the great ace attorney

夕暮れのバラ

「・・・・あ!マヤさん!」

一通りの捜査を終え、再度留置所にやってきたマヤは偶然にも入口で成歩堂や寿沙都と出会う。どうやら、二人も留置所にいる被疑者と面会をしてきた後のようで、その被疑者が誰なのかはすぐにマヤにも検討がついた。そんな二人に対して「こんにちは」といつもと変わりなく挨拶をするマヤだが、一方で成歩堂たちはどう接していいか分からないようだった。

「・・・・あ。あの、マヤさん・・・・ここには・・・・」
「はい。バンジークス様の面会に来ました。そろそろ、面会終了時刻も迫っている頃だとジーナから言われてしまったので」
「!ジーナさんが・・・・?」
「・・・・ジーナは、本当に優しい子です。ジーナにとってはバンジークス様が憎いハズなのに・・・・それでも、私の心配をしてくれるんですから」

「ジーナさまらしいですね」と呟く寿沙都にマヤも「まったくです」と微笑みながら頷いた。今頃捜査をしているジーナはクシャミに悩まされているに違いない。
憎しみは人を変える。そのことを自分の身をもって体験してきたマヤだが、亜双義の言う通り、どれだけ時が流れても変わらないものもあるのだと感じていた。だが、だからこそ、そんな周りの優しさが倫敦の闇に呑まれるようなことがあってはならないのだ。
マヤは彼女らの傍で揺れる瓦斯ガス灯の火に視線を移す。日も暮れてきたことで、小さな硝子箱の中で揺れる炎はより一層輝きを増しているようだった。

「・・・・明日の裁判、龍ノ介さんたちがバンジークス様の弁護をするのでしょう?」
「はい。ぼくは今回の事件・・・・バンジークス卿がやったとは思えないのです」
「わたしも。バンジークスさまのことは、信じておりますとも!」
「・・・・龍ノ介さん、寿沙都さん・・・・」

マヤは真っ直ぐに答える成歩堂たちに目を丸くしてから、少しだけ俯いて笑う。それはどこか申し訳なさそうな、切なさを孕んだ笑みだった。

「・・・・本当に、不思議です。どうして龍ノ介さんと寿沙都さんは・・・・敵だったハズの私やバンジークス様のことをそこまで信じてくださるのか・・・・」
「・・・・敵ではないからだと思います」
「え・・・・」

成歩堂は姿勢を正して、ゆっくりと倫敦の冷たく肌を刺すような息を吸う。それは、いつも彼が法廷で見せる時の真剣な表情そのものだった。

「ぼくとバンジークス卿は、今までの法廷で沢山の言葉を交わしてきました。・・・・そのうちに、ぼくはこう思うようになったんです。『弁護士と検事が力を合わせてこそ《真実》が見えてくる』・・・・だから、バンジークス検事は敵などではなく。むしろ、お互いに《真実》を追求し合う・・・・大切な味方のような存在なのだと」

成歩堂自身、それは身をもって体感してきたことだった。大英帝国に来てから、弁護士として初めて倫敦の法廷に立ち、《死神》であるバンジークス卿の追求に何度も立ち向かってきた彼だからこそ、胸を張って答えられるのだ。法廷に立つ《死神》に対して感じたものは、決して敵対心などではない。バンジークス卿は、確かに成歩堂たちに向けて真実を追求することの《覚悟》を教えてくれていたようだった。

「そしてそれは。マヤさんも同じです」
「!私も・・・・・・・・?」
「はい。わたしたちは、一真さまから聞きました。明日の法廷・・・・マヤさまも、検察席に立たれるコトを」
「その話を聞いたとき。亜双義はどこか嬉しそうでした。マヤさんが法廷に立つのは、バンジークス卿や・・・・そして亜双義のことを“信じているから”だと。ぼくにはスグに分かりました」

成歩堂はそこまで言うと、マヤに深々と頭を下げる。成歩堂の突然の行動に、マヤはただ驚くばかりだ。

「亜双義のコト・・・・信じてくれて、ありがとうございます」
「・・・・龍ノ介さん・・・・」
「・・・・アイツは昔から、一人で何でも背負い込むクセがありました。それは、きっと今回も・・・・だから、マヤさんが法務助士としてアイツの隣に立ってくれると聞いたとき。ぼくは安心しました。亜双義にも、助けてくれる心強い味方がいるのだと」

今日、亜双義と改めて言葉を交わしたことで、成歩堂は亜双義の胸に巣食う“不安定さ”を垣間見ていた。どこか亜双義らしくない冷静さに欠いた言動は、最悪の場合・・・・亜双義の信念をも完全に打ち砕いてしまうかもしれない。そんな不安さえ覚えるほど。
だから、幼馴染として幼い頃の亜双義をよく知るマヤが隣にいてくれることは、親友である成歩堂にとっても心強いことだった。そんな成歩堂に、マヤは少しだけ目頭を押さえると、ゆっくりと頷く。

「・・・・こちらこそ。バンジークス様のことを信じてくださって、本当にありがとうございます。あの方は、もう一人じゃない・・・・龍ノ介さんと寿沙都さんがいてくれて、私がどれだけ心救われたことか・・・・」
「・・・・マヤさま・・・・」

思わず涙が出そうになったマヤは、慌てて袖口で目元を拭う。そして、彼女もまた成歩堂たちに深々と頭を下げた。

「明日の法廷・・・・どうか、よろしくお願いします。バンジークス様のためにも、グレグソン刑事のためにも・・・・そして。一真さんのためにも」
「はい!」
「モチロンでございますとも!」

一瞬たりとも迷うことなく大きく頷いた成歩堂と寿沙都に、マヤは自分の張り詰めていた心が徐々に解れていくのを感じた。おそらく、これが心から頼れる“仲間”というものなのだろうと、痛感せざるを得なかった。

そして、二人と別れたあと。マヤは留置所で待つバンジークス卿の元へと足を運ぶ。
バンジークス卿のいる独房の前までくると、何やら手紙を片手に考え込んでいたバンジークス卿がゆっくりと目を開けた。

「・・・・本当に、また来たのか」
「バンジークス様との約束ですから。それに、言ったはずです。バンジークス様にお伝えしたいことがあると」

薄暗い独房の中で待っていたバンジークス卿の手元には、マヤが渡したドビンボー博士からの手紙があった。マヤが「ドビンボー博士は、何と?」と尋ねると、バンジークス卿は首を横に振って「・・・・おおむね。そなたが言いそうなことだ」と答える。その顔は呆れたような色である一方で、どこか穏やかな表情でもあった。
そんなバンジークス卿に、マヤは懐かしむように目を細めて語りかける。

「・・・・バンジークス様。龍ノ介さんたちが来てからの、この一年・・・・本当に見違えるような毎日でしたね」
「あの日本人たちか。・・・・さきほど、私のところに慌てて転がり込んできたが・・・・」
「聞きましたよ。バンジークス様が、どの弁護士も拒否されていたらしいと。でも、龍ノ介さんたちには適わなかったのでしょう?」
「・・・・何が言いたい」
「バンジークス様は、もう一人ではないのです」

その声にバンジークス卿はほんの少しだけ息を呑んだ。暗い石壁のなかでも、僅かな窓から漏れる夕暮れの明かりが二人の間をぼんやりと照らしている。

「・・・・私は、この一年でヒトの温かさというものに沢山触れました。・・・・もしかしたら。その温かさはずっと昔から存在していたのかもしれません。でも、昔の私には・・・・ヒトの温かさを感じている余裕など、なかった」

成歩堂や寿沙都、そしてホームズやアイリス、ジーナ・・・・本当に沢山の人々の存在が、今のマヤには大切に思えてならない。そこに国境や人種などは関係なく、むしろ、個人によって違いがあるからこそ、色彩豊かな世界が広がっているのだと改めて認識することができた。

「私は、バンジークス様にもそのような温もりを感じてほしいのです。そのために、私は・・・・あなたを《死神》の呪縛から解放したい。明日、私は一真さんの助士として、検事席に立つつもりです」
「!そなたが・・・・・・・・?」
「バンジークス様は、私のことをいつだって信じてくれました。だから、私も検察席に立ってバンジークス様と一緒に、《真実》に真っ向から立ち向かう所存です」

マヤはそこまで言うと、大きく深呼吸をしてバンジークス卿に勢いよく言い放った。

「これは、私からの宣戦布告です。・・・・バンジークス様、覚悟してくださいませッ!」

彼女の《覚悟》が並大抵のものでないことは、バンジークス卿にもすぐに分かった。何より、あの助士がここまで言うのだ。本当ならば、とうの昔から・・・・彼女がこのようなことを言い出すことは、目に見えていたのかもしれない。ただ、見えないフリをしていただけだ。
バンジークス卿はマヤの真っ直ぐな言葉を受け取ると、数刻考え込んでからゆっくりと目を開いた。

「・・・・わかった。そなたの《覚悟》、私も喜んで受け入れよう」
「!」
「知らぬ間に、立派になったものだ。我が助士として・・・・誇らしい限りである」

思えば、8年前のマヤ・ポーロックは淡々と職務をこなす機械のような人間だった。あの頃は父親の事件に対する憎しみと、犯罪者に対する憎しみで彼女自身の心が壊れかけていたのだろうが・・・・よくもまあここまで持ち直したものである。
その功労者が、あの成歩堂たちであることはバンジークス卿も認めざるを得ないだろう。
マヤは久方ぶりのバンジークス卿からの褒め言葉に酷く感激したようで「ば。バンジークス様・・・・!」と声を震わせながら固まってしまっている。そして、突然何やら自分の手帳を漁り出したかと思えば、一枚の書類を牢屋越しに手渡してきた。

「そうとなれば!まずはバンジークス様も捜査の現状を知りたいかと思いますッ!ここに、あらかじめ用意しておいた極秘資料がございますのでっ!」
「・・・・よ。よく持ち出せたな・・・・これは、バレればそれなりの処分を受けるはずだが・・・・?」
「何をおっしゃいますか!大日本帝国の人間には、皆“ニンジャ”の血が流れているのです!私もその“ニンジャ”の血を半分受け継ぐ者・・・・処分だろうと盗みだろうと、このぐらいなんてことはありません!」
「・・・・裁きの庭に立つ者としては、どうかと思うぐらいの発言だが・・・・今は素直に感謝して受け取ることにしよう」

どうやら、《覚悟》を決めた彼女に怖いものはもう何もないようだ。その一方で、もし自分が無罪になったときは助士の“やらかし”の後始末で追われることを悟ったバンジークス卿も、ある種の《覚悟》を決めることにした。何より、捜査の現状を知りたいとはバンジークス卿も常々思っていたことだ。
それから二言三言言葉を交わす内に、面会終了を知らせる警官がマヤたちのもとに訪れた。マヤは「では、そろそろこれで」とバンジークス卿に頭を下げると、その場を後にしようとしたが、すんでのところで思いとどまる。どうやら、まだ何か伝えたいことがある様子。

「あの・・・・バンジークス様」
「なんだろうか」
「最後に一つだけ・・・・これだけは伝えたくて」

そのときの彼女の表情を、バンジークス卿は恐らく一生忘れることができないだろう。

「私は、バンジークス様を・・・・何があっても。お慕いしております」

柔らかく微笑む彼女は、どこか照れたような、だが晴れ晴れとした表情でそう言った。そして、バンジークス卿が何か言うより早く「では!明日また法廷で!」と言うなり、さっさとその場を去ってしまったのだ。何とも逃げ足の速い助士だろうか。
その一方で、独房のなかにいるバンジークス卿も寝台の上に腰掛けると、思わず自分の顔を右手で覆い隠した。明日裁判を迎える被疑者としてはとても不純な感情だろう。しかし、確かに自分の胸の中に温かいものが駆け巡るのを、バンジークス卿は久方ぶりに感じていた。