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「呪いが解けたー!」
天からの雨の恵みと言わんばかりにバスタブが落ちてきた時、サンジは神の存在を確信した。
あの女男――名前も知らない奴から受け取ったボトル。掴みづらくて手から滑り、水を足にかけてしまった時は落胆したが、すぐにそれは驚きと歓喜に変わった。
身体を元に戻す要は、水だったのだ。
それを知っていれば負けなかったものをと舌打ちもしたくなるが、今はそんなことは言ってられない。
「ンナミすわぁぁあん! ロビンちゅわあああん! おれが助けに行くからねー!」
周りからずっと聞こえていた騒音に、何も出来ない悔しさが募っていたのだ。早くひと暴れしようと階段を駆け上がる途中、ふと下で横たわる人影を見つけた。
「あいつは……!」
目を丸くし、急いで飛び降り駆け寄った。息を確認して、ほっとする。気を失ってはいるが、死んではいない。ただ打撲と頭部からの出血が酷く、サンジは今度こそ舌打ちをした。
「このクソ忙しいって時に……」
だが、助けられた恩がある。仕方なくポケットに突っ込んだ包帯を取り出すと、どうしてか少しだけ緊張して、被っていたキャスケットを外した。
その下から覗く、目を閉じた顔――
サンジは瞬き一つせず、無言でそれを見つめる。それから応急処置で包帯を巻くと、ふぅ、とタバコを吹かした。ここに彼を放置しておいたら、CP9にやられる可能性が高いのは明白だ。
煙を吐く。辿り着いた結論に我ながらどうして野郎なんかをと嘆きたくもなったが、仕方ない。サンジはアオイを肩に担ぐと、そのまま走り出した。イヤに軽いその男に、また一つ舌打ちをしながら。
*
目映い光に照らされ、瞼の裏が赤く染まる。徐々に鮮明に聞こえてくる大砲の音、人々の罵声。
(――なんだ?)
うっすらと、目を開けた。逆光、眩しい光――
「あ、起きたー!」
耳元で叫ぶ子供の声にびくりとする。アオイは何事かと辺りを見回し、そこに見た二人の女に硬直した。
「ニ、ニコ・ロビンと、麦わらの……!」
「ようやく起きたのね。あんた感謝しなさいよ、うちのクルーに」
何のことだと顔をしかめれば、ナミと呼ばれていたオレンジ頭の女は、呆れたように腰に手を当てた。
「やっぱり覚えてないのね。あんた、サンジ君に抱えられて私たちと合流したのよ」
「サンジ、だと……?」
「そう。彼に助けてもらってなければ、あんた今頃バスターコールの餌食よ」
状況がさっぱり読めない。バスターコールというものもよく分からなければ、なぜあのぐる眉に助けられたかも分からない。そうして今、自分がどこにいるのかさえ――
全てが顔に出ていたのか、ニコ・ロビンに「ここはためらいの橋の近く。乗っているのは護送船よ」と説明され、アオイは首を傾げた。
「護送船? 一体誰のだ?」
「…………」
「……まぁ、いいか。とにかく助かったんだな、俺は」
起き上がり、頭を動かす。微かに頭部に痛みが走り額に手を伸ばすと、違和感に気が付いた。
「っおい、俺の帽子は――!」
「……これだろ」
ぽすっと投げ寄越された先をゆっくりと見上げる。アオイが半ば呆然と見つめる中、彼はタバコをふーっと吹かすと、ニヤリと笑った。
「かっこつけてたくせに、テメェで巻いてたら世話ねェな、その包帯」
「……うるせぇよ」
今更自分の頭部に巻かれたそれに気付き、また巻いてくれたのが誰か必然的に分かったアオイは、赤らんだ顔を隠すようにキャスケットを深く被った。
「ぁあ? 助けてやったっつーのに随分な態度じゃねェか」
「誰も頼んじゃいねーっての」
「カッチーン! それが命の恩人に対する言葉か!」
ツカツカと歩み寄ってくるサンジを振り仰いだ時、真横で「あ!」と声がした。
「お前、あの時の!」
聞き覚えのある声に驚き、アオイも思わず目を見開く。
「トナカイじゃねぇか!」
「え? チョッパー、あんたこいつと知り合いなの?」
驚くナミに頷くと、チョッパーは涙ぐんでアオイを見上げた。
「こいつ、おれがCP9にやられそうになったところを助けてくれたんだ! おれが巻き込んだのに――」
「……それは違うぜ、トナカイ。俺はただ、動物虐待を許せなかっただけだ。……でも、結局は、な」
「あんた……」
「…………」
その場にいた全員が黙り込む。どこか気まずさを覚え居心地の悪いアオイだったが、とある事実にはっとした。
「あ……!」
「ど、どうしたのよ?」
「ト、トナカイが喋ってやがる……!」
「いや遅いだろ」
(悪魔の実か?)
総ツッコミをスルーし、じっとトナカイを見つめる。あの変化を思い出すと、こちらまで涙が出そうになった。胸が痛くなるほど、息が詰まる。
「やっぱ許せねぇな、世界政府は」
「何よ、あんたっていい奴なの?」
「ってーより、こいつ海軍のコート着てるが、敵じゃねぇのか?」
変態男の――確かフランキーと云ったか――に指をさされれば、静観していた海賊狩りのゾロがふんと鼻を鳴らした。
「そいつに構ってる暇はねェが、邪魔するようなら斬りゃあいい話だ」
「ゾロ! こいつはそんな奴じゃないぞ!」
勇んで立ち上がろうとしたチョッパーだったが、ふらりと足をもたつかせたと思うと、べたりと倒れ込む。
「トナカイ!」
「アレ……おれ……体が動かねェ……!」
原因は、恐らくアレだろう。ここにいるメンバーはチョッパーのそれを知っているのか、暫く無言になる。埒が空かないとゾロが神妙に口を開いた。
「……だろうな。全部終わったら話してやるよ」
言い捨て、彼は背中を向け階段を登り始めた。それを追うようにして長っ鼻の覆面が駆けていくのを見送る。
島に目をやると、これが正義のなすことなのかと疑いたくなる光景が浮かんでいた。もうもうと立ち上る黒いけぶりに覆われ、尊厳深く立ち並んでいた建物たちは見る影も無い。
さながらこれは、地獄絵図、だ。
拳をぎゅっと握り締めた。こんな風にして、きっと――
「これでもまだ、海軍に入りてェか、テメェは」
核心を突くように問われ、項垂れる。何も言い返せずにいるアオイに、サンジはぼそりと言った。
「……やめとけ」
「……なんだと?」
「テメェみたいなお人好しは向いてねェよ」
サンジはシュボっとタバコに火をつけると、そのまま他の男たちを追うように階段へと向かっていった。アオイはその細い背中を苦々しく睨み、顔を背けた。
激しい憤りを、腹にたぎらせながら。
(何も知らねぇ奴が、偉そうに言うんじゃねぇよ)
――それから間もなくだった。バスターコールによって島のいた全員が殺されたという放送が、一味に衝撃を与えたのは。
(20120602)