「あ!紗倉さん!来てくれたんですね!」
「こんにちは、梓さん」
「カウンターでも大丈夫ですか?」
「もちろん」
消息不明な同期と瓜二つの安室透に会ったあの日から数日後。藍はたまたま立ち寄ったスーパーで、買ったばかりのフルーツをぶちまけてしまった榎本梓に出会った。何の縁か、彼女は安室の同僚で喫茶ポアロで働いていたのだ。ただ拾うのを手伝っただけなのだが、人当たりのいい梓からの誘いに負けこうしてポアロにやって来たのだった。
「大盛況ですね」
「あー、違うんですよ」
「?」
「ここにいる若い子の大半は安室さん目当てなんです」
「安室って、安室透?」
「僕の名前を覚えてくださってて光栄です」
「安室さんお知り合いなんですか?」
「実はそうなんですよ。ね?」
「いえ。知らないです」
「では、これから知って下さいね…僕のこと」
藍にだけ聞こえるように顔を近付けた安室の言葉に思わず背筋が凍る感覚がした。降谷の顔で、降谷の声で、決して降谷が言いそうにない言葉をその笑顔で言うのは止めて欲しい。そんなこと言えるはずもなく、藍は極力安室の言葉には耳を傾けないようにしていた。
「今日は何にします?」
「アイスティーと…「ハムサンドはどうですか?」…」
「安室さんのハムサンドはうちの人気メニューなのでオススメです!」
「じゃあ、それで」
その後は梓が言っていた通り、安室目当ての女性客が絶えなかった。とにかく関係を持とうと女性陣はあれこれ試行錯誤しながら連絡先を聞いている。だが、意外なことに安室はあの胡散臭い笑顔で全てをあしらっていた。
「意外ですね」
「何がですか?」
「あなたなら喜んで彼女たちの連絡先を貰いそうなのに」
「紗倉さんには僕がそう見えているんですね」
「ええ」
「こう見えて、僕……かなり一途なんですよ?」
「へえ。そうなんですね」
数分前までは声を張らないと会話にならなかった店内もようやく落ち着いたようだ。通常の大きさで会話が出来ている。あなたには全く興味無いですよ、と物語るように感情を無にして藍は答えた。
「………あの、なにか?」
「お味はいかがですか?」
「美味しいです」
「それは良かった。僕の愛情をたくさん込めてお作りしたので」
「それはどうも」
「足りませんか?僕の愛」
「要りませんよ?あなたの愛」
「うーん。やはり紗倉さんは手強いですね」
「そういうの誰にでもやってるんですか?」
「藍さんにだけですよ」
「!?」
"藍"という名は赴任先の高校でしか名乗っていない。少なくとも先日出会った少年たちにも、喫茶ポアロの店員である梓にも、もちろん目の前で胡散臭い笑顔を浮かべている安室にも、生徒や学校関係者以外には名乗っていない。それなのに何故この男は自分が紗倉藍だと知っているのだろうか。考えても考えても頭に浮かぶのは、安室が降谷であるという有り得ない仮説だった。カラン、とストローに当たる氷を見ていた藍はある事に気付いた。
「どうしてコッチだと分かったんですか?アイスティーとしか言ってなかったですよね、私」
「それは藍さんが注文する時にアールグレイを指差していたのを見ていたからですよ」
「じゃあ、ストレートで出したのはどうして?ミルクを入れるかもしれないですよね?」
「それは……推理したんですよ。僕は探偵なので」
「ふざけてるんですか?」
「本当のことですよ」
百歩譲って種類を指差していたとしても、自分がストレートしか飲まないというのは推理しようがないはずだ。ヒントになるようなこともしていない。それに、このことを知っているのはごく僅かだ。その僅かな人の中にはもちろん降谷も含まれている。安室が降谷であるならば今まで感じていた違和感にも辻褄が合うのに、と他の女性客の対応をしにこの場を離れていく安室の背中を見ながら藍は思っていた。
「この間のお姉さんだよね?」
「へ?あ、うん。そうね」
「ボク、江戸川コナン!お姉さんは?」
「紗倉…藍です」
「藍お姉さんって、安室さんのこと好きなの?」
「………は?」
「だって、ずーーっと気にしてるでしょ?安室さんのこと」
「してないしてない!全然してない!」
「じゃあ…知り合いとか?安室さんからたくさん声かけてるし」
「ああ。それは、一目惚れしたからですよ、コナンくん」
突然現れた安室の登場にではなく、一目惚れをしたという爆弾発言にコナンも藍と同様に驚いていた。当の本人は二人のリアクションにクスクスと笑っている。もうこの人が降谷なのかそうじゃないのかなんてどうでもいい。一刻も早くこの店から出よう。そうでなければ、紫藤藍になってしまいそうだ。
「あまり子どもを揶揄ってはいけませんよ。じゃあ、またねコナンくん」
「え?あ、うん!またね!藍お姉さん!」
「もうお帰りですか?」
「ええ。ご馳走様でした」
「では、何かあればいつでも相談して下さい」
帰り掛けに渡された名刺を受け取った藍は、その名刺をしっかり見ることもなく手にしていた財布に入れポアロを後にしたのだった。