裁判が終わった直後、マヤとグレグソン刑事はすぐさま高等法院に呼び出された。
ジーナ・レストレードは無罪となり、そしてあの謎に包まれていたコゼニー・メグンダルの事件も真相が明らかになったことで、現在帝都倫敦は号外をばらまく配達人で慌ただしさに拍車をかけている。
だが、その結果に一人喜ばしくない顔をしているのがハート・ヴォルテックス卿だった。
「バロック・バンジークス卿は合同捜査会議での指示を無視し、あろうことかグレグソン刑事は犯人との“取り引き”が法廷中で明らかになった。これでは、《
「・・・・その件は、私といたしましても重く受け止めている次第です」
「重く受け止めている、か。そなたの言葉が真実かどうか、証明することはできるのかね?」
いつにも増して重圧感のあるヴォルテックス卿に、グレグソン刑事は先程から言葉を失っている。その隣で、マヤは臆することなく「はい」と頷いた。執務室に長く重い沈黙が走る。
「・・・・・・まあいい。今回の件は、“厳重注意”ということで目を瞑っておこう。だが、法廷のなかで《国家機密》を漏らしてしまった罪は重い。それを忘れぬよう、今後も精進することだ」
「(それは、私じゃなくて龍ノ介さんなんだけどな・・・・)」
どうやら、本当に“お叱り”だけで済んだようだ。いざとなったらジャパニーズ・ドゲザも有り得るかもしれないと踏んでいたマヤは、少しだけ拍子抜けする。しかし、どうやらその恩情にもワケがあった様子。
「・・・・それと、そなたの処分については。ドクター・シス・・・・彼女に感謝しておくことだ」
「!コートニーさんが・・・・?」
マヤは驚いた。その名前を聞いたのは、彼女としても久方ぶりのことだったからだ。
最近は監察医局長並びにヴォルテックス卿が指揮する《科学式捜査班》の班長になったと聞いていたが、まさかこんなところで名前を耳にするとは。
コートニー・シス・・・・マヤは彼女から“監察医の見習い”として手ほどきを受けたことがある。それが、今から約5年前になるだろうか。だが、それよりもはるか昔からドクター・シスとマヤは見知った仲でもあった。
驚くマヤをよそに、それまで沈黙を貫いていたグレグソン刑事が「あの」と口を開いた。
「・・・・ワタシについては、一体どのような処分が・・・・」
今回の裁判で明るみに出てしまったグレグソン刑事の“取り引き”は、思いの外市民から反感を買っているようだ。それもそのはず、少し前までほぼ無法地帯だった倫敦を今の法治国家へと纏めあげた立役者こそ《
かと言って、マヤにはグレグソン刑事の気持ちも全く分からないワケではなかった。彼には彼なりの信念があり、そのためには“取り引き”に応じる他なかっただけだ。彼だってこの倫敦を守ろうとしている人間の一人に過ぎない。
しかし、市民の評価とは移ろいやすいもので、ヴォルテックス卿はそれを分かっているからこそ良い顔をしなかった。
「・・・・今回の“取り引き”の件。女王陛下の名の下に行われた裁判で明らかにされた以上、ワレワレとしてもかばい立てはできぬ。刑事には、しばらく謹慎処分を受けてもらうしかあるまい」
「・・・・き。謹慎処分ですかッ!ですが!そうしたらワタシの給料は一体ッ!」
「・・・・・・それは私の預かり知るところではない。復帰後の給与査定に響かない分だけありがたく思いたまえ」
「(・・・・かわいそうなグレグソン刑事・・・・)」
すっかり項垂れてしまったグレグソン刑事にマヤは気の毒そうな目を向ける。心なしか、彼の手に持つフィッシュアンドチップスも萎びているようだ。
とりあえず、ここは一つ。この“お叱り”が終わった後に、いつぞやのお礼も兼ねてパブにでも連れていくのが良いだろう。
「・・・・それで。なぜ私まで参加しなければならぬ」
「だって。ご飯は大勢の人と食べた方がいいって、アイリスちゃんが言ってましたし」
「そうだよ!《死神》クンも遠慮なく食べたらいいの!」
「お酒ばっかり飲んでたら身体に悪いよー」とアイリスからグラスを取り上げられたバンジークス卿は、手持ち無沙汰になってしまった片手の行方をどこに向けるか迷っているようだった。
高等法院から帰る途中、マヤは成歩堂たちと鉢合わせた。どうやら、寿沙都の見送りから帰ってきた道中のようで、『今からグレグソン刑事を連れてパブに行く』というマヤの言葉にホームズが光よりも速く反応したのだ。狙いは勿論タダ飯のようだが、今回ばかりはマヤもとやかく言うことはなく『ではご一緒に』という話の運びになった次第。
そこで、折角だからバンジークス卿も連れてこようと言い出したのはアイリスである。成歩堂は思わず顔を引きつらせたが、マヤは快く了承すると、それから検事局に向かい半ば強引にバンジークス卿を連れてきたのだった。
「それにしても。よかったですね、寿沙都さんの見送りが間に合って」
普段慣れない高級パブの料理に眩さを覚えていた成歩堂は、マヤの言葉にしどろもどろになりながら「ええ。その節は」と頭を下げる。その動きがまるで倫敦の法廷に初めて立った頃の彼を思わせるようで、マヤは思わず笑ってしまった。
すると、ホームズが煙管を吸いながら「いやあ。そのことなのだがね、少々よくないこともあるのだよ」と言い出した。全くもって嫌な予感しかしない言い方である。
「よくないこと・・・・?」
「ええ。じつは、鉄道会社に訴えられそうでしてね」
「え」
「マッタク。連中も困ったものだ。まあ、いざとなればミスター・ナルホドーに自らの弁護を担当してもらうつもりですが」
「・・・・それ。龍ノ介さんは何も悪くないんじゃ・・・・」
「心配ないさ。いざとなったら、助士クンと《死神》クンにも協力してもらうからね」
「・・・・マヤよ」
「は。はい。何でしょうか、バンジークス様」
「・・・・・・面倒ごとを持ち込むなと、あれほど言ったはずだが?」
「(ホームズさんに言ってください!)」
どうやら、事の始まりは寿沙都の見送りに急いで向かうため、鉄道会社を脅してダイヤを無理やり変更させたことが原因らしい。
正直言って、これ以上ホームズに何か面倒事を押し付けられてはヴォルテックス卿の“お叱り”どころでは済まなくなる。マヤが「名探偵なんだから自分でどうにかしてください」とホームズに言うと、彼は「どうにもできないから頼んでるんです」と開き直る始末。どうやら名探偵にも無理難題はあるようだが、それなら最初からそんなことしなければよかったのに、とはマヤも言えない。
そんな光景を眺めていた成歩堂は、ふと先程から一切喋らないグレグソン刑事を不審に思って見やる。そこには、まさに意気消沈といった様子で机に突っ伏す彼の姿があった。
「う。うわあ・・・・見るからに項垂れてますね、グレグソン刑事」
「仕方ありません。ヴォルテックス卿からしばらくの謹慎処分を言い渡されて、その間のお給料もゼロになってしまいましたから」
「・・・・・・こうなったら。お嬢さまッ!このトバイアス・グレグソン!お嬢さまの書く新作に全ての命運がかかっておりますッ!」
「(ついに、なりふり構わなくなりはじめた・・・・)」
項垂れていたグレグソン刑事は、意を決してアイリスにどこからともなく持ち出したティーカップを差し出した。どうやら、いつでもアイリスの
「うーん。今回ばかりは、ある意味グレグソンくんのおかげで事件解決に至ったようなところもあるし。考えないでもないかなー」
「・・・・お。お嬢さまああああああッ!何と有り難き幸せ・・・・!!」
おいおいと泣き始めたグレグソン刑事に、マヤは思わず顔がひきつる。確かにグレグソン刑事の評判は彼の仕事っぷりよりもストランドマガジンに掲載されている“シャーロック・ホームズの冒険”に左右されることが多いとは思っていたが、まさかこのような裏事情があったとは。
その後も、酒を飲みすぎたホームズが「かつて世界に名を馳せたジョン・ウィルキンスとフィリップ・ティックネス!彼らに最も解読が難しいと言わしめた暗号があるのだよ」と訳の分からないことを言い出しながらシャドーボクシングを始めたり、それに成歩堂が巻き込まれてグレグソン刑事の飲んでいたアイリスの《
「・・・・何だか。こんなに賑やかな食事は、初めてかもしれません」
「賑やかすぎるのも問題だとは思うが・・・・そなたがそれでいいのなら。またこれも一興なのだろう」
「バンジークス様は楽しくないんですか?」
「・・・・・・正直、疲れる」
「(ものすごい本音が出てます・・・・バンジークス様・・・・)」