ぼんやり親父とテレビを見ていたら、電話が鳴って仕方なく俺が出たら名前さんだった。
「もしもしー、拓海くんですかー?」
いつもと声の調子が違う気がする。
「そうですけど、もしかして飲んでます?」
「もー、飲みすぎちゃって動けない!拓海くん迎えに来てー」
「えっ、良いですけど…。今どこですか?」
「駅前の居酒屋さん!招き猫のおっきい看板のあるお店にいるの」
名前さんが飲みすぎるとかイメージなさすぎて、ぎょっとしたけど迎えに行くくらい問題ない。
「ちょっと車借りる」
「おう、女か?」
「ちげーよ、先輩」
先輩といえば先輩だけども。と思いながら、ハチロクに乗り込んで駅前の居酒屋を目指した。
居酒屋の前に着くと名前さんが数人の人たちと一緒にいるのが見えた。男の人が名前さんの腕を掴んでいるのが見えて、慌てて車から降りた。
「あの、名前さんの迎えに来たんですけど」
「あっ、拓海くんだー」
俺が声を掛けるとニコニコと名前さんが手を伸ばして来た。名前さんの手を取ると満足そうに手を握ってきた。
「ごめんねー!名字ちゃん今日沢山飲んじゃって、送ろうとしても人呼んだからいらないって言うし、どうしようも無くって」
名前さんよりも年上っぽい女の人が頭を下げる。
「先輩、私の弟拓海くん、最高に可愛いでしょ?」
自慢げにする名前さんは相当に出来上がっているらしい。繋いだ手にしっかりと指を絡められて、ちょっとドキドキする。
「はいはい、自慢の拓海くんとやらに会わせてくれてありがとねー。こんな酔っ払い家に送ったら放って帰っていいからね」
「はい、きちんと送り届けます」
名前さんに適当な相槌を打ちながらも、女の先輩は俺にも声を掛けてくれた。
「お先に失礼しまーす」
酔って上機嫌な名前さんは、会社の人たちに挨拶をして楽しそうにハチロクに乗り込んだ。
「拓海くーん、迎えに来てくれてありがとねー。すごく嬉しかったよ〜」
「名前さんどれだけ飲んだんですか?」
「乾杯のビールでしょー、そのあと柚酒のソーダ割りとー、梅酒ロックを数杯!」
梅酒ロックか…とため息が出そうになる。
「…楽しかったですか?」
「うん、やっぱ誰かと食べるご飯サイコーだね!お酒あると楽しいし!」
上機嫌な名前さんは可愛いけれど、これはちょっと考えものだなと思った。
名前さんのアパートの前に来ると部屋番号の書いた駐車スペースに車を停めて良いと言われたので、車を停めた。
「名前さん、着きましたよ。部屋まで行けますか?」
「部屋まで連れてって拓海くーん」
「…わがまま」
ボソリと言うと名前さんが真剣な目をしてきた。酔って潤んだ瞳がきらめいて見える。名前さんの両手に頬を包まれて、視線を外そうかと考えていると『知ってる!』と言われ頬をむにっと潰された。今、一瞬でもキスされるかと思った自分がなんだか悔しい。
名前さんの手を引いて部屋の前まで行くと、大人しく名前さんが鍵を開けた。
「それじゃ、おやすみなさ…」
「ダメ。寝るまで一緒にいて」
「えっ、流石にちょっと、それは…」
「だーめ!さ、入って!」
仕方なく名前さんの言う通りに玄関に入り靴を脱いだ。
「冷蔵庫に麦茶あるからー、お腹空いてたら作り置きのおかず適当に食べていいよー」
鞄をぽいっとソファーの横に投げて、上着を脱ぎながら名前さんが言う。酔っ払いの割りには普通のことを言ってるなぁ、と感心しながら冷蔵庫に目をやり、そして名前さんに目を戻せばスカートのホックを外すところで思わず顔ごと視線を逸らした。やっぱり酔っ払いだ。
「名前さん警戒心なさすぎ…」
「早着替えが得意すぎて!ほら!もう着替えた!」
パッと両手を広げて着替えれましたポーズを取る名前さんが子供っぽくて笑ってしまう。ダボっとした大きめサイズのTシャツに膝丈の半パンで寝るらしい。さっきまでの小綺麗な服装とは全く違う。
「名前さんせめて水分摂ってから寝てください。明日起きた時大変ですよ」
食器棚のグラスをとって麦茶を注いだ。
「うーーー、」
飲みたくなさそうにしてるけれど、グラスを手渡すとこくこくと喉を鳴らして麦茶を飲んだ。白い肌が滑らかに薄明かりの中にぼんやりと光って見える。空のグラスを流しに置くと、ベッドに潜った名前さんに手招きされた。
「…私が寝るまで、そばにいて」
ぽんぽんとベッドを叩かれて、隣に来いと呼ばれる。
「どうなっても知りませんよ?」
「手繋いで」
俺の言葉を無視して名前さんが俺の手を掴んで指を絡ませてきた。仕方なく添い寝する形になる。繋いだ俺の手を名前さんの方に引き寄せられて、名前さんの吐息が手の甲に当たる。これは、キツい…。むず痒いような感覚だ。
寝る体勢に入っただろうかと思って名前さんを見つめているとパチリと目が開いた。
「化粧落としてない!!」
突然がばっとベッドから飛び出し、テーブルの近くにあった棚から化粧を落とすシートを取り出して化粧を落としていく。どうやら化粧をしたまま寝るのは非常にいけないことらしい。
化粧水を手で塗り、乳液を塗り『これで寝れる…!』と言ったかと思うと俺をベッドの奥に追いやりベッドに入り直した。
「拓海くん、手!」
そのまま寝るのかと思いきや、やっぱり手を繋いで寝たいらしく名前さんの要求通りに手を出せば、指を絡めて繋がれた。
「また拓海くんとご飯食べたいなー」
「いつでも声掛けてください」
「一人でご飯食べるの嫌い…」
「一人暮らし選んだの名前さんじゃ無いんですか?」
「…拓海くん一緒に住む?」
「……………住まないです」
たっぷり10秒くらい考えて答えた。良いですよ、なんて言えるはずがない。自分の責任も何も取れない高校生だ。バイトしていても稼ぎなんてお小遣いの足しで、ほぼほぼは車を買うために頑張って貯めている。
「だよねー。その分私といっぱい遊んで…」
言葉の後半はもう眠りに誘われていて、だんだんと聴き取れなくなっていった。ぎゅっと繋がれていた手の力もふんわりと抜けていく。
規則正しい寝息が聞こえてきて、今度こそ眠ったのだと知る。寝ている顔なんて初めて見た。まつげが長くて、化粧をしていた時と比べると、可愛らしい印象だ。
しばらく名前さんの寝顔を眺めて、そろそろ帰ろうかと考えていたら名前さんが繋いでいた手をぎゅっと握って自分の方へと持っていった。そしてそのまま名前さんの柔らかい唇が俺の手の甲に当たった。こんな状況で手を外せる訳もなく、というかちょっと勿体ない気もして、大人しく寝ることにした。
豆腐の配達は多分無理だ。親父に怒られる覚悟も起きたらしよう、と思いながらまぶたを閉じた。
「た、拓海くーん。お豆腐の配達はー?」
控えめな名前さんの声が聞こえた気がする。今何時だ…?配達が間に合うなら行きたい。親父に怒られずに済むと思って寝返りをうった。
「…配達…行かなきゃ…」
「お家まで帰れる…?」
「うーーーん、名前さんは大丈夫?」
「だ、大丈夫デス。大変ご迷惑お掛けしました」
「顔洗わせて…もらってもいいですか?」
身体を起こせば、眉毛をハの字に下げた名前さんがいる。酔いは冷めたのだろうか。眠くて頭が働かない。ベッドから降りながら時計を確認させてもらう。3時過ぎ、すぐ出ればいつもより少し遅いけれど、配達は間に合うと思いながら顔を洗う。まだ全然頭は働いていないけれど、麦茶をもらい、おにぎりを渡され玄関でめちゃくちゃ名前さんに謝られた。
「本当にごめん!!お父さんも心配してるよね!?この埋め合わせは必ずするから!」
「埋め合わせなんていらないです」
「いや、これは本当酔っ払った私が悪いので埋め合わせさせて!」
「じゃ、またご飯一緒に食べましょう」
「えっ?」
「一人でご飯食べるの嫌いだって言ってましたよ」
「…っ!!」
一気に顔を赤くする名前さんに笑いそうになる。可愛い。今日は可愛い名前さんをたくさん見れた。
「それじゃ、おやすみなさい」
「…おやすみ。いってらっしゃい!」
「いってきます」
俺の一番好きな名前さんの『いってらっしゃい』をもらい部屋を出た。手には名前さんが早技で作ったおにぎりが2つ。気分は悪くない。
ハチロクに乗り込んでエンジンを掛ける。家まで飛ばせば、配達にはギリギリ間に合う。
「おーおー、朝帰りとは偉くなったもんだな」
家の前に着くと煙草をふかしながら親父が仁王立ちしていた。怒られるかもしれないと内心ビクつく。
「…間に合ったんだからいいだろ」
「間に合わなかったら、本気で怒るからな。配達が無理なら無理なりの理由を説明してくれなきゃな。ま、それで納得するかは別だが」
豆腐を積み込まれ、いつもの紙コップを渡される。気のせいか水が多い気がする。
「それに、車がなけりゃ配達もできんだろ。ほらさっさと行ってこい」
「うん、行ってくる」
助手席には名前さんからもらったおにぎりがある。
配達が終わったら食べよう。それだけで、いつもより気分良く配達を回れた。