the great ace attorney

石壁に埋まるペリドット

不思議なことに、いくら海や文化に隔たりがあろうとも、その隔たりを超えた共通認識というものは世界各所に存在する。日本で言うところの『沈黙は金なり』と同様に、英国のことわざにも“Silence is gold, speech is silver(沈黙は金なり、雄弁は銀なり).”という言葉がある。しかし、近頃のマヤからしてみれば、『金を払うから誰かこの沈黙をもらってほしい』というのが正直な気持ちだ。

「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「(だ。ダメ!いざ目の前に“現実”を突きつけられると・・・・いったいなにを話せばいいのか、全然頭に思い浮かんでこない!)」

いつもならば。留置所にて被疑者の取り調べを行うことも、そして上司であるバロック・バンジークス卿に絶対零度の眼差しで睨みつけられることも、マヤは慣れているはずだった。だが、その二つが組み合わさった今、マヤにできるのは辛うじてこの場を和ませるための苦し紛れのみである。

「今日は大変お日柄もよく!散歩をするには絶好の晴れ模様ですね!」
「・・・・マヤよ」
「は。はいっ!」
「天気の話は、また今度にしてもらえないだろうか」
「う。ううううう・・・・・・・・」

ピシャリとバンジークス卿に言われてしまったことで、またもや部屋の中に沈黙が訪れた。ならば、今度は近々行われる“ガイ・フォークス・デイ”と呼ばれる英国のお祭りについて話をしようとも思ったが、どう考えても話が盛り上がらないことは目に見えている。そもそも、留置所の取り調べで話を盛り上げる必要はないのだが、未だ頭の整理がつかないマヤにはその判断がつかないようだ。

「まさか。バンジークス様の調書を取る日がくるとは・・・・ユメにも思いませんでした」

バンジークス卿が逮捕されてからまもなくして。取調べ室で向かい合ったマヤとバンジークス卿の間には、先程から大きな隔たりがあるかのようだ。バンジークス卿はマヤの言葉を聞くと、それまで腕を組みながら閉じていた目をようやく開いて彼女を見据える。その目には、明らかな“拒絶”の色が見えた。

「・・・・生憎だが。そなたに話すことは、ない」
「それでは困ります、バンジークス様。私は警視庁ヤードの人間として、今ここにいるのです。バンジークス様が何も話さなければ・・・・明日行われる裁判が、絶望的な状況になるだけです」
「・・・・・・・・」

「バンジークス様っ!」マヤが呼びかけても、バンジークス卿は相変わらず一向に口を割らない。彼がここまでマヤに拒絶の色を見せるのは、彼女も初めてのことだった。だが、ここでへこたれるようならば、《死神》の助士など到底務まるものではない。

「どうしても・・・・話してはくれないのですね」

マヤはおもむろに、懐から何かを取り出す。それは、先日バンジークス卿がマヤに渡した日本行の乗船券チケットだった。彼女は、乗船券チケットを両手で握ると、次の瞬間バラバラに破り捨てて見せる。

「!なにを・・・・」
「・・・・せっかくのバンジークス様の厚意を破り捨てる無礼、どうかお許しください。でも!私は・・・・とうの昔に“覚悟”を決めているのです」

破り捨てた乗船券チケットに心が痛まないわけではない。マヤの心の中には、未だ日本を懐かしむ気持ちがあることも確かだ。だが、それ以前に、彼女は8年前から・・・・いや、バロック・バンジークス卿に出会った9年前から一つの“覚悟”を抱えて生きてきたのだ。その“覚悟”を今更ねじ曲げることは、誰にもできない。

「バンジークス様は、ムジュンしています!」
「ムジュン、だと・・・・?」
「私に助士として覚悟を決めろと言ったり、大切だから日本に帰れと言ったり・・・・!私は、マヤ・ポーロックです!英国人とか日本人とか関係なく、私は私の人生を自分で歩む権利があります!」

人間とは、常に矛盾を抱えている生物だ。だがその一方で、バンジークス卿の言葉に矛盾が生じているのは、彼がまだ“覚悟”を決めかねているからだろう。
彼にはまだ恐れが見える。その恐れは、10年前の事件で全てを失い、裏切られてしまったバンジークス卿のトラウマ・・・・つまり、《死神》の呪縛そのものに違いない。

「私は、バンジークス様のお傍にいたい!たとえ、バンジークス様が今回の事件で有罪になろうとも・・・・!私は、ずっとバンジークス様の法務助士なのです!」

「だから・・・・お願いです、バンジークス様!法務助士たる私に、真実を話してくれませんか!」そう懇願するマヤに、バンジークス卿は目を細めて机の上に置いてある洋燈ランプを睨みつける。そして、やっと折れたのか少しずつ口を開き始めた。

「・・・・だが。私自身、何が起きたのかよく分かっていないのだ」
「フレスノ街を巡回パトロールしていた警視庁ヤードのものから、あらかたの話は聞きました。バンジークス様があの貸し部屋に入った途端、銃声が響き・・・・そして付近の物売りたちが現場を目撃したと」
「そうだ。そのため、私は・・・・状況を確認するよりも早く。到着した警察に捕らえられてしまった」
「ううん・・・・バンジークス様。たまに“おっちょこちょい”ですからね・・・・」
「・・・・私は、断じておっちょこちょいではない」
「でも、現場で発見された拳銃も司法関係者のみに支給された型式だと聞きました。バンジークス様がその拳銃を前に『なくした』と言っていたことも、私は覚えています」
「・・・・・・・・では。私が、仮に“おっちょこちょい”だとして」
「(しぶしぶみとめたらしい・・・・)」
「これ以上、語れることが何もないのは本当だ。・・・・部屋の中はウス暗く、明るい外から入ったばかりでは、ロクに部屋の中も見ることができなかった」

確かに、バンジークス卿の言う通り、事件現場となった部屋の中は窓に木の板が張り付けられていたため、明るさというものが全く感じられない鬱屈とした内装だった。あの部屋は空き部屋だと思っていたが、先程行われた《倫敦警視庁スコットランドヤード》の調査報告によると、現在とある男の貸し部屋となっているらしい。
そこで、マヤはバンジークス卿にこんなことを尋ねてみる。

「そもそも。なぜ、グレグソン刑事とバンジークス様はフレスノ街に訪れたのですか?」
「・・・・それは言えぬ」
「では、質問を少し変えましょう。グレグソン刑事は、《死神》とどんな関係があるんですか?」
「・・・・!」

バンジークス卿は、僅かに目を見開く。マヤは先程まで握っていたペンを置き、調書の紙を伏せると「ここからは、あくまで雑談です」と念を押した。

「そなた。どうしてそれを・・・・」
「私だって、バンジークス様の助士です。あなたが一体何を考え、何を調べているのか・・・・それぐらいは。私にだって分かります」

今まで、バンジークス卿が《死神》の行方を追ってきたことはマヤとしても既知の事実だ。いつかバンジークス卿が自分に話してくれる日がやってきたら・・・・そう思ってはいたが、このような事態とあってはそうも言っていられない。
事件当時、マヤも赤毛二人組の逮捕によって警視庁ヤードと留置所を行き来していたが、そこでグレグソン刑事の姿は一度たりとも見かけていなかった。そして、その間バンジークス卿が不在だったことも検事局に確認済である。
そんな二人が、わざわざフレスノ街の怪しい貸し部屋にて事件を起こした。その行動から推察したマヤの考えは、どうやら的を射ていたようだ。

「・・・・そなたには、言わない方がいいと思っていた。グレグソン刑事が・・・・《死神》の主犯格であるなどと」
「(!ぐ。グレグソン刑事が・・・・《死神》の主犯格・・・・!)」

完全な予想外だったワケではない。マヤ自身、今まで《死神》と9年前の事件について独自に調査してきた結果、『もしかしたら』という予感はあった。しかし、実際に事実を目の前に突き付けられると、彼女は胸を痛めずにはいられない。あの正義漢たるグレグソン刑事が倫敦の闇を象徴する《死神》の主犯格だったなどと、グレグソン刑事を知る者は口を揃えて『信じられない』と言うことだろう。

「・・・・でも、冷静に考えてみると、ナットクもできます。今までバンジークス様が法廷に立った後・・・・グレグソン刑事は、コツゼンと姿を消すことが何度かありました」
「・・・・私の言うことを、疑わないのか」
「バンジークス様は、くだらない嘘をつくような方ではありません。・・・・それは、私が何よりも分かっています」

倫敦に呪いとして巣食う《死神》。その正体が一人でないことは、バンジークス卿だけでなくマヤも何となく理解していた。倫敦の闇に紛れて動く《死神》の正体が“組織”であることも、そして《死神》が単なる賊でないことも彼女には織り込み済みだ。
マヤもバンジークス卿も、そのときふとドビンボー博士の言っていたことを偶然にも思い出していた。『人間は“神”にはなれない』という言葉は、科学が普及してきた昨今だからこそ分かることである。バンジークス卿が《死神》でなければ困る人間たち・・・・つまり、それが《死神》の正体に違いない。
すると、突然部屋の扉がノックされた。マヤが「どうぞ」と促すと、留置所の見張りが入ってきてマヤにこう言い渡す。

「ポーロック法務助士。ハート・ヴォルテックス卿から出頭要請が出ています。至急、高等法院に向かうようにと」
「私に、ですか?・・・・また。随分とタイミングがいいのか悪いのか・・・・」

ヴォルテックス卿に呼ばれたとあっては、これ以上ここでの“雑談”に時間を費やすことはできなさそうだ。マヤは立ち上がると、「あ」と思い出したようにバンジークス卿の方に振り返る。

「バンジークス様に、一つお渡しするのを忘れていました」
「・・・・なんだろうか」
「これ。ドビンボー博士から届いた手紙です。どうやら・・・・無事に独逸に着いたようですよ」

バンジークス卿は手紙を受け取る。封筒の表には赤い封蝋印が押されており、独逸の郵便局を通したことを示す消印まで押されていた。確かに、何事もなくドビンボー博士は独逸に到着したようである。
非常に分かりにくいが、少しだけ安堵の表情を見せたバンジークス卿にマヤは微笑む。

「バンジークス様のことを信じておられるのは、何も私だけではありません。あなたの周りには、沢山の人がいること・・・・どうか、それを忘れないでください」
「マヤ・・・・」
「またあとで留置所にきます。・・・・私も、バンジークス様にまだ話したいことがありますので」

マヤはそう言って留置所を後にする。残されたバンジークス卿は、先ほどマヤから渡されたドビンボー博士の手紙に目を落とした。
旧友と助士の言葉に挟まれ、思わず《死神》ではない自分の片鱗が外に垣間見えてしまいそうになる。「・・・・・・私は」と呟いた言葉は誰に聞かれるでもなく、冷たい石の部屋の中にぽとりと落ちて消えた。