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どうやらあのガイコツは、過去に麦わらの一味が出会った大切な想い出と関係があるらしい。ラブーンといった名前が出てきたが、それを共有できないアオイは今後の対策について一人思案していた。
(影と、ナミの奪還。心情としてはナミの救出に向かいたい……)
アオイには、ナミを敵側へ渡してしまった負い目があった。とはいえ、手っ取り早く一味を助けるのであれば、自分がモリアと交渉するのが一番得策なのは明白だ。
(海賊狩りの影は船長が見たと言っている。コックの影は俺が解放したし、残りは船長と俺の影か……)
あの様子からして、モリアはまだ自分に利用価値があると考えている(正確に言えば、アオイの言葉を完全には信じていない)、とアオイは踏んでいた。とすれば、アオイの影は最後まで切り札として人目につくところにはやらないだろう。逆にルフィの影は、他のものより強い器――それが何かは分からないが――に入れていることは容易に想像がつく。ルフィ並みの戦闘力で、しかも痛みを感じず肉体改造を施されたゾンビなど、もしかしなくても手がつけられない事態となる。想像にすら身の毛がよだった。
その恐怖に反射して顎に当てていた手を離せば、これまで思考が深すぎたせいか、急に周囲の音が耳に戻ってきた。横からなにやらゴリゴリと削る音がして振り返ると、ウソップが既に塩を引いて袋を小分けにしている。――なんという気の利きようだろうか。
(これがはじめから出来ていたはずなんだよな。俺が、事前に教えていれば)
軋んだ胸は、きっといつまでも痛むだろう。
「流石だな、ウソップ」
「おう、後でみんなに配るが、お前も持ってけよ」
「サンキュ」
袋を一つ貰い周囲に意識を傾けてみると、話は既にラブーンのことから切り替わり、どうやって各々の影を探し出すかに話の重点が置かれていた。アオイはここでこそ役目、と慌てて立ち上がって片手を挙げる。意識が間に合って良かった。
「――ここは、俺がモリアと交渉する。上手くいけば、全員の影を返してもらえるかもしれないんだ」
それにまさか、とサンジ。
「交渉たって……お前自身が影取られちまってるだろ。いきなり最初から不利な立場じゃねぇか」
「いや、そうでもない。切り札はある」
――できればそれは、使いたくなかったが――
奥歯を噛み締め、それでもニヤリとした狡猾そうな笑みを貼り付ければ、憤然と反論してきたのは意外な人物だった。
「勝手に決めるなよな、アオイ! モリアはおれがぶっ飛ばすんだ!」
「船長……いや、わざわざお前が危険を冒して闘わなくても、俺がどうにかしてやるって言ってんだよ。何言ってんだ」
言葉は、アオイの真意そのままだった。他のメンバーだって、船長であるルフィが死闘をするよりか、まだ信頼もできない、仲間とするには微妙な立場のアオイを犠牲に出す方が、幾らか心が休まるに決まってる。
なんで分からないんだ、とアオイが目をパチパチとさせると、ルフィは頭に来たようで、眉間にしわを寄せ「分からず屋はお前だ」と鋭く言った。
「アオイ、お前ェはなんでも自分で決めすぎなんだ。俺がモリアをぶっ飛ばすって言ったらぶっ飛ばす! 分かったか!」
「は、はぁぁあ?」
なんて横暴な! とルフィに詰め寄ろうとしたアオイの帽子に、フランキーはポンと手を置いた。
「諦めろ、あいつはこうと決めたら絶対譲らねェよ」
「っそんな、無茶苦茶だ! お前らも止めろよ、お前らの船長だろうが! 俺一人が交渉に出た方が遥かに安全なんだ! ……それに、この俺の案はそれなりに手応えがある。モリアだって同意するはずだ」
「――なら、その案とやらを聞かせてみろよ」
ぎゅ、とタバコを灰皿に揉み消して、サンジは特徴的な柳眉を釣り上げた。ムッとしてアオイはサンジと向かい合うも、その内容をここで話す気にはならない。――つまりはそこまでサンジは分かっていて、こうして挑発してきているのだ。見透かされているその事実が、アオイをより一層苛立たせた。それは自分の未熟さが露呈しているからであり、先手を打たれて、説教をされた気分でもあったからだった。
「言えねェんだろ」
「……別に、大した内容じゃないから」
「適当なこと言ったらオロすぞ、オラ。おれたちが全貌を知らない案に、おれたち全員の命、預けられるわけないだろうが」
至極まっとうなことを言われ、アオイは黙りこくるしかなかった。だが、彼のその言葉は、額縁通りの意味合いだけではないことだって、分かるから。説教とは、怒りや憤りの感情だけでするのではないことを、アオイも知っている。だからこそ、素直になりきれずに憎まれ口がついて出てしまったのだ。
(これだから、この一味は危険なんだ)
こいつらは、もう少し人を利用すればいいのに。
そうすれば、俺だって心置きなく利用できるのに――
「とにかくまーおれは、モリアをぶっ飛ばしに行くからよ!」
カラッとした声色で船長であるルフィに言われれば、アオイとしてはもう言葉を継ぐことはできなかった。先ほどゾロに啖呵を切った自分が意味なく露と消えたことにはがっかりとしたが、そうならばナミ奪還に向けて思考を切り替えるべきだ。
ちょうどアオイがナミのことを考えていたその時、ルフィがサンジにナミのことを頼むと告げていた。まぁ、彼がナミ奪還へ来ることは凝り固まった未来として予想はしていたが――怒りに燃え上がったサンジは結婚はさせないと、海に向かって雄叫びを上げている。さながら世の娘の父親の如き荒れ狂いようだ。
(本命の女できたら、ものすげー面倒そうな奴だなぁ……)
いもせぬ未来の彼の恋人に、心の中で軽く合掌した。
だがそこで、良くも悪くもウソップは空気を読んだ。
「言い忘れたがあの透明人間、風呂場でナミの裸じっくり見てたぞ」
「んぬァにィィイ!? オーノーレー!」
「……これ以上刺激してやるな、何かに変身しそうだ」
(ウソップめ、余計なことを)
ゾロに同意するわけではない。しかしこれ以上荒れられていては、共に行動する身として不安が残る。もう少し冷静さが欲しいと、アオイは前に出た。
「俺が鎮火する。――おいコック、俺も覗かれたぜ」
せいぜい男の入浴シーンでも想像して興醒めしろ――別に脱いでないけど――と、アオイが思っていたら、案の定サンジの周囲にあった渦巻く炎はあっさりと散っていった。ウソップが歓声をあげて拍手をする。
「おお、効果覿面! やるなアオイ!」
「つーかお前、風呂覗かれたのか……」
フランキーの憐れんだ瞳には気付かないフリをする。ロビンがやけに楽しそうに笑っていたのは、鼻につくが。
「ふん、男のくせになよなよした見た目してっからだ。少しは筋肉つけて鍛えろカマ野郎」
「てめぇ、言うに事欠いてカマとは、くだらねぇ言葉しか出てこないのは神経までもが筋肉で出来てるからか? この脳筋野郎」
「ほぉ、テメェはどうあってもおれに斬られてェらしいな」
「だー! お前らすぐ喧嘩しすぎだ! とりあえずおれはナミのことは連れ去られた責任を感じてる。おれもサンジと一緒に行くぞ!」
それからようやく冷静になったクルーは、それぞれ役割分担を決めて奪還に臨むことになった。
アオイは、希望した通りサンジとウソップとともにナミ奪還に加わった。作戦が決まったところで、サンジはまた怒りを思い出したかのように熱を帯び始めてしまったので、アオイは一抹の不安を拭えなかった。
*
燃え盛りながら敵を蹴散らすサンジとルフィの背中を追いながら、その強さにやはり舌を捲く。サンジには冷静になってほしいと望んでいたアオイだったのに、まぁ別にそれでも構わないか、と思うくらい彼は存分に働いていた。――ようは、後衛のアオイは休めていたわけである。
と、ある種尊敬の眼差しで見つめていた2つの背中が、突如崩れ落ちる。その周囲に飛び回るあの謎のゴーストを見て、アオイは竦み上がった。
「で、出た……っ!」
「おいアオイしっかりしろ……! 二人が捕まったのは何でだ!?」
「あのゴースト達の仕業よ! 触れると心を折られてしまうの。今のところ解決策は何も……!」
(くそ、どうせ悪魔の実だろ!)
もう、この島で起きる不思議は全て悪魔の実だと無理やり結論付けて、アオイは自らを鼓舞した。怖がっている場合ではない。
「シルク・ロード!」
「鉛星!」
ウソップとアオイの技が出たのは、同時だった。ウソップのはルフィ側のゾンビに、アオイのはサンジ側に。
(わお。連携って感じだな)
実は、こうして作戦を練っての共同作戦はアオイにとって初めての事だ。エニエス・ロビーで共闘はしたが、あれは乱戦であり作戦も何もあったものではない。またここまでの間に海賊船にも襲われなかったから、アオイとしては仲間との闘いというのをあまり意識してこなかった。
(なんか、自分の思ったタイミングで動いてくれるって、感動的だな……)
まぁ、いい体験になった。船を降りるまでの間、この連帯感を大事にしようと決めた。
きゅっと鳴る胸に気付かないふりをしていた時、頭上に出来た影をアオイが認識したのと、影の主人が覆いかぶさったのはほぼ同時だった。
――その大きすぎる瞳と、目があった。
「……っ!」
「うわぁー!」
「落ちるー!」
崩れ行く城壁の中、吸い込まれるような、遠ざかるようなチョッパーの叫び声が聞こえた。何が起きた。とんでもない大きさの生き物が、いた。アレはなんだ――
(どういう状況だ!)
「くそ!」
ワイヤーを上に振りかざす。
壁に突き刺し、巻き上げる。
減速。
そのままゆったりとアオイは着地すると、冷静になれ、と首に巻いたストールを整えた。ふと視線の先に、地面に着地した――人によっては落下と表現する――ナミ奪還組二人の姿があって、アオイは一人だけ無傷なことになんだか罪悪感を覚え、顔を逸らした。
だが逸らした先に知った顔がまた2つあるのを見て取ると、アオイの口元は自然引きつる。全て見られていたわけだ。
「お前のそれ、便利だな」
「ふん。そんな道具に頼ってばっかだから身体が鍛えらんねェんだよ」
先ほどから突っかかってくるゾロには心底腹が立つが、ここでやり合うだなんてそれどころではない。
「おい、ヤバいのがここに――」
アオイが必死に叫ぶ横で、何も知らないゾロとフランキーは目の前にいきなり登場した壁を攻撃し始めていた。悲鳴をあげたアオイは身をよじって2人の目の前に飛び込み、両手を広げる。
頭の中で、こういう時に戦闘力がやたら高く反射的になってしまうのも考えものだ、と舌打ちをする。
「やめろ2人とも!」
「なんだよアオイ、早くこの壁壊そうぜ」
「違う! こいつは壁じゃねぇ!」
「はぁ? じゃあ何だってんだ……」
ゾロが言いかけた時、彼の背後から現れた――大きすぎる――悪魔のような顔に、3人と今ちょうど起き上がった2人は凍りついた。
「ま、まさか……」
「ゾンビ!?」
どこかの大魔王か何かか、と皆が叫ぶ中、アオイはぽかんとその怪物を見やる。だが脳は冷静に情報を分析していた。こんな巨大な肉体を動かすとしたら、相当な実力の影を入れなければ動かないはずだ。
(もしかして、)
この分析結果という名の勘が当たっていたとしたらもうお終いだと思うのに、アオイはその勘の裏にべったりと「当たり」がくっついている不吉さを感じていた。
「あれ……船長の影が入ってるんじゃ……」
「なんだと!?」
蒼白な顔でポツリと呟いたアオイに、4人はそんなまさかと固唾を飲んだ。
そのゾンビの一連の動き――
「おお、いいなコレ!」
建物の屋根を海賊帽に見立て、嬉しそうに海賊王だのなんだの叫ぶ能天気なゾンビを見れば、アオイは自分の勘の鋭さと情報処理の正確さにがっくりと頭を垂らす他なかった。
全員があんぐりと口を開けたまま、遠く去っていくゾンビを見遣るしかなかった。
「あの図体でルフィの戦闘力は、確かにヤベェ……」
あのゾロでさえ、しばし呆然としてそう言うのだ。アオイの心は折れかけたが、とりあえずゾンビは置いておいて(だって担当ではない!)、今は何としてでもナミだけは救わなければならないのだ。
ふと周囲を見れば、フランキーが一人壊れた橋を直している途中で(どうやったかは分からないが)、今にも完成間近だった。
彼らの中に、諦めという文字はないらしい。
「……凄いな、お前。変態なのにこんなの一瞬で作れちまうだなんて」
「あぁ、あと30秒待てよ。この装飾が不満だ」
それからすぐにフランキーは橋を完成させると、一味は嬉しそうにそこを駆け抜ける。そう、これからは時間との勝負でもあるのだ。
(負けられない)
5人はそれぞれの目的地へ行くために、走り出した。
(20161002)