the great ace attorney

白衣に潜む蛇

例の裁判が終わってから少しばかりの時間を経た後、マヤはヴォルテックス卿に呼ばれ、高等法院の首席判事執務室へと赴いていた。
執務室に入ると、ヴォルテックス卿が頭上で動き合う歯車を眺めている。彼がこの行動をするときは、決まって何かに思考を巡らせているときだとマヤは今までの経験から察していた。とは言っても、ヴォルテックス卿の考えることは全て、この帝都倫敦に関する司法の未来に収束するものなのだろうが。

「・・・・閣下。ただいま参りました」
「・・・・来たか。先日は、どうも大変だったようだ」
「いえ。・・・・私と従者含め、バンジークス様にも何事もありませんでしたから」
「うむ。相変わらず、そなたたちは腕が立つようだ。その腕・・・・是非とも我が部下たちにも見習ってほしいものである」

どうやら、他の部下に対して少しばかり思うところがあるらしい。ヴォルテックス卿が部下を叱りつける場面をマヤは一度も目にしたことがないが、その反面、彼が部下に対して口を開く時はそれが全て最初から“最終警告”となっている。
かと言って、彼女が無闇に首を突っ込むことではない。それよりも、マヤは先程からヴォルテックス卿の隣に立つ人物に目が向いて仕方がなかった。

「あ、あの。ヴォルテックス閣下・・・・これは?」
「なに。今日は、そなたに折り入って頼みがあるのだ。彼女には、その話に立ち会ってもらう必要があるのでね」

「久しぶりですね、マヤ」と声を掛けられたマヤは、いつもよりピンと背筋を伸ばして「は。はいっ!」と返事をする。全く温度のない声には懐かしさを覚えるものの、彼女の背中には冷や汗がたらりと流れる。ヴォルテックス卿の隣にいた人物は・・・・かつてマヤが世話になっていたコートニー・シスという女性だった。
真白な白衣に、真白な肌。その肌の奥に通う血すらも温度を無くした白色なのではないかと錯覚させるほど、彼女は凛とした冷気を纏っている。

「あの。ドクター・シス・・・・遅ればせながら《科学式捜査班》の監察医局長ご就任、おめでとうございます」
「ありがとう。貴女も、バンジークス卿の下でよく働いているそうね。・・・・10年前とは、色んな意味で変わったわ」
「そ、そうでしょうか。あまり自覚がないもので・・・・」

マヤはかつて、監察医であるドクター・シスの下で暫く勉強をしていたことがある。今となっては、捜査の際に遺体を解剖することはそれなりに認められつつある手法とはなってきたものの、少し前までは“人間の尊厳を貶しめる”として忌み嫌われてきたものだった。
その点、ドクター・シスは遺体の解剖を行うことに何の躊躇いもない女性である。それは、決して人の死に関して無頓着だったからではない。一見、血が通っていないように見える彼女も、その胸の中では倫敦の未来を憂う熱い血潮を持っている人物だということをマヤは理解していた。その腕と情熱が買われ、今ではヴォルテックス卿の右腕となる位置を得ているそうだ。

「そういえば。マリアは元気ですか?」
「あの子なら。最近は私の手伝いをよくしてくれるようになりました。最近は生身の人間を開きたがっているから、少しだけ困るけれど」
「・・・・それ。少しどころではなさそうですけど・・・・」

彼女たちが口にする“マリア”とは、マリア・グーロイネという少女のことである。ドクター・シスの娘となっているが、“シス”と“グーロイネ”から分かるように少々複雑な家庭環境にある親子のようだ。
すると、ヴォルテックス卿が横から「話している途中で悪いが」とちっとも悪びれない様子で口を挟んだ。

「思い出話に花を咲かせるのはそのぐらいにしてもらおう。何せ、私には時間がないのだ」
「(今日も大幅な遅刻をしているのかな)」
「次の会議まで15分・・・・遅れるわけにはいかぬ」
「(思ったよりも現実的な時間だった・・・・)
それで。私に話・・・・とは?」

忘れかけていたが、ヴォルテックス卿はマヤに用があって彼女を呼びつけていた。普段は定期報告程度で、呼び出しなどあまり前例がない事態にマヤは内心ざわめく胸を抑えられない。

「簡潔に述べさせてもらおう。ミス・マヤよ。そなたには、バンジークス卿の助士を外れてもらいたい」
「・・・・・・・・え。えええぇぇぇッ!!!」

驚きのあまり、マヤはよろめきそうになった。ヴォルテックス卿は、そんなマヤの様子を見ながらも、懐中時計の時間を気にしているようだ。

「ど。どうして!私にバンジークス様の助士から外れろと・・・・なぜ今更・・・・!」
「司法の未来のためだ」
「でも・・・・!」
「バンジークス卿が法廷に戻ってから、数ヶ月が経った。《死神》の名は、バンジークス卿が法廷に立たぬ間も人々の間で畏れられてはいたが・・・・やはり。“神”とは人の前に姿を現してこそ崇められるもの。そなたは十分に役を務めたのだ」
「つ、つまり。私はもうお役御免だと・・・・?」
「そういうことではない。だが、そなたには、より相応しい道があると言っているのだよ・・・・ミス・マヤ」

ヴォルテックス卿の持つ黄金の杖の頭が、マヤを睨みつけるように突きつけられる。その隣で、二人の様子を俯瞰していたドクター・シスが口を開いた。

「貴女には、私の《科学式捜査班》に所属してもらいます」
「・・・・《科学式捜査班》・・・・」

先ほどから度々話題に上がる《科学式捜査班》とは。ヴォルテックス卿が今から約1年前に設立した、文字通り科学を主体とした捜査を行うチームのことだ。コートニー・シスは《科学式捜査班》のチームを束ねる監察医局長でもある。

「“科学”こそ未来の捜査を担う、大事な学問である。だが、今の《倫敦警視庁スコットランドヤード》に科学の知識を有する者は未だ少ない。かつて、ドクター・シスの下で学んでいたそなたなら。立派に《科学式捜査班》の一員として活躍できるであろう」
「ま。待ってください!そもそも、私は・・・・バンジークス様の下から外れる気など、ありません!」
「・・・・・・・・ひとつ、いいかね。ミス・マヤ」
「!」
「そなたはモノ分かりの良い人間だと私は認識している。それは、この前の“失態”を鑑みても、だ。“要請”というのは・・・・“強制”とほぼ同義なのだよ」

「それに。バンジークス検事には、既に許可を取ってあるわ」マヤにとって一番の衝撃だったのは、むしろドクター・シスの言葉の方だった。

「!バンジークス様、が・・・・?」

マヤの頭に、今までのバンジークス卿との記憶が過ぎる。バンジークス卿は、自分を助士として、それなりに認めてくれていると思っていた。だから、そう易々とマヤが《科学式捜査班》に配属されることを許可するとは、考えてもみなかったのだ。

「バンジークス検事は、あなたが《科学式捜査班》に加わることに快く頷いてくれました」
「そんな・・・・・・・・」
「・・・・残すところ、あと5分か。ミス・マヤよ」
「は。はいっ」
「我々も《悪魔》ではない。そなたにも準備があることだろう。そのため、1週間の猶予を与える。・・・・その間に、異動の準備をしておくことだ」
「・・・・・・・・わかり、ました」

頷くしかなかった。これ以上抵抗したところで、状況が一切変わらないことはマヤも分かっていた。
ヴォルテックス卿はその言葉を聞いて満足そうに頷くと「では。私は失礼しよう」と言い残して会議に向かう。
本当は従者のことについてヴォルテックス卿に問い詰めるつもりだったが、そんな話どころではなくなってしまった。

「(バンジークス様の傍にいられなくなる・・・・?私は、まだあの人に罪滅ぼしもできていないのに・・・・)」

9年前の事件のことは、未だに夢に見るほどだ。あの日は大雨で、曇天の空の中で稲光が何度も嘶いていた。
あの悪夢のような一瞬を忘れることができるほど、マヤはお気楽な性分ではない。《死神》を頼ったのは自分である。自分が《死神》を期待したせいで、バンジークス卿は今も悪夢に囚われているのだ。その罪滅ぼしすらできずに、バンジークス卿の傍から離れてしまったら・・・・彼の背負う重圧を、一体他に誰が分かち合ってくれるだろうか。
ヴォルテックス卿の執務室には、マヤとドクター・シスだけが取り残されていた。呆然とするマヤに、ドクター・シスが声をかける。

「マヤ。貴女には、私も期待しています。貴女の知識や経験は・・・・必ず倫敦の未来を明るくするわ」
「・・・・・・・・コートニー、さん」
「それに。マリアも、マヤと久しぶりに会えるのを楽しみにしています。・・・・きっと、今までより一層、《科学式捜査班》の進歩は目覚ましいものになるはず。それは、バンジークス卿のためにもなることです」
「バンジークス様の、ために・・・・」
「・・・・私には、どうして貴女がそこまでバンジークス卿にこだわるのか分からないけれど。貴女とバンジークス卿は、ただの助士と検事・・・・家族ですらないのに」

昔のことを思い返せば思い返すほど、マヤの目は虚ろになっていく。「カゾク、なんて」と呟いたマヤは、それきり黙ってしまった。

「・・・・もうすぐ《倫敦万博》の大目玉となる《国際捜査大討論会シンポジウム》があるわ。ヴォルテックス卿は、その時のために貴女を必要としている。きっと、亡くなった貴女の父上も、それを望んでいます。今一度、よく考えてみることね」

ドクター・シスは「では、先に失礼します」と言って部屋を出ていく。今度こそ、一人取り残されたマヤは、胸元に付けたブローチを握ろうとしてチカラなく項垂れた。頭上でコツコツと音を立てる歯車時計が、倫敦の街中に無慈悲にも時報を響き渡らせていく様子は、さながら彼女のタイムリミットのようでもあった。