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 ゾンビが出てこようと関係なかった。ワイヤーでなぎ倒し、それでも起き上がってくるゾンビには気迫でもって黙らし、アオイは蒼暗く茂った森を懸命に駆けた。

「ナミ! いたら返事しろ!」

 だが、その声は深い闇に虚しく木霊するだけだった――



「……なんだ?」

 急に湧いた意識に、サンジは目を覚ました。見慣れた船内。だが、顔が何やら引きつるのに違和感を抱いた。カチカチと、壁時計の秒針が無音に響く。何が起きた。なぜここにいる。この状況は――

「なんだこれ!?」

 鼻に突っ込まれた棒、ほおを引っ張り上げた洗濯バサミを荒々しく外すと、サンジは苛立って立ち上がった。
 なぜ、サニー号に戻っている。仲間は、みんなは。
 それから端に映った二人の姿を視認し、ギョッと目を見開いた。

「デコレートされてやがる……」

 見事に無残なからかいの対象にされた2人をうんざりと見やると、サンジはなんとなく今の状況が分かったような気がしてきた。
 ルフィもゾロも、影を取られているーー……つまりは、そういう事だ。

「なんてこった……」

 くしゃりと前髪をかきあげ俯く。だが、自らの影がまだそこにあるのが見えると僅かに驚いて、顔から手を離す。そんな、まさか。そんなことがあるか? 敵がしくじったのか?
 考えても答えは出ない。サンジはいつも通りタバコに火をつけると、いったん思考を落ち着かせようと深く息を吸い込んだ。それから気晴らしとばかりに、船長と副船長に向きなおる。

「おら、起きろ2人とも」

 足蹴りを食らわせても、椅子から引っぺがして転がそうにも、ルフィもゾロも熟睡して全く目をさます気配すらない。

「こりゃ、厄介だな」

 さてどうしたものか。タバコの灰を携帯灰皿に落とした時、騒がしい声が甲板に響いた。

「……みんな!?」

 慌ててタバコを咥え、扉を開けようとした時と、ウソップが反対からそれをしたのはほぼ同時だった。

「サンジ!」
「ウソップ、チョッパー、フランキー! それにロビンちゃんも! いったい何があったんだ!?」
「それはおれたちも聞きてェが……まずはそいつらを起こすのが先だな」

 フランキーが渋く言うと、蹴られボコボコにされた形跡のある2人を見てウソップは現状を察したようだ。頭の回転の早い仲間で助かると、サンジは煙を吐く。
 そこから彼らを起こすのは、扱いに長けたウソップならではのセリフだった。

 それから中庭に出て、全員で現状把握をする。
 ルフィとゾロは影を取られた。食料は保存食を残して全て奪われている。それから――

「ところで、ナミさんとあのチビがいないようだが」

 サンジが辺りを見回すと、チョッパーとウソップは気まずそうに下を向いた。

「どうした? ……まさか」

 捕まったか!?
 という言葉の前に、ウソップが涙声で「すまん!」と頭を下げる。

「俺の責任なんだ……!」
「――どういうことだ。順を追って話せ」

 ゾロが静かに言うと、チョッパーとウソップは目を見合わせ、これまでの経緯を話し始めた。



「……で、アオイはナミが落ちたのに責任を感じて、おれたちを船に置いてそのまま一人でナミを探しに行っちまったんだ」
「あいつのせいじゃねえ。おれがナミを離したのが悪いのに、あいつ、移動が利くのは自分だけだって言って」

 チョッパーとウソップの話を聞いて、クルーは全員黙り込んだ。ナミが落ちたのはそれほど高い場所ではなく、また森の上だったから怪我はそれほどないだろうというチョッパーの見解だったが、それから2人が一向に戻ってきていないとなると、不安が募るのは当たり前の話だ。
 ため息を吐いて、フランキーが天を仰いだ。

「心配だな」
「私とフランキーは、3人がたまたまワイヤーで飛んでいるのを見かけて、それならと船に戻ってきたのだけど……」

 「まさかそんなことになっているだなんて」、とロビンは不吉な予感が頭を掠めたが声には出さず黙り込んだ。

「アオイには、すぐに戻って来いって伝えたんだ。聞こえてたか分かんないけど……」

 落ち込んで涙ぐむチョッパーに、それまで黙っていたルフィが口を開いた。

「大丈夫だ。アオイだって今までこの海を一人で渡ってたんだ。そんなやわな奴じゃねェよ。それに、その透明人間はナミを狙わなかったんだろ? それならナミは無事じゃねェか」
「そう言えば、そいつは何でナミさんを狙わなかったんだ? 敵ながらその判断には完全に同意するが」
「あぁ、それはそのアブサロムって奴、ナミを花嫁にするってーー」

 と、ウソップは言いかけてまずいと口を閉じたが、もう遅かった。

「んな! ……け、け、……結婚だとォ〜!? ふざけんな! クソ許さ〜ん!」
「ナミと結婚て勇気あんなァ」

 燃え盛るサンジを全員が予想していたので、とりあえずは無視をする。だがゾロは今一つ腑に落ちない。サンジの足元を暫く凝視すると、思案げな顔でウソップに向き直った。

「……あいつの影が奪われてねェのが不思議でならねェな。あいつはおれたちより先に拉致された」
「あ、それはアオイが取り返したらしい」
「アオイが?」

 フランキーとロビンが顔を上げてウソップを見る。サンジもナミのこととは別に、自分自身に起きた問題だ。気にならないわけはなく、アオイの名前が出ると露骨に眉を潜めて振り返った。

「……どういうことだ。何でクソチビにそんな真似ができる」

 サンジのどこか苦々しそうな目を受けて、チョッパーが言いにくそうに声を出した。

「アオイは、モリアの弱点を知っていたんだ」
「お! なんだ、まさかガイコツに会って話聞いたのか?」
「私たち、あのガイコツさんにモリアの能力の秘密を聞いてきたのだけれど……」
「ーーいや、違う。アオイは元々知っていたんだ」

 キッパリと言い切ったウソップの横顔は、どこかかたい。チョッパーは、それをなんとも言えない表情で見つめると、ぎゅっと服の裾をつかんだ。

「……これは、本当ならアオイ本人からお前らに伝えなきゃならねェ話だが、今はそうも言ってられねェ。――アオイ、あいつは、七武海と関わりがある」

 この島に入る前から、モリアの仕業だと気付いてたんだ。
 信じられないと。しん、と一味が言葉を発せずにいた時。静寂を切り裂く金属音。
 ――マストに、ワイヤーが巻きついた。

「アオイ!」

 チョッパーが気付く。すぐにアオイは姿を現してワイヤーを巻きとり、こなれたようにくるっと宙返りすると、静かに着地した。

 ゆっくりと立ち上がって、ホルダーを撫でる。アオイはふと自分に向けられる視線に強い摩擦を含んでいるのを感じて、顔を上げた。
 見れば――怒りを抑えたような顔、こちらの真意を伺おうとしている顔、淡々と見守る顔など――ここで何が話されていたかを、ウソップとチョッパーの顔を確認すればそれで答え合わせだ。
 アオイは悟られないように鼻で静かに深呼吸すると、2人に近づいた。

「悪い、ナミは見失った」
「……そうか」
「あの近場でいなくなるなんてことは普通あり得ない。攫われたと見て間違いはなさそうだ」

 そこまで報告して、ザッと一味全員と目を合わせる。覚悟はしていたが、ここまで明らさまな敵意を混ぜられると、それなりにアオイも堪えた。
 迷惑を、かけたかったわけじゃないのに。

「……ウソップから話は聞いた。お前、おれたちに何か言うことがあるんじゃねェのか?」

 敵意の震源地である、ゾロの射殺すような瞳。あぁ、こいつは敵にはこんな目を向けるのか、とアオイはどこか冷静にそれを見返した。よく知る瞳に、似ているからか。それほどの怖さは感じない。

「……悪い」
「答えになってねェ!」

 鋭い蛇のようにゾロはアオイに近付くと、刀に手をかける。チョッパーが悲鳴を上げた。

「ゾロ!」
「……黙ってろ、チョッパー」
「でも、サンジ!」

 見上げるチョッパーの頭を撫でると、サンジは紫煙を燻らす。その向こうの景色を、じっと見守る。チョッパーも、それ以上は何も続けられない。
 周りが落ち着くのを確認すると、ゾロは口を開いた。

「……おれはお前を信用していたわけじゃない。何かあれば斬る。そうも言ったな」
「……そうだな」
「青キジと知り合いで海軍入りを目指していたお前のことは、前々から不審に思っていた。おれは今、こうも考えている。――実はてめェはモリアの仲間で、おれたちをここに引きずり込んだってな」
「――なるほど」

 そう思われても仕方ない。これまで嘘はついていないが、真実も事実も何一つ自分の口から一味に語ったことはない。想像しようと思えば、いくらでもできてしまうのだ、今の自分の立場は。
 アオイは仰々しく長い息を吐く。それが更にゾロを苛立たせるのだが、アオイとて今は普通ではいられなかった。

 一味を助けたかった。それは事実なのに、目の前でナミを救えなかった。そうして今、一味の雰囲気を重くしている。

(なんて厄介者なんだ、俺は)

 ああ、早く、一刻も早く、この一味から抜けなくては。

「お前のその考えは、至極まっとうだな、海賊狩り。俺には否定する余地がない」
「てめェ……!」

 刀を抜く――! その気迫が周囲に伝わった時、それを割ったのは意外にも静かな、落ち着いた声だった。

「……ウソはいけないわ、アオイ」

 ロビンが、じっとこちらを見据えていた。――そうだ、この一味の女性というのは、とても賢く勝気で、自分など足元に及ばない強い人たちなのだった。

「あなた、影がない」

 ロビンの言葉で、ウソップとチョッパー以外の頭に血が上っていたクルーは、ようやくその事実に気づいたようだった。

「モリアの仲間であれば、海軍がアオイを麦わらの一味として指名手配するなんてこと、あまりにお間抜けで考えにくい話だわ。……どちらかというと、アオイが青キジや世界政府と繋がっていて、私たちをスパイしているというなら話も分かるけれど」

 ロビンの言葉はそこでいったん切れる。

「――けれど私は、あなたが世界政府側でないことも知ってる」
「え……?」

 全員の疑問がロビンへ向く。ついこのあいだのウォーターセブンでの一件。確かにロビンは、他の者は知らない世界政府の事情も知っているだろう。元七武海のクロコダイルの部下でもあったのだから、尚更だ。
 だが、曖昧なままでは終わらせない。一味のためを思えば――

(おい、何を言うつもりだ――)

 嫌な予感が、アオイの喉を締め上げる。

「ロビン、お前のその根拠はどこからきてる」

 ゾロのその問いは、ロビンにとっては答えまで含め既に頭にあった。

「アオイ……あなた、ポーネグリフが読めるわね」

 皆が一瞬。なにを、と表情を枯らし、声を失う。
 波の音と、ぬるい風をまとった荒々しい旗の音。
 静かな夜更けに、それだけが浮いた。全員がそれを共有してしまった。

 それから、絶望から動けないアオイを、全員が見た。

(なぜ、今ここで)

あの日、静かに語らった夜。アオイの中でそれは大切な思い出の一つだったが、ガラガラとパズルが崩れるように分解していく。

「ニコ・ロビン、お前……!」

 色を失った顔で、枯れた声で叫ぶアオイを一瞥すると、ロビンは宥めるように優しく笑った。

「ごめんなさいね、きっと私と二人の秘密だったのでしょうけど……私は麦わらの一味なの」

 そこまで言われれば、ロビンが何を伝えたいかなど、アオイが聞くのは野暮というものだ。アオイとの秘密よりも、一味との絆を選ぶ。当たり前のことだ。ロビンはそうやって、あのエニエス・ロビーで一味を守ったのだから――

(覚悟が、違いすぎる)

 だが、ポーネグリフが読めることを一味全員に知られたのは、痛恨の極みだった。
 ニコ・ロビンだからこそ、明かしたというのに。
 アオイの口元から、自嘲げな笑みがこぼれた。

「俺が、浅はかだったのかな」
「いいえ、あなたはとっても慎重よ。……慎重すぎるほどに」

 どこか憐れんだ瞳をアオイに向けると、ロビンは周りを見渡して切り替えたような声を出した。

「……みんなも知ってくれてると思うけれど、ポーネグリフを読める人間が、世界政府にどう扱われるか……それを鑑みれば、彼が世界政府側の人だとは、私はどうしても思えない――思いたくないの」

 そこまでを、痛切に語ってくれるロビン。絆は一味のため。だけれど、自分が得た感覚を、ロビンもまた覚えていたらしかった。
 同属――

 ここまでお膳立てしてくれるというのか。なんという、優しさだろうか。

(正直、許せないし、まだ、頭が追いつかない、が)

 アオイはふぅ、と軽く息をすると、キャスケットのつばを軽く掴んだ。ここのクルーの女性陣には、一生敵わない。
 一呼吸置いて、口を噤む。なんだか、張られた頬がじんわりと傷んだ気がして、また息を吸う。

(……俺は、俺にできることをこの一味にやるだけだ)

「みんな、黙っていて悪かった。俺は確かにポーネグリフが読めて、世界政府――七武海とは繋がりがあって、モリアとは顔見知りだ。なんでポーネグリフが読めて、世界政府と繋がったかは……話すとそこそこ長くなる。今この状況で話す内容じゃ、ない。でも、モリアの仲間では決してない」
「……ロビンの話を踏まえた上で。その結論。少なくともおれが納得するには弱いな。ポーネグリフだとかの話と、お前とモリアの一件は別だ」
「そうだな。黙っていた件については疑われても仕方ない。――だから、ここは俺が責任を持つ」

 なにを、と訝ったゾロを見つめ、アオイは続ける。

「モリアに影を取られ、ナミが攫われたのは俺の認識不足だ。考えが甘くてお前らに何も伝えなかったのが原因だ。だから、俺は麦わらの一味全員――影も含めて、このスリラーバークを脱出させる。何があっても」

 それが、俺の責任。

「は、たいそうな口を利くんだな」
「俺にしかできないこともあるさ。それに実際、一つ取り返しといただろ?」

 ちらりと金髪を見る。その前髪の隙間から、特徴的な眉がくいっと持ち上がったのが分かった。

「信じてくれとは言わない。ただ、俺もここにいる以上――お前らを助けたいんだ」

 初めて語った気がする、一味に対しての本音だった。

「よし、話は済んだな!」

 それまで黙っていたルフィがパン! と足の裏を合わせると、やれやれと言ったようにゾロが嘆息する。

「お前がきっちりしてないからこうなるんだぜ、キャプテン」
「何でだよ。おれはアオイを気に入ってる! それ以上の理由はいらねェ!」
「こいつが、事前に情報を出さなかったのにか?」

 苛立ちを隠さずゾロがアオイを指差す。ルフィはそれにもニシシ! とあの独特な笑みを浮かべると、「あぁ」と答えた。

「だってよ、そもそもおれたちがここに上陸したのはブルックがきっかけだし、アオイが何を言おうとおれは冒険に出てた! それに、結果としてサンジの影が戻ってきたのも、ウソップとチョッパーが無事なのも、アオイのおかげなんだろ?」

 なら全然、問題ねーじゃん! アオイはおれたちの仲間だ!
 
 快活に笑い飛ばすルフィの、その光。
 あぁ、これだ。これなのだ。思わず手を伸ばしてしまいそうになる、この光が、

(俺を惑わす――)

「アオイ!」

 突如大声で呼ばれ、肩がビクッと反応した。

「お前だって、モリアぶっ飛ばしたいだろ!?」

 太陽。それ以外に例えようのない笑顔だった。

「――あぁ、ぶっ飛ばしてぇよ」
「よく言ったアオイ! よし、それなら今からは取り返さなきゃならねェもんの話をするぞ!」

 ウソップが話は終わりとばかりに手をかざす。それを受けてか、アオイの返答を受けてか――ゾロはアオイをじっと見つめると、何も言わず刀から手を離した。
 こんな感覚は初めてだった。緊張が抜けた瞬間というのは、こんなにも体力を消耗するのだろうか。
 アオイはどさりと甲板に腰を下ろすと、一気に脱力する。深く息を吸っても、なかなか酸素が体に回らない気がして。

「おい」

 それまで話を聞くだけだったサンジが、いつの間にか隣に立っていたのにも気付かなかった。その瞳は何か言いたげに揺らいでいたが、アオイとしては今何を言われても、何も返せない。いつものような遣り合いを出来るとは思えなかった。

「……なんだよコック」

 口から出た声は、自分で思うより弱々しく、心の中で舌打ちをする。そんな慣れない反応を見せるアオイに、サンジも少しばかり気を遣ったようだった。

「……いや、一応礼を言いに来た。おれの影、お前が取り返したんだろ」
「まぁ……」

 アオイはサンジの影――あのペンギンーーが言ったことを思い出してしまい、ブンブンと頭を振る。

「何してんだ、お前?」
「いや、別に。……そういやお前のゾンビ、蹴り技はすげーけどブッサイクなペンギンだったな」
「ふざけんな! おれであるからには器たりとてブサイクなわけがねェ! お前の目がクソなんだろ」
「その自信は一体どこから……」

 そこまで言って、なんだか笑いがこみ上げてきて、アオイはそのままに任せて吹き出した。

「はは、なんか、お前と喋ってると。……色んなことがどうでもよく思えてくるよ。不思議だな」
「……てめェはいつも辛気臭ェからな。その理由も、少し分かった気がするが――とりあえず、その眉間のシワはやめておけ」

 ぐっと力の入った眉間をさする。確かに、いつだって表情が強張っていたかもしれない。

「……ほんと、おせっかい」
「なんか言ったか?」
「いいや、なにも」

 あのゾンビには、お礼だって言えたけど。

(船を降りる前には言いたいな、こいつにも)

 一味全員に、助けられているのだ、と。
 アオイはようやく、その状況を認められたのだった。

(20160928)
Si*Si*Ciao