the great ace attorney

助士の悪癖

検事局にあるバンジークス卿の執務室には、大きな水槽が一つ置かれている。その水槽を置くことに決めたのは、バンジークス卿ではなく助士であるマヤだ。何でも『《アクアリウム》は人間が生み出した最高の娯楽です!』とのことで、毎日水槽のなかを泳ぎ回る小魚に餌をやっては喜んでいる。バンジークス卿からしてみれば、一体全体何が楽しいのかイマイチ理解に苦しむところであり、さらに、最近水槽のなかの魚が少しずつ巨大化してきているところが不安の種でもある。

「・・・・マヤよ」
「はいっ!今日はどの事件の調査でしょうか!」
「そうではない。・・・・そうも睨みつけられると困る、と言っているのだ」
「え。あ、ああっ!申し訳ありません!最近、またバンジークス様が法廷に立たれないようなので、何かあったのかと・・・・!」

夏目漱石の裁判が行われてから、早二ヶ月。あの事件からというもの、バンジークス卿はまた5年前と同じように法廷に姿を見せることは無くなっていた。
日課である魚への餌やりを終えたマヤは、バンジークス卿の隣で手帳片手にじっと彼を見つめ続けている。流石のバンジークス卿も困ったように首を横に振った。

「・・・・そのような心配はいらぬ。ただ、少し気が乗らないだけだ」
「そうなのですね。・・・・あ!そういえば、気の乗らないバンジークス様の気分も晴れる、オススメがあります!」
「いらぬ」
「ううううう・・・・即答しなくてもいいのに・・・・」
「そなたの持ってくるもので、今まで良い思いをしたタメしがない。ある時は怪しげな薬、それに珍妙な帽子やキカイ。今回もその類だろう」
「バンジークス様。私のことをまるで詐欺師のように言うのはやめてください・・・・」

そう言いながらも、きっちりと自分の鞄を漁り始めるマヤは、機械仕掛けの箱のようなものをバンジークス卿に差し出した。

「《立体写真テレスコープ》・・・・最近倫敦で流行っているらしいのです。何でも、2枚の写真をこの機械で見ると立体に見えるとか」
「・・・・やはり、私の予想通りだったようだ」
「待ってください、バンジークス様!決めつけるのはまだ早いです!」

いつか、この助士が詐欺にでも引っかかるような気がしてならない。
バンジークス卿は差し出された《立体写真テレスコープ》を突き返すと、自分の椅子に深々と座って葡萄酒をグラスに注いだ。だが、マヤもまだ諦める気はないらしい。いかに《立体写真テレスコープ》が素晴らしいか、言葉の限りを尽くして熱く語る。

「ただのオモチャなどと侮ってはいけません!この機械には、まさに人間の脳科学たる髄がこれでもかと詰め込まれているんですよ!」
「そなた。偶に私の旧友のようなことを言い出す節があるな・・・・」

「とにかく、これは却下だ」と、またしても《立体写真テレスコープ》を突き返すバンジークス卿に、マヤはあからさまに不服そうな顔をした。

「・・・・楽しいのに」

いつもは従順な助士だが、本日はやや機嫌ななめの様子。マヤは自分のデスクに戻ると、一人で二枚の写真を手に持ち、ヨリ目で必死に眺めている。バンジークス卿からしてみれば、そこまでして娯楽にかまける必要はあるのかと問いたくなるほどだが、今更何かを言ったところで面倒くさいことにしかならないのは分かりきっていた。他人は他人、自分は自分である。

すると、不意に執務室の扉がノックされる。バンジークス卿が「入れ」と命じると、倫敦警視庁スコットランドヤードの警官が一人入ってきた。

「ポーロック法務助士に、高等法院から出頭要請が出ています!」
「私に・・・・ですか?」
「・・・・いい加減、そのヨリ目をやめたらどうだ」

ヨリ目のままで立ち上がるマヤは、慌てて二枚の写真を懐に隠す。
警官の話によると、どうやらヴォルテックス卿から何やら話があるそうだ。それを聞いたマヤは、急いで出かける準備をして慌ただしく執務室を去っていく。

「《立体写真テレスコープ》、か。・・・・くだらぬ」

彼女が執務室を出たあとで、バンジークス卿は彼女のデスクの上に置かれていた二枚の写真を凝視するが、ハッと我に返り誤魔化すようにワインを飲んでいたことを、マヤはモチロン知る由もない。

一方、マヤは馬車を高等法院に走らせ、ヴォルテックス卿の執務室へと急いでいた。ヴォルテックス卿の前では、一分一秒たりとも待たせることがあってはならない。

「ヴォルテックス閣下。ただいま参りました」
「・・・・ご苦労。思っていたよりも、ずっと早かったようだ」

懐中時計で時間を確認するヴォルテックス卿は、満足そうに頷く。どうやら、彼の期待に添えた結果だったようだ。

「今日、そなたを呼び出したのは他でもない。そなたの耳に、少し入れておかなければならないことがあるのだ」
「は。はあ・・・・」
「ちかごろ。帝都倫敦にてまことしやかにウワサされている話を、そなたは聞いたことがあるかね?」
「・・・・・・政府の国際電信が、何者かに傍受された可能性がある、というものでしょうか?」

今の世の中は大変便利になったものだと昔の倫敦を知る老人たちは口々に言う。その理由の一つが電報の存在である。電報とは、電気信号を用いてメッセージのやり取りを行うものだ。一般に“モールス信号”といわれる電気信号を使い、数々の《通信局》を介して送受信を行う。
それが、今や海底にケーブルを張り巡らせることで国際間でのやり取りも可能になった。国と国の間で手紙を使わず、また短い時間でメッセージのやり取りができるなど、今から100年前の人間は予想だにしなかったことだろう。

「そうだ。我が《国家機密》が、不埒な輩に利用されようとしている・・・・ゼッタイにあってはならぬ国家への反逆である」
「ですが。それはあくまでウワサなのでは・・・・?」

粗悪なゴシップ誌などでは、よく見かける根も葉もない噂だ。マヤは、今回もそのゴシップ誌が好き勝手に噂しているだけのものだと考えていた。

「だが、話はそうもいかないのだよ」
「!え・・・・・・・・」
「そなたたちが、2ヶ月前に裁判を行ったコゼニー・メグンダル・・・・ヤツが、この《国家機密》を手にしている可能性があることがわかったのだ」

マヤは目を見開く。コゼニー・メグンダルとは、2ヶ月前に初めて成歩堂が担当した裁判の被告人であり、無罪判決を獲得したあとに非業の死を遂げた男の名前だ。
まさか、ここで再びコゼニー・メグンダルの話を聞くことになるとは、誰が思っていようか。

「これから行われる全ての裁判で、コゼニー・メグンダルに関する証拠が出てきた場合は。法廷に提出せず、《倫敦警視庁スコットランドヤード》に引き渡してもらいたい」
「それは・・・・たとえば。その証拠が事件の真相と結びつく、大事なものであったとしても・・・・ですか?」
「無論だ。どのような事件であろうと、《国家機密》が漏れる以上に危惧すべき事件など、ない」
「・・・・・・・・でも。それならば、どうしてバンジークス様に直接お伝えしないのでしょうか」

当たり前のことだが、裁判の検察側を担当するのはマヤではなくバンジークス卿である。マヤに伝えるよりも、直接バンジークス卿に伝えた方が物事もスムーズに運ぶのではないか。
そう考えての発言だったが、ヴォルテックス卿は「そのことだが」と持っている杖を真っ直ぐにマヤにつきつけた。

「今回の件は、バンジークス卿には一切他言無用だ」
「え。どうして・・・・ですか?」
「《死神》には、法廷で余計な迷いを生ませてはならぬ。彼が審理に集中できるよう、そなたが事前に手を回せばよいだけのこと。・・・・そして、このことはグレグソン刑事にも伝えてある。協力者がほしいのならば、彼と協力するといいだろう」
「(なんだろう。なにか、引っかかるような・・・・)」

ヴォルテックス卿の言うことはもっともだ。だが、マヤのなかで言葉には表せないほどのちっぽけな“何か”が引っかかる。まるで、喉に魚の小骨が刺さったような感覚だ。
だが、それをあえて口にすることは、ヴォルテックス卿の前ではできないことだった。有無を言わさぬ物言いに、マヤはただ「・・・・わかりました」と頭を下げるばかりである。

「輝かしい帝都倫敦の未来のためだ。くれぐれも、それを肝に銘じておくように」

そう言ってマヤの肩を叩くと、ヴォルテックス卿は次に待つ会議に向かうため、執務室をあとにする。彼女以外誰もいなくなった執務室で、マヤは窓辺を飛び立つ鳩の群れを見ながら歯車の軋む音を聞いていた。