セシリアの知識欲はすごい。けれど、最近はそれが陸の事についてのみ働いているようなのがジェイドは気掛かりだった。
星を見に行ってから陸に興味が出たのかとジェイドが問うた答えはyesで、ジェイドは複雑な気持ちになった。
彼女が星に興味を持ち調べることまでは予想していた。しかし、祖母から聞かされた恐ろしいと思っていたはずの物にまで興味を持ち調べるとは思っていなかった。
陸に興味を持ったセシリアが陸に行ってみたいなどと言う未来を考えて、ジェイドは腹の奥がぐるりぐるりと何かがとぐろを巻くような感覚を味わった。

このままではいけないと思いながらも二人で夜空を見に行くのはやめられなかった。隣で楽しそうに嬉しそうに顔を綻ばせるセシリアをジェイドは拒否できなかった。
陸に行きたいなどと言わせない為にはどうしたらいいか、と考えているジェイドの元に名門魔法士養成学校NRCから入学許可証が届いた。
人魚が陸に上がるのは今の世の中じゃ普通にある。まさか自分がセシリアに陸に行く話をする事になろうとは思っていなかった。
険しい顔をしているジェイドにフロイドは頭を捻った。

「そんなに嫌なら行かなければ?」
「いえ、入学するのは面白そうなので行きたいんです。ただ、」
「ふーん、じゃあ連れて行けばいいんじゃない?」

ペットとして。そう言ったフロイドは名案だとばかりにニヤリと笑う。ジェイドの目からは無いはずの鱗が落ちた。
このままだとセシリアはいずれ陸に行ってみたいと言うだろう。その欲を騙し騙し抑えつけたところで、いつかは爆発して飛び出してしまう。
それならば、少し制約をつけて共に陸に上がればいいのだ。やはり自分の片割れは最高の相棒だとジェイドはほくそ笑んだ。
明日はセシリアと星を見に行く予定だ。その時に相談として彼女に話そうと、何て言えば彼女の了承を得られるだろうかと考えを巡らせた。

人魚といえどウツボの人魚だからか、夜になっても目が冴えていて眠れない。そのせいか日中特に午前中は怠くて仕方がないのだが、今日は特に眠れそうになかった。
明日セシリアに相談として持ちかける話のことを考えると興奮してしまっているようだった。
少し散歩しようかとジェイドが外に出ると、なんだかいつもと空気感が違うのに気が付いた。それに伴って、胸が騒ぐ。
こういう時、何か面白いことが起きるかもしれないと警戒しながら散歩をする。しかし、今日のジェイドはそうしなかった。

周囲を窺っていると、暗闇の中を何かがふよふよと動いているのが見えた気がした。目を凝らして見ていると徐々に近づいて来ているように見える。
ジェイドは弾かれたように、それに向かってひゅんと泳ぎ出した。
あんな泳ぎ方をするのは一人しか知らない。どうしてこんな時間に一人で巣から出たのか、なぜ僕のところに来たのか、近づくに連れて香ってくる血の匂いは何なんだとジェイドの腹の中は荒れ狂っていた。

「セシリア!どうしたんです!!」
「ジェイド、くん・・・ジェイドくん!」
「話は中でしましょう」

自分に力一杯しがみ付くセシリアを連れて部屋に戻った。もう大丈夫だと伝えても離れようとしないセシリアはそのままに、傷の手当てをしていった。
綺麗な鱗が剥がれ血が海中に溶け出し、芳醇な血の匂いが部屋に充満している。
それは部屋から外へ流れ出し、異変に気付いたフロイドが何事かと顔を覗かせた。フロイドはセシリアの存在に驚くも、ジェイドの彼女を見る表情に気付くとすいっと部屋へ戻っていった。

ジェイドは、前にアズールから貰った傷を治す魔法薬を塗っていくが、傷口は直ぐに閉じたが鱗は元に戻らなかった。
治療を終えたジェイドは未だに力強く抱きしめてくるセシリアの滑らかな髪をふわりふわりと、落ち着かせるように撫でていた。
ふっと小さな吐息を吐いたセシリアが顔を上げると、その表情にジェイドは息を飲んだ。

「人間に会ってしまったの」

ジェイドは湧き立つ怒りと焦燥をぐっと押し止めて、静かに、どうしてそんな事になったのか理由を聞いた。
その内容は本当に呆れるものだった。自ら望んで沈んできた人間など放っておけばいいものをあんなに恐怖していたはずの人間を救い、結果、怪我をさせられるなんてと、ジェイドはセシリアの浅慮と愚行に腹が立った。
だが、それ以上に憎いのは人間の男だ。煮え繰り返ったはらわたが吹きこぼれるのを抑えつけ、冷静に穏やかにセシリアに話しかける。

「怖い思いをしましたね」
「うん、とってもとっても恐ろしかった」
「逃げられて本当に良かった」
「・・・それがね、その人おかしいの」
「人間は僕たちからすれば、おかしな生き物です」
「うん・・・人魚と人間の違いはよく分かってる。そうじゃなくて・・・彼、わたしを見ても何もしなかったの。ただ、じっと見つめるだけ見つめて、一言、キレイだって言ったの」

セシリアの震える声の正体には、最初に顔を上げた彼女の表情から察しが付いていた。
そんな自分の勘など外れていて欲しいと思っていたが、やっぱりそうかと確信した瞬間、ジェイドの胸をすうっと凍てつく氷が通った気がした。

「抵抗を止めたら掴まれた手は離してくれたし、私の上からも退いてくれたの。
それに、この鱗はわたしが暴れたせいで取れただけで彼は何もしていないの。おかしいよね。祖母から聞いていた人間像と全然違うの」

彼女は気付いてしまった。今の世の中、人魚を害そうとするものは極少数の無法者のみ。人魚にも国があり、領土があり、人権がある。
しかし、祖母の固定概念がセシリアにその知識をきちんと理解させるには至っていなかった。
それが今、彼女は気付いてしまった。なぜ、このタイミングなのかとジェイドは暴れたい気持ちでいっぱいだった。

「それに、夜にしか会えないなんて御伽噺みたいで素敵だって言うの。
わたし、人間がとても怖かったはずなのに、今でももちろん怖いよ。ただ、なんだろう。また、彼に会いたいと思ってしまって・・・はぁ、とっても、胸が苦しくて変なの」

セシリアはその人間の男に恋をしてしまった。ジェイドは、セシリアの昂揚した表情を見た瞬間から気付いていた。
しかし、自分の中から湧き立つ激情を押さえつけるのに必死だった。抑えなければ、所構わず暴れていただろう。
セシリアの感情を吐き出す壁になっていたジェイドが、ゆっくりと口を開いた。

「ああ、なんて事でしょう。このままだとセシリアは死んでしまいますね・・・。ふふ、でも大丈夫です。僕が助けてあげますから」

浮いた感情が一気に沈んだセシリアを怯えさせないよう優しく優しく囁き、震える肩を壊れ物を扱うようにそっと抱き寄せる。
セシリアは突然訪れた死というものから逃れたい一心で彼の背に腕を回した。
ジェイドはセシリアから見えないのをいいことにほくそ笑んだ。

むしろ、大変都合がいい事かもしれない。ジェイドはセシリアの恋心くるしみを利用することにした。

慈しむ、愛しみ、いつ苦しむ
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