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 窓を開ける。清々しい、そして少しだけ懐かしさを運ぶ潮風を浴びると、アオイは微笑んだ。
 建物の二階、そこから遠くに見える波間に、朝の霞んだ光が控えめに跳ね返っている。その奥では海から生まれたばかりの濡れた太陽が、僅かに鳴き始めていた。
 昨日浴びるように呑んだ酒は、どうやら体から抜け落ちてくれたらしい。朝の陽の光を拒絶しない身体が、風と空気に馴染んでいった。
 暫くぼぅっと見つめ、それから光を背にアオイは部屋を見渡した。
 麦わらの一味の荷物の中から見つかった、機材と宝石が詰まった袋たち。二階の部屋に移動させ、袋から丁寧に小分けされた石を幾つか取り出すと、一つずつ手袋で掴み吟味する。イメージ、色、そして心。纏う光の模様。想像する。
 そうしてふと瞳を閉じる中で聞こえたのは、優しい音だった。下で鳴る食器の重なる音、少しだけ感じる紅茶の匂い。香ばしく焼ける、仄かに甘い香り。――そんな空間に包まれた奴が誰かなんて、考えなくても分かる。

「朝早くから、ご苦労なことだな」

 昨日あれだけ呑んだのだから、一味の他のメンバーはまだ熟睡しているはずだ。それでも彼は、彼らのために早くに起きる。そういえば昨日も食べている人を見るだけで笑っていたなと、彼の姿を思い出した。
 今、ここで活動しているのは、アオイと彼だけだ。
 静かな時。なぜかここにいない彼と内緒で時間を共有しているようで、世界がまるで二人きりのように感じて。そんな錯覚に、おかしさが込み上げた。

「さて、俺も負けてらんないな」

 アオイは昨日店で買ったパーツを取り出すと、機材に向かって座り込んだ。



 時計の針が一周したのに気付くと、アオイはようやく手を落ち着かせた。全ての作業を終えた訳ではないが、流石に空腹が集中の邪魔をする。鮮やかなトパーズ色をした海を見て、アオイは意を決すると階段を下った。
 扉を開けば、既に部屋にはクルーたちが集まっていた。アオイが登場すると、チョッパーがすかさず駆け寄り、アオイを見上げる。

「アオイ、ようやく起きたか! 身体は大丈夫か? 昨日あんだけ呑んだんだ、無理するなよ!」
「はは、心配有難う、ドクターチョッパー」
「ばっ……! そんなんじゃ喜ばねェぞコノヤロー!」

 そう言いつつ体をクネらせるチョッパーの頭を撫でてやり、アオイは空いた席に着くと「紅茶貰えるか」とサンジに問いかけた。

「……てめェ、いつの間にうちの船医を手懐けてンだ」
「昨日のばか騒ぎの時だよ」
「そう! アオイの奴、酒の飲み方が無茶苦茶だったんだ! だからおれが付いててやったんだ」
「あぁ、昨日はありがとな、チョッパー。効いたよ、ウンコの力」

 にこりとキャスケットを持ち上げ会釈してやれば、チョッパーは嬉しそうに口元に手をやった。

「エッエッエ! ウンコじゃねェ、ウコンだ、アオイ!」
「あぁ、それか〜。チョッパーは物知りだなー」

 和やかな光景に「けっ」と毒づくと、サンジはドーナツの乗った皿を片手に背を向ける。
 チョッパーとじゃれあうアオイを頬杖をつきながら見つめていたナミが、ふと呆れた声色を出した。

「なーんかあんた、普通に馴染んじゃったわね」
「……は?」

 投げられた言葉に固まる。向かいでルフィがけらけらと笑い出した。

「ししし! いいだろ、もうコイツ仲間なんだから! な!?」
「だから、誰が仲間だ!」
「おら、紅茶だ。あとドーナツは朝の残りだが――温め直してやったぞ」
「あぁ悪いな、紅茶はいい匂いだし、美味そー……って違うわ!」
「一人で忙しいわね、あんた」

 ナミの言葉を流し、出された紅茶を口に含む。ふぅと嘆息しながらドーナツを手に取ると、アオイはそれを千切りながらおもむろに口を開いた。

「やっぱり俺は、海賊にはなれない」
「何でだよ、今更」

 尚も食い下がるルフィに困ったように笑う。温められたドーナツは、今まで食べた中で一番美味しかった。

「俺はある目的があって海軍に入ろうとしていた。――もう今更無理だろうが、だからって海賊になるだなんていうのは言語道断だ」

 アオイの繕ったような固い声にルフィが顔をしかめて身を乗りだそうとした時、にょきっと生えた手がそれを封じた。

「――『また一味の一人は、船長であるモンキー・D・ルフィが島に着くよりも前に侵入していたという証言がある。この人物は海兵に扮し衛兵の目をくらませ、麦わらの一味を島に引き入れた可能性が高い。このことから、今回の襲撃は極めて計画的であり、至上稀に見ぬ残虐非道な凶悪犯罪であるのは言うまでもない』」

 水面のように部屋に広がる静かな音読が終わると、アオイは意味が分からず――いや、分かってはいたが――口を開けたまま何も言葉を発せられなかった。

(――何でこうも)

 全てが悪い方向へ。

 ロビンは新聞をさっと畳むと、アオイの動揺を見てとったのか、ふふっと綻んだ顔を向けた。

「“この人物”って、貴方のことじゃないかしら」
「…………」
「え!? そうなのかアオイ!」

 無邪気な瞳を向けてくるルフィをうんざりと見やると、アオイは渋々頷いた。

「……そうだろうな」
「なんだ、それじゃあやっぱりおれ達の仲間なんじゃねェか、お前ェ」
「……てめーのその都合のいい思考回路は一体どんな設計のもと作られてんのか、俺はつくづく興味深いよ、麦わら」
「お! じゃあ一緒に来い!」
「またそこに結びつける!」

 怒鳴りつつもドーナツを食べるスピードは落ちない。しかし皿の上の物は全て食べきってしまい、少しだけ満たされなかったが、それを言うわけにもいかなかった。仲間でもないのにタダで部屋を借りてる状態にあるのだ。
 アオイは紅茶を飲み干すと、ごちそうさまと手を合わせ、席を立つ。

「おい、話は済んでねェぞ!」
「うるせーな、俺にもやらなきゃならないことがあるんだよ」
「何だよ、そのやることって」
「何でもいいだろ。――あ、そうだお前ら、いつまでこの島にいる予定だ?」

 飛び付いてくるルフィを片手で制しながら訊ねると、ナミが「あと5日くらいよ。船が出来るまでの間ね」と返す。
 5日。それだけあれば十分間に合いそうだった。

「分かった。それまでには俺もここを出なきゃな」
「あれ、もう上にいくのか?」

 残念そうに首をかしげるチョッパーに微笑み、だがすぐにアオイは表情をきつくする。

「あぁ、今から集中するんでね。――頼むからお前ら、絶対上の部屋には入ってくんなよ。飯に俺を呼ぶ必要もないからな。腹が減りゃ自分で作るなりする」

 その尖った言葉に眉を曇らせたサンジが、黙ったままタバコを灰皿で揉み消した。

「世話になっといて悪いが――そういうことで」

 バタンと扉を閉じる。思わず項垂れてしまう自分が情けない。

(これでいいんだ)

 アオイはくいと顎を上げると、作業の続きをしようと部屋へ戻った。



 図案を幾つか修正し、ふぅと一息着く。見れば既に時は真夜中で、そんなにも自分は集中していたのかと嬉しくなる。やはりこうして身を投げ出して一つのことをやり遂げるのは、充足感に満ち溢れてたまらなかった。

(そろそろ風呂に入るか)

 この時間ならば問題ないだろう。皆寝静まっているに違いないとアオイはガチャリとドアを開けた。
目の前に現れたそれに、目を見開く。

「……あのぐる眉め」

 いつから廊下でそうされてたのか、皿の上にあるのはラップされたドーナツ、その横には冷めてしまった紅茶。
いらないと、拒絶したのに。

(食べ足りてなかったの、分かってたのか)

「――ほんと、見上げるくらい立派なコックだな、あいつは」

 アオイは黙ってそれを部屋にあるテーブルへ置くと、少しだけ弾んだ足取りで階段を降りた。
 その顔を、綻ばせたまま。

(20120610)
Si*Si*Ciao