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 危機一髪でナミ達と合流はしたものの、脱出するための護送船は大破してしまった。橋の上を麦わらの一味たちと必死に駆ける。だが、その橋にさえ砲弾を食らうと、もはやそこは四面楚歌だった。

(俺の野望も、ここまでか)

 漠然と諦めかけるアオイの周りで響き渡る、ルフィの抹殺指令――
 一味が必至に叫ぶも、どうやら当のルフィはダメージから身体が動かず、逃げられないらしかった。

「何か手はねェのかよ、ルフィー!」

 サンジが叫ぶと、至る所で悲鳴にも似た鼓舞が上がった。支柱の上、このままでは恐らく、いや、確実にやられる。しかし、その叫びに諦めの色は少しも滲んではいなかった。
 アオイはふぅと肩から力を抜いた。ここまで来たのだ。ホルダーを構える。隣にいたサンジがぎょっとしたように目を見開いた。

「――おい、お前……」
「腑に落ちねーけど、とりあえずは付き合うぜ」

 右腕を振り抜き、崩れかけた壁にワイヤーを巻き付ける。飛び上がるその軌跡は、美しい弧の形。

「な、なんだアイツは!」

 軍艦からの焦った声は無視し、支柱の上に着地したアオイは、力無く横たわるルフィを見下ろした。

「よぉ、麦わら」
「……? お前ェ、門にいた……」
「何くたばってんだよ。てめぇが言った通りあそこで待ってたら俺、今頃死んでたぜ」

 笑いながら近寄り、しゃがんで顔を覗きこんだ。

「貸し1、だ」

 満身創痍の麦わらを背中に背負おうと腕を伸ばした。――が、腕をがちりと握られ、動きを封じられる。

「なんだ? 死ぬつもりか」
「違う。……下?」
「は?」
「下を見る?」
「――何言ってやがんだ、てめぇ」

 いい加減おかしいぞと言おうとした時だった。砲撃の合図が開始され、急いで麦わらに向き合うともう一つ、叫び声がした。

「海へ飛べー!」
「はぁ!?」

 仰天し思考が停止するのも束の間、アオイと麦わらはぶわっと急に生えてきた手に転がされる。

「これはニコ・ロビン……! なんのつもりだ!?」
「いーから! そのまま落ちろ、お前も!」
「はぁぁあ!?」

「海へー!」

 もうダメだと、身体を投げ飛ばされた先に見た光景に、アオイは目を見張った。言葉も出なかった。あれは、そう。

(船だ)

 恐らくは麦わらの一味の。あの高潮を越えてまさか来たというのか。
 アオイは何も聞かずとも、その現状を理解し涙が出そうになる。

「メリー号に乗り込めー!」

(コイツらは……)

 船、高潮、全て――
 全てを、味方につけるのか。
 ふっと笑みが溢れる。きっとこいつらは、全てを乗り越えていくんだろう。凶悪な敵にも、勿論闇の正義にも。
 希望に煌めく未来を想像して、それがあまりにも簡単に出来て、アオイは声を上げて笑った。

 何か声が、聞こえた気がした。



「毎度ありー」

 事件から2日。アオイは工具屋から出ると、空を見上げる。美しく透明に晴れ渡り、その下では噴水の水が清らかに流れていた。高潮にやられた街の被害は相当だが、人々は活気を取り戻しつつある。その中でも一番の話題をかっさらっていたのは、彼らだった。

「海賊たち、何で会わせてくれねーのかね」
「怪我が酷いって話だ。俺たちに出来ることは――」

 すれ違う人、みな口を揃え同じ話題で盛り上がっている。アオイは荷物を背負い直すと、無言で裏町に向かった。


「――ない? 俺の荷物が……?」
「あぁ……保管先の倉庫が、この間の高潮に流されてな」
「ふざけんなよ! 船は!」
「あの沖につけてたやつか? それももう――あれだ」
「――……!」

 管理しきれなくて面目ねぇと頭を下げる店主に、アオイはただ呆然とするしかなかった。あの荷物も、あの船もなくなったというのか。
 自分にとって全てが詰まっていた、あの船が。
 旅の資金も、生きる上で大事なものも全てがなくなってしまった今、ログが溜まったところで何だと言うのか。

「預けてた荷物は金だけだから、まだしも……あの機材たちだけで、幾らすると思ってんだ……」
「機材?」
「……船に積んでおいたんだ。俺の商売道具さ」

 出る声が掠れ、脱力して倒れそうになるアオイを見て、店主が慌てて口を開いた。

「いや、船の上にあったやつなら、全部宿の上の別の倉庫にあったと思うぜ。高潮が来るってんで、うちの従業員に預かった船の積み荷だけは確認しに行かせたんだ」

 船そのものは、俺たちじゃどうしようもならなかったからな……と落ち込む店主に、アオイも申し訳なく思えてきてゆっくりと顔をあげた。

「まぁ仕方ねーよな、自然災害なら……当たって悪かった」
「いや、こっちこそ荷物ダメにしちまって申し訳ねぇ。元々預かってた荷物のあった倉庫な、あそこまで高潮が来るとは、前代未聞でよォ」
「いや、積み荷さえ無事なら問題ないさ」

 アオイが安心しきって言えば、店主は言いづらそうに辺りを見回して目を背けた。

「積み荷か……実は、荷物の類はもう全部お客に渡してるはずなんだが、その機材とやらはどこいったんだ?」
「ただいま〜」
「お、丁度いいときに」

 アオイが顔色を変えたと同時、従業員が扉を開けて宿に足を踏み入れるなり、店主はカウンターから身を乗り出してアオイを指した。

「おいてめぇら、この人の荷物は知らねぇか?」
「荷物?」
「何でも、デカイ機材と――あと他には?」

 急に振り向かれ、アオイはどうしようかと思い悩むと、考え絞った答えを導き出した。

「……石があったはずだ」
「石だァ? ――あぁ、そーいややたらジャラジャラいう重い荷物があったな」
「重い機材みたいのも運んだな」
「それ俺のだ、恩に着る! どこに運んだんだ!?」

 嬉々として従業員二人に近付けば、何やら気まずく顔を見合わせていたため、アオイは思わず訝った。

「まさか、盗まれたとか」
「いや、そうじゃねぇんだが――そうか、アレはあんたのだったのか」
「俺たち、今ちょうどそいつらを麦わらの一味へ運んできたところなんだ」



(くそ、絶対二度と会いたくなかったのに!)

 路地裏を駆け、アオイは必死に仮設本社を目指した。

 司法の島を脱出した後だった。涙を流しながら、ガレーラの社長の進言に従って自らの手で船を海底に見送っていた一味を、アオイはただ黙って見つめていた。響き渡る船の声に心が酷くざわついたが、それも全て、彼らの存在が眩しかったからだ。
 パチパチと燃え上がる魂の色を前に表情を変えずにいたアオイに、アイスバーグが神妙な面持ちで口を開いた。

「お前はあそこで見送らなくていいのか」
「……俺は、あいつらの仲間じゃねーよ」
「……そうか」

 それきり、アオイはガレーラの船に滑り込み、麦わらたちの前から姿を消した。

(なのに今更顔を合わせるのか)

 あの宿の荒くれ者のような従業員に腹は立つが、彼らも復旧作業で忙しいのは、分かる。混乱の残る今、手違いが発生してしまうのも、致し方ない。そして自分で彼らの元に向かうしかないことも、サービスという観点で理解はしないが、了承するしかない。この島の人を思えば、自分の荷物くらい自分でというのも、子供ではないアオイにだって分かっていた。
 ――とはいえ、思うようにことが運ばない苛立ちが、靴音に強く響いた。それにまた、アオイ自身が苛立つ。

「あのー、すいません」
「ぁあ!? 俺急いでるんだけど!」

 苛立ちがピークのタイミングで急に話しかけられ、怒りに振り向くと、カメラを手にしたひ弱そうな男が立っていた。

「島の記者です! あの、今の島の現状をどう思いますか」

 ピタリと動きを止める。これに、下手に答えるわけにはいかなかった。仲間に裏切られた島。海賊に救われた島。この災害で傷ついた人たちがいる島。

「……この結束のままでいれば、この街はきっと復興する。そう思うよ」
「有難う御座います。すみませんが、お名前を」

 言われ、少しだけ考えたが、まぁ街の記者ならいいか、と普通に答えた。

「アオイ」
「――ではアオイさん、最後に一枚」

 パシャリとカメラを向けられる。

「ご協力、感謝します」

 そうして走り去っていった記者の背中を暫く見送ると、アオイは気を取り直して麦わらの一味の元へと駆け出した。

(20120603)
Si*Si*Ciao