the great ace attorney

呪いの下宿

カツカツと、固い鉄の上を叩くペンの音が静かで重い石の部屋にこだましている。マヤはふぅ、と息を吐くと、呆れたように目の前にいる人物を見やる。

「前代未聞ですよ。裁判が終わった次の日に、また事件を起こすなんて。第一、昨日無罪になったばかりなのに・・・・どうして毒なんて盛っちゃったんですか?」
「だからッ!吾輩は何もやっていないのであるッ!!」

留置所で、今度こそ顔を真っ青にしながらおどおどと震える漱石の様子を見て、マヤは思わずグレグソン刑事と顔を見合わせる。彼女には、今から2日前にも全く同じ光景を見た記憶があった。

「そうは言っても。グレグソン刑事の話を聞く限り、あなたが極めて怪しいじゃないですか」

「・・・・まあ、その証拠を見つけたのはワシではなく、あの名探偵サマなんだが」グレグソン刑事の声は皮肉の色を孕んでいる。
真冬のブライヤーロードにて、突如女性が背後を刺された事件が2日前に起きた。その事件で被疑者として捕らえられた夏目漱石は、成歩堂の弁護によって無罪を獲得したばかりなのだが・・・・あろうことか、その晩に、今度は密室で茶会をした相手に毒を盛ったということで急遽逮捕されたらしい。
マヤは調書を書くペンを止めて、眉を顰める。

「・・・・・・つまり。またもやホームズさんの推理、ということですか」
「アノシャーロック・ホームズ・・・・!一度ならず二度までも!吾輩を犯人扱いしおって!」

「怒 髪 衝 天ッ!」と叫ぶ漱石の声も、隣の部屋から石壁をドンドン!と強く叩かれると途端に縮こまって静かになる。
事件が起きたなかでの唯一の不幸中の幸いは、毒を盛られた相手がまだ生きていることだろうか。

「たしかに。一度ならず二度までも・・・・殺しそこねたのは運が良いというか、悪いというか・・・・」
「二度ならず一度もやっていないのであるッ!」
「でも密室だったのでしょう?」
「密室とは限らないではないかッ!もしかしたら。あの呪われた下宿に住まう、邪智暴虐!悪逆非道!慇懃無礼!の幽霊が吾輩のみならず、あの男までも呪おうと・・・・!」
「幽霊ときましたか・・・・・・」

このままでは埒が明かない。
「自分勝手ッ!」と叫ぶ漱石は、やはり多少なりともパニックに陥っているようで、このままマヤが話を聞いていても詳細な情報は何も引き出せないだろう。

「うーん。確かに疑問点はまだいくつかありますが・・・・とりあえず、担当弁護士はまた龍ノ介さんになりますよね?」
「おお・・・・!ナルホドー留学生代理・・・・!吾輩の呪われた運命を照らす、たった一つの安寧の光でありますな!」

「まだ決まったわけじゃないが・・・・おそらくそうだろう」頷くグレグソン刑事に、マヤは持っていたペンを置いて立ち上がる。

「ならば。担当検事はバンジークス様で決まりですね」
「え」
「(早速安寧の光が消えたような顔をしている・・・・)」

途端に唇を真っ青にして震えだす漱石は、今にも泣きそうな顔であった。

「なぜッ!なぜ吾輩ばかり、このような目に遭うのか!吾輩は・・・・ただ、沙翁シェイクスピアについて眼から火が出んばかりに語っていただけであるというのにッ!嗚呼ッ! 落 穽 下 石らくせいかせきッ!」
「ちなみにこの言葉は、災難に遭った人にさらにおいうちをかけること・・・・だそうです」

「説明せんでいい」グレグソン刑事は、突如どこからか本を取り出して調べるマヤに呆れ返る。話を聞くに、どうやら今朝方ボロブック古書堂にて買ってきた日本の古い辞書のようだ。本の裏に『夏目漱石』と書いてあることに彼女は気づいていないようだが、世界とは思ったよりも狭いのかもしれない、とグレグソン刑事は思う。

「吾輩が祖国で教鞭を振るっていたときもそうだ。生徒は吾輩を影で噂し、小馬鹿にし、田舎者も大勢集まれば都会者を倒せると見たのだろう。・・・・吾輩は、ただ!天麩羅を食べていただけであるッ!もう吾輩以外の人間皆!
狼 心 狗 肺 ろうしんこうはいッ!」
「これは、えっと。・・・・あ、あった!人が残酷であることのたとえ・・・・だそうですよ」
「お前さん、案外楽しんでるだろう」

グレグソン刑事はマヤからさっさと調書を受け取ると「このあとは?」と尋ねる。

「とりあえず、バンジークス様に報告をしてから現場調査に向かうと思います。なので、担当管区ビートの警官にもそう伝えておいてください」
「わかった。現場はオレが一任されてるからな」
「よろしくお願いしますね」

マヤは一礼すると、留置所を後にする。
その後はバンジークス卿に報告を行い、グレグソン刑事の案内によって予定通り現場であるウィリアム・ペテンシーの家宅捜査に向かうことにした。

「・・・・・・ここが事件現場、か」
「ううう・・・・これまたカビ臭いというか、寒さが身に染みるというか・・・・。バンジークス様、足元にお気をつけください。一体いつ、床が抜けるか分かりません」

大英帝国の倫敦では、自分の家の空き部屋を下宿として売り出す者が大勢いる。産業国家として発展してきたこの大都市では、住む土地一つ確保するのにも苦労するのだ。
だが、街の繁栄ぶりとは裏腹に、誰もが皆裕福な資産を持っている訳ではない。中には、昔の“窓税対策”をそのままにしてある民家も多くあるのだが、そのような家々は真冬のなかでは凍てつくほどに冷えきっており、時折凍死事件が発生することもあるほど。

「あ。バンジークス様、このような所に石けんがあります」
「・・・・見れば分かる」

被害者であり今回の事件現場とも言えるウィリアム・ペテンシーの住む下宿には、皿の上にぽつんと緑白色に濁った石けんが、ナイフとフォークを添えて置いてあるという何とも珍妙な光景が繰り広げられていた。マヤはその奇妙な光景をまじまじと眺めてから、ハッとしたように呟いた。

「・・・・まさか!今回の毒とはもしやこれが!」
「・・・・・・本気で言っているのか?」
「・・・・もちろん冗談です」
「もし本気とでも言おうものならば・・・・そなたを即刻、助士から外しているところだ」
「(半分本気だった、なんて言えない・・・・)」

そうでもなければ、この石けんの説明がつかないのだが、マヤはこれ以上何か言うとバンジークス卿の逆鱗に触れることが分かっていたので、大人しく石けんの謎は諦めることにした。人生とは、取捨選択の連続である。

「それにしても。あまりにも何も無いですね、この部屋。食べ物一つ見当たらないのですが、被害者は一体何を食べて生きていたんでしょうか」
「知らぬ。だが、石けんでないことだけは確かであろう」
「(バンジークス様。私を真っ直ぐに見つめて言い切った・・・・)」

被害者はウイリアム・ペテンシーと呼ばれる役者くずれの男だった。昨夜、被疑者の夏目漱石とお茶をした後、毒の症状が起こり倒れたとか。幸い、意識は取り戻したらしいが、症状から見れば生死の瀬戸際だったことは間違いないようだ。
よって、初めにやらなければいけないことは無論、毒物検査である。だが、これには一つ大きな問題があった。

「・・・・グレグソン刑事、これでは毒物検査ができません」
「・・・・・・・・何だって?」
「見てください。カップにもポットの中にも・・・・紅茶が一滴も残っていないんです」
「一滴も?そんな馬鹿なッ!」
「部屋の中を見るかぎり。食べるものも何もなさそうですし・・・・さぞかし喉が乾いていたために舐めずったのでしょうか。どう思いますか、バンジークス様」
「・・・・想像したくもないほど品性に欠ける行為だ」

現在。倫敦警視庁スコットランドヤードの持てる限りの力を尽くしても、毒物検査には一定の制約が課せられてしまう。その制約こそが、水分の有無だった。
兎にも角にも。まるで、一晩で干からびてしまったかのようなティーカップとポットで毒物検査を行うことは不可能である。潔く諦めたマヤたちは周辺の捜査に切り替えることにしたのだが、あまりにも物の少ないこの部屋では、周辺に手がかりとなるような物証もほとんど見当たらない。
すると、調査をしていたマヤが「きゃあっ!?」と突然短い悲鳴をあげた。

「い、今何か・・・・ぐにって!ぐにって踏みました!」
「・・・・・・・・死んでいるネズミか」
「ね、ネズミ!?どうしてネズミの死骸がこんなところに・・・・!」
「恐ろしいほどに痩せこけている。大方、盗み食う食べ物もなく、飢え死んだのかもしれぬ」
「・・・・バンジークス様。お腹がすいた時は、遠慮なく私に申してくださいね」
「哀れむ方向を私に向けるなッ!」

何を思ったのか、マヤは悲しげな面持ちでバンジークス卿とネズミを見比べる。果たして彼女にはこの哀れなネズミと自分が同じに見えるのだろうか、とバンジークス卿は考えたが、なぜか途端に酷い頭痛が襲ってきたのでとりあえずこの件は置いておくことにした。

それから調査を続行したものの、ペテンシーの家宅捜査は予定より随分と早く終わった。マヤは証拠品のリストなどを粗方まとめ終えると、「あの」とバンジークス卿の方を見る。

「私、今から少し聖バーソロミュー病院の方に行ってきたいのですが」
「・・・・何故だ」
「え」
「今朝方も聖バーソロミュー病院に行っていただろう。・・・・それは何のためだ、と聞いている」

あっさり了承してもらえると思っていたマヤは、思わず目を丸くする。その後、何かを考え込むように目線を逸らした。

「・・・・ブライヤーロードで起きた事件。被害者の、ビリジアン・グリーンさんが目を覚ましたとき。私はちょうど、病院関係者から被害者の容態の供述書も取るために、病院にいたのです」

聖バーソロミュー病院は、ここらでは少し名の知れた病院だ。外観は古ぼけており、衛生面など多少心配な点はあるものの、そこに勤める医師の腕は確かだという話で、急患の治療や事件の調査にはとても協力的であった。
そして、医師の話を聞いている時、偶然にも被害者のビリジアンが目を覚ましたのだ。

『・・・・・・・・私、』
『!ビリジアン・グリーンさん。目が覚めたのですか・・・・!』
『あの。私・・・・』
『?』
『私、どうして生きているんでしょうか・・・・?』

マヤはその一言を聞いた時、何も言葉を返すことができなかった。グリーンの目には薄らと涙が浮かべられており、彼女は天井を見ながら何かに耐えるようにまた目を閉じたのだった。
マヤはそのときの彼女の顔を思い返しながら、胸元で光る金細工のブローチに手をあてる。

「・・・・事件が終わっても。被害者の傷が完全に癒えるわけではありません」
「・・・・・・・・・・・・」
「私は、人を平気で傷つけるような悪人が大嫌いです。傷を負わせた方が忘れても、傷を負わせられた人間は一生忘れられないのに・・・・・・」

マヤはそれ以上何かを言うわけでもなく、自分の荷物をまとめると、「バンジークス様。明日の準備は全てできていますので、ご安心ください」と言い残して部屋を出ていってしまった。

「・・・・あの子は、相変わらずお人好しですな」
「・・・・・・・・」

グレグソン刑事は残ったアゲモノを一気に頬張ると、帽子を被り直して捜査から引き上げる準備を始める。その瞬間、ちらと後ろを振り返ったが、バンジークス卿はその間も扉の先をずっと睨み続けていたのだった。