the great ace attorney

Hold it, Ms. Assistant

そうと決まれば、善は急げだ。明日の法廷にて、法務助士として亜双義の隣に立つことになったマヤは、誰もが目を見張る勢いで仕事を進めていた。明日の《国際科学捜査大討論会シンポジウム》の準備も今しがた終えたところであり、高等法院の係官に書類を渡した時の彼女は、やはり誰もが目を見張るほどの剣幕だったと警視庁ヤード内で噂されていることを彼女は知らない。
高等法院を後にすれば、あとは事件現場に向かうのみである。現場では亜双義が待っているはずだ。今すぐにでも向かおうと急ぐマヤの肩を、不意に誰かがとんとんと叩いた。

「やあ、助士クン!こんなところで奇遇じゃないか!」
「・・・・なんの用ですか?ホームズさん」

後ろから突然現れたのは、かの有名なシャーロック・ホームズだった。毎度のことながら、後ろから神出鬼没にもマヤを驚かせるのは何か魂胆でもあるのか。だが、今回ばかりはホームズが想定していたものは飛んでくることなく、すっかりと冷静な・・・・しかし今にも食ってかかりそうな怒りを孕んだ目でじっと彼女に睨まれるばかりである。

「おや。今日は・・・・ビンタはないようだね」
「むしろ。その言い方だとビンタしてもらいたいように聞こえるのですが・・・・」
「それが、ビンタされた日の晩は・・・・驚くことに。煮詰まっていた研究がスルリと解決することが多くてね。これがショック療法というものだろう」
「たぶん違うと思いますけど・・・・」

曲がりなりにも、マヤは好き好んでホームズにビンタをしているワケでないことは確かだ。だが、ホームズは彼女に顔をずいっと近づけると「さあ!」と身構える。一体全体何が『さあ』なのか。とにかく急がなければならないこの状況で、かの名探偵にビンタをして喜ばせたなどと破廉恥な噂が飛び交っては、マヤも明日の法廷どころではなくなってしまうだろう。
そして、何より。マヤは先程からチラついているホームズの奇妙な頭に視線を移すと、苦々しい顔で呟いた。

「それよりも。そのヒトをバカにしたような髪色は何なんですか?」

先刻のジーナが言うには、ホームズは燃えるような赤い髪色だったはずである。だが、今はどうだろう。今度は身の毛もよだつほどの真っ青な髪の毛がホームズの頭に生えているではないか。
ホームズはマヤが自分の頭に気づくなり、いつものにやけた笑いで得意げに語る。

「ああ、これかい?実は、今度ボクは《青毛連盟》でも立ち上げようかしらん・・・・そう思っていたところでね」
「(《赤毛連盟》を詐欺罪で警察につきだしたヒトが何か言ってる・・・・)」
「これでもう家賃のことは悩まなくて済む。いやあ、青毛万々歳さ!」

そもそも、赤毛はいても青毛はこの世に存在しているかどうかすら怪しく、さらにはその青毛が一箇所に集まることがあるのかも怪しいが、そこにはマヤもあえてツッコまない。ただ、ホームズが《青毛連盟》の広告を新聞に貼り出そうものなら、真っ先に自分が詐欺罪でしょっぴいてやろうとマヤは心にこっそり決めるのだった。

「それで。私に一体なんの用ですか?」
「ああ、そういえばそうだった。実は・・・・キミのそのブローチを、このシャーロック・ホームズに貸してほしいのですよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「大丈夫、安心したまえ。ゼッタイに悪いことには使わないさ」
「(さっきまで詐欺をもくろんでたヒトが何か言ってる・・・・)」

マヤの絶対零度の視線を受けながらも、ホームズはケロリとしている。しかし、なぜかいつまで経っても笑顔で引き下がろうとしないホームズに、マヤは半ばため息をつきながら「一応聞いておきますけど。何のために?」と尋ねた。無論、彼にこのブローチを貸すつもりは、今の彼女には一ミリたりとも無いが。

「・・・・あえて言うなら。“身分証明”といったところでしょうか」
「“身分証明”・・・・?」
「ミス・マヤ。あなたが一番分かっているはずですよ。・・・・そのブローチには、とある“意味”が隠されている、と」
「!」

それまで冷静を装っていたマヤの目が途端に泳ぎ出す。その姿は、あからさまに彼女の胸元でキラリと光るブローチが何か隠していることを意味しており、ホームズはそんな彼女の行動に確信を持ったようだった。

「おや。どうやら、キミは隠しごとに向いていないようだ。ボクの知り合い並に目が泳いでいますよ」
「な。何のことですか・・・・!ヒトをバカにするのは、髪色だけにしてくださいっ!」
「では。そんなキミに一つ、お見せしましょう。シャーロック・ホームズの『論理と推理の実験劇場』・・・・その一部分を。でも、約束です。ボクがもしあなたの秘密を言い当てられたら・・・・そのブローチを、少しだけボクに貸してほしい」

いくら名探偵と言えども、一体全体何を言い出すのか。マヤは、また突然ホームズの奇妙な思いつきが始まったのだと考えたが、何やら不安な気持ちが胸に立ち込めるのもまた事実だった。そして、言い当てられるワケがないと思いながらも首を縦に振ってしまうのは、謎と好奇心に取り憑かれた人間の性だろう。
ホームズはそんなマヤに一礼すると、まず一言こう言い放った。

「あなたのブローチに隠された最も重要な“意味”・・・・それは、そのブローチの裏にある」
「!」

分かりやすく飛び上がったマヤは、咄嗟に自分の右手で胸元にあるブローチを隠した。

「おや。どうやら図星のようだ」
「う。うううう・・・・!」
「では、もう一つ。キミが肌身離さずつけているそのブローチは・・・・実は、キミのものではない」
「!!」

追い詰められたマヤは、必死に両手でブローチを隠す。どうやら、今の推理は二つとも彼女にとって図星のようだ。額を流れる嫌な汗は、バンジークス卿の助士として法廷に立つ時以来である。

「どうだい?当たっただろう?」
「ホームズさん・・・・!あ。あなた・・・・!」

得意気なホームズに、マヤは今にも噛みつきそうな勢いである。このままでは往復ビンタを食らいかねないと危惧したホームズは、先程述べた結論の根拠をさっさと話すことにした。

「いや、なに。ボクはそれと同じものを、少し前に見たことがあるのですよ」
「このブローチと・・・・同じものを・・・・?」
「ミス・マヤ。さしつかえなければ・・・・あなたがそのブローチを父上からプレゼントされたときのこと。もう少し、くわしく話してもらえませんか」
「・・・・くわしく、とは言っても・・・・私自身、これはある日突然父からプレゼントされただけなので・・・・」
「そのときに、キミの父上は何か言ってたんじゃないかい?」
「た。たしかに言われました。『このブローチが、いつか必要になるときがくるから、いつも身につけておくように』と。でも、ホームズさんがどうしてそれを・・・・」
「・・・・その“必要になるとき”。それこそが、イマなのです」
「!え・・・・」
「そして、キミの父上が殺された事件の鍵も、そのブローチが握っている」
「ど。どういうことですか!」
「すまないが、今はワケあってくわしくは話せない。だが、これだけは言えるだろう。キミの父上は、このときを待っていたのだと」

マヤは自分のブローチを胸元から外し、自分の手のひらの上でまじまじと眺めた。高価な金細工のなかに映る彼女の顔が、不安げに歪んでいる。すると、ホームズはおもむろに帽子を外し、真っ直ぐに彼女を見つめた。

「頼む・・・・マヤ。ボクたちには、一刻も早く《死神》の呪いを断ち切る必要がある。それはキミだけでなく、バンジークス卿のためにもなるだろう。でも、そのためには・・・・キミのブローチが必要なんだ」
「ホームズさん・・・・・・・・」

いつになく真剣な表情のホームズに、マヤもすっかり毒気を抜かれてしまう。10年前、彼女が父親からこの金細工のブローチを託された時から、マヤにとっての唯一の心の拠り所がこのブローチだった。コレをつけていれば、亡くなった父が自分の傍に立って見守ってくれている気がするのだ。そんな宝物を自分の手から離すことは、父を捨てるも同義のように思えた。しかし、

「・・・・わかりました。ホームズさんが、そこまで言うなら・・・・このブローチは、あなたに預けます」

心の中で『父上、どうかお守りください』と祈りながら、マヤは震える手でブローチを差し出す。ホームズの手のひらに金細工のブローチを渡すと、マヤは念を押すようにホームズに頭を下げた。

「・・・・くれぐれも、ブローチのことは他言無用でお願いします」
「モチロンさ。用が済んだら、ちゃんとキミに返そう。もともとキミのものではないとはいえ・・・・キミの父親が愛娘にプレゼントした、大事な形見だろうからね」
「・・・・あの。ホームズさん」
「なんだい?」
「もしかして、そのブローチを必要としているヒトを・・・・ホームズさんは、知っているのですか?」

その問いには、一瞬の沈黙が生まれる。マヤはその沈黙で、ホームズがブローチの本来の持ち主である人物を知っていることを理解した。だが、名探偵にしては珍しい“心の隙”だ。いつもならば、彼がこのような隙を見せることは無いはずなのだが。

「・・・・そのコトについては。この事件がブジに解決したら、キミにも話そう」
「そう、ですか。・・・・わかりました。私も、明日に向けて準備を進めたいと思います」

「ではこれで」話も済ませ、お互いに挨拶を交わし、反対方向に歩こうとしたマヤは不意に立ち止まる。そして歩くホームズをもう一度呼び止めた。

「・・・・あの!ミスター・シャーロック・ホームズ!」
「なんですか?」
「どうか・・・・どうか。よろしくお願いします!この《死神》の連鎖を断ち切るために・・・・“大探偵”の力を、私たちにもお貸しください・・・・!」

その言葉は、彼女が見せた“弱み”だった。常に《死神》の助士として、必死に隣に立ち続けた女性が初めて探偵に縋りついた弱さである。ホームズがマヤの袖口に目を向けると、そこは涙を拭ったような濡れ跡があった。そんなマヤに、ホームズはこう言ってのける。

「モチロンです。絶望に立たされた淑女レディに助けを求められたら、紳士として・・・・危険なコトに足を止めるべきではありませんからね」

その言葉は、絶望にいる彼女の心を幾分か救ったようだ。マヤは少しだけ微笑むと「よろしくお願いします」とまた律儀に頭を下げ、停留している馬車の方へと向かっていく。
そしてマヤと別れたあと、ホームズは彼女から受け取ったブローチの裏を見た。そこに小さく刻まれているのは、凛とした王冠クラウンとBの称号。ホームズはその刻印をみとめるとブローチをポケットにしまい、鹿撃ち帽を深く被り直して颯爽と歩を進めた。その探偵の目に、曇りはどこにもない。向かうは忌まわしき倫敦の闇に潜む大きな“真実”。そのためには、まず久しき“相棒”との再会を果たさねばなるまい。