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「ヨミヨミの実……!?」
「やっぱり“悪魔の実”か……」
あれからなぜか骸骨に船内へと案内され、食後顔中を汚した彼の身の上話を聞く。この骸――ブルックのその謎は、悪魔の実を食べたことに起因するらしい。何故か彼のすぐ隣に座らされたアオイは、最初はその見た目と存在感(とあまりの食べ散らかし具合)に気が気でなかったが、幽霊ではないという確固たる証言を得ると一気に脱力した。
「これでもう怖くねェな、アオイ!」
「だから始めから怖がってなんかねー……って聞けよ、人の話」
すっかり骸骨の毛根に興味を移したルフィに若干呆れながら、アオイは視線をそのブルックに移した。
「……良く見りゃ可愛げのある見た目、か?」
「いやいやそれは恐怖からなる幻覚だ、アオイ。自分を洗脳するなよ」
「だって目はでかいし、指は細いじゃん」
「骨なんだから当たり前だろーが!」
「こいつは細い以前の問題だ!」と焦るウソップは蚊帳の外、アオイはブルックを見つめ続ける。
骸骨だけど、死んでいない。一度死んだけれど、幽霊ではない。それが悪魔の実の仕業ということは分かったが、それでもアオイの奥深くにある違和感はしぶとく、まだ拭いきれていなかった。
(何かおかしいな)
もう怖くはないはずなのに、生きてるようには思えないこの心地悪さは何だろうか。以前どこかで感じたことのある、この感覚は。モヤモヤしたものを流し去ろうと紅茶に手を伸ばした時――テーブルの下に見た彼の足元に、声を失った。
「――……!」
(影がない!?)
アオイがガタリと立ち上がったのと、ナミが鏡を向けたのは同時だった。
「ギャー! やめて下さい鏡は!」
鏡にその姿が映らない。一味全員が警戒しだし、誰かがアオイと同じように影のないことに気付いた。
(――これは)
記憶にある。蘇るあの違和感。そうだ、さっき感じたのは、あれだった。アオイはそれからブルックによって明らかにされたその犯人を思い浮かべて、忌々しげに舌打ちをする。影を奪う男――そんな奴は、この世に一人だ。
「ヨホホホ! ヨホホホホ!」
「おいおいどうした大丈夫か」
ウソップが十字架を向け恐る恐る尋ねても、骸骨は笑う。出会ってからというものの、彼は常に陽気だった。だがそれどころじゃないだろう。こんなところにいられちゃ困るのだ。仲間になるだなんてあっさり承諾した骸骨だが、面倒なことに巻き込むつもりなら容赦はしない。
(――仕方ない)
船を、一味を守るためだ。アオイはその影を盗んだ男の名前を言おうと息を吸い込んだ。
「今日は何て素敵な日でしょう! 人に逢えた!」
だが、息は行き場を見失う。
「今日か明日か、日の変わり目も分からないこの霧の深い暗い海で、たった一人舵のきかない大きな船に、ただ揺られてさ迷うこと数十年!」
寂しかったと。死にたかったと叫ぶ彼に、かけるべき言葉を見失った。同情はしないと、固く口を結ぶ。だが遥かなる時間は、自分が何者かさえ、自分の存在価値さえ奪うものだ。しかも、たった一人でいればなおのこと。
(一人、か)
それでもただ朗らかにヴァイオリンを手にするブルックを見て、そして彼を仲間に引き入れようとするルフィを見て、アオイは引き結んだ口元を緩く戻した。――そうだ、この一味はそういう奴らだ。自分がどれだけ遠ざけても、忠告をしても拒絶をしても、効果なんてありはしないのだ。それは、ロビンの言葉からも伺い知れるだろう。
――彼らは追ってくる――
(まぁ、いっか)
こんなに優しくルフィを拒んでいる彼はきっと、この一味を巻き込みたくないと思っているはずだから。だとしたら、自分の出る幕はない。彼の紳士的な優しさを無下にすることは、同じように麦わらの一味を想うアオイには出来ないことだった。
七武海の記憶を閉じ込めるように、彼の言う楽しい舟唄を聞こうと、目蓋を降ろしかけた刹那。
だがそれは、壁から現れた。
「っギャアアアアー!」
アオイとブルックの叫びが、海原に呑まれた。
*
「それにしても、アオイがあんな叫び声上げるだなんてなぁ」
「黙れピノキオ」
「すいません」
一味は目の前に現れたスリラーバークをじっと見つめる。ブルックは海の上をこれまた非科学的に走り去っていったが、その向こうからは嫌な予感しかしない。そしてここのトップに君臨しているであろう人物を知るアオイとしては、軽く見れた事態ではないと僅かに緊張を走らせる。備えあれば憂い無しとポシェットの中身を確認すれば、それを見ていたウソップが「そういえば」と口を開いた。
「アオイ、その武器改良しといてやったからな」
「え? ……ピノキオてめぇ、いつの間に――」
「だから誰がピノキオだ! そしてなんだその勘繰った目は! そもそもテメェがこのおれに頼んできたんだろ、忘れたとは言わせねェぞジャイアンめ!」
泣きつかれ、そういえばあの倒れた日に預けたんだっけ、と右腕に巻き付けたホルダーに目を落とす。見た目は特に変わったようには見えないが、ウソップは胸を張った。
「ワイヤーを二本にしといたんだ。さすがに元からあるやつみてェにダイヤモンド粉をまぶした代物には出来なかったが……」
「ダイヤモンド粉!? ちょっとアオイあんた、そのワイヤーどこで手に入れたのよ!」
ダイヤモンドと聞いてまじまじとホルダーを見るナミに、現金なやつだなと苦笑う。
「……うちに代々伝わる武器だから、誰が作ったかは知らねぇ」
「なんですって!? でもダイヤモンド粉なんて、そんな大量に、」
「ダイヤモンド粉っつっても、宝石にはなれなかった安価なやつらの寄せ集めだよ。工業用に作られた人工物と大差ないから、お宝としての価値は低いのさ」
「あぁ、なんだそーゆーことか。お前に渡されて初めて見た時はぶったまげたが、それなら納得だな」
そう言うアオイのポシェットや保管されている宝石の中には、メンテナンス用の天然ダイヤも大量にしまわれていることは、やはり言わない方がいいだろう。
しかし、ワイヤーが二本に増えれば技のレパートリーも増える。ただ、殺傷能力がないのならその内ダイヤモンドをまぶさなくてはとぼんやりと考えた。ふと新しいワイヤーの先につけられたペンデュラムを見て、おやと思う。
(鉛か)
元からの一本とは、本当に別物だ。
「お弁当受け取ったわよ」
ダイニングから出てきたロビンが海賊弁当なるものを携え微笑む。スリルが好きだとか何だとかぬかす彼女は、やはりアオイには理解できない嗜好の持ち主であるらしい。
「アオイは!? あんたは行かないわよね!?」
「行くわけねーだろ」
必死の形相のナミから当たり前だと顔を逸らした。だが、それが間違いだったとは――その時のアオイには、知る由もなかった。
(20120707)