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 夢から覚めたような心地だった。アオイはむくりと起き上がると、昨晩の失態を思い出し肩を落とした。

(最悪だ……)

 あんなに笑ったのは久々だったかもしれない。しかしあれは酒がなせた業である。あんなに騒ぐ自分など、自分ではないとアオイは頭を覆いたくなった。
 現に今こうして一人作業部屋に戻って寝ていたのだ。他のクルーが甲板の上で潰れて転がっている中、まだ起きていたロビンとフランキーに言葉少なに寝ることを告げ、戻ったのは、男部屋ではなくここで。それは、絶対の境界線を意味する。
 パンと頬を両手で包むと、アオイは気合いを入れ直した。

(男装だけは、見破られちゃいけない)



 中庭に顔を出せば、見渡す限りの海。柔らかな朝日が水面に反射し、澄んだ光はサニー号の芝生を優しく撫でていた。その上で雑魚寝をする一味を見て、ほっとするのは何故だろう。
 だがみんなしてタオルにくるまれてる中そこに一人いないのに気付いて、アオイははっとダイニングを見上げた。煙突からは既に煙が上がっており、このタオルを掛けたのが誰なのか、想像に難くない。
 アオイは喉の乾きを理由に、なんとなくダイニングの扉を開けた。――瞬間、匂う魚の焼ける香ばしさ――香しくて、自然と深呼吸をした。

「……早ェな」

 仕込みが一段落したのだろうか、タバコを吹かすサンジと目が合い、とりあえず挨拶を交わすと、アオイはキッチンに向き合うように腰掛けた。

「すごいな、この船は。下手な店よりよっぽど設備が整ってる」
「あぁ、有難いよ、ほんと。特にこの鍵つき冷蔵庫なんて、気が利いてるぜ」
「鍵つき?」

 何故そんなのに感激しているんだと目で問えば、サンジは困ったように笑った。

「どっかの船長とか長鼻がな、食いモンを荒らすんだよ。おかげでこっちは毎日追い払うのに必死だ」
「何だそれ。猫かカラスみたいじゃねーか」
「いや、そんな賢くねェぞあいつらは」

 そうは言いつつも優しい顔をしているサンジを見て、アオイは何となくサンジの人となりが分かったような気がした。

「それよりお前、紅茶いるか?」
「あ、頼むよ。朝だし、ストレートがいいかな」
「了解、ちょっと待ってろ」

 そうして手際よく準備をするその手をぼんやりと眺める。カチャカチャと食器の音だけが響き、朝ごはんの匂いが舞う。アオイはいつかの朝に感じたことを思い出した。

「そういえば」

 唐突なサンジの声に、視線を上げる。

「朝はいつも早いのか」
「いつも?」
「こないだのウォーターセブンでやった宴の次の日も、朝早かったろ、お前」

 目を丸くする。自分の思考が読まれたみたいだった。正にあの時のことを指され、同じことを思っていたことになぜか緊張して落ち着かなかった。――気付いてたのか。そう呟けば、「そりゃあな」とサンジは笑った。

「おれも朝から仕込みしてたりするからな。その時に2階からやたら削ったりする音がすれば、気付かない方がおかしいだろ」

 あの時間を共有していたのは。あの優しい時間を知っていたのは、自分だけではなくて。
 その事実が何だか照れ臭くて、アオイは差し出された紅茶を急いで手に取ると、掻き込むように口に含んだ。

「あっつ!」
「アホか、てめェ。そんな慌てたら熱いに決まってンだろ」
「う、うるせーよ。てめーもコックなら優しい温度で提供しろよ」
「おれはレディにしか優しくしねェ」
「おれを助けたのに?」

 しまったと思った。聞くことではないと分かっていたのに。それが証拠に、サンジはピタリと動きを止めている。だが――
 ――分かってねェな――
 あの日、あの宴の時。彼が言いかけていた言葉がやたら引っかかっていたのも、事実で。

「あー、ほらさ、お前言ったじゃん、前に。あの宴の時、紳士だからこそ男を助けた、みたいな。それのもうちょっと深い部分、そーいや聞きそびれたなって」

 そう矢継ぎ早に言えば、サンジは何だと笑みを浮かべた。

「あぁ、アレな……え? 今話すのか」
「気になるんだよ」

 上を向いて何やら思い出すと、サンジはゆっくりと煙を吐く。

「……紳士だからこそ、男相手には対等でなくちゃならねェ。借りは返す。それはおれの矜持のためでもあるし、まぁ、言ってしまうとスポーツマンシップみたいなもんか」
「…………」
「な、何だよ。何か言えよ」
「……自分で言ってて恥ずかしくないのか、色々」
「テメェが言えっつったんだろ! ぶち殺すぞ!」

 サンジが怒鳴り込んだところで、オーブンの音が鳴る。彼は慌てて扉を開けた。

「焦がすなよ、コック。特に俺の分は」
「ふざけんなよテメェ! 誰のせいだと思ってんだ!」
「焦がすのはお前の責任だろ」

 何とも言えないらしい。本当に愚直な奴だな、とアオイがはにかめば、機嫌の悪そうな鼻息が聞こえ、またそれに笑う。
 昨晩、酒のせいで笑っていたのか。その答えは、しまっておくことにした。



「え? アオイあんた、作業部屋で寝てたの? 男部屋行きなさいよ」

 朝、全員で食卓を囲む。そこで交わされた会話の延長が、コンソメスープを飲んでいたアオイに降りかかった。だがアオイはナミのその本質を突く問いに、至って平然と受け答えた。

「あ、それは無理。俺、一人じゃないと眠れないんだ」
「はぁ!?」

 一斉に非難の眼差しを受け、思わず肩をすぼめる。

「……気配に敏感なんだよ、悪いか」
「悪いってわけじゃないけど、ねぇ?」
「そうだぞアオイ、みんなと一緒じゃないなんて寂しいじゃねーか!」

 ここでそれを言うチョッパーは本当に憎い奴だと、アオイは嬉しさと複雑な気持ちでチョッパーを見た。

「そう言ってもらえるのは嬉しいんだけどな……ほんと、今までも一人旅で、気配には人一倍気を配ってたから、誰かが傍にいると眠れないのさ」
「……これからどーすんだ」

 ゾロからギロリと睨まれる。そんなやましいことは言ったつもりはないと睨み返しながら、アオイは予め用意していた言葉を投げた。

「今日みたいに作業部屋で寝るか、展望台で寝るか――アクアリウム・バーもいいな。まぁ適当にその辺で寝てるから、気にすんなよ」
「風邪は引かないようにね」

 そう微笑むロビンには答えず、アオイは食後に淹れてもらった紅茶を片手に「ごちそうさま」と立ち上がると、キッチンを後にした。

(やっぱりどうも、ニコ・ロビンは苦手だ)


(あの野郎、ロビンちゃんの気遣った言葉に何も返さないとは……っ! 死に値する行為だ!)
(やっぱり、まだ馴染めないのかしらねー)
(そうかァ? あいつ昨日楽しそうだったじゃねェか)

知るは、本人のみ。

(20120617)
Si*Si*Ciao