九、副長が悪いのだと想像はつくけれど。だって、だって、あのしっかり者で客観性の高い凛子ちゃんにそんな態度をとらせるくらいなのだから。
「副長、凛子ちゃんに何言ったんですか?」
翌日出し抜けに訊いてみると、報告書を手にしたまま副長はわかりやすくうろたえた。
「あ? 俺ァ別に何も」
「副長に対してだけ何か態度がおかしいし、どうせ副長が原因なんでしょう?」
「どうせって何だ。知るか」
「そういやちょっと前に副長とよその女の子と凛子ちゃんが何やら玄関先で話しこんでるところを見かけたって話を小耳に挟んだんですけど……まさか、痴情のもつれ的な?」
「んなわきゃねえだろ! てめえらは何でいっつも俺と凛子をどうにかしたがるんだ」
「別にしたがってはないですよ。ただいつも凛子ちゃんに副長の影が見え隠れするだけで」
「あのな、今まで何回かあったしょうもねえ噂、全部誤解だからな」
「わかってますよ。あんた方、仲は良さそうですけどそういう色気は感じませんからね」
「だったら」
「でも何もないのに凛子ちゃんがあんな態度とるとも思えないんで、痴話喧嘩でないなら経緯を教えていただきたいなあと思ってるだけです」
「……別にお前に関係ねえだろ」
「ありますよ、皆ちょっとおふたりの雰囲気に気を揉んでんですから。言いたくないならさっさと仲直りしてくださいよ」
「……」
小さな唸り声のような音を発し、副長はくわえていた煙草を押しつぶした。これは観念したときの仕草だ。ちょろいもんだ。
「その屯所の前で話しこんでたっての……凛子ともうひとりいた女、お前も知ってる例のあの女なんだが」
「例の……あ、最近副長にお熱だった子ですね」
そいつがよ、と副長が語りはじめる。
「――つーわけで、俺がちょっとからかっただけでずっと根に持たれてんだよ。面倒くせえ」
「はあ、なるほど……凛子ちゃん、あの女の子の意図がわからんとは意外な一面もあるんですねえ。裏の世界も長かったのに。って言ってもまあ、同じ裏でもやくざの護衛じゃ男と女の欲望渦巻く世界とはまた違うんですかね」
「さあな」
「でも確かにそのエピソードはちょっと可愛らしい気がしますよね」
「だろ? そう思うだろ?」
男としてはちょっとからかいたくなる気持ちもわかる。しかし。
「でも副長、それは本人に言っちゃいかんですよ。特に凛子ちゃんには」
「な……何でだよ」
「いいですか。あの子はずっと自分だけの力で生きてきたわけです。自分と、自分より弱い弟を守るために、誰にも弱みは見せられず甘えられず気も抜けずに。気さくな性格ですけど、根っこの部分はまだ他人に隙を見せちゃいけないと気を張っている、生真面目なしっかり者なんですよ。そういうタイプの子に対してできなかったことをからかって笑うなんて一番やっちゃいかんことでしょう」
「笑うったって、ありゃ良い意味で……別にばかにしたわけじゃ」
「それでもです。普段副長に寄ってくるようなあえて隙を見せて武器にするタイプの子とは感覚が全然違うんですから。良い意味でとか褒めてるとか、からかっておいてそういう言葉をつけたって、凛子ちゃんにとっては免罪符になりませんよ」
「……」
「要は彼女のプライドを傷つけたわけです」
だめ押しにそう言うと副長は舌打ちをして、
「……面倒くせえな」
と新たな煙草に火をつけて頭をがしがしと掻いた。
呆れてしまう。自分だってどちらかというと凛子ちゃんタイプのくせに。いっそそう言ってやろうかとも思ったけれど心の内に留めておいた。だって凛子ちゃんと同じタイプだから。
と、今副長に伝えたような理由で俺は凛子ちゃんがその日拗ねたことには納得がいったわけなのだけれども。しかし彼女がいまだ拗ね続けていることは不思議に思う。彼女ならこのくらいのことは軽く飲みこんで、翌日にはなかったことのようにふるまいそうなものなのに。
副長が自分の都合の良い部分しか話していないのだろうか。それは充分ありえる。
じっと観察されている視線に気付いた副長が顔をしかめた。
「まだ何かあんのかよ! 暇ならくだらねえ監察してねえで、寺門通のことでもちったあ勉強しやがれ!」
「それなんですけど、何でお通ちゃんのファンクラブに入ることで副長が解放されるんです? 何回聞いてもよくわからんのですが」
「つべこべ言ってねえでさっさとやれっつってんだよ!」
副長が握りこぶしで文机を力一杯殴り、山になった灰皿から吸殻がいくつかこぼれ落ちた。暴力に訴えはじめたら潔く退散だ。
「あ、凛子ちゃんに謝った方がいいですよ」
去り際、それだけ言い逃げして障子を閉めた。
翌日、朝一で松平のとっつぁんから緊急招集がかかった。少しでも遅れれば発砲は免れず、手持ちの仕事をすべて投げだし広間に走った。集められたのは、局長、副長、凛子ちゃん、そして俺。
とっつぁんは用意された座布団に座るや否や
「時間がねえんで単刀直入に言う。北川、お前キャバ嬢になれ」
と言った。
突拍子もないことを言うのは今に始まったことではないけれど、あまりにあんまりだった。四人全員が瞬きも呼吸も忘れ、何を言われたのか理解できずに硬直した。時が止まったみたいだった。しかし、そんな俺らにはお構いなしにとっつぁんは続ける。
「ポセイドンっつーかぶき町のキャバクラを知ってるか? そこに潜入捜査してもらう。山崎おめえも黒服としてサポートしろ」
「潜入捜査、って、えっと、一体何を捜査すれば……?」
多少のことでは動じない凛子ちゃんが珍しく顔を強ばらせた。
うむ、ととっつぁんが顎を引き、顔に影が落ちる。
「そのポセイドン、最近妙に客足が伸びててな」
「はい」
「ただ流行ってるっつーだけならいいんだが、厄介なことにかぶき町の周りの店から客を奪ってやがる」
「はあ」
「俺の行きつけ、すまいるも例に漏れずだ」
「……はあ」
阿音ちゃんにも泣きつかれちゃってよ、ととっつぁんが言いきるが早いか、遮ったのは副長だった。
「おいまさかその取られた客取り戻せっつーんじゃねえだろうな」
「そのために、まずはポセイドン人気の実態捜査からってわけだ」
「ふっざけろよ! んなしょうもねえ捜査に真選組から人材出せるわけねえだろ! 客取り戻してえんならすまいるの嬢が頑張れや!」
殴りかからんばかりに身を乗り出す副長を局長が後ろから取り押さえた。
「待てトシ、普段から世話になってるすまいるへの恩を今こそ返すときなんじゃないか。これを返さずして俺たちはどうして侍などと名乗れようか」
「俺はあの店に恩も義理もねえわ!」
「まあ聞けトシ」
拳を振り上げる副長を制するようにとっつぁんが手のひらを前に突き出した。
「客が取られてんのは、何も単なる嬢の怠慢ってわけでもなさそうなんだ」
「事件性でもあるってのか」
「まあそうだ」
「んだよ、それを先に言ってくれよ」
副長が座るのを待ち、とっつぁんがさらに顔に影を落とす。
「どうも臭う」
「だから何が」
「俺の警察庁長官としての勘がそう言ってるって話よ。そしてそれの裏付けをお前らに捜査しろっつーことだ」
「さっきと話変わってねえだろうが!」
ついに斬りかかろうとする副長を局長が後ろから羽交い締めにした。とっつぁんはふん、と鼻で笑った。
「たいした夜遊びもしねえつまんねえ生活送ってるお前にゃわからんだろうが、どうも客足の遠のき方が普通じゃねえ。俺の夜の帝王としての勘がそう言ってる」
「百歩譲ってそうだったとして、何で山崎と凛子!? 他にやるべき仕事が山ほどあるわ!」
「どうせ暇なんだからいいだろ」
「誰が暇だ!」
「だってお前、最近アイドルの追っかけなんかやってるらしいじゃねえか。お前がそんなもんにうつつ抜かせるくらいにゃ今真選組は余裕があるってことだろ?」
おっと、まさかの形成逆転。副長はわかりやすく言葉に詰まり「そ、それは業務外にやってるだけのことで別に暇ってわけじゃ……」ともごもごしてしまった。勝負あり。
「じゃあ決まりだ。山崎は明日にでも。北川は一週間くらい時間やるからキャバ嬢演じる準備でもしとけ。潜入捜査中の住居も手配しとくから。じゃあ、そういうことで」
「ちょ、ちょっと待て!」
もう出ていこうとするとっつぁんに副長が食い下がる。
「む、向き不向きがあるだろうが! 山崎はともかく、一週間やそこらで凛子にキャバ嬢なんざできると思ってんのか!?」
確かに俺も同意だったが、例の件の直後に本人の前でその交渉の仕方はちょっと悪手じゃないだろうか。そう思ってちらりと凛子ちゃんを見ると、仕方ないねという笑みを浮かべていた。
すると唐突に副長が凛子ちゃんを振り返った。
「おい凛子、お前も何か言え。このままだと行かされんぞ」
「お前ならできるよな、北川」
「えっと……」
そもそもが与えられた仕事はすべてきちんとこなす凛子ちゃんだが、入隊のときの恩義があるせいか、余計にとっつぁんには逆えないと見える。それでもなんとか言葉を選んで断ろうとしていたのに、せっかちな副長はその間すら我慢できなかった。
「お前な、こないだのあの嘘すら見抜けなかったくせに、嘘と虚構と悪意で塗り固められた夜の世界なんてどうやってやってくつもりだよ、男と駆け引きとか絶対できねえだろ、お前にゃ無理だって」
アドバイスのつもりだったのか、凛子ちゃんに小声で必死に言ったのが俺にもしっかり聞こえてきた。あーあと俺が思うと同時に、凛子ちゃんの瞳にきっと光が灯る。
「松平さん、私やります」
とっつぁんはにやりと笑い、局長は目をまん丸に開いた。副長は、沖田隊長にはめられたときでさえしないような絶望的な顔をしていた。