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「まさかウソップにあんな特技があったとは……」
「いやアレは特技とは言わねェ。適性ってやつだ」
「だがあいつがいなかったら、たったあれだけで一味全滅もありえた……!」

 フランキーの言葉に、走る3人は頷く。アオイは脳裏に蘇る不思議ゴーストを思い返して、憤懣やるかたなしとばかりに走る足に力を込めた。あの憎きゴーストにはやはり想像通り悪魔の実が関係しており、サンジ曰く「キューティーちゃん」という女の子が、ホロホロの実だとかいうふざけた能力者として5人の前に立ちはだかったのだ。

 アオイは個人的に、ああいったゴシック調の少女には派手派手しい宝石が似合うんだよな、とどこか職業病のようにペローナに似合う宝石を見繕おうとしていた。場違いな妄想だが、あの時の自分の失態を恥じ入るからこその、強制的な思考の排除である。
 ――それがたとえ、悪魔の実のせいであったとしても!

(「月に召され死にゆきたい」だなんて、口走ったのは俺じゃない!)

 思い出すだけでも、顔から火が出そうだった。なんだそれは。姫か、自分は。
今横を走る3人共がそれぞれに後ろめたい、いわゆるネガティブなことを言っていたので、誰一人アオイの言葉を笑う者はいなかったが、自らの口から出たとは思えないセリフにアオイ本人が一番堪えていた。
 暫くは月を見つめたくもない。あんなものに懸想する清らかさが自分にあってたまるものかと、アオイはかぶりを振った。

(それにしても、俺は今日一体どれだけこの庭を走り回ればいいのか……)

 木の一本一本、見覚えがありすぎる。はぁと苦く辺りを見回すと、すでに気を取り直しているサンジとばちりと目があった。

「おい、おれたちはここで別れてナミさんの下へ向かうぞ」
「え……?っつっても、教会の場所なんて――」

 アオイの返事を待たずサンジは橋の手すりまで走り出したため、アオイは慌ててその背中を追った。後ろからはフランキーの「しっかりやれよ」という応援が聞こえる。

「おおよ! 俺は恋の狐火! んんナミすぁ〜ん! 嫁にはやらんぜ!」

 そう叫びながら燃え上りながら、そのままサンジは橋から飛び降りてしまった。炎の弾丸とはまさにこれだ。

「アホかあのラブコックはー!」

 アオイは急いで橋から飛び降りると、空中でサンジの向こう側にある壁に向かってワイヤーを飛ばし、ペンデュラムを突き刺した。

「手間かけさせやがって……!」

ギュンと巻き取る。
 アオイの目の前に、落下するサンジの背が迫る。その勢いのまま彼の腰めがけて抱きつくと、彼の脇から顔を出し前を向いた。これはこのまま、壁に足をついて着地するしかない。
 後ろから急に抱きつかれたサンジはまずは衝撃に慌て、そしてすぐ脇の下から覗く帽子を見た。が、突然見上げたアオイの顔がよほど近くに感じたのか、やや引き攣った顔をしている。アオイはこの先が思いやられるとため息をついた。

「考えなしに飛び降りてんじゃねぇよ。ナミ助けに行くんだろ、無駄な怪我増やすな」

 「おら、てめーも腰掴んでおけ」とアオイが無理矢理サンジの腕を取って自らの腰に回させても、その腕はどこか強張っていて、心もとない。

(――もしかして、高所恐怖症か?)

 だとしたら、彼にあの飛び降りをさせたナミは凄い。
 アオイは深く考えず、まぁ自分が離さなければいいかと男の割に細身のスーツの裾を握りしめた。

「壁につくぞ、足踏ん張っとけ」

 右手を傾け、巻くスピードを変則させると、アオイとサンジはダン! と壁で足を踏ん張らせ、勢いを止めた。そのまま連れ立って着地をし、ゆっくりと身体を離す。そのそつのない互いの動きに手応えを感じて、アオイにはワイワーの巻かれる音がいつもより弾んで聞こえた。

(初めてのわりに上手くやれたな)

 これも、普段から脚を使う彼とだからできたことかもしれない――そう満足気に振り返った先で、当のサンジ本人は呆然とそこに突っ立っているだけ。なんの感慨もないらしい。アオイは少し気分を削がれたような気がした。

「おい、どうした」

(なんだよ、ちょっとこの喜びを共有したかったのに)

 アオイの声にようやくサンジは我に帰ると、「なんでもねェ」と自身の右腕で頭をガシガシと掻いた。その余裕のない仕草は平素の彼では無く、何でもないわけないだろうとアオイが尚も見つめれば、タバコを噛み締めたサンジは、彼にしては弱弱しい目線を寄越した。

(なんだ? 一体)

 促すようにアオイは黙った。いい加減冷静になってもらわなければという思いで見つめ返しただけだったのだが、サンジはそう解釈しなかったらしい。居心地悪そうには目を逸らすと、ポツリと呟いた。

「……お前、細すぎるんだよ。男のくせに」
「はぁ?」

 それが? と、アオイの顔は明らかに語っていた。サンジはその反応により一層顔をしかめアオイを睨みつけると、「そもそも急なことするテメェが悪ィ!」と的外れも甚だしい批判を展開した。

(助けてやったのに、なんだこの反応は)

 心底がっかりしたのと、やはりいけ好かない奴だという思いがアオイの胸中を占め始める。とはいえ、ここで喧嘩をしている暇はない。アオイは込み上げた暴言をどうにか喉元手前でやり過ごし、ぷいと背を向け歩き出した。

「おい、どこ行くんだよ」

 サンジはどこか慌てたように声をかける。

「教会を探すに決まってんだろ。それとも、てめーにアテがあるってか? ぐる眉」

 肩越しに放った言葉に不機嫌さが混じるのは、仕方のないことだとアオイは思う。
だが向けられた当の本人は気にすることもなく、これまでのことなど無かったかのように「そうだナミさん!」と慌てて周囲を伺い始めるものだから、アオイとしては軽く扱われたことへの苛立ちがむくむくと膨張した。

「よし、どっかでゾンビ捕まえて吐かせるぞ」
「……そうだな」

 まずは何よりもナミ奪還。自分自身の感情に振り回されるのは、もうやめにしなければ。この船を、降りるまで。


 それから城壁沿いを駆けて間もなくだった。瓦礫の中にぽつんと佇むパンダのようなゾンビを見つけると、2人は顔を見合わせた。

「アレだな」
「あぁ、アレがいい」

 恐れ慄いたパンダはすぐにこちらに気付き背を向けたが、鉛のワイヤーを飛ばしたアオイになんなく捕まった。

「ちょ、放せ!」
「放してやってもいいが、教会の場所を教えてからな」

 パンダゾンビは吐き捨てるように横を向いた。

「けっ! だーれがお前らなんかに教えるもんか! 今頃そこではアブサロムの結婚式がおこなわれて――って痛ェ!」

 最後まで聞きたくないとばかりに踵をゾンビの脳天に振り落としたサンジを、アオイはまたか、と白けて見やる。これは、暴走する――

「テメェ、今すぐオロされてェようだなァ、ぁあ!? おれは認めてなんかいねーぞ! 結婚なんざさせるか! んナミすぁぁああん!」
「……アホゾンビ、火に油注いだな」

 嘆息ひとつ。アオイは燃え盛る背後は放置してゾンビに向きなおると、少しだけ口調を和らげて尋ねた。

「なぁ、俺たち困ってるんだよ。アブサロムの結婚相手は俺たちの仲間なのに、式に呼んでくれないんだぜ? 意地でも参加する権利があるだろう?」

 このゾンビは、自分たちを襲うことはしていない。そんな実力もない。だからこそ特別警戒心を煽り立てなくてもいいとアオイには思えた。

「ふん、教会ならすぐそこの扉の先だ!」

 ゾンビが嫌々指差した場所を目で追う。そこは、先ほどアオイたちが――既に通ってきた部屋のようだった。
 これで満足だろう、これを解けとこちらを睨めつけてくるパンダゾンビを一瞬凝視して、アオイはフムと口元に手を当てた。

「なるほど、遠慮はいらねーな」

 固くワイヤーを巻き上げた。

「ぎゃー! 何をするーーー!」
「その身が可愛けりゃ、嘘なんかついてんじゃねーぞ。一緒に来い」

 ――それから、パンダゾンビの頭にいくつものコブができたのは、往生際の悪さのせいなのだが――


 傷だらけのゾンビを引きずるサンジの後ろに着き、案内された先を見る。確かに、そこの奥からは聞き覚えのある罵声が響き渡っており、嫌でもアオイにあの風呂場での出来事を思い出させた。これはナミ奪還とともに、アオイ自身にとってのリベンジでもあるのだ。

(俺が出る前に、こいつの暴走でどうにかなりそうだけどな……)

 まぁ、とりあえずはサポートに努めよう。
 そしてアオイのその予想は、ほとんどその通りとなった。



 置いて行かれた気分だった。見た目は男ではあるが、目の前の男特有の会話にはとてもではないが入り込めず、アオイはやってられなくて耳に入る音を処理することを諦めた。このままでは頭痛がしそうだったからだ。

(女神だ天使だ米だと、よくもまぁペラペラと……)

 扉付近の壁に凭れ腕を組み、ゆるく足を組んだ。
 男というのは、こうも女性の容姿を褒めちぎるものであろうか。アオイとしては目の前の二匹(敢えてそう呼称する)が例外で、たいていの男というのはこうではないと思っているのだが、いかんせんデータが少なかった。
 これまで、周りに、女が余りにもいなかったのである。

 とその時、それまで盛り上がっていたナミトークを強制終了すべく、アブサロムが砲撃を飛ばした。巻き上がった瓦礫片がこちらにまで飛び、アオイは思わずキャスケットのつばを深めて腕で顔を覆い隠すと、はっとして白いドレスを探した。

(ナミは――!)

 恐らく、心配することもないだろうが。

 ゆっくりと目を開ければ、ゴウゴウとする灰色の粉塵の中、純白のドレスを抱える黒いスーツの後ろ姿。それがサマになっていることに、悔しさにも似た嫌な感覚――痞えを、覚えた。

「おい、ナミさんに当たるとこだ。レディのいる場所で、人を巻き込むような攻撃は避けるべきだ」
「その通りだな。コック、そこは危険だ。ナミをこっちへ」

 こちらも救出にきたからには、見守るだけなのは癪だ。
 後ろから歩み寄って腕を差し出せば、サンジを睨んでいた獣の瞳が自分を捉えたことに気付いて、アオイは眉根を寄せた。

「……貴様は、オイラが最初に見初めた花嫁……!」

 その言葉に吹き出したサンジの横腹を肘で思い切り小突く。痛みにうずくまる彼からナミを強制的に奪い取り、抱き上げて背を向けた。

「恐悦至極だが、生憎と俺は男でね。てめーの花嫁にはなれねーよ」
「な……! そんなことがあるか! オイラの嗅覚は確かに貴様を女だと!」
「てめーら変態は、どうも男が女に見えることがあるようだな」

 勿論、その皮肉には身内も含まれている。心当たりのある彼は、こめかみを引き攣らせてアオイを睨みつけた。

「おい! こいつとおれを一緒にするな」
「いや、誰から見てもお前らは同類だぜ」

 平然と言い放ちながら、腕の中のナミを見る。こんな美女が男だと言い張るのであれば、それは確かに疑いたくもなるが――

(アホらし)

「……まぁいい。おいらはか弱い女の方が好みなんだ。貴様はそうではないな。懸賞金もその女より高い」
「さぁ、どうだろうな。試してみるか?」

 不敵な笑みを浮かべアブサロムを振り返る。その様子を見たサンジは黙ってタバコに火をつけると、アオイの肩をとん、と後ろへ押した。

「テメェは下がってろ。ここは俺がやる」
「――いい格好しい」
「オロすぞ」

 だが、ここで彼の怒りを発散させなければ、後々響きそうだとは分かっている。だからこそサポートに努めようと思っていたのだ。
 アオイはナミをもう一度抱え直すと、扉の近くに戻って状況を見守った。

「危なくなったらナミ連れて退くからな、俺は」
「そうしてくれ。何よりもまずはナミさんの安全だ」
「ふん、賞金首にもなれん奴がおいらにたてつくとはおこがましい……!」

 それからまたベラベラと自身のことを話し、ナミを置いて行けとしつこく迫るアブサロムにはほとほとウンザリとするが、目の前の男は自分以上に短気だとアオイは知っている。そこに彼の女神であり天女が絡めば尚のことだ――

「黙れこの顔面猛獣祭男!」

 吹き飛ばしたその足蹴りの威力はやはりすさまじい。
 遠く倒れ、頭を抱えるアブサロムにぬっと近づくと、サンジは怒りを必死に鎮めるようにタバコをふかした。

「……おいクソチビ、テメェらの言ってた透明人間ってのは、こいつだな」

 背中を向けられながら、確信を持って尋ねられたそれに、アオイは少し間をおいて「そうだよ」と返した。
 それを合図に、サンジの猛攻が始まる。一寸の隙も与えず打ち込まれる蹴りに、アブサロムはなすすべなくやられるがままだった。

「サニー号に現れてロビンちゃんを舐めまわした猛獣はお前だな!?」

(ニコ・ロビンにそんなことを……握り潰されても知らねーぞあの変態)

「風呂場でナミさんの裸をじっくり見たのもおまえだな!?」

(じっくりって……法外な金額要求されそうだな)

「なぜ彼女は気を失ってんだ! 手荒なマネしたんじゃねェだろうなァ! 何が結婚だ俺の目を見て言ってみろ! 蹴り潰してコロッケにしてやる!」
「食いたくねーわ、それ」

 ついにアオイの口から言葉が漏れた。ウゲェと吐き気を催して反応すれば、それからサンジは少しだけ間をおくと、ぽつりと言った。

「それから、こいつは、一応はクルーとしての、かたきだ。男の風呂覗いて喜んでんじゃねーぞクソ野郎が!」

 女好きの風上にも置けねェ!
 と、最後にアブサロムを吹っ飛ばした彼の蹴りは、どこかこれまでで一番激しく感じたのは、アオイの気のせいだったろうか。

(同類がまさか俺の風呂覗いたとあって、自分を重ね合わせて自己嫌悪とか……?)

 充分にありえた。
 だが、先ほどからあった胸の痞えが取れた気がするのは一体、どういうことだろう。リベンジをするなら自分の手で一発、と思い意気込んできたのだが。
 ――まぁいいか、という気にさせられてしまった。

 だが、戦況がいいかと言われれば、安心してはいられない。サンジはその後も塩を駆使したりと攻撃の手を緩めなかったが、アオイの目に、アブサロムへのトドメが差し切れるか分からなかったからだ。

(特にボディーへの攻撃は、普通であればもう起き上がれないくらい食らってるはずだ……)

 倒れはしても、決して瀕死にはならないアブサロムの前に立って、サンジは尚もヒートアップする怒りをそのまま解き放った。

「苛立ってるっつったかお前……! おれァはそんなもんじゃねェぞ! 怒りで身体が爆発しそうなんだよ!」

(おいおい何度目の着火だよお前……チャッカマンかよ……)

 あいつの燃料は切れ知らずだな、とアオイは呆れとも言えない微妙に尊敬を込めた瞳を送る。こいつはナミのためなら地獄の底からでも這い上がってくるだろうなと、半分本気でアオイは考えていた。

 ――だが、それに尚付け足して、サンジには別の苛立ちがあるようだった――

「そして運の悪いことに……もう一つ……おれとお前には因縁がある」
「お前とおいらに……因縁だと?」

 息も切れ切れに、訝しんで問うたアブサロムの顔には、動揺の色が見て取れた。

「そうだ。お前はおれから……夢を一つ奪った男だ」

(20161015)
Si*Si*Ciao