the great ace attorney

助士の調査結果

「だからッ!吾輩はやってなんかいないのであるッ!」

本日未明、ブライヤーロードにてとある事件が起きた。事件とは言っても、状況は至ってシンプルである。ブライヤーロードを歩いていた婦人が突如として後ろから背中を刺されたのだ。
幸い、被害者の命に別状はなく、今は搬入先の聖バーソロミュー病院にて意識不明のまま眠り込んでいるらしい。

その中、留置所で被疑者から調書を取っていたマヤは「分かりました、分かりましたから」と嘆き狂う被疑者を宥めつつ調書にペンを走らせる。
彼女は現在こそバンジークス卿の助士として働いているが、その前は倫敦警視庁スコットランドヤードで、しばらくのあいだ経験を積んでいたという過去がある。そのため、このように裁判の準備を行う傍ら、警視庁ヤードの手伝いを行うことも少なくない。

「あなたの言い分は、よくわかりました。それで、どうして刺しちゃったんですか?」
「全然分かっていないではないかッ!嗚呼ッ、誰か吾輩の話をちゃんと聞いてくれる者はいないのか・・・・!これならまだ、猫にでも話しかけた方がマシなのであるッ!」

「にゃーん!にゃああああんッ!」と叫びながらおいおいと泣き出す男は、猫背の小さい日本人だった。英語イングリッシュを話せるようだが、ところどころで「粗末簡便ッ!」だの「傍若無人ッ!」だの、ある程度の日本語を知るマヤにさえよく分からない言葉を話すので、彼女を含めた警視庁の人間はほとほと呆れ果てていたところである。

「・・・・“信義誠実”。これもニッポンで言うところの、四字熟語ですよね?」

だが、日本語に“四字熟語”というものが存在すること自体は、マヤも知っていた。そして、唯一知っている四字熟語を口にすると、先程まで取り乱していた男の眉がピクリと動いて思わず固まる。

「その方・・・・我が母国語をご存知なのですか?」
「全部は知りません。でも、父がこの四字熟語だけは好きで、私に教えてくれたのです」

『常に“信義誠実”であれ』とマヤは幼い頃から父親に言われて育ってきた。その四字熟語は、顔も覚えていない母方の実家から譲り受けた言葉なのだという。

「あなたも自国に誇りを持つニッポン人ならば、“信義誠実”に・・・・とりあえず、あの日のことを話してみてくれませんか」

例え本当にこの男がやっていようと、やっていなかろうと、まずは詳細な情報を集めなければ事件解決の糸口さえ見つからない。男は明日行われる裁判にかけられる予定だが、検事局にあらぬ失態をおかさせるわけにはいかないのだ。
男の名前は夏目漱石といった。日本から英国留学を名目としてやってきた彼は、マヤの言葉を聞くと暫く考え込んでから「・・・・分かったのである」と小さく項垂れた。

そうして、やっとぽつぽつと語り始めた漱石の言葉を聞きながら、マヤは調書を取る。そして全ての話を聞き終えると、ペンを置いて「う〜ん・・・・」と考え込んだ。一方、漱石は自分の言い分が通るかどうか、肝を冷やすばかりだ。

「終わったか、マヤ」
「あっ、グレグソン刑事。お疲れ様です」

そんな折、様子を見にやってきたのはトバイアス・グレグソンという男。倫敦警視庁スコットランドヤードで刑事を勤めている、話題の男だ。その理由は、もっぱらストランド・マガジンで掲載されている『シャーロック・ホームズの冒険』に名前が載っているせいなのだが。
グレグソン刑事は、マヤの書いた調書に目を通すと「ご苦労だったな」と彼女の肩を叩いた。

「帰っていいぞ。バンジークス卿への報告もあるだろう」
「え」
「では、これにて失礼します」
「え。え」

マヤの言い分によっては、この薄暗い留置所から解放してもらえるかもしれない。そんな一抹の希望を抱いていた漱石は、両手を震わせて「待ってください、淑女レディッ!」とマヤを引き留めた。

「吾輩は・・・・、吾輩は。結局どうなるのですかッ!」

マヤはパチクリと瞬きをすると、にっこり笑って答えた。

「大丈夫です。明日の裁判で無罪を勝ち取ればいい話ですもの。まあ、英国の裁判で無罪を勝ち取るのはなかなかに難しいですけどね」

自信満々に言い切ったマヤに、漱石は思わず思考が停止し、その後にガクガクとより一層震え始めた。「いいからさっさと帰れ」と言うグレグソン刑事に、マヤは一礼して留置所を後にする。背後で「枯木寒巌こぼくかんがんんんんん・・・・・・ッ!」と叫ぶ声は、まるで雨の日に濡れた猫のような悲壮さを孕んでいる。だが、その声を聞いたマヤは、今度試しに日本の辞書を買ってみようかな、などと呑気なことを考えていた。

それから馬車に乗り、検事局へと帰る途中でマヤは先程買っておいた新聞を広げる。
『《死神》が復活した』
新聞の一面を飾る大きな見出し。その話題は、コゼニー・メグンダルの審理が終わり、彼が焼死体となって見つかってから瞬く間に広がった。
《死神》は大悪人の審理しか担当しないと言われる。マヤも、それはバンジークス卿の信念ゆえだと思っていた。彼の中にもまた、“信義誠実”が存在している。だからこそ、検事局に帰りついた際、彼が今度の事件を担当すると聞いた時、驚かずにはいられなかったのだ。

「バンジークス様。今、何と?」
「二度は言わぬ。そのナツメ・ソーセキの審理を担当すると言っている」
「(二度言いましたね・・・・)」
「・・・・我が助士の理解力が足りないせいだ」

蔑むような目線で睨みつけられたマヤは、その視線から逃れるように「わ。分かりましたぁ!」と電報を打ちに行く。
それから急いで出かける準備をすると、バンジークス卿と共にブライヤーロードへと馬車を急がせた。

「それで、現場捜査に来たというわけか。ご苦労な事だ」
「グレグソン刑事。いつもアゲモノばかり食べてて、健康に悪くないのですか・・・・?」
「何を言ってるんだ。これこそオレのソウルフードだ。今度、美味いフィッシュアンドチップスの屋台をアンタにも教えてやろう」
「いや、それは・・・・」
「・・・・ベーカー街の24番地、だ」
「え」
「ええ、そうですな。そこのフィッシュアンドチップスはオススメです」
「(バンジークス様。どうして美味しいフィッシュアンドチップスの屋台を知ってるんでしょうか・・・・)」

事件現場のブライヤーロードには、人の足で踏み固められた、黒ずんだ雪が積もっている。被害者が倒れていたというその場所では、未だに《倫敦警視庁スコットランドヤード》の警官たちが辺りをウロついていた。
調査に来たマヤは、グレグソン刑事から発せられるアゲモノの油っこい匂いに僅かに眉をひそめながら、辺りを見回す。

「それにしても。証拠らしい証拠は、もうほとんど調べられている様子ですね」
「まあ・・・・人目につきやすく、道路の幅も広いブライヤーロードだからな。見落としをする方が難しい」

グレグソン刑事から話を聞いても、先程得た報告より目新しい情報はあまり得られない。婦人が刺された現場にいた人間は夏目漱石のみであり、そこには警察官の目撃者もいたようだ。
あまりにも見え透いた事件だが、一応その警察官から話を聞いた方がよいだろうとのことで、マヤは目撃者の彼が到着するまで手持ち無沙汰にキョロキョロと辺りを見回す。

「あ。見てください、バンジークス様。あんなところにスノウマンがいますよ」
「・・・・だからどうした」
「私、自分がもし倫敦の街中で佇むスノウマンだったらと夢想することがあります」
「・・・・・・一冬の命、か」

予想はしていたが、事件とは全く関係の無いマヤの発言に、バンジークス卿は首を横に振る。普段は真面目な助士だが、時折全く関係のない話に花を咲かせるあたり、やはり彼女も年相応と見える。

「あ。今度はあっちを見てください、バンジークス様。何か花が落ちていますよ」
「・・・・・・・・」

今度は、事件現場とは向かい側にある歩道を指差すマヤに、バンジークス卿は流石に何も言えなくなってしまった。

「真っ赤なバラですね。ちなみに私、」
「自分が、もし倫敦の街中に落ちている赤い花だったら・・・・と、夢想することがあるのだろう」
「バンジークス様。なぜ分かるのですか?」
「・・・・・・・・・・」

偶に、この助士の育て方を間違えたかもしれぬ、とバンジークス卿は考えることがあるのだが、今日は殊更にその回数が多いような気がした。
マヤはニコニコした笑顔でその赤いバラを拾ってくる。

「とりあえず。これを置きっぱなしにしておくと、誰かに踏まれてしまうかもしれません。私が預かっておきますね」
「・・・・全く、かような花も地に落ちればタダの落とし物扱い・・・・か。落とし主は、誰かに渡すつもりで持っていたのだろうが」
「何とも、不吉なものですね。まあ、不吉と言えばバンジークス様の方が不吉だと世間からは言われていますけど」
「・・・・それは、冗談のつもりか?」
「も。ももももちろんですとも!」
「だろうな」
「(バンジークス様。よっぽどバラと比べられるのが嫌だったのかな・・・・)」
「そういうことではないっ!」
「ど。どうして私の考えていることが分かったんですかっ!?」

警視庁ヤードの人間でさえ恐れる《死神》も、一人の女性に調子を崩されてしまう光景は微笑ましいものがある。
そんな二人に、グレグソン刑事が「来たようです」と口を挟んだ。どうやら目撃者である警察官が到着したようだ。
産業革命が起きてからというもの、大英帝国はどの国よりも一歩前を行くことに誇りを持つ。その誇りを保つために、倫敦警視庁スコットランドヤードに属する警察官は日々激務に追われながら馬車馬の如く働いているのだが、

「・・・・・・・・あの、もしもし?」

グレグソン刑事が連れてきた男は、酷く眠そうな顔でこくこくと立ちながら船を漕いでいる。グレグソン刑事が「おい、起きんか」と声をかけても、全くもって起きる様子がない。
すると、遠くから「パット〜!!」という甲高い声が聞こえてきた。

「まあ、パット!ここにいたのね!今日も警察官の服がとってもステキに似合ってるわ!」
「(ものすごい勢いのハグで、ものすごい勢いのまま地面に倒れたけど大丈夫なのかな・・・・)」

パット、というのは、どうやらこの眠そうな警察官の名前らしい。突如として現れた女性によって男は地面に押し倒され、鼻を思い切り地面に打ち付けた。だが、痛がるどころか、彼からスースーと穏やかな寝息まで聞こえてくる始末。
これでは新たな事件を引き起こしかねないと踏んだマヤは、思わず「あの、どちら様ですか?」と警察官を押し倒す女性に尋ねる。

「・・・・あ、ああああぁッ!あなたは・・・・・・・・!マヤ・ポーロックさんですね!?」
「は。はい・・・・そうですけど、私を知っているんですか?」

「はい。それはもう、もちろんッ!」と目を輝かせて両手を組む彼女は、名前をローラ・オマーリという。ちなみに、今しがた地面に倒れた男は名前をパトリック・オマーリといい、二人はどうやら夫婦関係にあたるようだ。

「パットから話を聞いたことがあるんです!あの倫敦警視庁スコットランドヤードで働いていた女性がいるって!あたし、あなたが目標なんですの!」

今の時代、倫敦の警察官は男性のみがなれる職業であり、子供とお年寄り、ひいては女性も警察官になることはできない。
マヤは確かに倫敦警視庁スコットランドヤードに在籍していたこともあるが、それも厳密には警察官としてではなく、とある人物から監察医の卵として教育を受けていた傍ら、グレグソン刑事たち倫敦警視庁スコットランドヤードの手伝いもしていた、という具合である。
だが、尊敬の目を向けられて悪い気のする人間など極小数だ。マヤが満更でもなさそうに「そ、そうなんですね」と答えると、見かねたバンジークス卿が腕を組みながら横槍を入れてきた。

「・・・・・・目標ならば。彼女ではなく、もっと他の女性を参考にした方が世のためであろう」
「あ、ああああぁッ!あなたは・・・・・・《死神》のバンジークス検事・・・・!」

「見てよ、パット!夢みたい!あたしたち、あの《死神》さまたちと話してるのね!」そう言ってパトリックの首に巻くマフラーを掴んだローラが、力いっぱいマフラーを引っぱると、パトリックはもはや意識が朦朧とする中で極彩色の夢を見ながら「は。は。は。はイィッ!本日は何事もありませんでしたッ!」と叫ぶ。
一方、マヤが「バンジークス様・・・・それはどういう意味ですか?」と尋ねると、バンジークス卿は「世の女性が皆、そなたのようになっては私が困る」と悪気もなく言い放った。その歯に衣着せぬ言い方に、流石のマヤも言い返すことができない。

「えっと。それで話を戻すと・・・・事件現場の目撃者が、あなたがた夫婦というわけですか?」
「ええ。そうですの。あの日は、とても寒かったけど・・・・あたしには、パットさえいればいつでも真夏になりますの」
「おお、ローラ・・・・・・・・」
「ああ、パット・・・・・・・・」

初見は少し心配したものの、どうやら、夫婦関係は極めて良好のようだ。その様子を見たマヤが「夫婦とはかくありき。バンジークス様も結婚なされたら、あのようになるんでしょうか・・・・」と感慨深げに呟くが、バンジークス卿はもう口を挟むこと自体やめてしまったようだった。