そうして、前回の冒頭に戻るわけだ。僕は路地裏で追いつめられ絶対絶命。後ろはもう壁で、これ以上は一歩も下がれない。
 一人の男が懐から刃物を出した、そのとき。
「ヤッパたァ穏やかじゃないね」
「!?」
 男の身体が宙で一回転し、ずしん、と地に叩きつけられた。男はそのまま動かなくなり、少し遅れて、カランカランと男の持っていた刃物が地面を滑る音が響いた。
 僕と、残りのふたりは呆気に取られた。真正面では男が地面に横たわり、長髪の少年――いや、女性がそれを見下ろしていた。
 一瞬の間を置き、我に返った男たちが彼女に襲いかかった。少し遅れをとった僕も、無我夢中でそのうちの一人を抑えた。
「ありがとね!」
 彼女は一人、そしてもう一人と的確に攻撃を当て、あっという間に男たちをのしてしまった。目の前に漫画のように男三人が積み上げられる。
彼女は手際よく男たちの帯を解き、それで彼らの手足を縛った。
「あの、ありがとうございました」
「こちらこそ。イモ引かずに立ち向かってくれて助かったよ」
「イモ……?」
 彼女は話しながら手際よく男たちの帯を解き、それで彼らの手足を縛っていった。
「さて。もうすぐ警察が来るから一緒に待っててもらってもいい?」
「え? いつの間に呼んだんですか?」
「実は、君が最初に路地裏に入ったくらいから見てたんだよね」
 彼女が懐から茶封筒を取り出した。さっき、木村が持っていたものだ。
「あっ、それは……!」
「あの男の子が路地裏から飛び出してきたとこ捕まえて、取り返しといた。そのときに警察にも連絡したんだ」
「あなた一体……」
 僕とあまり背丈の変わらないその女性を、改めて見る。最初は男を投げたので男性だと思い込んでしまったけれど、こうやって見るといたって普通の女性だった。でも、男三人を相手取ったあとだというのに、彼女の浅緑色の着物は少しも乱れていない。それだけの身のこなしは、男であっても普通じゃない。
「……あれ、あなたどこかで会いませんでしたか?」
「何、ナンパ? 随分古い手でまあ」
「えっ!? ち、違いますよ!」
 慌てて顔の前で両手を大きく振ると、彼女は「冗談だよ」とからからと笑った。
「うーん……私江戸に来て間もないからなあ。人違いじゃない?」
「そうですか……」
 そう言われてもあまり腑に落ちないでいると、彼女がふと僕の手元に目をやった。
「その写真、何?」
「え……あ、ぐしゃぐしゃになっちゃった」
 男たちと揉み合っているうちに握りしめてしまった写真は、細かな皺がたくさん入ってしまっていた。丁寧に伸ばしながら、万事屋で働いていること、猫探しの依頼を受けている最中に今回の事件に巻き込まれたことを説明した。彼女は横から写真を覗き込みながらそれを聞いていた。
「この猫、もし見つけたらどこに連絡すればいいの?」
「えっ」
 思いもしない質問に、僕は一瞬言葉に詰まった。そして慌てて懐から名刺を一枚取り出し、彼女に渡した。
「ここに連絡していただければ……」
「坂田銀時」
「あ、それは僕じゃなくて、うちの責任者の名前なんです。すみません、うちそれしか名刺作ってなくて」
「君は?」
「僕は志村新八といいます」
「新八くんね」
 あなたは、と訊こうとするより先に、彼女は茶封筒を僕の胸にぽん、と押し付けた。反射的にそれを受け取る。
「あとは頼んだ」
「え?」
「警察に私のこと訊かれたら、あとで話すって言っといて」
「あと、って……」
 彼女は風のように去ってしまい、僕は手足を縛られた男三人の前にひとり残された。
 それとほぼ入れ替わりに真選組がやってきて―主担当は沖田さんだった―僕はひと通りの事情を説明した。急に消えた彼女のことをどう説明しようかと思ったけれど、伝言をそのまま伝えると、案外あっさりと受け入れられた。事情聴取ってそんなものでいいのだろうか。
 真選組がパトカーに男たちを乗せ走り出した頃には、ぐったりと疲れてしまった。そこから猫を探す気力なんてとてもじゃないが湧かなかったので、僕は今日はもう閉店することにした。
 万事屋に戻ると、玄関の前にさっきの女性が立っていた。
「あ、新八くん。よかった、誰もいなくてどうしようかと思った」
「あ……猫」
 振り返った彼女の腕に猫が抱かれていた。しわくちゃになってしまった写真と彼女の抱く猫を、思わず何度も見比べる。
「探してくれたんですか!?」
「よくうちに来る子だったんだよね。額の毛の濃くなってるところが綺麗なM字の模様になってるでしょ、特徴的だったから覚えがあって」
 彼女から猫を受け取った。依頼者の言っていた通り人懐っこくて、初対面の僕にも大人しく抱かれてくれた。オスであることも確認し、あとは飼い主に確認してもらうだけだ。
「さっきはごめんね、何も言わずに置いてっちゃって。期待させて違ったら悪いし、この子がもうすぐ来る時間だったから」
「とんでもないです。本当にありがとうございます。さっき助けてもらったうえに、猫探しまで……」
「いいよいいよ。新八くんも一緒に戦ってくれたじゃん。猫は本当たまたまだし」
「何かお礼できればいいんですけど」
「若いのにそんな他人に気遣いなさんな。新八君がいいことしたから猫が見つかったんだよ」
「あの、じゃあ、もし今後何か困ったことがあったら、いつでも万事屋に来てください」
「あ、いいねそれ。そうする、ありがとう」
 彼女はじゃあねと笑って階段を下りていった。
 それを見送ったあと、また名前を聞きそびれたことに気が付いて手摺りから外を見渡したけれど、もう彼女の姿は見えなかった。

 *

 猫は、探していた藍乃助で間違いなかった。依頼者は涙ぐみながら感謝をしてくれ、こんなに早く見つかると思わなかったと報酬も弾んでくれた。そのときにはちゃっかり帰ってきていた銀さんは、まるで自分の手柄で見つけたかのような口ぶりで話していた。
 報酬で三人で焼き肉を食べにいき、そこで今日のことを二人に話したけれど、二人は話半分で肉に夢中だった。
 そして帰りにちょっとしたお土産を買い、スナックお登勢に持っていくことになった。その途中、通りかかったおでん屋で屋台の車輪の具合を見てほしいと銀さんが捕まったので、僕は神楽ちゃんと先にお店に向かった。多分、報酬の代わりに一杯飲んでくるはずだ。
 スナックお登勢の店の扉を開けるや否や、お登勢さんの怒鳴り声が飛んできた。
「いい加減にしないと酒が不味くなるよ!」
 カウンターからボックス席に座る中年男性二人に向かって叫んでいるようだった。扉の音を聞いてすぐにこちらを向いた。
「いらっしゃい……あれ、あんたたち」
「こんばんは。お土産を渡しに」
「あら気が利くじゃないか。座んな」
 僕たちがカウンター席に座ると、お登勢さんに怒鳴られた男性が声を張った。
「国の未来を憂いて何が悪い!」
「何が国の未来だよ。そんなもん憂いてこんなとこで喧嘩してる暇があったら己の未来でも憂いてな」
 どんなくだらない愚痴にも付き合ってくれるお登勢さんがそう言うなんて、よっぽど筋の通らない話をしていたのだろうか。一蹴された男性は舌打ちをして静かになった。やれやれという風にお登勢さんが小さく息を吐き、キャサリンさんも呆れた顔をしている。
 お登勢さんから飲み物をカウンター越しに受け取ったとき、数席空けたところに女性がひとり座っていることにふと気が付いた。向こうは僕が気付くのを待っていたらしく、目が合うと微笑んだ。
「あっ」
 さっきの女性だった。
「よく会うね、新八くん」
「新八、誰アルか?」
「ほらさっき焼き肉屋で話した人だよ」
「……何か、どっかで会わなかったアルか?」
「! 神楽ちゃんもそう思う!?」
 やっぱり僕の思い違いじゃなかった。振り返ると、彼女もさすがに同じことを思ったらしく、人差し指をこめかみに当てて考え込んでいた。
 そのとき、ボックス席の方からグラスの割れる音がして、僕たちは一斉にそちらを振り向いた。さっきの男性たちが立ち上がって大声で喧嘩を始めた。
「いい加減にしとくれよ!」
 お登勢さんがカウンターから乗り出した。僕も止めに入ろうとしたけれど一瞬出遅れて、お登勢さんが突き飛ばされた。
「お登勢さん!」
 あわや転倒というところで、女性が間一髪受け止めた。そしてお登勢さんをキャサリンさんに託し、かなり体格差のある男の腕を易々と捻り上げた。
「痛でででっ」
「暴行罪の現行犯ですよー」
 男は声を上げて悶えるばかりで、その手を解くことはできないみたいだ。神楽ちゃんが純粋な膂力で相手を圧倒するのとはまた違った身のこなしだった。すべて最短で動いているような、とにかく、無駄な動きが全然ない。
「すみません、通報してもらってもいいですか?」
 彼女がそう言うと、キャサリンさんがお登勢さんを椅子に座らせ、慌ただしく電話の方へ向かった。その間、彼女は昼のときと同じように鮮やかな流れで男の帯を解き、それで男の手を縛った。もうひとりの男は項垂れてボックス席に座っている。
 そうしているうちすぐに店の外に赤いライトが灯った。
 しかし、そこまではスムーズだったのに、それからなかなか誰も店内に入ってこない。おかしいと思い扉に手を掛けた瞬間、外から言い合う声、それもとても聞きなれた声が聞こえてきた。見なくとも何が起こっているのかは予想がついたけれど、とりあえず扉を開ける。すると、予想通り通報を受けてやってきた土方さんと、ちょうど帰ってきた銀さんが胸倉をつかみ合っていた。
「……あんたら、やってる場合ですか」
 僕が間に入ると、お互い突き飛ばすようにして離れ、土方さんが先に店に入った。
「あ、遅いよトシ」
「凛子!? お前何でここに……」
「たまたまここで飲んでたんだよね」
「昼間の詐欺グループの件もお前噛んでなかったか?」
「たまたま通りかかったんだよね」
「そんなたまたまあってたまるか、コナンでも一日二件はねえだろ」
「すべってるよ、トシ」
「誰がトシだ!」
 彼女と土方さんが親しげなことに神楽ちゃんと顔を見合わせていると、遅れて銀さんが中に入ってきた。
「一体何だってんだよ、パチンコは負けるし、災難だぜ今日は」
「いやあんたは今日何もせず報酬もらって肉食べたでしょ」
「……あれ、おい新八、あの女どっかで見なかったか?」
「え、銀さんも……」
 そのとき彼女がふと顔を上げた。そして銀さん、僕、神楽ちゃんと順番に目線が移動し、目と口が大きく開く。そこでやっと、僕たちも気が付いた。
「ああー! この間屯所にいた三人組!」
 そういえば、真選組の屯所に幽霊退治をしに行ったとき、倒れた近藤さんの部屋にほんの少しだけ入ってきた女性がいた。あのときの人だ。しかも、確か――。
「お前、マヨラーとちちくり合ってた女ネ!」
 そう、沖田さんが拡声器を使ってそう言っていた。
「オイ待て、あれは総悟が適当なデマをだな……!」
 土方さんが慌てて弁解を始めたけれど、必死になればなるほど銀さんのドS心に火が点き、どんどんその場は収集がつかなくなっていく。
 その間肝心の彼女はというと、銀さんの冷やかしには目もくれず、淡々と土方さんの代わりに真選組隊士たちに指示を出し、銀さんと土方さんが言い争っている間にてきぱきとすべてを片付けてしまった。
「おーいトシ帰るよー」
「ほら呼んでんぞ、早く愛の巣に帰れそして二度と出てくるな」
「愛の巣言うな! 違げえっつってんだろ!」
 捨て台詞を吐きながら逃げる小者のように、土方さんはタクシーに乗り込んでいった。
 嵐が去ったように静かになった店内で、彼女のことを思い返した。なんだか姉上といるときのような安心感を覚える人だった。それに、僕の周りには珍しく常識的な人だった。
 そしてふと、僕はまた彼女の名前を聞き忘れたことに気が付いたのだった。