ジェイドと星空を眺めた日を境に、地上の動植物や自然現象などいろいろと調べた。今まで地上は恐ろしいものとして避けてきて馬鹿だったとセシリアは気付いた。
海中には存在しないものが無数にあって、地上への興味と期待が膨らんでいく。怖い気持ちも当然あるけれど、祖母から聞かされたことに気をつければ海上に出ても大丈夫じゃないかと思い直した。

五日に一度、ジェイドと一緒に星空を観に行くようになった。彼はセシリアの住んでいる場所の出来るだけ近くまで迎えにきてくれる。
アズールとフロイドは誘わないのかと言ったことがある。そしたらジェイドは少し怒ったような口調になったので「二人には秘密なんだよね」とセシリアは言い直した。
ジェイドは最初に誘った時の会話を思い出したようで「ええ、そうです。僕とセシリアだけの内緒の遊びです」と笑った。
星は少しずつ移動しているのが不思議でならなかった。前に読んだ本には星が動いているわけじゃなく自分たちの住んでいる所が動いているという記述があった。
セシリアは、私より動きが遅いんだなぁと思ったら、なんだか自分がすごく速く動く生き物のように思えて面白かった。

ジェイドと岩場に体を預け、体を寄せ合い星を繋いで本で見た星座になるか試したり、既存の星座よりリアルな形に線を繋いではセシリアは得意げに笑ったりして過ごした。
そして時には、月にウサギはいるのかと議論したり、ウサギがいないならどんな生物が住んでいるのかと真剣に話しては途中でおかしくなって二人して笑った。

ジェイドと会う前の日の夜、セシリアが巣で寝ようとしていたところ周囲がざわざわと騒がしいような感覚に胸が騒いだ。
今まで感じたことのない空気に、原因を確認しない方が恐ろしいと思って急いで騒つく方へ、上へ上へと泳いだ。
巣を抜けて暗く静かな夜の海に大きな影が落ちてきてるのが見えた。
何だろうかと探るように慎重に近づくと、それはパックリと二つに割れたヒレを持つ人間だった。
泳ぐのをやめて目の前の光景を静かに見つめた。胸のあたりがどくんどくんと、強く叩くのを感じた。

セシリアは人間の手を掴むと上へと懸命に泳いだ。人間は海中で呼吸できないし、このまま落ちていけばサメのおもちゃにされてしまうかもしれない。
そうなれば、自分の巣も住めないくらい汚れてしまうと思った。だけど、そんなのは言い訳で本当は人間に対する興味がセシリアを動かしたのだ。

なんとか海面まで浮上すると、人間の脇に腕を入れて砂浜まで運んだ。本で読んだ人命救助の方法を試す時が来た。
手順通りにやっていると、人間はゴホッと数回咳き込んだ。
それを確認したセシリアは海に逃げ込んで、近くの岩場の影からこっそり様子を伺った。

「・・・なんだ、また死に損ねたのか。結構苦しかったなあ。やっぱり、痛くも苦しくもない方法がいいなあ」

人間は起き上がる事もせず言葉を紡いだ。この人間は死ぬ気でいたらしい。海の中を騒がせておいて、傍迷惑な人だと思った。
死ぬなら他所でやってくれと、危うく自分の巣が住めなくなるところだったと少し憤りを感じた。
人間はそのまま仰向けに寝そべったまま動かなくなった。もしかして死んだのかと思った。けれど、人間も人魚と同様、性格による行動の違いがあるとセシリアは知っているので個性というやつかとじっと観察を続けた。

海の上にあった月が真上を通り過ぎ山の向こうに降り始めた頃、人間の体は再び半分ほど海水に浸かっていた。
このままでは、また流されてしまうと人間の近くまで死んだのかどうか確認しに行った。
人間はただ寝ているようだった。人間というのは、ここまで自分の生に頓着しないものなのかと呆れながら何となしに顔にかかる髪を払ってやった。

岩にこびりつく海藻のような髪の隙間から現れたのは整った顔立ちの男だった。
半分水に浸かった体、額や頬に張り付く黒髪、穏やかに眠る顔全てがまるで絵画のようであった。
セシリアは、見惚れながら緩慢な動作で髪を払った手を退けるとパシリと音を立てて手首を掴まれた。
セシリアの中の人間に対する恐怖が一気に吹き出した。祖母の話を疑った事はなかったけれど、それ以上に興味が湧いてしまった自分を呪いたくなった。
鈍い上に力の無いセシリアは仰向けに転がされ男が乗り上げた。
セシリアは人間が欲するという涙を流しながら、頭に浮かんだ人魚の名前を呼び続けた。

「いやあ!やめて!!ジェイドくん!!ジェイドくん助けてぇ!!」

喉が裂けるほどのセシリアの叫び声は、虚しくも暗い夜の海に溶けるばかりだった。

波にくだけて沈みゆく
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