the great ace attorney

No man is an island.

そろそろ日も暮れる頃。倫敦の沈んでいく太陽を高等法院の窓から眺めていたヴォルテックス卿は、不意に執務室の扉を叩く音に「入れ」と短く命じる。

「・・・・誰かと思えば。そなたか、ミス・マヤ」
「はい。明日も引き続き行われる《国際科学捜査大討論会シンポジウム》について・・・・最終調整の報告にまいりました」

《倫敦万博》もヴォルテックス卿が想定していた以上の盛況ぶりを見せている。そして、今日はいよいよ彼が待ちわびていた大討論会シンポジウムが開かれた日だった。開会式にはヴォルテックス卿も立ち会い、各国の首脳たちが今後の《科学捜査》に対して各々の見解及び近況を報告するといったわけだ。
マヤが一通り明日も行われる大討論会シンポジウムの予定について一通り報告を終えると、ヴォルテックス卿がおもむろに「そういえば」と言い出した。

「本日の裁判・・・・なかなかに、興味深い内容となったようだ」
「はい。グレグソン刑事殺害の件は・・・・・・10年前に話題になった《プロフェッサー》の事件と深く結びついているものと思われます」

そのとき、マヤはあえて《死神》という単語は出さなかった。彼女はグレグソン刑事が《死神》の主犯格であったことは知っているが、本日の裁判ではまだ触れられていない内容だったからだ。

「だが。そなたには、一つ気をつけてもらわねばなるまい」
「・・・・何のこと、でしょうか」
「ミスター・アソーギ・・・・彼の行動について、だ」

ヴォルテックス卿は持っていた杖の石突で床をカン!と強く叩くと、マヤに真っ直ぐ突きつけた。

「今日の審理・・・・やや、強引な追求があったことは私も聞いている。いくら《極秘裁判》とはいえ、女王陛下の名の下に開かれている裁判に変わりはない。そもそも、10年前の事件を今さら持ち出すなど・・・・・・あまり、無粋なマネはしてもらいたくないのだがね。そのために、そなたを法務助士として認めたハズだ」
「・・・・もっともなお言葉です」

だが、マヤは気づいていた。ヴォルテックス卿のその言葉には、亜双義の無理やりな追求に苦言を呈するよりも・・・・何か暴かれては困る“秘密”があるがゆえの誤魔化しのようなものが含まれていると。
頭を下げるマヤに対して、ヴォルテックス卿は突きつけていた杖を下げると、執務室の大窓から倫敦の街並みを見下ろした。

「少し、あなどっていたようだ。アソーギ・カズマ・・・・彼のやりたいようにやらせていては、倫敦の司法は崩壊するかもしれぬ」
「・・・・では。一つ、提案がございます」
「ほお。何かね?」
「明日の裁判・・・・閣下が裁判長として立つというのは、いかがでしょうか」

平静を取り繕っているつもりだが、それでも少しだけ震えた語気にマヤは顔を顰める。ヴォルテックス卿に裁判長の提案をしたのは、何も彼の味方をしているわけではない。むしろ、ヴォルテックス卿を予め法廷に引きずり出しておく必要があるというマヤ独自の判断だった。まだ、彼が全ての黒幕だと決まったわけではないが・・・・目の届く先にいてもらわねば、何をされるか分かったものではないことは確かだ。
ヴォルテックス卿は、マヤをじっと見つめる。相変わらず鷹のような鋭く威圧的な目に、マヤが内心を悟られないようじっと耐えていると、ヴォルテックス卿は「ふむ」と数拍おいて頷いた。

「そなたの言うことにも一理あるようだ・・・・やはり、異国の者に我が国の司法は任せておけぬ」

どうやら、何とかバレずに済んだようだ。未だにドキドキする胸を抑えようと息を吐くマヤに、ヴォルテックス卿は言葉を続ける。

「だが・・・・そなたがそのような提案するとは、意外だな」
「どういうことでしょうか」
「私はてっきり・・・・そなたは、あの東洋人たちと“同じ種類”だと思っていた。くだらない感傷と同情で、いつまで経ってもうだつの上がらない・・・・な」
「・・・・・・・・そうと決まれば。閣下が出廷する手続きに関しては、こちらで整えておきます。《中央刑事裁判所オールドベイリー》に向かう馬車も、明日には手配しておきますので」
「・・・・くえない助士だ」

ヴォルテックス卿はそう言って自身の懐中時計を確認すると、「そろそろ君も帰った方がいい」とマヤの肩を叩く。ふと彼女が窓の方に目を向けると、いつも飛んでいる鳩の代わりにカラスが数羽飛んでいるのが見えた。

それから、夜遅くに検事局に戻ってきたマヤは、自分たちの執務室にまだ明かりがついていることに気づく。物音を立てぬよう、こっそりと執務室の扉を開けた先では、亜双義が自分のデスクの前で正座をしながらジッと瞑想している姿が見えた。ゆっくりと扉を閉めたつもりだったが、亜双義はこちらに気づいたようだった。

「・・・・マヤか」
「一真さん。こんな遅くまで・・・・明日の審理にヒビいてしまいますよ」
「そのセリフ、そっくりそのままオマエに返そう」
「(弱ったなあ・・・・・・)」

亜双義は立ち上がり、執務室の中央にあるミニチュアの僅かな乱れを正している。そのミニチュアは、亜双義とマヤが協力して作ったもので、初めて作るながらに亜双義の技術にマヤは感心していたところだった。

「ところで。その手に持つ書類は・・・・事件に関係あるものか?」
「!」

両手で抱えた書類に目ざとく気づかれたマヤは、思わず書類を抱える手に力を込める。だが、ゆっくりと深呼吸すると亜双義の前に抱えていた書類を差し出した。

「これは・・・・9年前の事件に関する記録です」
「9年前・・・・?オマエの父親が殺された事件か」
「はい。そしてこれは・・・・《死神》に殺されたオトコの体内から発見された《線条痕》の記録です」
「《線条痕》か・・・・オレも少しだけ耳にしたことがある」
「残念ながら、コレに法廷で認められるほどの証拠能力はありません。でも、私独自に調べた結果、この弾丸は・・・・ヴォルテックス卿の拳銃から撃たれたということがわかりました」
「!な。なんだと・・・・」
「一真さんも、ウスウス分かっているハズです。《死神》はバンジークス様以外にいる・・・・と」

亜双義は酷く驚いているようだった。暫く言葉を呑み込んだあと、《狩魔》に手を添えて苦々しげに言い放つ。

「・・・・だが。9年前の事件と10年前の事件に関係があるとは限らぬ。その事件では偶然にも、ヴォルテックス卿の拳銃が使われた可能性だってあるハズだ」
「確かに、一真さんの言うことも一理あると思います。でも、それと同時に・・・・バンジークス様が《死神》ではない可能性も、じゅうぶんあるのです」
「オレの父を有罪にしたのは、あのオトコだ。《死神》はバロック・バンジークス卿以外にありえないッ!」
「有罪にしたことと、バンジークス様が《死神》であるかどうかは別のハズです。今の一真さんは・・・・憎しみに囚われて自分を見失ってはいませんか?」
「黙れッ!」

亜双義が勢いよく両手を壁につくと、マヤは亜双義と壁の間に閉じ込められてしまう。強く唇を噛んだ亜双義は、マヤをじろりと睨みつけた。その目は、《死神》に向けるものと同じ・・・・強い憎しみの篭った目だった。そんな彼の気迫に押されたマヤの額に冷や汗が流れる。目の前にいる男は、マヤの知る亜双義一真ではない。全く別の誰かにさえ見えた。

「《死神》は、オレの父親に有罪を突きつけた男だ!ヤツがやったに決まっている!そうでなければ・・・・オレは・・・・オレは・・・・ッ!」

マヤは直感する。亜双義は、その身に持て余すほどの激しい怒りの逃がし方が分からずにいるのだ。幼い頃の記憶を辿ると、昔の亜双義一真は父親のことを誰よりも尊敬し、誇りに思っている人間だった。彼の原点とも言える人物が不当な罰を下され、世紀の大犯罪者として扱われている現状に憤りを覚えずにいられないことは、至極当然である。
そのとき、マヤはぽたりと自分の肩に落ちてきた雫に目を落とす。固く握りしめられた亜双義の拳からは、僅かに血が流れていた。

「父上・・・・・・・・ッ」

辛うじて絞り出された声は、マヤも聞いたことがないほど震えていた。
この10年間、亜双義のなかでは実の父を殺されたやり切れない怒りがずっと彼の胸の中でくすぶっていたはずだ。そして、その怒りを誰にも打ち明けることができず、じわじわと膨らんだ憎しみが亜双義の心に闇を作っているに違いない。
マヤはそんな彼の様子にゆっくり息を吸って「一真さん」と名前を呼ぶと、亜双義の頭にそっと手を乗せる。それは、幼い頃に亜双義がマヤに対してよく行っていた慰め方だ。マヤが亜双義の頭を撫でると、彼の小さく息を呑む音が聞こえてくる。

「大丈夫。大丈夫です。どんな《真実》が見えたとしても・・・・隣には、私が。目の前には龍ノ介さんたちがいてくれます」
「・・・・マヤ・・・・」
「私は、一真さんがどんな《真実》にも立ち向かえると信じています。それは、きっと・・・・・・龍ノ介さんたちも同じ気持ちだと思うのです。だから、もう一人で抱え込んだりしないでください」

呆然とした表情の亜双義に向かってマヤは微笑む。

「一真さんは、一人じゃないんですよ」
「・・・・・・・・!」

人間、誰しも一人で抱え込める量には限界がある。どのような天才であれ、奇才であれ、一人で生きていくことのできる人間などいるはずがないのだ。
亜双義にもバンジークス卿にも、そのことに気づいて欲しかった。そのために自分は法務助士として隣にいるのだから、思う存分頼ってもらってかまわなかった。一人では無理難題なことでも、誰かと力を合わせれば解決できるということを亜双義は成歩堂との法廷に立つことで思い知っているはずなのだから。
執務室には、しばらく沈黙が走る。その間も亜双義の頭を撫で続けていると、不意に彼がマヤから離れた。

「・・・・すまなかった。少し、頭に血が上っていたようだ」
「一真さんの気持ちが、分からないわけではありません。でも・・・・憎しみに生きることは、玄真様も望んでいないと思うんです」
「父上が・・・・・・・・」

亜双義はもう一度《狩魔》に手を添える。マヤがブローチの影に見える父に語りかけてきたように、亜双義も自分の父親に語りかけているのだろう。それから、亜双義はマヤにこんなことを尋ねた。

「・・・・マヤ。オマエは、どうしてそこまで前向きに生きられる。オマエも、オレと同じように・・・・尊敬する父を奪われた身のハズだ」
「ううん・・・・そうですね。あえて言うなら・・・・バンジークス様のおかげだと思います」
「バロック・バンジークス卿の・・・・?」
「はい。一真さんの気持ちはわかりますが・・・・私にとって。バンジークス様がいてくれたからこそ、イマの私があるんです・・・・・・ああ見えて。バンジークス様は、とてもお優しい方なんですよ」

今までの思い出を振り返り、とても和やかな笑顔で語るマヤを見て亜双義は思わず言葉を失った。憎むべき男のおかげで幼馴染が助けられたという事実に、亜双義の心には僅かな引っかかりが生まれる。果たして、このままバンジークス卿を《死神》として裁くことは本当に正しいことなのだろうか、と。

「それと、あと一つ。一真さんに伝えたいことがあります。明日の裁判は・・・・・・ヴォルテックス卿が裁判長として立つはずです」
「!ヴォルテックス卿だと・・・・・・?」
「私の話がホントウかウソかは。明日の裁判で、一真さんが実際に確かめてみてください。そして、もし困ったときは・・・・私を思う存分頼ってくれていいんです。私はいつでも、一真さんの隣にいますから!」

何が正しくて、何が悪なのか。その判断は人生を辿る上で最大の謎だと言っても過言ではない。だが、目の前で笑う彼女の笑顔だけは本物だと思った亜双義は、ようやく強ばっていた表情を崩して「・・・・そうだな。オマエの言う通りだ」と和やかに微笑んだ。