8-3.5



〇〇〇



「いのすけ、おいで、」

そう、一ヶ月以上眠りに着いていた彼女が、やっと目ざめて、その暖かな手で触れられた瞬間、伊之助は、なぜだか、彼女と二人で修行をつけてもらっていた時のことを思い出していた。


❀✿❀✿



嘴平伊之助にとって、撃雅風という女は自分より小さいくせに強い人間のメスという印象だった。体も何もかも、小さくてやわっこいくせに、全くと言っていいほど歯が立たない。彼は何度もそのことに不貞腐れ、そして、鼓舞され、煽られる度に彼女に勝負しろと大声で吠えた。
そして、それと同時に、変な泡のようなものを出したり、はたまた、水の上に浮いたりなど、伊之助は今まで見たことのない不思議な現象を巻き起こす彼女に、幼い子供のように胸を高鳴らせた。


「ぼよぼよ女!!勝負しろ!勝負!!」
「はいはい、修行ね、」


常中の呼吸を会得するため、そして、自分を更なる高みに上げるため、伊之助は今日こそは一本入れてやる!と意気込み、また、この修行を耐え抜いてやると鼻息を荒くする。彼女は、毎回限界を超えるまで、けれど、体を壊さない程度の内容を課す。時たま死ぬんしゃないかということもされるが、自分が着実に強くなってきているという事は、彼にとっては一番重要なことであった。


そしてある日、鍛錬が終わり、伊之助が地に伏せているのを見ながら、彼女はぽつりと、まるで、伊之助は猪そのものみたいだね、と呟いた。何を言ってるんだこいつは、と思いつつ、伊之助は、俺は山の王だ!!!とぜえぜえと荒い呼吸を零しながら高らかに言った。
それにすこし、こてりと首を傾げた雅風は、うん、そうじゃなくて、何もかも突っ込んでいくところが、ていう意味なんだけど、と単調な声を落としながら、彼の頭のそばにしゃがみこみ、とん、と被り物越しに人差し指で小突いた。


「君は死ぬのは怖くないの?」
「あ?弱けりゃ死ぬだけだろ」


弱ければ死ぬ、食われ、唯の骨となる。強者だけが生き残りそれを糧として生きる。それが伊之助が過ごした世界の真理だった。だから、彼は唯、獣として強さを求める。
被り物の下で、彼は純粋な曇りのない目でその事を当たり前のように口に出す。
今のままでは、ただの人の皮を被った獣と大差のない理性なのだろう。猪突猛進といつも叫んでいる彼は、真っ直ぐに戦い抜き、その命の灯火を燃やし、いつか突然それを消してしまいかねない。


「伊之助、それは間違った考えではないよ。でもね、そのままじゃいつか限界がきちゃう」
「はあ゛?!なんでだよ!!」


声を荒らげ、がばっと起き上がった伊之助は、雅風に噛み付いた。彼女は、死ぬ意味や、生きる意味を理解しないといけないから、ただ強さを求めるだけだと限界が来てしまうよ、と苦言をこぼす。
訳が分からないと、なんで強さだけじゃダメなんだと怪訝そうに被り物の下で顔を盛大に歪めた。


「伊之助は、炭治郎や善逸くんのことどう思ってるの?」
「突然なんだよ」
「いいから、ほら、どうなの?」
「紋一郎はいちいちほわほわさせてきやがるのやめろって思うしあの頭突きにいつか勝つ。紋逸は弱味噌ですんげぇ弱っちい泣き味噌でうるせぇ!」
「二人のことは守りたい?」
「俺は親分だからな!子分の面倒はちゃんと見てやるんだ!!」


鼻息荒く、腕を振り回す伊之助に、うんうん、そうだね、と頷いた雅風は、それじゃあ、もし二人が死んでしまったら、あなたはどう思う?と尋ねた。
何を言ってるんだ、俺が面倒見るんだから死ぬわけないだろ、と思ったが、同時に、もし、彼らが死んでしまったら?と想像をして、ただ弱かっただけだと言えばいいだけなのに、何故だか、不思議とその言葉は喉をつっかえて出てこなかった。
今までにないもやっとした変な感覚が、胸の所に渦巻いて、伊之助は首をかしげながら、わかんねぇとただ一言。


「伊之助、それはね、心に炭治郎や善逸くんが暖かい足跡を残してくれているからだよ」
「んだよそれ」


むっすりとした声で、低く唸る。一体何が言いたいんだと。雅風はごめんね、伝わりにくくて、と眉を下げ、ええっと、つまりね、と困り顔で笑いながら、伊之助の心臓の上に手をおいた。


「生きるってことは、伊之助や炭治郎、善逸くんみたいに繋がって、お互いに思い合うこと。気持ちを仕草や、言葉で伝えて繋がっていくこと

死ぬって事は、唯骨になるだけじゃなくて、人の心に思いを、意思を、残すってことなの

それが“ここ”にどんな形であっても受け継がれて、そして、守りたいと死なせたくないと思うモノがあるから、人はまたさらに強くなれるの」


優しげなほほ笑みで、けれど、強い光を灯す双眸が伊之助をみる。
なんとか彼女の言葉を噛み砕くが、けれど、やっぱり伊之助はんんん?と首を大きく傾げた。退けられたての温もりが残る胸元に自分の掌を乗せるが、“ここ”に受け継がれるというのはどういうことなのだろうか?


「…………よくわかんねぇ……」
「ふふ、そっか、でも、きっと覚えていてね伊之助。それがわかった時、きっと君は…………ーーー」




❀✿❀✿


伊之助はただ、あの焼けた姿を見て嫌だと思った。そんなのクソ喰らえだと。
まだ俺はお前に一撃も入れてないんだ!もっと強くなりたいんだ!!こんなとこで死ぬんじゃねぇよ!!と心の底からそう思った。

そして、それが、心に残るという、彼女の言っていたことなのだと、死の淵から生還した暖かな手に触れてやっとわかった。瞼があつくなって、みっともなくとめどなく涙が溢れて止まらなくなる。産声の様な鳴き声を上げ、自分にとっての“初めての師匠”とも言える彼女の手を握る力を強くする。

そして、あの言葉の続きを思い出した。


【ーーーきみは、獣から人になる】


ーーーああ、そうだよ、あんたの言う通り、俺は人間だ


繋がって影響しあって、死なせたくないと守りたいと、強くなりたいと思う人間なんだと、そう、伊之助は心の底から理解した。




とっぷ