10-8


 心地よい人の体温と身体の揺れ、荒れた心の音がする─────獪岳の背中に背負われて善逸は目を覚ました。

 善逸の治療が完了した頃には、もうすぐ日が暮れるだろうという時間だった。
 これは早々に帰路についた方がいいかもしれない。そう判断し、獪岳に善逸を背負ってもらいながらゆっくりとした歩調で二人は歩いていた。

 そして、丁度半ばまで来た時、善逸がもぞりと呻き声を上げながら動き出したのだ。

 最初、自分がどういう状況か善逸は分かっていなかった。
 何せ、雅風に気絶させられてからのぼんやりとした音は聞いていたがそれだけで、服越しに伝わる体温は人のものだとわかるし、なにより、耳に入る音は自分の兄弟子のものだけど、どこか優し音が混ざっていて、微睡みから浮上したばかりの善逸は夢現に獪岳に回している腕を強する。

 夢ならば自分の兄に少し甘えてしまってもバチは当たりはしないだろう。

 そんな事を思って、また寝ようとした時、おい、と低い声がして、なんだよと、顔をしかめる善逸はまた呻き、二度目の呼び声に、やっと閉じていたまぶたをうっすらと開けた。
 そこには至近距離に獪岳の頭部が見え、は?と声を上げた瞬間、「やっと起きたか」と、低い不機嫌そうな声音で彼は善逸に言ったのだ。

「えっ!?あ、獪岳!?なんで俺背負われてんの!?ん!?てか傷なくなってる!?体痛くない!!」
「うっっるせぇな耳元で騒いでんな!!」

 至近距離で善逸の叫びを聞き、青筋を立てつつ、獪岳は怒鳴る。
 ぴっと肩を揺らした善逸はで、でも!獪岳が俺を背負うとか槍でも降るんじゃ……と続けてくるので、コイツ今すぐ川に放り投げてやろうかと、獪岳はギリギリと歯を鳴らしながら思う。
 そんなふたりを横で眺めていた雅風が、今にも獪岳が善逸の事を落としそうだな、と心の中で想像しながら、「善逸くん、怪我はどう?」と、問いかけた。

 声をかけられるまで彼女のことに気がついていなかった善逸は、目覚める前のことを思い出し、さっと血の気を引かせ、同時に一刻再起不能にならず逃げ切らなければ獪岳は雅風の継子になることが出来なくなる、という条件を思い出す。
 顔色を変えた善逸に、やっぱりやりすぎちゃったかな、とそう考えている彼女に向かって、善逸は、「俺、どのくらい眠ってましたか」と、震える声で尋ねた。
 そして……

「ごめん、あにき、おれ……あんなこと言って、全然兄貴のこと助けられなかった」

 そう、泣きそうになりながら自分を背負う前を向いて顔の見えない獪岳に向けて言う。
 彼の言葉に、様子に、雅風は目を瞬かせ、その事なんだけど、と鈴の音のような声でぽつりと呟く。

「勿論、普通なら不合格……あんな戦闘じゃ、話にならない」
「うぐっ」

 ばっさりと切った彼女に、善逸は呻き声を上げ、どんよりとした黒い影を落とす。
 あの戦闘では、確かに話にならないと、そう言われて仕方ないのかもしれない。
 直接突きつけられるのはきつい物があり、獪岳は悔しげに顔を顰め、唇を噛み、拳をぎりりと握りながら黙る。
 そんな彼等に、雅風は肩を落としながら、保留だよと、そう、一言いったのだ。
 は?と声を出しながら、足を止める獪岳に、固まり、何を言われたのかわかっていないらしい善逸に振り返りつつ、口元に笑みを浮かべながら、雅風はため息をつく。

「私は何も、一本とれと言ったけど、“必ず戦闘で”取れとはいってなかったからね」
「なんですかそれ」

 戦闘面のことは勿論だが、今回のことは彼らが本音を言い合い、そして獪岳が“受け入れ”て、そして“周りをちゃんと見るようになる事”が条件だった。
 受け入れるという行為は、それは言葉で言うのは簡単だが、とても勇気のいる事。
 善逸の本音を聞いても、彼は変わらない可能性は充分あったし、何より“桑島”から事前に獪岳について文で聞いていた雅風は、難しいだろうと、そう思っていたのだ。

 足を止めた獪岳をしたから見上げつつ、雅風は、だけど、と、トーンを落とし、強い口調をし、真剣な声で、彼に言い聞かせる。

「今回は、ギリギリの一本、それは時間が経てば消えてしまう可能性もあるし、消えずに変わっていける可能性もある」

 人の心はすぐにうつりかわる。だから、気持ちが、思いが長く続かない可能性もある。
 今受けいれてしまえば、また慢心し、求めるばかりになるかもしれない、歩み寄ることを恐れて拒んでしまうかもしれない。

「だから、君が、自分自身で“変われた”と思った時、継子になりたいと、まだ、その時思っていたら、死と向き合う覚悟をして、鴉を飛ばしなさい」

 それは雅風からの変わっていくための背中の後押し。

「君ならできると、そう、私は信じるよ」

 彼女は慈しみの笑みを浮かべて、そう、彼に言ったのだ。

 善逸は最初、彼女の言う言葉の意味がよくわからなくて、どういう事か聞こうとし、獪岳の音を聞いて動きをとめた。
 その理由は……獪岳からピタリと、零れ落ちていく様な、不満の音が止み、ずっと気にしていた、聞いてるだけでも辛い、自分ではどうすることも出来なかった音が消えていたからだ。

「期待に、必ず答えてみせます……だから、待っていてください」
「君は頑張り屋だから、無理はだめ」
「肝に銘じておきます」

 そう返事をする彼に、うん、と上機嫌に雅風は頷き、困惑し、固まったままの善逸の名前を呼ぶ。
 突然の名指しに肩を揺らし、返事をすれば、「獪岳の事、これからも助けてあげてね」と言われ、その言葉に目を瞬かせつつ、善逸は「そのつもりです」と間髪入れずに彼女に答える。
 獪岳は嫌がるだろうが、体が無意識に動いてしまうのだから仕方がないだろう。
 だって、彼は初めての「兄」で「じいちゃん」と一緒の「家族」なのだから。

 何気なく、自然にでた言葉に、善逸は少し置いてハッとする。
自分が限りなく、己を背負う獪岳の地雷を踏んでいることに気がついたから、兄と呼ばれることを嫌う彼の前でそう言って決まったから。
 すぐに怒鳴り声が飛んできて、腕を離され尻餅をつくだろうことを予想し、衝撃に備えようと身構えるが、不思議と、一向にその気配は無い。

 それどころか、雅風が可愛らしく笑い、それじゃあ行こうか、と声をかけると、小さく頷き、自分を背負ったまま歩いてくれる。

「あの、獪岳?」
「あんだよ」
「……怒らないの?兄貴っておれ呼んだんだけど……」
「………………」

 善逸の言葉に顔を顰める獪岳は、黙りを決め込む。
 おどおどと脅えた雰囲気をだす善逸は、少しだけ獪岳が怒っているような音を出している気がして、けれど、どこか、落ち着いた音を出しているのを心音越しに聞いて鼻にツンと来るものを感じた。
 何となしに、回している手に力を入れれば、自分の足を抱える力が強くなった気がして、自分の心音が喜びでうるさくなる。

 獪岳が、初めて兄貴と言った時に、そう呼ぶなと言わないでくれていること、そして、目が覚めても、自分を降ろさず、背負ってくれていること……その出来事に、善逸は視界を歪ませて、ひゃっくりをこぼす。

 その音を聞きながら、夕陽に顔を照らされながら、獪岳は善逸の方に振り返らず、足を動かす。
 ひゃっくりの音が大きくなった時、ぽそりと、何事かを掠れた声で呟けば、風に乗って消えていく。

────『悪かった』

 その言葉は、確かに彼に届いた事だろう。

 二人の様子を横目に見つつ、雅風は母親の様な笑みを浮かべ、そっと視線を蝶屋敷がもうすぐ見えるだろう場所に向け、ほっと、息を零した。


❀✿❀✿

 蝶屋敷につけば、玄関の前では仁王立ちのしのぶが待機していた。
 額に青筋をうかべた彼女は、獪岳に背負われる善逸と、雅風のことを見つけると「これは一体どういうことですか?」と、目の笑っていない笑みを浮かべる。
 そう、激おこタイムである。
 あまりの気迫に、怒気に、後退りしそうになりつつも、雅風はすっと素早く正座をし、真っ直ぐに挙手をしながら「無断で、組手をしてた……この子達は、私に付き合ってくれただけ」と般若を背負うしのぶに正直に話し出す。
 けれど、その言葉に獪岳はいや、自分がきたからなったのだろう、と、思い、口を開こうとすれば、それを察知したらしい雅風に目で制される。
 その様子を見つつ、しのぶは酷く呆れたような、頭が痛いというように、額を押えつつ雅風に近づく。

「貴方は……無断で抜け出した挙句に……組手をしていたと、今そう言いましたか??」
「言った」
「私、あなたにまだ安静にしろと、組手の許可一切出してませんでしたが?」
「身体が鈍るから、独断で大丈夫だろうと、思ってやった」
「善逸君ともう一人の彼の服が汚れているのは?」
「やりすぎた」
「アホですか貴方は!!!!」
「うぐっ」

 しのぶの拳が雅風の頭に振り下ろされ、ごちんといたい音が響いた。
 ふらりと身体を揺らしながら、雅風は呻き、頭を抑える。

「限度というものを考えろと、いつもあれほど言っているのに……ほんと、何奴も此奴もですよ……まったく……」

 そういう彼女は、雅風の襟首を掴み、引き摺るように蝶屋敷に入っていく。
 そんな彼女に、あの、と声をかけようとすれば、先に「善逸くんと貴方は風呂場に行ってきてください、汚れたままでは不衛生ですから」と釘を刺されてしまう。
 雅風はそんな彼等に小さく手を振りつつ、大人しく連れていかれる。そんな彼女をみつつ、獪岳は呆然とし、善逸はがくがくと震えながら、雅風の名前を呟くのだった。

 しのぶに引きずられ、連れてこられたのは、今現在、雅風の使っている個室の病室だった。
 しのぶは引き摺ってきた雅風をベッドの上に呼吸法を無駄に使いながら放り投げ、深い溜息を吐いた。

「貴方、ホントに限度を考えないと死にますよ」
「うん、ごめん」

 しのぶの言う言葉は最もだ。なぜなら……今にも雅風は死にそうなくらいに青白い顔をしていたから。
 まだ起きて間もない体を酷使しすぎたからだろう。
 なんとか顔色を誤魔化していたが、しのぶには見た瞬間にバレてしまっていたらしい。

「その分だと……ああ、ほら、背中の包帯真っ赤になりかけじゃないですか」
「えっと……」
「言い訳は聞きませんからね……とりあえず、あなたはまだちゃんと湯浴みが出来ませんから桶に湯をはってきます
まちがってもここから動くなんてこと、ないようにお願いしますよ」
「もう指一本動かない」
「それは結構、そうでなければ縄で縛り付けているところです」
「それは……勘弁……」

 青白い顔で、苦虫を噛み潰したような顔をする雅風に、なら無茶をするようなことは控えて下さいねと、強い口調でいわれ、むきゅっと雅風は口を引き結ぶ。
 その様子に、イラッとしたのだろう、しのぶはまた何か言おうとするが、きっとこの人は聞かないんだろうと思い、言葉を飲み込む。
 そして、深い溜息をはくと、雅風が連れていた、庇った二人については何も聞きませんから安心してください。と、呆れた声をこぼし、それに雅風はありがとう、と小さく声をこぼしたのだった。

「そう言うなら、あなたは自分の事をもっと大切にして欲しいものです」
「今、できることを、やっておきたかったから……」
「なんですかそれ……まあ、それについては後で聞きますね」

 そういったしのぶは、今度こそ雅風の身体を清潔にするため、桶を持ってこようとその部屋を去る。
 がらりととの閉じる音を聞いて、ほっとしたように雅風は息を吐き、ぼうっと天井を見上げた。
 なんですかそれ、と言った彼女の問に、雅風は自分しかいない室内で、ぽつりと言葉を落とす。



「私に残ってる時間は、残り少ないから

だから、やれることはやっておかないといけない」


 自分に言い聞かせるような言葉だった。
 彼女は、浅い呼吸を落ち着けるように目を瞑り、深呼吸をし、聞こえてくる心音に、耳を傾ける。
 この音を聞けるのは、後何回なのだろうかと、そんなことを思いながら。




とっぷ