the great ace attorney

Bletilla striata Reichb

そして、とうとう《死神》に裁きが下される日がやってきた。
今回の裁判は通常の裁判とは異なり、《極秘裁判》という形になる。いつものように倫敦市民から無作為に選ばれた陪審員たちは存在せず、傍聴人も倫敦の司法界の重鎮たちばかりが顔を並べることになるらしく、そのような異例の裁判は、大法廷控室にいる成歩堂たちに並々ならぬ重圧を与えていた。
「ううう・・・・寒くて身震いしているのか、緊張で身震いしているのかわからなくなってきました」と刺すような緊張感に胃を痛める成歩堂に、寿沙都が「成歩堂さまなら、どんな震えだろうと打ち破ることができますとも!」と励ましの言葉をかけている。その横で、これまた成歩堂に応援の言葉をおくる者が一人。

「大丈夫です、龍ノ介さん!こんなときのために・・・・私、全員分のブランケットを用意してますのでっ!」

「・・・・・・・・あの。一ついいですか?」そう言い出したのは成歩堂だ。先程から口にしようかしまいか悩んだ末に、やっとのことで尋ねてみることにしたらしい。チラリと成歩堂がバンジークス卿の隣に視線を移すと、己の胃がまたチクリと痛んだ気がした。

「どうして、マヤさんがここにいるんでしょうか・・・・」
「え」

ここは弁護側の大法廷控室である。成歩堂と寿沙都たちに紛れて、あたかも弁護側の人間のような顔でいるマヤに、流石の成歩堂も冷や汗をかかずにはいられない。すると、マヤは微塵も臆することなくこう言ってのけた。

「バンジークス様への、応援ですっ!」
「応援、ときましたか・・・・・・・・」
「バンジークス様。寒くはないですか!もし寒いのなら、このブランケットを・・・・!」
「いらぬ」
「(可哀想なマヤさん・・・・)」

ピシャリと一蹴されたマヤに、成歩堂は哀れみの目を向ける。寿沙都も「マヤさま・・・・おいたわしゅうございます」と潤んだ瞳でマヤを気遣っている様子。だが、当の彼女は何の痛手も無いようだ。「では。このマフラーを・・・・!」と勧めては「いらぬ」とまた一蹴されている。やはり8年間《死神》の助士を続けているだけのことはあるというところだろうか。
そんな折、成歩堂は彼女の腕に見慣れない黒い腕章がつけられているのを発見した。成歩堂が「あの」と口を開こうとした途端、「マヤっ!」と甲高い声が控室に響く。

「わっ!じ。ジーナ・・・・!」
「こんなところにいたの。探したんだからね!」
「探してたって、私を・・・・?」
「マヤを呼んでこいって、あのアソーギって検事に言われたのよ!」

亜双義。その名前は成歩堂と寿沙都にとっても、この数日間で“親友”とは異なる別の大きな意味を持つようになったと察する。今日の検事席に立つのは、これまで成歩堂が共に肩を並べてきた亜双義一真なのである。だが、成歩堂は亜双義の名前を聞くと、不思議と胃痛がおさまる気がした。
「では。バンジークス様・・・・私はこれで失礼します!」亜双義に呼ばれ、マヤは慌てて弁護側の控室を後にする。その晴れ晴れとした彼女の表情に、成歩堂は思わず心の声が漏れていた。

「ううん・・・・愛されてますね、バンジークス卿・・・・」
「マヤさまも。よほどバンジークスさまのことが特別なのだと思われます。ああ!何とうるわしいお二人の関係でしょう。まさに、浪漫的ロマンチックですとも!」
「・・・・・・・・・・・・」

はしゃぐ寿沙都の横で、成歩堂はチラリとバンジークス卿を見やる。途端に何も言わなくなってしまったバンジークス卿にまさか照れているのかとも思ったが、眉間の皺がいつもの5割増なのでそうでもないのかもしれない。いや、だがもしかしたら・・・・そんな問答を続けるものの、真相はバンジークス卿のみぞ知るところだろう。
それから、成歩堂は先程やってきたジーナの腕に目を止める。そこには、マヤがつけていたものと同じ黒い腕章があった。

「ジーナさん・・・・マヤさんの腕についていたのは、ジーナさんと同じ“喪章”ですね?」

成歩堂の問いに、ジーナは自分の腕につけている喪章に視線を向けると、帽子を深く被り直した。喪章とは、名前から察せる通り個人の死を悼み弔うためのものである。二人の喪章はグレグソン刑事に向けられたものなのだろう。ジーナは首を縦に振ると、マヤが喪章を着ける経緯について話し始めた。

「・・・・今朝。マヤが《倫敦警視庁スコットランドヤード》に来たんだ。そのときに、自分もボスに恩があるから、警視庁ヤードの喪章を貸してほしいって・・・・そう言ってきたの」
「そう、だったんですか・・・・」
「・・・・ボスは、昔のマヤをよく気にかけてくれてたんだって。だから・・・・今日は法務助士としても、《倫敦警視庁スコットランドヤード》の人間としても、ボスの無念を晴らすって、そう言ってくれたの」

ジーナはそう言いながら、成歩堂たちの隣に立つバンジークス卿をキッと睨みつける。バンジークス卿は憎しみの込められた視線を受け止めつつも「・・・・彼女らしい言い分だ」と呟いた。固く閉じられた扉の向こうに立つマヤが今頃何を思っているのか、バンジークス卿には分かるような気がした。

「・・・・アタシは、ボスを殺した《死神》が許せない。でも・・・・これだけは言わせて。マヤまで裏切ったら、ゼッタイに。ゼッタイに許さないんだから!」
「ジーナさま・・・・」
「・・・・なるほど。聞いていた通りだ」
「なんのことよっ!」
「・・・・我が助士が、そなたのことを“信頼できる大切な友人”と言っていたことだ」
「!え・・・・・・・・」
「彼女も、よき友を持ったようだ。彼女のために《死神》を憎んでくれるのだから、な」
「・・・・う、うう・・・・」
「(バンジークス卿・・・・)」

ジーナは行き場のない感情の逃し方に悩んでいるようだった。無理もない、彼女の友人たちはジーナが憎むはずの男のことを信じており、その男からこのような言葉をかけられてしまったのだから。成歩堂は、そんな二人のやり取りを眺めながら自分の腕につけられている腕章に触る。数々の想いが交差するこの法廷で、成歩堂は成歩堂の信念を貫き通すのみだ。たとえ、それがどんな結果を招くことになったとしても。

その一方、亜双義に呼ばれていたマヤは検察側の控室に慌てて駆け込んだ。開廷時間はまだもう少し先のようだが、検事が待っているとあれば急がねばならないのは助士としての責任である。
だが、マヤが控室に入っても当の亜双義は彼女の存在に気づくことなく、何やらじっと虚空を睨みつけている様子。マヤが怪訝そうに「・・・・一真さん?」と呼んだことで、やっと我に返ったようだ。

「・・・・マヤか。すまない、少し考えごとをしていたところだ」
「大丈夫ですか?昨夜飲みすぎたとか・・・・」
「・・・・オマエやバンジークス卿とは違う。オレを《死神》と一緒にするな」

そう言った亜双義は、自分の腰に差してある《狩魔》を手に取る。

「・・・・オレはこの日のためだけに、この10年間必死に生きてきた。今日はヤツと決着をつける大事な日だ。そして・・・・マヤ。オマエに、大事な話があると言ったはずだ」
「(そういえば。一真さんの記憶が戻ったとき、一真さんは何か話したいことがあると言っていた・・・・)」
「・・・・この裁判が終わったとき。オレに少し時間をくれないか」

一体全体どのような話なのか、マヤには皆目見当もつかない。だが、亜双義のこれほどに真剣な顔を見たマヤは、ただ彼のことを信じて「わかりました」と頷くだけだった。すると、亜双義は安心したのか僅かに表情が和らぐ。しかし、マヤにも一抹の不安がないわけではない。

「(一真さんは、『この日のために生きてきた』と言った。でも・・・・今日の裁判が終わったあと、一真さんは一体どうするつもりなんだろう・・・・)」

それは、同じ憎しみに囚われたことのある彼女だからこそわかることだった。復讐に生きた者が復讐を遂げたとき、残されたものは空虚な心と行き場のない激情だけである、と。
今の亜双義はバンジークス卿に対する憎しみに囚われている。だが、その憎しみだけで生きていけるほど、人間の心は頑丈ではないのだ。

「(・・・・それに。バンジークス様が犯人ではないことを、私は信じている。もし、一真さんの復讐が失敗に終わったら・・・・)」

そのとき、今まで必死に生きてきた10年間が全てムダだったことを知った亜双義は、果たして耐えられるのだろうか。

「(いいや。何のために、法務助士として今日の検察席に立つのか・・・・忘れたらダメだ!一真さんもバンジークス様も救える未来を信じて、前に突き進まなきゃ・・・・!)」

マヤは大きく息を吸って自分の胸に手を当てる。10年間欠かさずつけていた件のブローチは、今はない。だが、彼女の“信念”は、カタチはなくてもずっと心の中にあり続けるのだ。
胸に刻むべきは、“真実”を受け止めた先にある未来からも目を逸らさないこと。そのために、自分は自分の最善を尽くすまで。その《覚悟》を決めた彼女に、法廷係官たちの開廷を知らせる声が聞こえてくる。この裁判で、マヤや成歩堂たちだけではなく、おそらく倫敦の未来が大きく変わるだろう。そんな予感を手にしながら、彼女は「行きましょう。一真さん!」と声をかけるのだった。