それから四日後のことだった。
午後からの見廻りのために屯所の門前に出た。一日で一番気温の高い今の時間は、まだ外に出ればシャツが張り付きそうな暑さが続いているけれど、入隊時よりはいくらかましになった。総悟くんが考案したというロッカーになれる上着も着用者が減ってきた。私も一着強制的に持たされていたけれど、着ないまま制服が変わり、多分今後も着ることはないと思う。
同じく市中見廻り担当の別の二人組が門から出ていった。相方はまだかと中を覗き込むと、総悟くんがガムを噛みながら出てきた。
「凛子さん、お待たせしやした」
「あれ? 見廻りのペア、総悟くんだっけ?」
今日の私の相方は、チンピラ顔の眉なしモヒカン隊士だったはず。総悟くんがぷうとガムを膨らませ、また萎ませる。
「いや、あいつ寝込んじまって。急遽交代になりやした」
そう言ってもう一度ぷうと膨らませたガムは、今度はぱちんと割れた。
心臓がじとりと湿った手で撫でられたような気がした。
こんな風に見廻りの相方が交代するのは、実はこれで三度目だった。入隊してから一か月半の間の話ではない。ここ三回連続、もっと具体的に言うと、私の正式入隊が決まってから。つまり、役職が付いてから。
副長助勤にすると近藤さんから言われたとき、素直に喜べなかった理由がこれを懸念してのことだったけれど、見事に的中したわけだ。どう考えても、こんな不自然なことが偶然であるはずがない。避けられているのだ。新入りの、しかも女が、あっという間に役職に就いたことを疎まれて。
不興を買うことや、悪意を持たれることについて、入隊前から覚悟はしていた。理不尽だとしても、向こうからすれば、突然自分の巣を荒らされたようなものなのだろうと理解することにしている。けれど、その三人の隊士は、これまでは仲良くしてくれていた面子だった。それがこうも急に、あからさまに避けられるとは。こうなると、この三人以外にもいると考える方が自然で、さすがに先行きが不安になる。副長に受け入れてもらうまでのことを思うと、途方に暮れそうだ。
「……最近体調崩す人多いね、大丈夫かな」
最後の心配は、自分のこれからに対して、の意味も含んでいる。
けれど、仕事をきっちりこなして、必要以上に出しゃばらない。それしかない。今までもそうしてきた。
割れたガムを回収し終えた総悟くんが首を傾げる。
「あれ、凛子さん、もしかして聞いてやせんか?」
「え?」
何を、と言おうとすると、総悟くんが突然全力で走り出した。それとほぼ同時に、視界いっぱい真っ黒な背中で覆われ、
「おいコラ待て総悟ォォオ!」
怒鳴り声が耳をつんざいた。驚いて心臓が止まるかと思った。けれど心臓とは不思議なもので、止まるかと思ったときはいつも、反対にばくばくと活発に動く。
その背中が副長だと認識するまで少しかかった。背後からの気配に気付かなかったなんて、ちょっと誰かに避けられたくらいで動揺してしまっていたみたいだ。情けない。
私が背後で驚いたり気落ちしたりしていることはつゆほども知らない副長は、煙草を咥えたままため息をついて、こちらを振り返った。
「……仕方ねえ。見廻り行くぞ」
「ん? 副長の仕事は?」
「本来の代打は俺だ。あいつ、俺が来る前にお前を連れて行こうとしやがった」
「何のために」
「知るか。俺への嫌がらせか、反省文書くのが面倒だったか」
それに、お前にはえらく懐いてるみてえだし。そう言ってまた、煙のついでのようにため息を漏らす。そうしてさっさと歩き出したので、私もついていく。
「反省文って、昨日壊してた茶屋の件?」
「そうだよ……ったく、反省文も何回目か知れねえんだから、定型文でも用意して適当に書きゃいいのに。俺への嫌がらせには知恵が回るくせに、こういうことはからっきしだ」
この短い間で三度目になるため息に、さらに舌打ちまでついてきた。けれどその憎々しげな口調には、随分と情のこもった声色が乗っている。手のかかる子ほど可愛い。私にはそういう風に聞こえた。
総悟くんを見ていても、似たようなことを思うことがある。どんなに罵詈雑言を浴びせようとも、嫌がらせをしようとも、総悟くんは副長にちょっかいをかけたくて仕方がないように見える、と。
その証拠に、ふたりはよく一緒にいる。それでも副長は、総悟くんは私にさえ懐いているのに、自分には一向に懐かないと思っているらしい。私から見れば、局内でも特に結束が固いように見えるのに。
ふたりに限らず、近藤さんや終くん、その他何人かの真選組結成時にベースとなったらしい同郷のメンバーは皆そうだ。それに、当初は武州からやってきた彼らと、それ以外にも派閥が様々にあったらしいけれど、別の派閥だったザキのようなメンバーだって今や言われなければそんなことはわからない。
そう、真選組が軌道に乗る前からの、まさに戦友なのだ。今のようにまとまるまでに、数えきれない良いことも悪いこともあったはず。そこに突然ぽんと現れて美味しいところだけ取っていこうとする奴なんて、男であれ女であれ反発を喰らって当然だ。
まだ二か月も経っていないんだから、慌てずにいこう。誠意を見せていればきっといつか伝わる。
しばらく何も喋らずに歩いた。ふたりの間には、蝉の鳴き声と、歩みに合わせた刀のかちゃかちゃという規則的な音だけがしている。副長は相変わらず忙しなく立て続けに煙草を吸っているけれど、いつかと違って歩調は合わせてくれている。もう以前のような居心地の悪さは感じない。
ふと副長が人気のない細い路地に入り、周囲を確認する素振りを見せた。道中おかしな気配なんて微塵も感じなかったので、驚いて私も辺りに意識を向けたけれど何もない。私が副長を見上げたのと同時に、副長が私の方を見下ろした。
「最近隊士が立て続けに体調不良で寝込んでるのは知ってるな?」
「……うん、そうみたいだね」
「日に日に増えて今日で十三人だったか」
「十三人?」
「ああ。皆、うわ言みてえに『赤い着物の女』っつってな」
「赤い着物?」
てっきり、私が受け入れられていないという事実を突きつけられるのかと思った。けれど、現在進行形で十三人が寝込んでいるとなると、話はまったく変わってくる。
副長は目を閉じ、煙を吐いた。
「ちょうどそれが始まったのが稲山のあの怪談話の日だったもんだから、幽霊にやられたっつってよ」
「あの怪談話って?」
「あ? 参加してなかったのか?」
副長の話によると、数日前の夜、皆で広間に集まって稲山さんの怪談話を聞いていたらしいのだけれど、それが赤い着物を着た女の話だったのだという。確かに「今から怪談するけど来る?」と夜に誰だったかが部屋まで呼びに来た日があった。私は眠かったので断ったけれど、その日を境に隊士たちが次々に倒れていって、今も大寝部屋に寝かされてうんうん唸っているということだ。どうやら、私はひとりだけ皆と部屋の場所が離れているので知らなかったみたいだ。
さっき総悟くんが何か言いかけていたのは、きっとこれのことだったのだろう。
「まあ、そういうことで今ちょっとざわついてる。連絡が遅くなって悪かったな」
今まで、こういうことは改めて連絡しなくても伝わってたから気が回らなかった、と副長は付け加えた。
ということは、避けられていると思っていたのは杞憂だったわけだ。少なくとも見廻りのペアが変わっていた理由は、それじゃなかった。
なんだ、と少しだけほっとする。けれど、そうすると今度は別の不安が生まれてくる。
「それ、本当に幽霊のせいなの?」
「んなわけねえだろ、幽霊なんざいてたまるか」
「だよねえ、だったら変な感染症とかじゃないの? 医者に診せたの?」
「いや……ちょっと、気になることがあってな」
「気になること?」
「まあ、その辺は山崎に調査を任せてある。……とにかく、そういうことが起こってるから頭に入れといてくれ。あと、真選組がこんな体たらくなんて外に漏れたら事だ、絶対に口外はするなよ」
「はあ……」
「お前も気を付けろよ」
そんなことを言われても、具体的にどうするべきかはさっぱりわからない。それに今は体裁なんて気にしている場合ではないと思うけれど、男には合理的判断よりも優先すべき矜持というものが往々にしてあって、それに女が口を出すと痛い目を見る。だから何も言うまい。
すべてがすっきりとしない話だ。でも、とりあえず、要件はそういうことらしい。
それで話は終わったはずだけれど、副長は歩き出そうとしない。肺いっぱいを煙で満たしたいのか、肺活量が並大抵ではないのか、深く長く煙草を吸い、ゆっくり吐き出し、また話し始めた。
「あとな……局内の人事は、各隊から上がってきた評価を基に決めてる」
「?」
突然何の話なのか、意図が汲み取れずに眉をひそめた。副長は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「……だから、隊士たちから評判が悪けりゃわざわざ役職を新設したりしねえし、そもそも、決定事項に文句のある奴は士道不覚悟で切腹だ」
端からは私が責められているとも聞こえそうな、投げつけるような言い方だった。けれど、それでようやく意図を理解した。
「……それもフォロー?」
「……事実を述べただけだ」
私の入隊を一番嫌がってたのはお前だろ、というつっこみも頭を過らないではないけれど。
「もしかして飲み会で何か言いかけてたのもその話?」
「ああ? 飲み会? ……覚えてねえな」
吸い終わった途端に、副長は新しい煙草を取り出して咥えた。マヨネーズ型のジッポを鳴らしながら早足に背を向けるので、小走りでそのあとを追う。その言い方は、覚えてるって言ってるようなもんだよ副長。
「結構良い奴なんじゃん、トシ」
「誰がトシだ。つーか、何でもかんでも口に出さねえと気が済まねえのか」
横から覗き込んで笑いかけると、副長は苦虫を百匹くらい噛み潰したような顔をしていた。