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「あ、目ェ覚めたか?」

 聞きなれた声に、アオイのぼやけた思考が晴れ渡っていく。アオイは目をぱちぱちとさせると、ゆっくりと起き上がった。鼻を刺激する薬品の匂い――

「……俺は、倒れたのか」

 何だか熱っぽい頭をぐらぐらと振りながらか細い声を出せば、薬を煎じていたチョッパーの手が止まった。

「あぁ。ルフィが凄い形相でアオイを抱えてきたから、何かと思ったぞ」
「手間かけさせて悪いな、チョッパー。俺、どっか悪いのか」

 力無く訊ねると、チョッパーは少しだけ顔を強張らせて「過労から来る風邪だ」と呟いた。
 その言葉が意外すぎて、アオイははてと首をかしげた。夜中まで起きてることは今までだってあったし、第一自分はショートスリーパーだ。食事もサンジの料理なら大概何でも口に合うため、問題なく摂取している。それなのに。

「……アオイお前、やっぱりみんなといるの、嫌なのか?」
「――え?」

 未だ固い表情のチョッパーを深く見つめた。

「なんで」
「だって、船に乗って最初にやった宴から、あんまり皆と一緒にいようとしない。飯食ってもすぐどっか行っちまうし」
「……気付いてたのか」
「やっぱりそうか!」

 その答えを聞き悲しそうな顔をしたチョッパーの額に、アオイは柔らかく手を置いた。

「今まで俺は、一人旅だったんだ。いつ起きるのも飯食うのも、自分の自由で自分次第。それが今は集団生活なんだから、ストレスは溜まるさ。別にみんなが嫌いなわけじゃ、ない」

 そう、嫌いなわけではない。馴染みきれてはいないが、ルフィは見ていて単純に面白いし、ナミの航海術には目を見張るものがある。ウソップも見直したし、ゾロのストイックさにも舌を巻く。フランキーの船大工としての腕は言わずもがな、図面を見せてもらったあの時間は至福だった。

「そっかー。気付かなくてごめんな、おれ……」
「何でチョッパーが謝るんだ。適応能力がない俺のせいだよ」

 そう、もう一度撫でてやれば、けど今日はすぐに部屋戻っての作業は禁止だと釘を刺され、苦笑う。

「そんな心配しなくてもいいんだぜ」
「ダメだ! おれはみんなの健康を守る医者なんだからな! それにアオイは女の子なんだ、もっと身体に気を遣わないと」

 ピシッと身体が石になる。
 アオイは聞き間違いかと、顔をぎぎぎとチョッパーへと向けた。

「チョ、チョッパー」
「なんだ?」
「おれが、女の子って」
「え? 違うのか? 匂いがメスだったし、貧血気味だったからさっき服弛ませたんだけど」
「……!」

 急いで壁に掛けられていた革ジャンをひったくると、アオイは目を血走らせてチョッパーに詰め寄った。

「――みんな知ってるのか」
「え? あ、そういえばみんなアオイに男部屋行けとか言ってたな。そっか、じゃあみんな知らないのか! なら教えないと――」
「言うな」

 それは、高圧とも呼べる声色で。いつも何だかんだで優しくしているアオイの冷え冷えとしたその雰囲気に、チョッパーが知らず背筋を伸ばしているのが端からでも分かった。

「な、何でだよアオイ。わざと男のフリ、してるのか……?」
「――いいか、チョッパー」

 深呼吸をする。アオイは真っ直ぐな瞳を向けた。

「……俺は、“女だと人にバレたら海の泡となって消えてしまう病”を患っている」
「え、えええ!?」
「だから、ここのクルーの内誰か一人にでもバレたら――俺は死ぬ」
「っええええ!? 何だその病気! 医者ぁあ! あ、医者はおれだァアア! え!? でもおれ気付いちまったよ! アオイ死んじゃうのかーっ!?」
「落ち着け、チョッパー。お前は“人”じゃない」
「あ」

 へなへなとベッドに倒れ込む。「おれ、トナカイで良かったー!」と涙声で繰り返す純真な彼を騙すのは何とも良心が痛んだが、こうでもしなければこの先やっていけない。これくらいすればチョッパーも口は割らないだろう。

「でも、ならアオイ! アオイが何か困ったら、おれがすぐに助けてやるからな! その病気もいつか絶対治してやる!」
「はははは!頼もしいよ、ドクター」
「本当だぞ! 本当だからな!」

 ずびずびと鼻水を垂れ流すチョッパーにチーンとぬぐってやる。アオイはそうして一つ伸びをすると、ふとテーブルに置いてある物に気付いた。

「……お粥?」
「あぁ。それ、サンジが作ってくれたんだ、アオイに」

 見ればもう既に温くなっていそうではあるが、優しい卵とご飯の匂いに、胸が満たされる。

「そっか。ありがとな、チョッパー。頼んでくれて」

 よしよしと撫でると、不思議そうな顔をしたチョッパーと目が合い、なぜかドキリとした。

「何言ってんだ! 確かにおれ頼みに行ったけど、サンジはもうその時には作ってくれてたんだぞ! ロビンが言って気付いたらしいけど」

(あぁもう、本当に)

 ――紅茶は?――
 ――……一緒にあるよ――
 ――風邪は引かないようにね――
 ――顔色が悪いわ――

「ほんとに……みんなすげーよ」

 僅かに漂う湯気を見て、何故だか頭を過ったのは、タバコの煙と――
 物悲しさを瞼に伏せた、ニコ・ロビンの顔で。

「……なぁ、チョッパー。ニコ・ロビンは何で海軍に捕らわれてたんだ?」

 常々疑問に思っていたが、彼女の勘の鋭さゆえに直接話すのはなかなか憚られた。

「何だ、アオイ知らねェのか? ロビンは古代文字が読めるんだ!」
「古代文字?」

 ぴくりと何かに反応するように、アオイは声を潜めて聞き返す。

「うん! オハラっていう優秀な考古学者が集う島で習ったらしいんだ。……でもそのオハラは、ロビンがまだ小さい頃に世界政府に滅ぼされた」
「…………」
「古代文字が読めるのは、罪なんだって」

 それから、チョッパーはなぜエニエス・ロビーにまで行くことになったのか、それまでのことを思い出しながら話してくれた。ロビンの裏切り、ロビンの過去、その闇に隠されたバスターコール――黙ってじっと話に耳を傾け、アオイはそれでかと納得した。
 この一味で異変や違和感にいち早く気付くのは、きっと彼女だろう。自分の容体を見抜いたのも彼女だった。だがそんな彼女は、既に麦わらの一味に骨を埋める覚悟があるのだ。何を見ても、何を目の前にしても、屈しない勇気。だからこそ、あんな穏やかに微笑むのだ。

(読めないからじゃ、なかった)

 彼女に抱いた苦手意識は、きっとそう。本音を言わぬ自分と同じ穴の狢ではなく、闇を切り裂き光のもとへと旅立った彼女に対する劣等感だ。

「――八つ当たりか……」
「え? なんか言ったかーアオイ?」
「いや。ロビンの言う通りだったな、見事に風邪ひいたよ」

 そう、笑うしかなかった。自分が彼女のように変われるとは、到底思えなかった。

(20120618)
Si*Si*Ciao