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「確か、こっち走ってったよな」

 さっきの様子からして、あのトナカイもそれなりに強いことは分かる。図鑑には四足歩行と書いてあったが、その手で打撃を与えていたのには目を見張るものがある。新種のトナカイかもしれない。だけれど、やはり彼は動物だ。対岸とばかりに見過ごすには、あまりにも胸が痛む。

 惨劇の続く道を走りながら、考えられる可能性をぐるぐると循環させるも、トナカイは見つからなかった。

(あっちだとは思うが……何があるんだ?)

「獅子樺蕪!」
「!」

 ガシャアンと壁が破壊される音が鳴り響き、アオイは考える間もなく走り出した。



 辿り着いたそこでは、僅かな火がそこかしこで燃え上がり、瓦礫が崩れ埃が舞っていた。気管支に空気が入りこみ、息苦しさに顔を背けた先、倒れ込んでいた獣を見つけてアオイは目を見開いた。

(あれは……)

「トナカイ!」

 被っている帽子、背負っているリュック。姿はあまりにも変形しているが、間違いなかった。

「トナカイ! 大丈夫か!?」

 必死に駆け寄り、しゃがみこんで顔色を窺う。トナカイは朦朧としながらも驚愕に目を丸めていた。

「え、なん、おまえは……」
「待ってろ、動物を虐待するような悪はこの俺がとっちめてやるからな」

 アオイはゆっくりと立ち上がると、“悪”と冷たい視線を重ね合わせた。

「衛兵かァ、それともォォ、麦わらの一味かァ!? だがァもうそいつァ立ち上がれねェ! なかなかしぶてェ動物だァ!」
「黙れ」

 右腕を振り抜く。左側、心臓。
 貫いた。
 確かな手応えが、ダメージをアオイに伝えた。

「よ、よよい! こいつァ速ェ!」

 だが、急所は外したようだった。流石はカリファと同じCP9だ、素早さで右に出る者はそういないだろう。タイマン勝負だと長引くかもしれないなと舌打ちをし、隣で倒れるトナカイに視線を投げた。

「ここは俺が引き留めるから、お前は早く逃げろ」
「でも、あれは……!」

 肩越しを見つめ焦るトナカイにつられ、アオイは訝しげに振り向いた。それの姿に、唖然とする。

(髪の毛が手の形に!? 何だこいつは! 攻撃が……読めない!)

「生・命・帰・還」
「……!」
「獅子指銃!」

 うねりをあげた髪の毛はアオイを通過し、トナカイめがけて銃弾が如く飛んでいった。

「うわァー!」
「トナカイ!」
「情け容赦をかけるなどォ、獅子の歯噛みにあるまじき!」
「動物に容赦もくそもねぇよ!」

 ダンっと後ろに踏み込みワイヤーを飛ばし、僅かに腕を横に振らせ切っ先を変えると、アオイはワイヤーで歌舞伎役者を一瞬にして取り囲んだ。

「プリズマック・ロード(鏡の牢獄)!」
「!?」

 ダイヤモンド粉をまぶしたワイヤーで締め付ければ、血を吹き出しながらCP9はぐらりと傾いた。もうちょっとだ。更に締め付けを強くしようとした時――
 トナカイが傷だらけになって、アオイの前を塞いだ。

「おい、どけよトナカイ!」
「――おれは動物じゃねぇ! ……海賊だ! おれの闘いなんだ!」
「え?」
「アームポイント!」
「獅子樺蕪!」
「っぶね!」

 トナカイの腕にワイヤーが当たりそうになる直前で、CP9に巻き付けていたそれを急いで解く。

「アームポイント!」

 アオイは呆然とトナカイを見た。彼は、ただでさえ傷だらけで動けない筈なのに、自分の力を拒否したのだ。今だって圧されているのに――
 助けに入りたい。入るべきだ。
 しかし。

(海賊、か……)

 唇を噛み締める。信念。誇り。それが、彼を突き動かすのか。ニコ・ロビンを救うという信念と、海賊としての誇りが。
 ――どうして、そこまで。

「刻蹄! 桜吹雪!」

 CP9にいくつもの桜の花びらの刻印が刻まれる。アオイはバシリとワイヤーを戻すと、その光景に笑みを浮かべかけた。あとは奴が、倒れ込むだけだった。
 勝ったかに見えた。
 だが、響く雄叫び――アオイはとっさに動いた。

「シルク・ロード!」

 鈍い音。
 貫いた――
 だが、我を失ったCP9は自身の痛みにも気付かないのか、ものともせず髪の毛をざわめかせ始めている。

(おい、冗談だろ……)

 肺に穴を、開けているのに――
 一歩助けが遅れたために吹き飛ばされたトナカイが、今度は縛り上げられている。自分の武器は、これしかない。

(殺される!)

 しかしトナカイは再び小さくなると、束縛から逃れた。ギリギリで技をかわした彼にほっとし、ワイヤーを巻き取ると急いで駆け寄った。アオイがトナカイを脇に抱えようと手を伸ばした時、苦し紛れの呟きが聞こえた。

「……に……げ、」
「――え?」
「逃げろ……!」

 何を言うんだと言葉にするより前――トナカイは何かを口に含んだ。



 アオイの目の前で徐々に巨大化していく、化け物――

「は……」

 あのトナカイが、本物の化け物みたいに。
 アオイはただその姿を見上げる。恐ろしさで、足が動かない。――しかし、彼は直前に言ったのだ。逃げろ、と。

(トナカイ、お前)

 自分を失ったままで、死ねるのか。
 信念と、仲間のために。
 隣でいつのまにか呆然自失とそれを見ていたCP9が気を取り直して技を繰り出すも、もはやどうにもならなかった。

(俺は、)

 自分の信念のために、生きる。

(それが、お前の道なんだろう、トナカイ)

 振り切るようにアオイが踵を返した時には、遅かった。

「え」

 巨大な手が、風を切ってこちらに向かってきていた。

(――逃げられない)

 吹き飛ばされる。思い切り壁に叩きつけられ、壁を貫通し、煙幕が上がる。トナカイは完全に我を失い、CP9を追い詰めている。アオイはそこまで目に焼き付けると、暗闇に引きずられ意識を失った。

(20120602)
Si*Si*Ciao