the great ace attorney

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従者の男が来てからというもの、執務室の一角には新たな家具が少しばかり増えた。当初はマヤのモノと似たような机と椅子を用意する予定だったが、従者たっての希望で床にクッションを置くタイプの、いわゆる“座布団”が用意された。どうやらその方が落ち着くようで、言葉数こそ少ないものの、記憶を失う前の名残りなのか好みはある程度ハッキリしているようである。
そんな従者の様子をチラチラと気にしていたマヤはというと、何やら不安げな様子。この前から制作しているミニチュアを持つ手が心做しか震えているようだ。

「・・・・これは、まずい・・・・」
「どうした。そなたにしては『珍しく』、悩んでいるようだが」
「(“珍しく”の部分だけそんなに強調して言わなくても・・・・)」

仮面の男は、与えられた仕事はどれもそつなくこなす。かつてマヤが手間取っていたような仕事も教えればすぐに覚えた。従者が来た当初、どれほどの数の《神の聖杯》が割れるか気が気ではなかったマヤは、そんな状況に危機感を覚えていたのだ。

「このままでは、私の存在意義が無くなってしまいます!」
「・・・・何を言い出すかと思えば」

焦ると手元が一層寂しくなるのか、マヤは一生懸命ミニチュアを組み立てている。

「何を気に病む必要がある。・・・・あの者は、私の“従者”だ。“助士”ではない」
「でもっ!いつ、バンジークス様の気が変わるかわかりません!それに・・・・」
「それに、なんだ?」
「・・・・・・・・いいえ。何でもありません」

言葉を濁したマヤは、一度止めたミニチュア製作の手をまたいそいそと動かし始める。バンジークス卿は訝しんだが、マヤの作っていたミニチュアに、ふと目が止まった。

「マヤよ。今作っているのはウエストエンドのコヴェント・ガーデンの街並みか」
「ああっ!!」
「な。なんだ、突然!」
「そうです!バンジークス様にお伝えしようと思っていたのを、つい忘れてしまうところでした・・・・!バンジークス様が、この前おっしゃっていた・・・・エライダ・メニンゲン氏に関してです!」
「なんだと・・・・なぜ、それを早く言わぬ!」
「ううう・・・・申し訳ありません・・・・」

要するに、普段記憶力も良くマメな彼女にとって、その物忘れは“バンジークス卿の助士の座が奪われるかもしれない”という危惧がどれほど大きなものか示す反応でもあったのだが、この場にいる人間は誰もそこについて言及しようとはしなかった。
そして、一方。エライダ・メニンゲンとは、バンジークス卿とマヤが約一か月前から調査をして追っている人物の名である。

「メニンゲン氏は、どうもこのコヴェント・ガーデンの裏で“取り引き”を行っているようなのです」
「“取り引き”・・・・つまり。武器や麻薬の取引、だろうか」
「いいえ。それが、売っているものは“情報”のようです」
「“情報”・・・・だと?」

エライダ・メニンゲンとは、かつて法廷を騒がせたコゼニー・メグンダルと同様、倫敦の裏社会で名を知らない者はいないという大悪人だ。表向きは善良な投資家を装っているが、裏では犯罪組織のトップとして名を馳せている。
違法な取り引き。麻薬や武器の密輸。横流し。はたまた、強盗を組織しては市民から金目の物を巻き上げているという噂もある。

「メニンゲン氏自体、とても頭がキレる人物です。それに、最近は5年ぶりに《死神》が帰ってきたという噂もあることから・・・・武器や麻薬など、分かりやすい証拠になってしまうモノの売買は控えているようなんです。そこで、彼が選んだのは・・・・」
「証拠として訴えにくい“情報”・・・・というワケか」
「はい。具体的には、殺人のからくりや偽装工作、または陪審員の買収など、犯罪に関する幅広い“情報”を有り得ないほどの高値で売っているとか」
「売る方も売る方だが・・・・そこまでして。殺人を犯したいと望む者がいることも、私には理解できぬ」
「大悪人の考えなど、私たちが理解できなくて当然かと思います」
「それで。そなたの父親に関しては、何か情報が得られたのだろうか」
「・・・・・・・・」

いつも明るい彼女の表情とは一変して、マヤは険しい顔つきで、作り上げたコヴェント・ガーデンのミニチュアを睨みつけた。

「・・・・コヴェント・ガーデンの“闇市”には、グレグソン刑事に頼んで一緒に潜入しました。情報を選ぶような素振りをして、メニンゲン氏との仲介人にあの男のことを尋ねてみたのです」

あの男とは、かつてマヤの父親を殺害した男のことである。その男は、裁判で陪審員を買収して無罪判決を勝ち取ったが、《死神》によって無惨な死を遂げていた。

「・・・・皮肉なことに。普通ならば黙っていなければならない機密事項も、“すこし”お金を握らせたらすぐに教えてくれました」
「ならば。やはり・・・・」
「はい。あの男に、陪審員の買収をけしかけた人間こそ、エライダ・メニンゲンのようです」

今から約9年前。マヤの父親が殺害された事件で、彼女にはずっと気になっていることがあった。
それは、マヤの父親を殺害した男が、彼女の父親の親友であったことだ。記憶にある限り、男と父は仲が良かったはずである。よく酒を飲み交わしては、倫敦の未来について語り合っていたことも少なくない。
それなのに、どうして父は殺されなければいけなかったのか。

「・・・・ゼッタイに、許せない」

小さく呟かれた言葉は、普段のマヤからは考えられないほど静かに怒りのこもった声だった。バンジークス卿は、腕を組んで目を閉じ、あの日のことを思い出す。
マヤと出会ったあの日。彼女の目に込められていた怨嗟の色は、かつて自分が兄を殺されたときを彷彿とさせたことを今でもよく覚えている。

「・・・・証拠が揃い次第。エライダ・メニンゲンを告訴する。くれぐれも、危険のないよう調査をすることだ」
「ありがとうございます、バンジークス様。・・・・あの、申し訳ありません」
「なぜ、そなたが謝る」

マヤがバンジークス卿の元で働くようになった理由は、色々と複雑だ。しかし、心のどこかで《死神》のチカラを信じてしまい、また期待している自分に、マヤはとてつもなく嫌気がさしていた。

「・・・・・・・・私は、ズルい人間です」


エライダ・メニンゲンを告訴するため証拠を揃えるのは容易ではなかった。しかし、何とか決定的な証拠を掴むことに成功し、バンジークス卿は宣言通りエライダ・メニンゲンを告訴する手はずを整えたのだった。
そして裁判当日。見慣れた大法廷に訪れたマヤだったが、目に映る景色はいつもより色褪せて見える。

「(空気がピリピリしている・・・・無理もない。今日の法廷に・・・・龍ノ介さんはいないのだから)」

今回の裁判で弁護士を務める男は成歩堂ではなく、エライダ・メニンゲンが直々に雇った弁護士・・・・つまり、彼の息がかかった人物である。
それは一体何を意味するのか。マヤは、バンジークス卿の下で8年間倫敦の法廷を眺めてきた経験からよく知っていた。

「・・・・マヤよ」
「は。はいっ!」
「今日の法廷・・・・あの日本人がいないことが、気がかりなのだろう」
「!」

バンジークス卿に見透かされていることに、マヤは少しだけ動揺した。バンジークス卿の嫌いな日本人である成歩堂に頼りたい気持ちがあると知られては、機嫌をそこねてしまうかもしれないと危惧したからだ。

「案ずることはない。・・・・だが、エライダ・メニンゲンの用意した弁護士には期待できないだろう」
「それは、つまり・・・・」
「《真実》と向き合う《覚悟》のない者が法廷に立つだけで、その裁判は公平性を失う・・・・そういうことだ」
「・・・・・・・・」

マヤは胸元につけてあるブローチをぎゅっと握る。9年前、自分の父親を殺した男と繋がっていた人間。彼を許すことなど、絶対にできない。
今回集めにくかった証拠を何としても揃えたのも、全てマヤの努力だった。あのグレグソン刑事が『アイツの執念は、いっそ恐ろしいぐらいです』と評するほど。

「だが。私は今までそのような法廷に何度も立ってきた。倫敦の司法は、未だ不完全である。・・・・それは、そなたも理解しているはず」
「・・・・ある意味。5年半ぶりの法廷、ということですか」
「変わるべきは、倫敦全ての司法だ。陪審員制度の最も憎むべき根幹を、今一度目にする良い機会かもしれぬ」

犯罪組織のトップであるエライダ・メニンゲンが、何もせずにただ判決をこまねいているだけとは到底考えられない。つまり、今から始まる法廷の行く末をバンジークス卿もマヤも、既に分かっているのだ。それでもなお、検事として法廷に立とうとするバンジークス卿の胸には、一体何が秘められているのか。

「バンジークス様は、いつも私の味方でいてくださるのですね」
「私は、そなたの味方をしているわけではない。どれほど隠された《真実》でも、必ず白日の下に曝す・・・・それが私の仕事だ」
「・・・・ありがとうございます、バンジークス様」

マヤが頭を下げると、法廷係官がもうじき審理が開始するとの伝令を寄越す。

「ゆくぞ、マヤ」
「はい」

約5年前は、二人で大法廷に立ち、法廷という名の“茶番”を演じさせられることもしばしばあった。どれだけ法律に詳しくなろうとも。どれだけ完璧な証拠を揃えていようとも。卑劣な手が一寸伸びれば、全ての努力は“茶番”に変わるのだ。

「(でも・・・・“茶番”が終わったところで、その先に待っているのは・・・・)」

《死神》という未知の存在に抱いていた恐怖感も、いつの間にか薄れつつある。それが一番恐ろしいことだと思いながら、マヤは隣を歩くバンジークス卿の顔をちらりと見た。

「(バンジークス様は・・・・一体、何を思っているのでしょうか)」

《死神》として生きる覚悟など、並大抵のものではない。人々から恐れられ、時には憎しみを向けられる痛みをマヤはよく知っていた。
その時、バンジークス卿とふと目が合う。

「・・・・・・・・!」

チクリと胸が痛んだ。マヤはその気持ちに気づかなかったフリをして、態とらしく咳払いをする。

「(私には、そんな資格はない)」

マヤの父親の裁判が開かれた日。もし、彼女がバンジークス卿と出会っていなければ、彼はもう少し明るい世界を歩けていたのかもしれない。8年間彼女が助士であり続ける理由は、まさしくその《罪悪感》からくる罪滅ぼしのようなものだった。

「(バンジークス様を《死神》にしてしまったのは・・・・私だ)」

それはまさしく、マヤとバンジークス卿が出会った9年前・・・・倫敦で記録的な大雨が観測された、あの日のことに違いなかった。