the great ace attorney

仮面の男

マヤの仕事には、バンジークス卿の仕事を補佐するだけでなく、ヴォルテックス卿に逐一仕事の報告をしなければならないという役目もある。
そのため、いつもならばマヤが一人でヴォルテックス卿の元に赴き、近況などを合わせて報告するのだが、今日は珍しくバンジークス卿に出向要請の電報が届いていたのだ。

「・・・・一体、どうしたのでしょうか」

この前から、せっせと《水晶塔クリスタルタワー》のミニチュアを作っていたマヤは、我ながら精巧な出来だと台の上を眺めながら満足する。これならバンジークス卿も褒めてくれるに違いない。彼の助士になってから苦節8年、自分は少しでもバンジークス卿の支えになれているだろうか、と思わず考えてみる。
だが、此度のバンジークス卿に対する出向要請のことを思い出す度に彼女の気持ちは暗くなっていく。ついには、あらぬことまで考えてしまう始末だ。

「もしかして。私のことについて、お二人で悪口を言われてるんじゃ・・・・」
「仮に悪口を言うのだとしたら。面と向かって言わせてもらおう」
「そうですよね。バンジークス様がまさかそんな卑怯なこと・・・・って、え?」

いつの間にか帰ってきていたバンジークス卿に、マヤは驚いて思わず作ったミニチュアを倒しそうになった。何とか踏みとどまりながら、ふとバンジークス卿の後ろを見てみると、見慣れない人物が一人。

「・・・・誰ですか。その、見るからに怪しい人は」
「この者は、今日から私の《従者》を務める者だ」

男性、だろうか。見慣れないその人物はマヤよりも高い背丈で、一切素性が分からないよう、暗い色のローブを頭から羽織って仮面までつけていた。まるで、最近巷で話題の『オペラ座の怪人』のようである。その真っ白な仮面の奥に見える瞳は、どこかで見たことのあるような気もするが、今のマヤに思い出すことはできない。

「“従者”・・・・つまり。助士、ではないのですか?」
「・・・・そなたがそこにこだわる理由も不明だが。この者にはまだ、それほど法の知識はないと聞いている。助士として働くには、未熟な段階だ」
「よかった。突然私の代わりを連れてこられたのではないかと思ってびっくりしました」
「・・・・・・・・何を、馬鹿なことを」

はぁ、とため息を吐くバンジークス卿だが、マヤにとっては笑い事ではなかった。事実、いつもバンジークス卿の前では明るく振舞っている彼女だが、いつ切り捨てられてしまうか不安に思う日もあるのだ。もし今、バンジークス卿から手を離されてしまえば、マヤの行くあてはどこにもない。

「とにかく。初めまして、従者さん。名前は、えっと・・・・」
「・・・・この者の名前は、ない」
「え」
「話によれば。彼は記憶を失っているようだ」
「な。何でしょうか・・・・その壮絶な物語は・・・・」
「私も詳しくは知らされていないので、とやかくは言えないのだが・・・・・・・・とにかく。私の“従者”として教育をしろ、とヴォルテックス卿から言われている」
「ううん・・・・とてもややこしい話ですが、名前がない限り“従者さん”と呼ぶしか無さそうですね」

まるで小説のようなトンデモ展開に頭を悩ませながらも、マヤは一先ず仮面の男に対してお辞儀をする。だが、仮面の男は言葉を発するどころか多少の反応さえ一切見せない。マヤが「こんにちは」や「今日はとてもいいお天気ですね」と言ってみても、相変わらずの無反応だ。記憶を失っているからといって、言葉までも失っているわけでもあるまいに。
それでも彼女は、少しだけ考え事をしてから根気強く「マヤ・ポーロックです」と仮面の男に話しかける。すると、それまで一切微動だにしなかった仮面の男が、初めてピクリと反応した。

「・・・・・・・・マヤ・・・・・・・・」
「あっ!私の名前、呼んでくれましたよ!聞きました?バンジークス様!」

とても嬉しそうにはしゃぐマヤに、まさか自分が連れてきたのは子犬か何かの類だっただろうか、とバンジークス卿は思わずにはいられない。事実、記憶もない人間は子犬のようなものかもしれないが。

「従者さん。もう一回私の名前を呼んでみてください!」
「マヤ・・・・」
「わあ!とてもお利口さんです、バンジークス様!」

目の前で繰り広げられる馬鹿げた光景はさておき。バンジークス卿は、マヤの名前のみに反応した仮面の男が少しだけ気になっていた。ヴォルテックス卿に紹介されたときから無口な男だとは思っていたが、なぜか“マヤ”という名前のみに反応したところを見るに、彼女と何か接点でもあるというのだろうか。そう思考を巡らせるバンジークス卿の胸には、わだかまりに似た黒い何かが燻っている。
まさかこれが嫉妬、という感情なのか。それとも、より強い何かの“勘”だとでも言うのだろうか。

「・・・・くだらぬ」
「では、従者さん。次は私ではなくバンジークス様の名前を呼んでみましょう。バロック・バンジークス様です」
「・・・・・・・・」
「従者さん?どうされました?」
「・・・・・・・・」
「・・・・どうやら。バンジークス様の名前は呼びたくないようです」
「・・・・その方が寧ろ好都合だ」

「バンジークス様、強がらなくていいんですよ」と慰めてくる助士に、いい加減辛抱ならなくなって「そなたは私を何だと思っているッ!」と睨むと、マヤはすくみ上がった後に「バンジークス様はバンジークス様ですっ!」とこれまた頓珍漢な弁明を繰り出す。ここまでくれば、もはやその頓珍漢さも才能と言えるだろう。世界頓珍漢コンテストなるものでもあれば、それなりの上位に行けることは間違いない。

「それで。この従者さんは、一体どこで寝泊まりするんですか?」
「・・・・今のところ。私の屋敷の空き部屋を貸すつもりだ」
「えっ。バンジークス様のお屋敷・・・・!?」
「何だろうか。何か問題でも?」
「だって。私だって行ったことないんですよ!」
「・・・・淑女レディを自分の家に易々とあげる英国紳士がどこにいる」
「ううう・・・・こうなったら私も記憶喪失に・・・・!」
「・・・・頼むから。妙な気は起こさないでくれ」

気でも触れたのか、突然ワインボトルを持ち出したマヤだが、呆れたバンジークス卿によってあっさりと取り上げられてしまう。果たして自分が何を言ってるのか理解してるのか問いたいところだが、理解していようがいなかろうが、バンジークス卿の頭を悩ませることだけは確かなので敢えて触れないでおく。英国のことわざで言うところの『寝ている犬はそのままにしておけ』とは、まさにこのことだろう。

「それに。そなたも私を招いたことなど一度もないはずだが?」
「乙女の部屋には、甘酸っぱいヒミツが沢山あるのです。バンジークス様でさえ恐れ戦くようなヒミツが沢山・・・・!」
「甘酸っぱいヒミツとは。それほどまでに恐ろしいものなのか・・・・」

あのマヤが珍しく真剣な表情でそう言うせいで、これ以上踏み込むこともバンジークス卿にはできない。ヒミツを暴くのは、法廷のなかだけにしておくべきなのだろう、と適当に結論付けてこの話題は幕を閉じることにする。
そんなバンジークス卿とマヤの一連のやり取りを見ていた従者は、ふと執務室の一角に置いてある水槽に目を止めた。それは以前も触れたことのある通り、マヤが趣味で置いているという《アクアリウム》だ。近づいてじっと覗き込んでみると、水槽のなかで泳ぐ小魚が従者に向かってぱくぱくと口を開く仕草をしてみせる。大方、餌をねだっている、といったところか。

「・・・・あれ?従者さん、その水槽が気になるんですか?」

従者はハッと我に返って横を見た。一緒に水槽を覗き込んでいるマヤが嬉しそうな顔で「可愛いでしょう?」と問いかけてくるが、従者は何を言うでもなく被っていたローブをはためかせて彼女から視線を逸らした。

「・・・・あっ。またそっぽ向いてしまいました。私、そんなに従者さんに嫌われているんでしょうか・・・・」
「その“嫌われてしまった”我が助士に朗報だ。従者への仕事の教育は、そなたに行ってもらいたい」
「(自分も嫌われたからって、私に押し付けるのはどうなんだろう・・・・)」
「・・・・あえて言う必要はないと思っていたが。私はそなたと違って、些細なことでヘソを曲げるような性分ではない」
「うううう・・・・バンジークス様だって。この前龍ノ介さんとの裁判でヘソを曲げていらっしゃったじゃないですか・・・・」
「・・・・・・それはそれ。これはこれ、だ」
「(子供を諭す親みたいな言い分・・・・)」

すっかり言いくるめられてしまったマヤは、チラリと従者を見やる。未だに何を考えているのかさっぱり分からない男だが、ヴォルテックス卿直々の命令なのだから何かそれなりの意味でもあるのだろう。その“意味”が一体何を指し示しているのかは、今は誰にも分からないままなのだが。