いきて




──────────トラファルガー・ローにとって、メアリーという女は何よりも憎く、そして、何よりも尊く愛おしいものだった。

 父の友人の娘という事や、家が隣ということで、メアリーとは幼馴染として育った。自分と同じ色彩の双眸は、自分の顔を映す度に緩み、“ロー”と、鈴蘭の様な可愛らしい声で呼ばれ、悪い気は起きず、ずっと自分たちは大人になっても一緒に暮らしていくものだと信じて疑わなかった。
 けれど、そんな笑顔を常にうかべ、自分に懐く家族とも言えよう女の子が、本当は色んな音や物に怯えていたことを知ったのは、ローが物心着く頃、メアリーが親の都合で一人留守番をすることになった日の事。
 両親にメアリーが寂しくないようにと伝え、彼女と一緒に夜を過ごそうと思ったのだ。なんてことの無い幼い子供達のお泊まり会。
 彼女の好きな菓子を持って、母からの手料理をお土産に家に行けば、恐ろしい程にシン……と家の中からは物音がせず、夕方だったが、もう就寝でもしたのかとローは思っていた。だが、それは違った。
 一先ず様子を見てから帰ろうと、部屋の扉を開け、声をかけようとすれば、ベットの上で身体を震わせ、両耳を塞ぎ、目をきつく、きつく閉じて声も出さずに泣くメアリーの姿があった。

 「メアリー!!」

 驚き、手に持っていたものを全て落として、彼女に駆け寄る。
 それでも、ローに気がついていないのか、目を開けることすらしない。慌てて両肩を掴み、メアリー!メアリー!と、そう声を何度かかけて、やっとメアリーは目を開けた。

 「……、ろぉ、?」

 光を亡くした虚ろな瞳で、ただ自分を見つめる彼女は、今まで見たメアリーの姿からは想像できないもので、舌っ足らずに名を呼ぶ彼女は、それでも涙が止まらないのか、耳がどうにかなってしまったのか、塞ぐことを辞めなかった。

 「そうだよ!一体どうしたんだ?!何かあったのか!?」
 「ろぉ、ろー、こわいの、いろんなおとが、きこえて、こわいの」
 「音?」
 「いろんなものがみえて、めがいたくて、ろー、わたし、わたし、どうなっちゃうの?こわい、こわいよぉ!、」

 いやいやと頭をふって、怖い怖いと泣き続ける彼女に、ローは戸惑い、そして、手を伸ばした。
 ぎゅうっと、メアリーを抱き締めて、自分の心音を聞かせるように、片耳の手を外させて、自分の胸元に耳を当てさせる。そして、とん、とん、と大丈夫だ、大丈夫だから、と、彼女を励ます。

 「メアリー、後でお父様に相談しよう。ほら、俺の音を聞いてれば怖くないだろ?」
 「ろーの、おと?」
 「そう、心音だよ。ほら、こうしたら俺の手からも心音が聞こえるだろ」

 もう片方耳の手の隙間をから、自分の手を忍び込ませ、当ててやれば、落ち着いたのか、ローの音に耳を集中し始めたのか、だんだんと彼女の呼吸は落ち着いて、失っていた目の光も戻ってきた。擦り寄るメアリーは、きゅっと小さな手でローの服を恐る恐る掴み、ゆっくりと目を瞑る。
 遠慮がちなそれに、いつもの無遠慮さはどこに行ったのかと思いつつ、ローはそのままの体勢で、抱きしめあった。

 「うん、ローの音がする……とっても、とっても優しい音……」

 自分の大好きな音がする。そう呟くメアリーに微笑みつつ、そうか、と呟けば、小さく彼女は頷いた。そして、ゆっくりとローと目を合わせて、やっと彼女はへにゃりと笑う。

 「ありがとう、ロー。とっても怖かったけど、でもローのおかげで怖くなくなったよ」
 「そ、れなら、まあ、別にいいけど、メアリー、もしかして何度かこんなことがあったりしたのか?」

 言葉につまりつつ、問いかける。すると、不安そうな顔をして、頷き、また、音を聞くためか、彼の胸元に耳を預け、目を閉じる。
 とくん、とくん、と優しい大好きな音が聞こえて、ローの声が直接聞こえて、ああ、好きだなぁ、とメアリーは吐息をこぼす。
 そして、ずっと秘密にして、言えなかったことを、彼に話そうと思ったのだ。

 「ずっと、ローに会う前からなの。ローのお父様にもちゃんと検診してもらったけど、生まれ持った特性なんだって……だから、時々、町中の色んな音が聞こえて、話し声も聞こえて、目を瞑っても、物が見えたの。
 頭が本当に壊れちゃうんじゃないかって、いつも怖かった」
 「なんで、俺にそんな重要なこと黙ってたんだよ!!」
 「だって、こんなの知ったらローってば優しいから、心配して私に付きっきりなるでしょ!将来お医者様になるにはこれからいっぱい勉強もしないといけないのに……それに、ローにはこれから新しい家族も出来るし……」

 小さくなっていく声に耐えきれず、ローはメアリーの両肩をつかむ。驚き、目を見開いた彼女に自分と双眸をあわせ、涙の跡は残ったまま、目元は赤く、唇を震わせる彼女をキッと睨み、大きく口を開いた。

 「確かに、これから妹ができるし、勉強だって沢山する!!
 でも、それとこれとは話が別だ!!
 メアリー!!お前は俺の家族同然なんだ!!俺は、お前にそうやって、隠されてた方が……、悲しくて仕方ないっ!!」
 「ご、ごめんなさいっ!、で、でも、これ、どうしようもないんだよ?ローのお父様にも、慣れるしかないって……だから、こうやって……」

────────独り耐えてればいい。ずっと身体を小さく縮めて、怖がって、そうしていればいい。

 視線を下に落とす彼女がそう考えてるのがローには丸わかりで、いつもの強かで、騒がしいそれが、もはや空元気でそうしていたのだと、その時に理解し、ギリギリと歯を鳴らす。我慢ならなかった。彼女の苦しみに気がつけなかった自分も、それを隠していた彼女に対しても。
 この時初めて幼馴染に対して本気の怒りを抱き、守ってやらなければという気持ちが強くなる。
 けれど、自分の父にさえ治せないモノをどうすることも出来ないことは、幼いローにも理解出来ていた。
 何か、方法は無いのか……そう考えた時、ふと、先程のことを思い出す。

 「なら、これからこうやって怖い音とか聞こえた時は俺のところに来ればいいだろ」
 「え、?」
 「さっき言っただろ。心音を聞いて落ち着いたって、だから、メアリーが辛い時、俺が側に居てこの音を聞かせてやるよ。目の方はどうすればいいか分からないけど、そうすればメアリーだって怖くないし、安心できるだろ」
 「でも、迷惑なんじゃ……」
 「今更迷惑だとか、そんなの考えるなよ。俺とメアリーはいつも一緒だ。メアリーが辛い時そばに居れない方が後悔するよ。それに、メアリーは頭がいいし、一緒に勉強すればもっといい医者になれるじゃんか」
 「……いいのかな、私……ローのそばに居ても……本当にいいの?」
 「いいに決まってるだろ。メアリーは俺の大切な、その……言わなくてもわかるだろ!!……それに、妹が出来ても俺とメアリーの関係が変わるわけないしな」

 顔を赤くしながら、自信満々に言い放たれた言葉に、メアリーはまた涙を流した。ぐすぐすと鼻をすすって、小さくも、こくこくと頷き、ぎゅっとローの手を握った。

 「約束だ、メアリー。お前がソレで辛くなってる時、俺がずっと一緒にいてやる。だから絶対我慢なんかするんじゃないぞ」
 「うん、うんっ!!ありがとう、ロー、!」

 指切りげんまん。それをしてメアリーは飛びつくようにローに抱きついた。帽子が脱げて寝癖の着いた黒髪が晒され、ベッドに小さな子供が2人寝転ぶ。嬉しくてたまらなくて、メアリーは心からの笑みを浮かべ、声を上げる。それを聞き、ローも笑う。心から、彼女を救えたと思ったから、笑ったのだ。

 それが本当は彼女の中の一欠片の救いでしかないと知らずに、笑い声が夕闇の中、薄暗く夕陽の光が差し込む部屋で響く。

 既にこの時から始まっていた。いや、この時が始まりだったのかもしれない。
 メアリーという少女が、ただ一人、幼い身体で、何よりも大切な、自分を救おうとするローを助けるため、我武者羅に走り出し、絶望を突きつけられ、未来がないと知る瞬間までの時間が動き出したのは、心が壊れるまでのカウントダウンをくだす砂時計がひっくりかえったのは、間違いなくこの時だった。

 ☩☩☩

 腕の中で、血塗れの姿で幸せそうな微笑みを浮かべたメアリーを見て、ローは何も言えなかった。
 ヴェルゴの登場で番上はひっくり返ったのは確実だったが、自分がいつか殺そうと思っていたメアリーが居た事、そして、その彼女が心臓を持っていたことについては全くの予想外の出来事。
 牢の中で目を覚ました時、不思議でならなかった。怪我の治療は確実にメアリーがしたものだ。なのに、なぜ海楼石の錠をつけてると嘘をついたのか。なぜ、命懸けで自分の命を守るよりも、心臓を守ったのか。
 ローには何一つ理解できなかった。理解したくなかった。
 あの日、白い町フレバンスが滅亡した時、確かに死んだはずだ。自分のことを愛していた、大切にしてくれた幼馴染のメアリーは、もういないはずなのだ。
 なのに、この胸の内に溢れるものはなんだと言うのだ。
 満身創痍で、最後の抵抗とばかりにヴェルゴに血液の針を刺し、何よりも尊いものを見る目で、心臓を返した彼女は、

 ────────大切な命を離さないで

 そういったのだ。

 「ああ、これだからガキは嫌いなんだ」

 はっと、ローの意識が現実に戻る。腹部を負傷しながら、身体を武装色の覇気で黒くしたヴェルゴは、端が少し熔けた竹をふるい、苛立たしげに眉間に皺を寄せる。

 「こんな小娘、ドフィが言わなければ直ぐに殺していたものを」
 「……どういう事だ」
 「ドフィがそれを道具として使えると判断し、連れ帰るように言われた迄だ。まさか、ここまで強情にロー、“貴様なんぞの為に”その心臓を届けようとするとはな」

 嫌悪感を盛大にだし、睨みつける。その姿を見て、ローは本当に分からなくなる。メアリーがやりたいことがなんなのか、そして、どうして自分を助けようだなんてしているのか。
 疑問が残るまま、ローはシャンブルズと言い、メアリーを自分の背後にあった小石と位置を反転させる。
 何があろうと、疑問があろうと、それはあとのこと。まだ生きていればメアリー自身に尋問して聞き出せばいい。
 そう思い、ローは愛刀の鯉口を切り、ヴェルゴを睨みつける。
 シノクニが研究所内に満ちるまで数刻。SADという“歯車”を破壊するため、ローは覇気を身にまとった。

 メアリーが負傷させただろうヴェルゴを相手取り、ローは苦戦を強いられていた。“ルーム”を使う時、確実にローには隙ができてしまう。その瞬間を見逃すほどヴェルゴは甘い相手では無い。成功しようにも、気を一瞬でも緩めれば、ヴェルゴの覇気を纏った身体を切断することは難しい。
 そうしているうちに、白い煙が二人の間に乱入する。スモーカーが加勢しに来たのだ。
 落とし前をつけるためにも、利害の一致での共闘。本来ならば、スモーカーが心臓を取り戻す予定だったが、メアリーがしたことでその手間が省け、ヴェルゴを倒し、研究所の破壊、シーザーの誘拐という3つの目的が前提となる。
 最初、製造室に入った時スモーカーは倒れているメアリーに目を見開き驚いたが、それよりも疑問に思ったのは“メアリーを守るように”ローがヴェルゴと戦っている事だった。
 海軍としても因縁のある女、メアリーは到底ほうっておける人間では無い。
 二人がかりで闘って、もしもこの女が後からヴェルゴに加勢したらと考えたが、スモーカーの感がそれを否定した。あれほどまでにローの心臓に執着しているような姿を見たのだから、なにか都合のいい仲間割れが起きたと考えるのが妥当だ。
 それを何よりも決定づけるのは、研究所の外に出された後、直ぐに聞こえてきた激しい銃撃音。自分たちが捕まっていた部屋に戻れば壁には無数の穴と血痕、かすり傷のついたシーザーと、肩を負傷したらしい羽から血を滴らせたモネ。分厚い壁に貫通した跡が見られる穴が2つ。こんなことが出来るのは、島ではただ1人、“白い悪魔”だけだ。
 その銃撃戦のおかげでシーザーの指示も遅かったのだろう。予想していた戦闘兵は少なく、スムーズにここまで来ることが出来た。
 納得のいかないこともあるが、意識のないメアリーを意識しつつも、スモーカーはローと共に不本意ながらもヴェルゴとのケジメを付けるため、戦闘に身を投じた。

 スモーカーが加わり、ドフラミンゴのでんでん虫からの揺さぶりもありながら、ヴェルゴの負傷、消耗もありローは“歯車”を壊すことに成功する。
 バラバラにヴェルゴを解体し、手すりにくっつけ終えたローは、気を失ったままのメアリーを視る。
 スキャンをすれば、直ぐに頭蓋骨や身体中の骨に罅、他にも、身体中に打撲、消耗に伴う発熱が見られ、手早くそれを処理してやれば、負荷があまりかからないように片腕で横抱きにし、刀を持つ。

 『その女を連れていくつもりか?ロー』

 ローの足が止まる。睨みつけるようにでんでん虫を見れば、にいっと笑うそいつと目が合う。

 『メアリーはてめぇが壊したかったものの一つじゃなかったのか?
 あの時、ファミリーに来た時言ったじゃねぇか。壊したい奴がいるとなぁ』
 「テメェにはもう関係ねぇ……こいつをどうするのか、何もかもな」
 『フッフッフ、そりゃどうだろうなぁ?そいつは1度直接俺に会いきたことがある!ロー、お前を探して殺すためにだ!!』
 「!」
 『テメェのことを思うなら、今すぐに息の根を止めるこった!!
 これは俺の良心でお節介で言ってるんだ。何をしようにも、その女は危険すぎる!!何もかもが手遅れになってからじゃ遅い』
 「……コイツが手遅れなのも、危険なのも何もかも俺は理解してる。理解してねぇのはテメェの方だドフラミンゴ
 昔からこいつを止めるのは俺って決まってんだよ
 だから、こいつはここに居るんだ」
 『フッフッフッ!!ハッハッハッハッ!!!こりゃあ傑作じゃねぇか!!そうか、そうか!!そう来るならそれでいい!!どうなるのかとっても見ものじゃねぇか!!』

 楽しげなドフラミンゴの声を背に、ローは奥歯を噛み、歩き出す。この研究所から脱出するにはトロッコが必要だ。それを取りに行くためにも、急がなければならないし、シーザーが捕獲されたのか確認しなくてはならない。くだらないドフラミンゴの話を聞いている余裕もない。
 大きく足音を立て、ローは進む。腕の中の弱々しい鼓動を感じつつ、傷つき、弱った彼女に話を聞くために。

 ルフィ達と合流し、ハプニングがありながらもトロッコに乗り込み終わる。急ぎ、シーザーを捕獲するためにもローは心の中で焦りつつ、崩れかけている道を走るトロッコの中で、海楼石の錠で拘束し、自分のコートで包み込んだメアリーを抱え治す。

 「なんだトラ男。そいつ連れてきたのか?」
 「麦わら屋……」

 前方で大きな岩を砕いていたルフィが、眠る彼女を覗き込む。女性にしては幼さの残る寝顔に、真っ白な肌と白いまつ毛。見れば見るほどに、白の印象が強くでる彼女を見て、んー?と、ルフィが首を傾げた。

 「どうすんだ?トラ男の仲間とかなら別にいいけどよ」

 船に乗せるつもりなのか、そうでないのか。その問いかけに、ローは深く溜息をつき、答える。

 「こいつに話を聞いてから決める。昔から、ケジメをつけねぇといけねぇと思ってたからな」

 そうでなければ、自分たちの時間はあのフレバンスが滅亡した時から動き始めることは無い。そう思い、ローはもう片方の手で刀を握る。
 ルフィは納得したのか、どうなのか、そうかと一言言うと、落石を砕くためにその場を離れた。
 そうして暫くして、やっとナミのおこした風の助けもあり外に出ることに成功した。逃げようとするシーザーを連れたバッファロー、ベビー5を捕獲することもでき、第1関門を突破できた。そう確信した時だ。
 真っ黒な双眸と目が合う。虚ろで、ぼうっとしたその瞳は、身体に受けたダメージのせいもあるのか、視線が合わない。

 「目が覚めたのか」

 出てきた声は、思ったよりも優しい声色。抱きしめる力が強くなれば、メアリーの戸惑いの色が大きくなる。そして、絶望の色も濃くなっていく。
 そして、ドフラミンゴの言っていた殺しておいた方がいい。その本当の言葉の意味を、後に理解する。

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