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「絶対に嫌だ」
その瞳に宿るは、見たものすべてを貫く、鋭利な刃物を思わせる強い光。アオイはギリギリと握り締めたそれを、ぐしゃりと踏み潰した。
――遡ること数刻。
あの酒樽を海から引き上げ、発光弾が打ち上がったのが全ての始まりだった。見計らったように嵐が来て、何とかそれを乗り越えたのも束の間、サニー号は暗い霧の中に迷い込んでしまったのだ。そうして、目の前に現れたのは――
「生きたガイコツなんてゆー非科学的なものは俺は信じない。近寄りたくもねぇ。よって俺は行かない」
何やら陽気そうなガイコツを乗せた幽霊船だった。どう見ても尋常じゃない荒波に何十年も揉まれたとしか思えない草臥れたそれをアオイが苦々しく見やった時、隣からはっ、と鼻で笑う気配がした。
「くじ引きの結果だ。テメェの運を呪え」
あたかも「怖いのか」と見下げるようなゾロに、アオイはうっすらと目を細めた。
なんでもナミ曰く、この場所の話は既にあの老魚人に聞いていたらしいが、寝耳に水なアオイが納得するわけもなく。
「何なんだ、魔の三角地帯って」
(こういう怪奇現象は、本当にいけ好かない)
「ほ、ほらな! アオイも怖がってるじゃねェか! やっぱりあの船に行くのはよそうぜルフィ!」
「誰が怖いって? ウソップ」
「その通り、ビビってんだろ、てめェ」
「……さっきからバカにしてーようだな、剣士くんは」
未だニヤニヤとバカにするゾロにため息をつき、アオイがおもむろにフランキーを指差せば、みな首をかしげる。それを黙って見つめ、淡々と言葉を放った。
「いいか、さっきも言ったが、俺は非科学的なものが嫌いなんだ。海パン野郎のこの原理の分からないサイボーグっぷりもふざけんなだし、この船がコーラによってぶっ飛ぶっつーのも納得いかねー」
「おいアオイ! お前ェサニーのこと悪く言うな!」
「だっておかしいだろ! 何でてめぇら全員この原理に疑問を抱かないんだ!? こいつの臓器がどうなってんのかとか気になんねーのか!? 順応性ありすぎだろ!」
「それはなァ……おれが他の誰でもない、スーパーなおれ! だからだ!」
「よ! かっこいいぜフランキーー!」
「だから……っ! ……はぁ、もういい」
諦めたようにキャスケットを深く被り、アオイは「それでも俺は行かない」とどかりと座り込む。そんなアオイに怒り露に近づくのはナミだ。
「ちょっとアオイ! あんただけお役目免れるだなんて甘いのよ! 私だって行きたくないんだから!」
「んナミすわぁん! 安心して、君を守るのは紳士であるおれの役目さ〜!」
体をぶるりと震わせたナミに竜巻を起こしながらサンジは近寄ると、それからアオイをねめつけた。
「よってテメェは来なくていい。不要だから」
「……はっ、そうかよ」
相変わらず、こういう扱いには苛立ちを覚える。ゾロが馬が合わないと不満ごちるのも頷けるというものだ。
(だが、ナイスアシストだぜ)
今回ばかりは、彼の男女差別に感謝する。
「コックもこう言ってんだ。何も俺まで行く必要は――」
「だ・か・ら! 男たちが私を守るなんてのは当たり前だからどうでもいいのよ! 私はあんたが一人だけ逃れるなんて許さないって言ってんの!」
「道連れよ!」と何故か泣きながら叫ぶ彼女に耳を引っ張られる。後ろからはどうでもいいと言われたサンジのすすり泣き、ルフィのバカっぽい笑い声が響く。くそ、と舌打ちをすると、アオイは忌々しげにずれた帽子を被り直した。
*
ぐずるナミを後ろに、アオイは自分の心臓が痛いくらいに脈打つのを身体で聞いた。彼女に優しい言葉をかけるサンジの言葉や、ルフィの楽しげな声も何ら耳に入らない。
自分をひたすら叱咤しながら無言で綱を上ると、上をいっていたサンジがニヤリと振り向いた。
「なんだてめェ、やっぱマリモが言った通りじゃねェか」
「黙れ、そんなんじゃない」
「強がりか」
腕に、力が入らない。
怖くは、ない。ただ、非科学的なものを否定する自分を――その信念を、壊されそうで。
(そう、怖いのは、それだけ)
「……断じて違ぇ」
「……意地っ張りだよなぁ、テメェは」
はぁと面倒そうに吐かれたため息に、自然眉間に力が入った。
「助けてなんてやらねェからな」
「必要ねーっての」
「なんだ、アオイ怖いのか? だったらおれの後ろにいればいい!」
「な?」と歯を覗かせて笑うルフィに、アオイは息を見失う。当たり前のようにそう言ってくれる、輝く人。自分の腕を、掴んでくれた人。そう、この船に乗ったからには。その間だけは、差し伸べられた手を無視はしない。
「……心強いよ、船長」
はにかむように笑えば、ルフィもまた「ニシシシ!」と笑顔を返す。和やかな二人の光景に、サンジの口調が少しだけ渋くなった。
「……ルフィにはいやに素直だな、テメェ」
「女尊男卑のてめーに誰が頼るか」
アオイがふんと鼻を鳴らせば、サンジは顔をしかめ、けっと顔を逸らした。
「お前は航海士の心配でもしてろよ」
「てめェに言われなくてもな!」
そう言い合って、宝船だと浮かれるルフィに続いて空を見上げた時。
――それが、覗き込んでいた。
(――……っ)
「ギャアアアア!」
骸骨が。
*
ヨホホホと高らかに笑う目の前の物体を直視出来ず、アオイは生きてきた中で一番深く帽子を被り、ルフィの背に隠れていた。ナミがナンパされようが何だろうがどうだっていい。考えろ、考えろ。どうやってここを切り抜けるか――
(ワイヤーだ!)
ワイヤーをサニーに飛ばせばいい! そう思い立ちすぐにちゃきりとホルダーを構えた時、骸骨の2つの虚しい空洞がこちらを捉えていた。一気に鳥肌が立つ。
「オヤオヤ、そちらもンビューティフォーなお嬢さん! パンツ見せてもらってもよろしいですか?」
顔面蒼白になるアオイの代わりに、腹を抱えながら笑うルフィが答える。
「うははは! こいつは男だ!」
「オヤオヤ、そうでしたか。なんて中性的な男性でしょう! 私もきっとあなた方にはどちらか分からないんでしょうけどね! 骸骨ですけど」
「だからうっさいってんのよ! どう見たって男でしょ変態!」
骸骨を前にすると、足が動かない。ナミのように勇ましく言い返すことも出来ない。
(馬鹿馬鹿しい)
どう見ても恐れるに足らない。変に陽気だし、変態だが人は良さそうだ。なのになぜ自分はここまで怖がらなくてはいけないのか。
「お前うんこでるのか?」
「あ、うんこは出ますよ」
「――出るのか」
「答えんなどうでもいいわ! てめェも何感心して目見開いてんだチビ!」
(脱糞するってことは、やっぱ生き物か……?)
そうだ、きっとグランドラインでもここにしか生息しない不思議生物で、幽霊ではないのだろう。生きた骸骨なんかでもない。あの頭蓋骨だって袖口から覗く手首の骨だって、骨に見える他の物質だ。そうだ、きっとそうだ。
(なんだ、怖がって損した)
無理やり至った結論に、ほっと肩の力が抜け落ちる。ちらりと骨に余裕のある笑みを向けようとしたが、やはり込み上げてくる何かがあって目を逸らした。
だが、自分を洗脳させたのもつかの間。サンジのまともな質問を遮り発したルフィの言葉に、アオイは硬直した。
「お前、おれの仲間になれ!」
「は?」
(やっぱ無理だ)
どう見ても骸骨そのもののそれに、アオイは目眩を起こしたのだった。
(20120701)