おかえりなさいませ
帰りの車内は、誰もが沈黙を守らざるを得なかった。
夜闇を走る車の走行音だけが車内に響いている。時折、車の窓に一瞬で過ぎ去っていく灯りがチラつくと、後部座席でぼんやりと窓の外を眺めていた楓は、その灯りをいくつか目で追った後に「八敷さん」と震えた声で沈黙を破った。
「……私、妹に何が起こったのか、今でもまだ理解できてないんです」
「…………茂上」
「アレは……本当に、妹だったんですか?」
流石の八敷も言葉に詰まった。無理もない、茂上はまだ怪異のことをよく知らない一般人だ。この世の理を超えた力に理解が追いつかないのは至極当然のことだろう。
だが、八敷から見てアレは確実に茂上の妹の『遺体』だったと断言出来る。皮肉なことに、首に刻まれていた生々しいシルシの跡がその証拠だった。
だが、その事実を茂上に伝えることはまた別だ。果たして、まだ動揺が収まっていない彼女にありのままを伝えていいものかどうか。
すると、八敷が悩んでいる間に真下が無遠慮に口を開いた。
「残念ながら、アレは貴様の妹で間違いないだろう」
「……やっぱり、そうなんですね」
後部座席から聞こえてくる啜り泣く声。萌が心配そうに茂上の背中を摩っているのがバックミラー越しに見える。
「……すみません。帰ったら、少しだけ休ませてください……」
その茂上の言葉に否定的な者は誰もいなかった。それきりまた会話は止まり、再び車内に沈黙が訪れる。窓の外を眺めながら、ギリ、と思わず歯噛みした真下の姿は、八敷にしか見えていなかった。
そうして数時間の運転の後、九条館に帰ってきた八敷たちは、真っ先に茂上を休ませるべく空き部屋に案内する。そして、彼女がやっと寝静まったのを見届けると、屋敷のホールに集まって今後のことを話し合うことにした。
「……しかし、最悪の事態だな。まさか、茂上の妹が怪異にやられていたとは……」
怪異のことについても、そして茂上の妹のことについても何も分からずじまいとあっては、進展など見込めるはずもない。今の八敷たちに不足しているものは、とにかく情報ただ一つである。
「……あの、その怪異の話なんですけど……」
すると、萌がおずおずと手を挙げた。
「……私、知っている怪異かも」
「何だと?」
眉をつり上げる真下の気迫に、萌はバツが悪そうに自分の手に持つカメラを弄りながら、ぽつぽつと話し始めた。真っ黒なレンズの中には、萌の顔が歪んで見える。
「この前、雑誌の取材でとにかく心霊ネタを何でもいいから集めてこいって言われたんです。そのときに聞いた、とある話に少し思い当たりがあって」
「何でもいい。教えてくれ」
「“まごまご”っていうんです」
「“まごまご”……?」
萌が言うにはこうだ。
先程八敷たちが訪れたB山は、昔から水子の霊が集う場所として有名な心霊スポットだった。水子は親のいない子供の寂しさを紛らわせるべく、山を訪れた子供たちに『かくれんぼ』を提案するのだという。そして『かくれんぼ』で一頻り遊んだあとは、子供を保護者の元へと送り届けるそうだ。その際、『まだ遊ぶ?』と聞かれるので、必ず『いいえ』と答えないといけないらしい。
「答えなかったらどうなるんだ?」八敷の問いに、萌は「水子の霊たちに、大切なものを一つだけ奪われてしまうらしいんです」と答えた。
だが、萌の話を聞いてもイマイチ釈然としない。真下は、どこか喉に引っかかる骨のようなものを覚える。
「だが、茂上の妹は子供という年齢でもないだろう。第一、その話のどこにあんな惨たらしい死に方をする要素がある」
「……そこなんですよねー。私の知ってる怪談とも少し違うようですし」
「いや、有り得る話かもしれない」そう言ったのは八敷だった。
「……あの遺体には、シルシが刻まれていた。ということは、あの山に住む水子の霊はアイツによってより凶悪な怪異となってしまった可能性がある」
「それで、ホトケさんの心臓だけ持ち去って火をつけた、だと?随分と趣味の悪い怪異だな。だが、まだ解明できていないところはそれだけじゃない」
それは、茂上がB山から逃げる際に口走った妙な言葉だ。『私の勝ち』……あのときの茂上のあまりにも奇妙な様子を見るに、あれも怪異の仕業だと考えるのが妥当だろう。だが、“まごまご”とあの言葉に一体何の関係があるかは不明である。何せ、“まごまご”は『まだ遊ぶ?』とは尋ねるものの『私の勝ち』と答えないといけない、なんて話は怪談のどこにも存在しないからだ。
すると、真下から一連の話を聞いていた萌がまたしても「あの」とおずおず手を挙げた。
「それって……もしかして最近噂の『ひとりかくれんぼ』ってヤツじゃないですか?」
「ひとりかくれんぼ……?」
「最近、私たち学生の間で怖い話として流行っている怪談の一つです。何でも、かくれんぼという名の降霊術だって噂もあるけど……」
八敷と真下は思わず顔を見合せた。降霊術とはその名の通り、あの世にある御霊をこの世に呼び出す術の一つである。古の歴史の中では、シャーマンと呼ばれる人間だけが為せる技だとして人々から畏れられたものだ。
そのひとりかくれんぼの手順は少々複雑なのだが、とにもかくにも最後には必ず「私の勝ち」と言わなければいけないそうだ。それが終わりの合図でもあると萌は話す。
「……再三言うが、だからそれのどこに心臓を持ち出す下りがあるんだ」
真下は少々不服そうな様子。すると、萌も「話は最後まで聞いてください」と少し拗ねたように口をとがらせた。
「怪談っていうのは、不思議なことに地域によって少し違うものなんです。それがその土地特有のナニカに関係しているのかは、分からないですけど」
「どういうことだ」
「前に、別の地域で聞いたことがあるんですよ。人形の『心臓』を抉り出して終わらせるひとりかくれんぼの方法を」
真下は思わず目を見開いた。八敷もその言葉に、先程目の前で繰り広げられた光景をまざまざと思い返す。
遺体の中で、ぽっかりと抉り出されていた心臓。それだけでなく、惨たらしい遺体の惨状は、確かに胴体が引き裂かれたぬいぐるみを思わせる姿だった。
「それに、ひとりかくれんぼに使った人形は必ず燃やさないといけないんです。その話に似てるなって」
「……だが、そうなった場合、茂上の妹は人形代わりということになるが……」
真下がそう呟くと、突然屋敷の一室からふらつくような足音が聞こえてくる。その場にいた全員が物音の方に目を向けると、そこには幾分か顔色の良くなった茂上が立っていた。「まだ寝ていた方がいい」と言う八敷に対して、茂上は「いえ、もう大丈夫です」と答えた。だが、その言葉も恐らく彼女の見栄に違いない。その証拠に、彼女の表情は依然として辛そうだ。
「……茂上。今の話、聞いていたか?」
「……はい。何だか、驚くような話ばかりですけど……要するに、妹は何かしらの怪異にやられたかもしれない、ってことなんですよね?」
どうやら、八敷が思っていたよりも話はずっとスムーズに進みそうだ。思わず八敷が「今の話、信じてくれるのか?」と尋ねると、茂上はこう答えた。
「……警察として色んな事件を追っていると、どうにも不可解な事件が多いんです。それが全て霊的なものの仕業だとは言いませんけど……そういった事情に精通している人ほど、霊的な存在を心のどこかで認めている人は多いんですよ」
なるほど、確かに八敷が真下と出会った当初も、彼は怪異のことを割とすんなり受け入れていたように思える。今となっては『怪異も殺せる』と言ってのけた真下も懐かしいが、茂上もそれと同じ気持ちをどこかで抱えていたのだろう。
すると、煙草を取り出していた真下が「おい、茂上」と彼女に語りかける。
「明日、俺たちはB山に向かう予定だが……貴様も来るか?」
「当然です。私にも、調査させてください」
もちろん、八敷も萌もそのようなことは初耳だった。勝手に明日またB山に行くことを決めた真下に、八敷は咄嗟に何か言おうと思ったが、よくよく考えてみると確かにいち早く怪異を調べてみた方がいいだろうと思い直す。
それに、今一番辛いであろう茂上が行きたいと言っているのだ。彼女の意見を尊重してやるのも悪くないだろう。
「そうと決まれば話はこれで終わりだ。貴様は明日に向けてさっさと寝ろ」
「え。でも……」
「俺の言うことが聞けないなら、金だけ置いてさっさと帰るんだな」
むしろ金をもらって依頼を受けているのは真下の方なのだが、体調が優れないためか判断の鈍い茂上は真下の有無を言わさぬ言葉に押し黙ると「……わかりました」と先程の寝室にふらふらと戻っていく。
そして部屋の扉が閉まった後で、一連の流れを見ていた萌が「真下さん、案外優しいなー」と呟いた。どうやら、茂上を早く寝かせるための真下の計らいだったようだが、当の真下は「ふざけたことを抜かすな。ガキはさっさと帰れ」と萌のことまで一蹴する始末。
それから、萌を何とか説得して家に帰らせるまで時間がかかったが、それも真下が萌を危ない目に遭わせないためであることを八敷は知っていた。どうやら、こういった行動が警察署内でも密やかに人望を集めていた理由のようだ。萌を家まで送り届けるために真下がさっさと車に向かった後で、萌が「真下さんって、案外分かりやすいですよね」と歩きながら呟く。八敷も思わずそれに頷いたが、次の瞬間八敷の頭に車の鍵が勢いよく飛んできたのだった。