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正直、乗り気ではなかったものの少しは浮かれていた。
待ち合わせ場所である駅に15分も前に着いてしまったことがまずその気持ちの1つだろう。
梓以外とのお出かけなんて、家族を含めずに言えば何年ぶりなのか分からない。
むしろ梓と出会ってからは梓としか二人で出かけてない気がする。
意外にも自分は単純だった。
誰か別の人と出かけることがあれば、それはまた何か新しい発見があるのかもしれない。
無邪気にも見えるそんな気持ちは、仕事柄もあるのかもしれない。
「夢さん。」
「え、あ、こんにちわ、安室さん。」
駅でスマホを弄っていれば、聞き覚えのある声がした。
「そこで待ってたら、予想以上に早く夢さんの姿が見えたので驚きました。」
「すいません、お待たせしてしまって…」
「いえ、夢さんのことだから、きっと話していた時間よりも早くいらっしゃると思って。」
「…え、結構お待たせしてしまいましたか?」
「むしろ来たばかりなので焦りました。女性を待たせるわけにはいかないので。」
歯の浮くようなセリフにあまり耐性のない私は、ついつい顔が熱くなってしまう。
「それじゃあ行きましょうか、」なんて声につられて歩き出すことができたのは、彼が空気を読んでくれたのだと思う。
「あ、夢さん、こっちです。」
電車で向かうと思っている私は、駅の改札方面に走り出したのだが、どうもそれは違ったようだった。
反対方向に歩き出していた彼に、呼び止められる。
「あれ、電車じゃないんですか?」
「電車もいいんですけどね、今日は夢さんに愛車を見てもらいたくて。」
暗に、車で来たからという台詞をこんな風な変換できる人間が、現代にもいるものなのかと感心してしまった。
彼について行くと、彼がポケットから鍵らしきもののスイッチを入れた。
すると白い車のライトがチカチカと合図のように点灯した。
彼は、その車の助手席の扉をあけて、私に「どうぞ」なんて手招きをしてくれる。
「ありがとうございます。」
「いえ。」
その佇まいはあながち王子様か何かなのかと思えるほど紳士的で、私は赤くなった顔を隠すように、お礼を言って車に乗り込んだ。
私が乗ったのを確認すると、彼は優しく扉を閉めた後、反対側の座席の扉を開けて乗り込む。
「素敵なお車ですね。」
「えぇ、好きなんですよ。」
わかりやすく端的に告げられたその言葉に、少し笑みがこぼれる。
ただ一言だけなのに、語られるその好意の中身がたくさん詰まっていて、なぜか安心した。
「それじゃあ、行きましょう。」
私がキッチリとシートベルトを締めたことを確認した彼が、車を発進させた。
音を立てて走るこの車は、スポーツカーと言われる物なのだろう。
免許も持ってない私からして見たら違いもあまり分からないのだが、かっこいいなとは思う。
「いつもお車でお出かけされてるんですか?」
「そうですね、車で移動することは多いです。夢さんは?」
「私は…担当さんがお車で迎えに来てくださるので、乗せて頂く機会は多いですね。助手席によく乗って、こうして景色を眺めるのは好きです。」
「へぇ、いつも助手席に?」
「はい。」
「それは少し妬けますね。」
「へ?」
「この車のように、後部座席が狭すぎて女性を乗せるには気が向かないような車でないのなら別ですが…夢さんのような素敵な女性が、他の男性の車に今みたいに無警戒に乗ってしまうんだなと考えると妬けてしまいます。」
この人はどうしてこうも心臓に悪い人なんだろうか。
言われてほんのり顔が熱を持つ。
車を運転しながら言ってのけるその横顔を見ていたはずなのに、私は今、自分の膝を眺めている。
そして、とあることを思い出すとそれは一変、段々と笑いがこみ上げてきた。
いたずらっ子のような、小さな意地悪が散らばったその言葉に、クスクスと笑いが溢れてしまう。
「どうかされましたか?」
「ご心配頂いて、ありがたい限りなのですが、ご安心ください。」
「え?」
「担当編集は、私よりも年上の27歳で、2人のお子さんを育ててらっしゃるママさんです。」
迫力美人と言わざるを得ない自分の担当編集は、私の歳の頃にはもう結婚をされており、子育てと仕事を両立させた女性なのだ。
男性だったら、そうなのか、とおどおどしてしまいそうな話なのだが、そういうわけでもない。
私が笑っていたのに気づいて、彼も小さく笑いだした。
「それは、してやられましたね。」
「でも、ご忠告はありがたくお受けしますね。」
「それは良かった。」
程よくお話に花を咲かせながら、車を走らせて数十分。
目的の映画館ホールの近くの駐車場に車が止まった。
私は、シートベルトを外して、鞄を手に持ち、車を降りようと扉を開ける。
コンクリートに足をつけて、ビル街の隙間風が吹くその場所に思わず身震いした。
「肌寒いと思うので、こちらをどうぞ。」
それはストールのようなもので、肌寒さを少しだけ緩和してくれるものだった。
彼は、それを私の肩に掛けてくれたのだが、その際に彼の香りが風に乗って溢れた。
「…ありがとうございます。」
「いえ、女性は体を冷やしてはいけませんから。」
「…あの、安室さん、今日香水つけてらっしゃいますか?」
「…えぇ、少しだけですが。」
たずねると、一瞬驚いた顔を見せるも、すぐに柔らかく笑って見せた。
彼らしくもない、冷たい中に少しの甘さが残るような香りに、違和感を覚えたが、彼のその笑顔を見て、考えを消した。
あぁ、またか、なんて思いながら、そのぐるりと引かれた一線を捲らないように、私は引き返した。
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