「え……姉上、今日もお休みなんですか?」
「そうなのよ。お客さんが急に減ったでしょう? だから出勤を減らしてくれって……。ごめんなさい」
「そんな、姉上が謝ることなんて何も」
「違うお仕事も探そうかしら。この状況が続くようじゃ生活が立ちゆかなくなっちゃうわ」
「だ、だめですよ! いくら出勤が減ったからって、ダブルワークなんて倒れちゃいます!」
「でも」
「きっと一時的なことですから。大丈夫です、僕がその分働きます! こんなときくらい頼ってくださいよ」
「新ちゃん……」
「姉上は久しぶりの長期休暇だと思ってゆっくりしててください。じゃあ僕はそろそろ行ってきます!」
「ありがとう。でも無理はしないでね」
「はい!」
 意気揚々と家を出て、しかし見送る姉上が見えなくなってから、僕はがっくり肩を落とした。
 姉上の働くスナックすまいるから急激に客が減った。聞けばすまいるだけでなく、かぶき町中の店がすべて同じ状況に見舞われているという。とある一店舗だけを除いて。その店舗とはポセイドンという老舗で、つまり、かぶき町中の店の客がほとんどそこに取られているというわけだ。
 こういう商売である以上客がどこかに偏ることは特別おかしな話でもないけれど、しかしあまりに唐突すぎて不可解なのだ。このかぶき町で老舗になれるだけの下地やノウハウはもちろんあるにしろ、ここ最近経営方針が変わったわけでも、どこかから人気の嬢が電撃移籍したわけでもないポセイドンが急激に人気を集めるそれらしい理由を、誰も思いあたらない。その異常ともいえる人気の実態を探るべくポセイドンを訪れてみた人は少なからずいるものの、誰も何も掴めないどころか、一様になんだかとても居心地が良かったというようなことを口にし、何度か通ううちにすっかりポセイドンの虜になってしまう始末。謎は一向に解ける気配すらない。
 きっとこのまま黙って待っていても姉上の売上は落ちるだけ、家計は苦しくなる一方だ。
 この際、ポセイドンに移籍してしまうのが一番手っ取り早い解決策だろう。実際にそうしたキャストもいると聞いたし、それが現実的な選択だとも思う。けれど、それがいくら現実的だろうが何だろうが、姉上はきっとそんなことはしない。むしろ、他の誰もが移籍しようと客がひとりもいなくなろうと最後まですまいるに残り続けるに違いない。それが僕の知る姉上であるし、僕だって姉上にはそんな風に気高く、侍の娘らしくあり続けてほしいと願う。
 しかし、それはそれとして。気高さと人情で飯は食えない。ほぼ姉上頼みだった我が家の経済状況はすでに危機に瀕している。さっきは姉上の前で空元気を出してみたものの、客足のないのは万事屋も同じこと。むしろこっちは元から客なんてほとんどいないのだ。このタイミングでそう都合よく継続的に仕事が舞い込んでくることもきっとない。あったとしても、ペット探しやお世話なんかのお小遣い程度にしかならない依頼だ。
 いつかのようにまた道で営業をかけようか。近隣の家を一軒一軒訪ねていって仕事を探そうか。泥臭くやっていくしかない。四の五の言っていられないのだから。
 かぶき町に入ったあたりでふと顔を上げると、数軒先の店にショーウィンドウを眺める女性がいた。まるでウェディングドレスに憧れる女の子のように、じっと目の前を見上げている。しかしこのあたりの店といえばほとんど夜の人たちに向けた衣装屋で、朝っぱらからそんな風に眺めるような店はない。
 怪訝に思いながらその女性の背後を通り過ぎようとして、僕は思わず足を止めた。
「北川さん?」
 はっとしてこちらを振り返ったのは、やっぱり北川さんだった。
「新八くん」
「おはようございます。どうしたんですか、こんなところで」
 声をかけながら、北川さんの見つめていたドレスの並ぶショーウィンドウに視線を移す。全身にギラギラしたスパンコールがあしらわれたものから、隠す気があるのかないのか恐ろしく胸元の開いたもの、どこかに引っ掛けて裂けたのかと思うようなスリットの入ったものまで所狭しと並んでいる。やっぱりどれもキャバ嬢向けだ。
「おはよう。ちょっと、用事でね」
「用事……摘発でもあるんですか?」
 北川さんがこんなところに用事なんて、僕にはそれくらいしか思いつかなかった。果たしてそれが真選組の仕事なのかはわからないけれど。
「詳しくは言えないけど、まあ、そんなとこ」
 やっぱり、仕事のことではあるみたいだ。
 そうだ。かぶき町に関係のあることなら、僕たちにも何かお手伝いできることはないだろうか。さすがにただの一般人が警察の仕事に介入は難しいかもしれないけれど、でも訊くだけ訊いてみるくらい構わないだろう。今は藁にも縋らないといけないんだから。
「そういえば、最近お妙さんの働いてるお店、大変みたいだね」
 僕が切りだすより早く、北川さんが言った。
「え? ああ、そうなんですよ。ああいう商売だから、多少は仕方ないんでしょうけど」
 はは、と僕は指で頬を掻く。
 いい流れになった。だからもし何かお仕事があれば、と言ってしまおうとしたとき。
「新八くん。万事屋に依頼してもいいかな?」

 玄関前で北川さんに待っていてもらい、万事屋の廊下をけたたましく走る。ちょうど厠から銀さんが出てきた。
「んだようるせえな」
「あっ銀さん。よかった、起きてた。おはようございます」
 幸いなことに身だしなみは整っている。僕が出勤したときに銀さんが起きているときとまだ寝ているときは半々くらい。起きていて、しっかり準備が整っていることは、そのさらに半分くらいだ。今日は運がいい。
「神楽ちゃんも準備できてますか? 依頼者の方が来てるんですけど」
「まじでか。早く入ってもらえ」
 いそいそと応接間に入った銀さんは、しかし僕が北川さんを連れていくと少し肩を落とした。
「どうもご無沙汰してます」
「どうも」
 銀さんは、北川さんがソファに腰掛けるのをどこか警戒しながらじっと見つめた。まるで今まで一匹だけで飼われていた犬が、新しく住人になった猫をおそるおそる観察するように。北川さんのことを気さくなお姉さんだと思っている僕や神楽ちゃんに対し、銀さんはちょっと複雑みたいだ。決して悪く思ってはいないけれど、何というか、なかなか会話の主導権を握らせてもらえない居心地の悪さを感じているような。真選組の一員と素直に仲良くなれないという意地ももちろんあると思う。
「今度は妹でも出てくるんじゃねえだろうな」
「まさか」
 いただきます、と北川さんは僕の出したお茶を飲んだ。
「こないだみたいなややこしい話じゃないよ。今度は、最もフィジカルで最もプリミティブで最もフェティッシュな依頼」
「どんな依頼だ。それ言いたかっただけだろ」
「うん、そう。ごめん。たまにはね。でも本当に厄介事に巻き込むような話じゃないから」
「本当かよ……で、依頼の内容は?」
 湯呑みを置いた北川さんは、改まって背筋を伸ばした。
「私を立派なキャバ嬢にしてください。一週間で」

 ◇

 とうきびうんこ味。果たして人間の食べていいものなのかと怯えながらもマヨネーズをかけてみればなかなかいける味だった。しかし、いくらお通カードをコンプリートするためだとはいえ、マヨネーズが万能だとはいえ、こうも毎日お通チップスばかり食べているとそろそろ気が狂いそうだ。かといってカードだけ取ってチップスを捨てるわけにもいかない。山崎にでも分けてやるか。
 チップスの袋を開き、カードを確認する。またベースのKIMだ。もはや親の顔より見た――俺の場合は近藤さんの顔と言った方がいいかもしれないが――その男を見た瞬間、一体自分は何に金と時間を使っているのだろうとむなしくなったが、いやいやと首を振る。これもトッシーを成仏させるためだ。
 カードを包む袋をティッシュで拭いて机の上に置いたとき、障子の外から声がかかった。
「トシ。今いい?」
 凛子だ。
「ああ」
 障子が開いて凛子の顔を見た途端、俺はほっとした。
 というのもこのところ、凛子とまともに話をしていなかったのだ。凛子は潜入捜査に向け、俺は寺門通ファンクラブ決定戦上のピアニストに向けて準備が忙しかったためだ。避けていたわけではないが、とかくあの件のあと話をしていないせいで俺たちの間の空気はまだどこかよそよそしいままだった。
 部屋に入ってきた凛子は俺の向かいに座った。
「明日から潜入捜査行ってくるね」
「ああ」
 凛子が俺の手元のカードをちらりと見やった。
「トッシーには、多分もう会えないんだよね」
「そう、なるだろうな」
 キャバクラへの潜入捜査は、おそらくファンクラブ決定戦までには終わらないだろう。
「じゃあよろしく言っといて。楽しかったって。言えるもんなのかわかんないけど」
「伝えとく」
「ありがと」
 じゃあ、とそれだけ言ってさっさと立ち上がった凛子の背中を目に、小さく「え」と声が漏れた。聞こえなかったのか聞こえて無視したのか、凛子はそのまま振り返りもせず後ろ手に障子を閉めた。何かを言う間もなかった。
 閉まった障子をぼおっと見つめながら、だんだん納得のいかない気分が湧いてきた。
 何だよ、トッシーにしか用事ねえのかよ。