the great ace attorney

這い寄る男

「あれ。
(まさか、道に迷ったかな・・・・)」

倫敦の空はいつも曇り空である。晴れの日が無いことも無いのだが、どんよりとした空が一年の大半であることは曲げようもない事実だった。

その倫敦において、捜査の用事で外出していたマヤは、見慣れない道で思わず辺りを見回す。確かにこの辺りで捜査をしているとグレグソン刑事から聞いていたマヤだったが、ここらの建物はどこも分かりづらく、かと言って手当り次第に押しかけるわけにもいかない。

「・・・・あれ。あなたは」

すると、突然誰かから声を掛けられた。マヤが振り返ると、そこにはあの日本から来たという司法留学生と、その法務助士が立っていた。

「ああ、あなたは。えっと・・・・ナルホドさん、でしたっけ?」
「え!あ、あの・・・・なるほど“う”です!成歩堂龍ノ介です」
「わたしは成歩堂さまの法務助士を務めている御琴羽寿沙都、と申します」
「龍ノ介さんと寿沙都さん、ですね。申し訳ありません。私はバンジークス様の助士を務めている、マヤ・ポーロックと言います」

律儀に深々と頭を下げる成歩堂と寿沙都は、とても礼儀正しく見えた。マヤはナルホドウ、ナルホドウ・・・・と頭の中で何回か唱える。

「ぼくたちのこと。覚えてくれていたのですね」
「はい、もちろん。まさか、現在の大英帝国で《最終弁論》を主張する弁護士など他にはいませんから」
「は。はあ・・・・」

先のコゼニー・メグンダルの裁判にて、成歩堂龍ノ介は法廷にいた人間全員を驚かせた奇っ怪な留学生だ。
倫敦の司法は、今まさに進化を遂げている途中なのだが、そのせいで形骸化してしまっているシステムもなかにはいくつかある。その一つが、《最終弁論》である。
古びただけの、何の意味もないシステム。誰もがそう考えていた《最終弁論》で、成歩堂は見事に陪審員たちの評決を覆してみせたのだ。

マヤもその成歩堂の手腕には一目置いていた。最初は頼りなさそうな雰囲気で、法務助士の寿沙都に助けられてばかりだと思っていたが、なるほどなかなかどうして気概のある男のようだ。

すると、寿沙都が「あの、マヤさま」と声をかける。

「何かお困りごとでしょうか?とてもキョロキョロされていたので、何かあったのではないかと」
「あ、バレてしまいましたか。実は少し、道に迷ってしまって」

倫敦の下町には、昔ながらの家が軒を連ねている。修繕も開発もされないその地域では、とにかく一軒一軒の土地が狭く、所狭しと建物が押し込められるように建っているのだが、如何せん住所が分かりにくい土地でもあった。
住所のメモ書きを見せられた成歩堂たちは、「ああそれなら!」と向かい側の赤レンガの家を指差した。どうやら、探していた場所を無事に見つけることができそうだ。

「すぐそこだったんですね。ありがとうございます。おかげで助かりました」
「いえいえ。・・・・あの、マヤさん。一つ質問いいですか?」
「はい、何でしょう」
「マヤさんは、日本の方・・・・ではないですよね?」
「!」

思わず反応したマヤに、成歩堂はどこか確信めいたものを得る。成歩堂の友人が言っていた『心の隙間をつく』という技は、裁判以外にも役立てることができるようだ。
成歩堂が心の中で友人に感謝していると、マヤは暫く黙り込んでから、ふう、と一息吐いた。

「ええ。半分当たっています」
「半分・・・・でございますか?」
「そう。半分です。私は英国人と日本人の《混血》なものですから」
「《混血》・・・・・・・・」

「なるほど!マヤさまにどこか懐かしい雰囲気があったのは、そのためなのですね」納得したようにうんうんと頷く寿沙都は、マヤが《混血》と明かしてからどこか親しみを覚えたようだ。
やはり、人間は同じ血を分け合っていると考えることで同族意識が生まれるのだろう。
だが、嬉しそうな寿沙都に対して、マヤの表情は暗い。

「・・・・ですが、あまりそのことは他言無用でお願いします」
「どういうことですか?」
「お二人も感じているはずです。異国の地において、外国人とはどのような扱いを受けるのか。・・・・皆が皆、良い人ばかりではないのです」

それまでの笑顔が曇るマヤに、成歩堂たちは何かを察する。「分かりました。秘密にすると約束します」と頷く成歩堂たちに、にこりと微笑んだマヤは、くるりと踵を返して・・・・思わず叫んだ。

「やあ!《死神》の助士クン!こんなところで会うなんて・・・・奇遇じゃないか!」
「きゃああああぁぁぁっ!!」

目の前に突如として迫り来る男の顔面。
バチン!と倫敦の空に響く綺麗な平手打ちの音に驚いたのは、誰でもないマヤだった。

「・・・・この名探偵にビンタはないと思うのだがね」

現れたのは、今、倫敦の街を良い意味でも悪い意味でも賑わせている探偵シャーロック・ホームズだった。ホームズは地面に落ちた鹿撃ち帽を拾い上げると、手で付いた埃を払う。

「・・・・今のは、明らかにホームズさまが悪いと寿沙都は思います」
「あっはっはっは!《死神》の助士クンから平手打ちを貰うなんて、こんなこと、滅多に無いぞ!」

どうやら、ホームズはマヤから平手打ちをもらったことを勲章か何かだと考えているらしい。頬にくっきりと刻まれた赤い跡を摩りながら「ボクも今度からサインの代わりに平手を打とうかな」とのたまうホームズだったが、「・・・・明日辺りに、ホームズさんがテムズ川に浮いているかもしれませんね」という成歩堂の一言に、世界の大探偵ことシャーロック・ホームズは「え」と思わず固まる。マヤは未だにドキドキする心臓を押さえながら、ホームズを睨みつけた。

「ホームズさん・・・・あなたって人は!もう少し場を弁えることを覚えてください!」
「場を弁える必要はない。・・・・なぜならボクは、名探偵だからさ」
「(もう一度ビンタした方がいいのかな)」

その自信満々な発言は一体どこから生まれるのか。マヤはそう思わずにはいられない。

「・・・・ところで、ホームズさんとマヤさんは知り合いなんですか?」

剣呑な空気を感じ取ったのか、さっさと話題を変える成歩堂に、マヤは諦めてホームズから視線を外す。

「・・・・知っていますよ。ストランドマガジンで連載されている《シャーロック・ホームズの冒険》。これに悩まされているのは、警視庁も検事局も同じです」
「グレグソンさまと同じ、恨めしい視線でございます・・・・」
「一度、検事局で読んでいたところ、バンジークス様に見つかって怒られたこともあります」
「何だい。ミス・マヤもボクの小説がやっぱり好きなんじゃないか」
「違います。検事局の根も葉もない噂はないかと逐一チェックしているんです」

「マヤさま、逆にすごい執念でございますね・・・・」とたじたじな寿沙都。一方、成歩堂は、グレグソン刑事の部分はチェックしてあげないのだろうか、と疑問に思っていた。

「とにかく!龍ノ介さんや寿沙都さんはともかく、ホームズさんに構っている暇はないんです。ここら辺りで失礼しますね」
「ええ。マヤさん、お話ありがとうございました」

急ぎ足でこの場を去るマヤに向かって「全く、素直じゃないお嬢さんだ」と笑うホームズに、やっぱりもう一度ビンタされたらいいのに、と思う成歩堂だった。

それから、マヤはグレグソン刑事のいる捜査現場に向かうのだが、頻りに頭の中をホームズのにやついた顔がちらつくせいで集中できなかったことは言うまでもない。

精神的に疲れ果てた状態で検事局に帰ってくると、マヤはバンジークス卿が不在であることを確認してから、彼の執務室の奥にある物置部屋へと足を踏み入れた。
バンジークス卿の執務室には、彼が自分で拘り抜いた葡萄酒の樽が綺麗に並べられている。マヤは長年、彼の助士を務めていることもあってか、大方の仕事を任せてはもらえるのだが、この葡萄酒の樽の整理だけは未だにやらせてもらえた試しがなかった。

「・・・・何をしている」
「!バ、バンジークス様・・・・!」

その樽が仕舞われている奥の物置で、何かを見ていたマヤは、バンジークス卿に声をかけられるなり、手にしていたものをさっと自分の後ろに隠した。どうやら、今しがた帰ってきたばかりのようだ。

「それは何だ」
「・・・・・・あ、あの。これは・・・・」
「私に言えぬものか」
「・・・・う、」
「・・・・マヤ」

バンジークス卿に名前を呼ばれて咄嗟に顔を上げたマヤは、彼のどこか悲しげな表情に思わず驚いた。
バンジークス卿は、世間からしてみれば《死神》という異名で呼ばれ畏怖される存在なのだが、マヤの前ではこうして時折純真な人間めいた表情を見せることがある。マヤはそんなバンジークス卿の表情を前にすると、どうにも困り果ててしまうのだ。そして今回も、後ろに隠していたものをついバンジークス卿に差し出してしまっていた。

「これは・・・・?」
「あの、私・・・・バンジークス様が、いつも葡萄酒の樽の整理順に悩んでおられるようだったので、しっくり来る順番は無いのかと考えていたんです」

差し出されたのは、樽の番号が複数のリストに纏められているメモだった。
一度、マヤが無理に樽の整理をやろうとしたとき、バンジークス卿に酷く叱られたことがある。だが、いつも壁の樽を眺めては考え込んでいるバンジークス卿に、何かしてはやれないかと思ってのことだとマヤは言う。

「・・・・・・」
「・・・・申し訳ありません。でも、私・・・・バンジークス様のお役に立ちたかったのです」
「・・・・・・そういうことか」

安堵で深く息を吐いたバンジークス卿は、「参考にしよう」と言ってメモを受け取り、軽くお辞儀をする。予想外の反応に、マヤは目を丸くした。

「怒らないのですか?」
「なぜ、そなたの善意を叱る必要がある。・・・・私は、てっきり・・・・」
「どうされました?」
「いや・・・・何でもない。それよりも・・・・マヤよ、そなたに試飲してほしい葡萄酒があるのだが」
「・・・・私、飲みすぎると明日持たないです」
「それは、そなたが試飲と言っているのに5杯も6杯も飲むからだろう」
「(・・・・バンジークス様は一瓶全部開けるのに)」

そうは思っても、マヤは知っていた。マヤに試飲と称して葡萄酒を勧めるのは、バンジークス卿の一種の優しさなのだと。だからこそ、マヤは自分が咄嗟に嘘をついてしまったことにとても心を痛めた。

「・・・・申し訳ありません、バンジークス様」

バンジークス卿がその場を去った後、マヤはポケットに押し込んでいた写真を取り出す。そこには、幼い頃の自分と父親、そしてインキで黒く塗られた顔の見えない母親が写っていた。