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「もう本当、もうすみません。」

「…仕方ないですよ。あの状況では断りづらいでしょうし。」

「うぅ…」

「気分は?」

「少なくともいいとは言い難いです…。」

「水を飲んで下さい。」


差し出されたコップを頂戴して、そのまま中身を飲み干す。
ホテルのトイレに突っ伏してる姿は、あまり異性に見られたくはないものだ。


「お酒を飲むといつもこうなんですか?」

「吐きそう、吐きたい、と思っても出ないんです。」

「それは苦しいでしょう。」

「すみません。部屋まで用意してもらって。」

「元々、ああいったパーティはホテルの宿泊もついているものなので、気にしないでください。」

「ありがとうございます。」


私のそばから、そう離れていないところで声が聞こえる。
たぶん、扉を開けたままのトイレのすぐ横で座って様子を見ていてくれているのだろう。
ありがたいのか、そうでないのか、このままトイレに突っ伏していても出ることはなさそうなので、顔を上げてそちらを振り向く。
彼は、カッチリと決め込んでいたスーツのネクタイをゆるめ、ワイシャツのボタンをいくつか開き、ジャケットを床に置いて座っていた。


「大丈夫ですか?」

「出ることはなさそうなので…。」

「じゃあ、ベッドで横にでもなってください。」

「そうします。」


立ち上がることもなく、そのまま這い蹲って体をトイレから出すと、その床に置かれたジャケットが気になった。
あぁ、こんなに高そうな仕立てのいいジャケットにしわがついてしまう。
私はおもむろにそのジャケットを手に取り、ゆっくりと立ち上がる。
それを、ドア前のクローゼットにかけようと足を進めようとすると、その腕で柔く制止させられた。


「そんなことは気にしなくていいです。」


彼はそういって、私の肩を抱いてベッドに誘導する。
私の手に持っていたジャケットも抜き、ベッドの淵に腰掛けさせた。


「しわが。」

「後で自分でやりますから。」

「そうですか…。」

「言葉ははっきりしていたのでなんとも思っていませんでしたが、少し酔っているようですね。」

「結構。」

「なるほど、それは目測を誤りました。」

「すいません、ご迷惑おかけして。」

「そう思うのであれば寝てください。」

「そうします。」


言われたとおりにベッドで横になる。
いつもよりも広いそれはダブルかそれ以上か、なんだか唐突に人恋しくなった。


「…安室さん。」

「はい。」

「聞いてもいいでしょうか?」

「どうぞ。」

「答えてくださいますか?」

「物によります。」

「…私は、お役に立てているでしょうか?」


彼のほうを見れば、私をベッドに運んだまま、そのそばにあるソファに腰掛けて私のことを眺めていた。
その顔には、少しの驚きが見える。


「…えぇ。少なくとも、体を張って捜査協力してくださる貴方を、こうして介抱しなければと思う程度には。」

「…忙しい安室さんからしてみれば、それはとてもありがたいことですね。」

「どうでしょう。」

「…私、安室さんとの言葉遊び、好きですよ。」

「奇遇ですね、僕もです。」

「よかった。」

「辛くないですか?」

「何がですか?」

「一般人である貴方が、こんな何度も捜査協力をさせられて。」

「…辛くないですよ。怖いと思ったことはあるけれど。」


ふと、先日会った美女のことを思い出す。
彼女に会った時の、口には出せない悪寒は、きっと恐怖だったのだろう。
未知に足を踏み入れた故に溢れたその感情が、怖くないと言ったら嘘になる。


「でも、安室さんが悪い人じゃないと、私は思ってますから。」

「悪い人…?」

「…たとえば、クリス・ヴィンヤードさんのような、悪意を隠さずにいられる方と、本を貸し借りする関係だったとしても、私は、そのバーボンと言う方は存じませんし、私が知るのは、安室さんか、降谷さんか…私は私の知っている貴方を、疑うことはないです。」

「…気にはなっていたんですね。」

「もちろん。でも、知らなくていいことは知らなくていいんです。私に必要なことであれば、いずれ私が聞かなくても耳に入れることになるでしょうから。知らないというのは、必要がないからわからないものなんだと思っています。」


聞かなくていいこと、知らなくていいこと。
それを無理に知ってしまって、なにか自分の信じるものが壊れてしまうのはあまり好きではない。
知らなくてはならないと思ったときに知ろうと、そして、それは今じゃない。
うとうとと、落ちかけたまぶたに、抵抗する気はなかったが、すぐそばのソファから布が擦れる音がして、ふと目を開ける。
その音は徐々に近づいて、ベッドの淵に腰掛けた。
私が、すぐそばに来たその金色の髪の毛を、ボウっと眺めているとその人の腕が私に近づいてきた。
頬を撫でながら彼は言う。


「本当なら、全て、知らないままのほうがよかったのかもしれません。」


その心地よさにうとうととしていたまぶたは、ゆっくりそのまま落ちていった。



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