09

 ユウくん達は週末に海に行くらしい。海水浴の時期はとっくに過ぎているから釣りにでも行くのかなと思ったら、珊瑚の海というのは国名で海の中にあるというのだから魔法の国はすごいなと思った。もし空に浮かぶ島もあったら完全にファンタジーの世界だなと、私の住む世界じゃないなと思う。
 一緒に行くかと誘われたけれど、その日は用事があって断らせてもらった。用事とは何かとジェイドさんに聞かれたから、トレイさんと一緒にお菓子作りをする事を話した。それを横で聞いてたフロイドさんが「ウミガメくんが作ったやつは食べたいかも〜」と言い出し、ジェイドさんが「では僕はナマエさんが作ったお菓子をいただきます」と、確定事項のように楽しみにしてるなんて言い残して去っていくから何も言い返せなかった。

「それじゃあ沢山作るしかないな」
「手間かけさせてごめんなさい」
「何言ってるんだ。ナマエも一緒に作るんだろ。慣れないと大変かもしれないが頑張ろうな」

 ハーツラビュルのキッチンで二人に作って渡さなきゃいけなくなったと話すと、怒るわけでもなく仕方ないなと苦笑していた。二人に秘密にしていれば、一口サイズのトリュフチョコは私とトレイさんだけの物だったのに残念でならない。
 材料は全部トレイさんが用意してくれたので、私はお返しにトレイさんの手伝いをすることにした。お料理の経験は少ししか無いけど「言われれば何でもやるので指示してください」と言ったら、笑いながら「言葉に甘えてしっかり働いてもらうぞ」と言われた。
 寮長であるリドルさんのためのタルト作りを手伝っている時も、働いてもらうという言葉通り手が塞がってるトレイさんの指示で右往左往した。焼き上がったタルト生地の甘くも香ばしい香りに口の中が溶けそうになる。でも、手が止まっているとトレイさんに指摘されるからうかうかしていられない。

 トリュフチョコは私でも作れるようなシンプルな作り方だったけど、トレイさんは見栄えにもこだわっていて、ココアパウダーを振るだけでなくテンパリングしたチョコでコーティングしたり、コルネっていうのでデコレーションしてて感心してしまった。
 途中から見る専になっていたところを注意されて、コルネでホワイトチョコを絞ってデコレーションしてみた。手が震えてるぞと言われながらもジグザグにやってみたり、ぐるぐる渦巻きを書いてみた。なんだか楽しくなって来て、ハートとか星とかも書いた。

「ずいぶん沢山書いたんだな」
「はい!ネコとかウサギも書いたんですけど、見えますか?」
「ああ、ちゃんと分かるよ。けど…ジェイドに渡すっての忘れてないか?」

 完全に忘れていて、どれがマシだろうかと吟味する作業が始まった。トレイさんと一緒に大量に作ってしまったチョコは、お菓子箱には入り切らずプレゼント用の箱に綺麗に並べた。ジェイドさん用とフロイドさん用、ユウくんとグリム用にも少し包んだ。
 そして、最後の一箱はトレイさん用だ。包んでいる途中で誰にやるのか聞かれて秘密ですって言った時、少しだけトレイさんの表情が固まった気がした。気を悪くさせちゃったみたいだけど、今日の最後に渡したかったから話すわけにはいかなかった。
 なんかちょっと空気が重い気がしつつも、トレイさんの横で洗い終わった調理器具を拭いている。ちらっと見たトレイさんは無表情で、何考えてるのか分からなくて困る。

「ナマエはお菓子作り楽しかったか?」
「ッはい。とっても楽しかったです。さっきまでチョコレートの幸せな香りが満ちてて、気分が蕩けそうなくらい素敵な時間でした」
「ははっ、そこまで言われるとは思ってなかったよ」

 空気が重く感じていたのは私の気のせいだったみたいで安心する。全て洗い終わって調理器具を片付けていると、皿に乗せられたチョコを見つけた。ラッピングしなくていいのかなと見ていると影がさして、背後から伸びてきた腕がチョコの乗った皿を手前に引き寄せた。ああ、トレイさんが自分で食べる用だったんだと思って振り返ろうとすると、手にしてたボウルが奪われ調理台の向こうに置かれてしまった。
 トレイさんが背後から調理台に手を付いていて、触れてもいない背中から身体中に熱が伝わっていく感覚に痺れてくみたいで身動きできない。耳で感じた息の熱さにトレイさんがチョコを掴んだのだと気付いた。唇に押し付けられ「味見してくれ」という一言に従えば、舌の熱でとろりと溶け出し口内を覆いつくす。「美味いか」と言われても意識が他所に行ってしまって、チョコ味という事しかわからない。

「なあ、ナマエは俺のこと"親切な人"程度にしか思ってないだろ」
「そんなこと…でもトレイさんは親切です」
「俺も最初は妹にしてやるみたいな気でいたよ。でもお前は妹じゃない」

 チョコを摘んでいた指が私の顎に触れ、唇が押し付けられる。上を向かされ体を捩るように後ろを向くも中途半端な体勢は大変で、トレイさんに体半分を預けるようになってしまった。そんな私を気にすることなくトレイさんの舌が私の咥内に割り入ってくる。
 息をする度に鼻を抜けるカカオの香りに、口に残るチョコが食べられている気がしてぞくぞくしたものが這い上がってくる。唇を離したトレイさんが「半分こしような」ともう一つのチョコを持ってくる。ぱくんと食べた私を見て口角を上げたトレイさんが「いいこだ」と、再び口付けた。
 私とトレイさんの熱で蕩けるチョコは、とても甘美で蠱惑的な味がする。くちゅくちゃと音を立てながら食べる品のない事が、だんだん気にならなくなってくる。それどころか、チョコを食べるときにいつも感じる幸福感でいっぱいになった。

「無くなったな」
「ぁ……」

 私の口から出て行った舌が口の端に着いたチョコを舐め「いい味だ」と、とっても意地悪気に笑っているトレイさんをまともに見れない。心臓がバクバクしてて体も熱くて顔も熱い。
 頬に触れたトレイさんの指先から電気でも流れたんじゃないかと思うような痺れに、足から力が抜けた。よろける私をトレイさんに軽々と支えられて、その腕から伝わる熱や私のとは異なる腕の硬さに胸のドキドキがおさまる気がしない。
 トレイさんの腕の中で制服を掴みながら体の熱が冷めるのを待つ。離れない限り熱は冷めないんじゃないかって思いながらも、また力が抜けてしまいそうで離れられなかった。

「物足りないなら、また作ろうな」

 ふわっとしたチョコの香りに顔を上げると、いつものトレイさんに戻ったような顔で口付けされた。幸せな香りに包まれて気分まで蕩けそうになる。この調子じゃチョコを渡す時に変な誤解を受けそうだなとトレイさんの胸に頭を預けながら思った。
 今日のお礼ですと言ってチョコを渡すとトレイさんは酷く動揺した様子で、やっぱり赤面は止められなかったかと「本当にただのお礼なので他意はないです」と若干早口になりながら言えば、苦笑しながらも受け取ってくれた。

 鏡舎への出口でトレイさんに「またな」と言われて、お菓子作りのことのはずなのにキスのことを考えてしまって恥ずかしい気持ちになる。鏡を抜け、ほうっと息を吐く。トレイさんがどうしてあんな事をしてきたのか考えていたら、同じく鏡を抜けてきたユウくん達に会った。
 モストロ・ラウンジというのはオクタヴィネルの寮内で運営しているカフェらしい。そこでお腹いっぱいご馳走になって来たようだった。だというのに、グリムは私が手にしてるチョコレートを目敏く(この場合は鼻敏いかもしれない)見つけてしまった。
 こんなところで会ってしまうなら、エースくん達の分も用意すればよかったと後悔した。グリムの分はないよなんて意地悪な嘘を言う必要もなく、もしかしたら彼らと少し仲良くなるきっかけにもなったかもしれない。
 ごめんねと言ってその場を去ることしか思いつかなくて、一気に嫌な気分になってしまった。もっと機転を利かせて何か言えたらよかったのになと、暗い気持ちのまま夜を明かした。