未知の世界は美しかった

酷い夢から逃れるように目を開けると、目尻から何かが垂れて耳の中に入った。その不快感に手で拭う。
視界が霞んで分からなかったが、横になっていたのはベッドではなかったようで壁らしい硬いものに思い切り肘をぶつけた。

「い"っっった!」
「ミヤ!よかった」

今度は痛みで涙が出た。
横にいる弟の顔を見たら、すごく胸が痛くなって視線を合わせて屈んでいる弟に抱きついた。
内容は思い出せないけれど夢の感情に引っ張られている。胸に空いた隙間を埋めるように抱きしめる腕に力がこもった。
いつもと違う様子に戸惑いながらも背中に腕を回してくれた。その温もりに安堵する。怪我がなくてよかった。元気そうでよかった。

「あんな弱々しいミヤ初めて見たんだゾ」
「女を泣かせるなんてな」
「ええ、紳士的ではありませんね」
「うっ……」

弟の肩越しに声の方を見ると最近知り合った人が集まっていて、疑問しか湧かない。
混乱する私に弟が、アズールさんの暴走で魔法を奪われた事、オーバーブロットの事、みんな無事な事を教えてくれた。
自分のアイデンティティが奪われていく恐怖と焦燥を思い出し、手渡された杖をギュッと胸に抱えた。
自分の中から消えたものが戻っている実感はあったけれど、一度失ったという恐怖に私は震えた。

顔を上げてアズールさんを見ると、ばつが悪そうに眼鏡を押し上げている。
弟から離れて一歩彼に近づくと、何か言いかけていた彼の口が閉じられた。アズールさんの顔をしっかり見ると、視線がかち合う。

「私の魔法、欲しかったんですか」
「…そう、ですね。あまり見ない魔法を使用していたので」
「私の魔法は私のものです。誰にも渡しません」
「ええ、」
「どうしても私の魔法が欲しいのなら" 取引 "しましょう」

取引という言葉にたっぷり含みを持たせてニッコリ笑ってやった。言葉を詰まらせるアズールさんの様子に手の震えが止まった。
「これだから女を泣かせるもんじゃねぇんだ」とキングスカラーさんがため息をついている。
みんながクスクスと笑い出し、それに反論できずにぷるぷる震えているアズールさんに、したり顔で「相談お待ちしています」と追い討ちをかけた。

それから弟たちが持ってきた写真をみんなで見て、過去の自分を見られたアズールさんが項垂れた。
ジャックの提案で写真を元の場所に戻す事になっても、修正した写真に差し替えさせてと往生際の悪さも不思議と笑えてしまう。
オーバーブロットまで起こして、魔法を奪われかけたのに打ち解けたように会話している現状をおかしいと思うのに、楽しいと感じていた。
今までと変わらずにエース達と笑い合っていたけれど、気掛かりだったVIPルームでのことを聞いてみると全く気にしていなかった。ただ、私が変な誤解をしたことは気に入らないとの事で安心した。

弟達と別れて3日間お世話になった部屋を魔法で綺麗に整えて退室すると、アズールさんがいてビクッと肩が跳ねた。
後ろには双子もいて宿泊費の取り立てに来たと瞬時に理解した。契約書は無くなったけれど、料金は発生しているので払わなければならない。
それはそれ、これはこれである。
私は彼らが動く前に誠意を見せなければならないと、勢いよく頭を下げた。

「すみません!支払いは必ずします!3万マドルですよね!頑張ってお金かき集めて必ず払います!
保証が必要だっていうなら何だってします!だから今日は見逃してください!」
「なんでも?」
「あっ、えーと可能な範囲で…」
「では、支払いが完了するまで無償で働いてもらいましょうか。イソギンチャクもいなくなってしまいましたので」

眼鏡の奥の瞳がキラリと光るのを見て勢い余って言いすぎたと思ったし、白い歯を見せてニヤリと笑ったアズールさんに喉がひくついた。
しかし、無償で働く程度で済むなら全然問題なかったので快く承諾し三人に頭を下げると、駆け足でオクタヴィネル寮の出口に向かった。

後ろで三人が何か話している声が聞こえて、もう今日は関わりたくないと鏡舎を出てからオンボロ寮までノンストップで走った。
玄関に飛び込んできた私を見た弟がギョッとしたので、相当酷い顔をしていたんだと思う。
息も絶え絶えでなんとなく鉄の味がした。魔法で癒す体力も無くて、弟に担いでもらってベッドに倒れ込んだ。
弟が持ってきてくれた水を飲み、呼吸が整ってくると眠気がやってきた。私はそのまま眠りについた。

「私、泳げないので行きません」

次の週の日曜日の朝、目覚めてからベッドから出るのに憂鬱な気分だった。
何度か断ろうとしたのだけれど、話題に出す度に"楽しみだね"という話になってしまいズルズルと来てしまった。
寮で見送ろうとしたが"何を言ってるんだ"と容赦なく鏡の間まで連れてこられた。いざ魔法薬を飲むという時、私は空気を無視して言った。
デュースやジャックまで信じられないという顔で見てきたが、フロイドさん達の反応が怖かったのでもらった魔法薬を押し付けた。

「それなら、特別にオレ達が引っ張ってあげるよ。ねージェイド」
「そうですね、フロイド。滅多にない体験ができますよ」

にこにこしている二人を見て何を言っても無駄だと理解した。
しかし、仮は作りたくなかったので魔法薬はジェイドさんに返し水中でも息ができるように頭を泡で覆った。
これは新鮮な空気が吸える魔法で、臭い魔法薬を調合するときにも使える。物珍しそうに突かれるが、その程度では割れない。

気を取り直して「しゅっぱーつ」と元気なグリム達に続き、弟の腕にしがみついて闇の鏡を通った。
忽ち視界が明るくなり体の浮遊感が怖くて腕を掴む力が強くなる。なんなら腕じゃなくて体にしがみ付きたいくらい怖い。
けれど、そんな恐怖も一瞬で無くなるほどの美しい景色が広がっていた。
上を見上げれば太陽の光が揺らめいていて、名前は分からないけれど大小様々な魚が遊泳する光景はオクタヴィネル寮にはない自然の美しさがあった。