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(アホくせぇ、アホくせぇアホくせぇアホくせぇ!)
因縁だとか大そうなことを言うものだから、サンジとアブサロムは過去に面識があるのかとようやく興味を持ってその場にいれたというのに、どうやらラブコック殿の一方的な逆恨みだったらしい。透明人間になって女湯を覗きたい。おそらくただそれだけのためにその能力を欲していたのであり、そんな頭の弱い理由で彼が怒髪冠を衝いていたのかと思うと、アオイは本格的に頭の痛みを感じて、こめかみをぐりぐりと押さえた。何が因縁だ畜生。アホここに極まれり、だ――
だから、アブサロムが上半身の服を脱ぎ、その身体のすさまじさを披露したところで、アオイの胸には凄さも恐ろしさも何一つ響かなかった。この戦闘そのものが、ただのお笑い、喜劇、コメディとして目に映る。腕に抱えるナミの神々しい美しさを見て、一つため息。こんなバカ共がこの彼女を巡って争っているのかと思うと、やるせない。あまりに彼女がもったいない。
(てめーらには、米一粒の争いのがお似合いだ……!)
「"スケスケの実"の能力など! おいらにとって強さの次の備品に過ぎない!」
「でも覗いたろうがァ〜〜!」
「マジで本気で付き合いきれねぇ……おい、ラブコック。ナミ連れて俺はここ出るからな!」
アブサロムの300kgの筋力を持つという巨体を吹き飛ばしたサンジの背にそう声をかけると、アオイは外に出ようとゆらりと体を動かした。
(どうして俺は、ここまで粘ってしまったのだろう……)
そう、呆れにぼんやりとしていたのがまずかったのか。
鋭い視線と殺気を感じて、はっと振り返った。そのときには視界に残っていたのはサンジだけで、彼もどこか呆然とこちらを見た。アブサロムは姿を消して――
一気に、ぞわりと背筋がわななく。
(来る!)
「――っおい! よけろ!」
サンジの叫びが聞こえる。アオイはその金色めがけてナミを放り投げると、視界いっぱい覆い尽くすように現れたアブサロムにすぐさまペンデュラムを放った。
「花嫁は置いていけ……!」
(くそ!)
ハイパーダイヤモンドは、硬い皮膚をも貫いたが――アブサロムの突進の勢いは、止められない。振りかぶって空いたままのアオイの鳩尾いっぱいに、アブサロムの拳が入った。
「ぐ……!」
「アオイ!」
誰かに名前を呼ばれた気がして――意識を手放さずに済んだ。血を吐き、思い切り壁に激突し、背中から衝撃を受ける。思ったよりも重い一発を食らったようだった。アオイは震動する頭と軋む腹を落ち着けるのに時間を要したが――ここで弱っていてはダメだ。奴の狙いはナミなのだ。
「コックは……!」
きちんとナミを受け止めていたサンジだが、彼女を透明にさせないためだろう、アブサロムの攻撃を受けても、決してナミを離さず毅然と立っていた。アオイが倒れているためにナミをどうすることもできず、そうせざるを得ないようだった。
「怪人の手! 怪人の足! ……フフフフ、放すなよその女を……!」
連続で浴びせられる打撃に、サンジが震える。アオイは歯を食いしばって立ちあがり、アブサロムが見えぬ刃物を取り出したと同時に――ほとんど勘で思い切りホルダーを振り上げた。
「プリズマック・ロード(鏡の牢獄)!」
「グゥ……!」
アブサロムの切っ先は、サンジを貫く寸前――アオイの鏡と見紛う煌めくワイヤーの中に閉じ込められた。アオイはしめた! とワイヤーをギリギリと巻き上げる。たとえ透明に身を隠しても、呻きと奴から溢れる血が、奴の場所を教えてくれた。
「コック!」
「分かってる!」
サンジはナミをまたアオイへ放り渡す。アオイもまた受け取る体制に入る直前で、ワイヤーをアブサロムから引き抜いた。ふわりと舞い降りたナミをしっかりと抱きとめる。ばっと顔を上げ、サンジと目を合わせれば――彼はにやりと笑って、頷いた。
すぐさまサンジは確信を持って空中へ手を伸ばすと、そこにいる塊をガっと掴んだ。
「ぬ……! 放せ貴様!」
「へへ……放すかクソ野郎……。色々獣が混ざってんなら、いい挽き肉ができそうだな……!」
「黙れてめェ! 手を離せ!」
「エクストラ・アッシ(最上級挽き肉)!」
渾身の一撃――
アブサロムは最後まで姿を現さなかったが――くっきりと浮かぶ壁の型抜きが、奴が再起不能だということを表していた。仕留め切った。そういうことだ。
(さすが、だな)
アオイはふぅ、と一息つくと、なお目覚めないナミを見る。純白の衣装は、守られた。これでサンジの苛立ちも収まるだろう。ゆっくりと歩を進め、仁王立ちのままの黒いスーツの横へと並んだ。
「お疲れ、コック」
「女湯……いや、野獣の花嫁は……野獣で充分だ!」
「……お、おう。そうだな……」
力強く言われ、アオイも勢いで何となく同意する。どうやらサンジにとっては独り言だったようで、むしろアオイの返事があったことに驚いたようだった。彼は目をぱちくりとさせると、少し眉をひそめてアオイの胴辺りをじっと見つめた。
「……そういやお前、腹は」
「あ? ……まぁ、思いっきり入ったけどな。これくらいで死にゃしねーよ」
「死ぬとか、簡単に言うんじゃねェ」
鋭く言われ、アオイは息をのんだ。サンジは答えられないアオイにチッと舌打ちをすると、新しい煙草に火をつける。
「てめェは隙が多い。もっとよく考えて戦え。あと、ぼうっとするな」
「う……」
確かに、飛び物の武器というのは、それを放つ間は隙だらけになりやすい。それはアオイも自覚していたし、ついさっきだってゾロからダメ出しを食らったばかりだ。その前にも、自分自身で基本的な腕力の足りなさを痛感したばかりだ。また、やはりまだ誰かと協力して戦うのは慣れず、なかなか澄んだ思考まで持っていけないのも、ひとえに自分の集中力のなさのせいだという事を、今回の戦いで身に染みて感じたのだ。
「はぁ……もっと鍛えなきゃなぁ」
「鍛えるっつーか……まずは自分の安全を考えろってことだ」
「え?」
言われた意味がよく分からず、アオイはサンジを見上げた。アオイとしては、かなり自分本位に動いているつもりだ。だからこその、あれは失態だった。敵に背を向けるなんて、あまりにも素人臭いミスだ。――それなのに自衛の意識が足りないとは、どういうことか。
アオイのそのぽかんとした視線に、サンジはやりにくそうに眼を合わせ――ふいと逸らした。
「さっきのだって、ナミさんを安全なところへ連れ出そうとしてあぁなったんだろ」
「いや? というか、何か頭痛くなって――」
「頭痛ェだと!? ……てめェ、どっかで怪我でもしたのか」
やたら驚いて切羽詰まった顔をするサンジに、アオイの方が驚いて、戸惑いを隠せなかった。
「な、なんだよ、さっきから。一緒に行動してたんだから、その時はどこも怪我なんてしてないのは知ってるだろ。ちょっとお前、おかしいぞ」
「……っ、くそ」
吐き捨てるようにそう言って、サンジはアオイからナミを抱き寄せ、そのまま姫抱きにした。アオイは黙ってそのままにさせると、疲れた腕をプラプラと振って感覚を取り戻す。サンジはそれを横目で見やって、ぽつりと言った。
「……てめェとナミさん、そんなに背も体格も違わねェだろ」
急に言われた一言は、アオイの心臓をひとつ遅らせるのに、充分な威力を持っていた。
「――はぁ? お前、目ぇ腐ってんの?」
「当たり前だが、このナイスバディな体型と比べて、じゃねェぞ。線の細さって意味だ」
「あぁ……」
(びびらせんな!)
男装がバレたのかと思ってしまったではないか。心臓のリズムが狂った。
「確かに俺は、筋肉つきにくいタイプだけど、それがなに?」
「あのなぁ……! 筋肉なけりゃ、普通の男と比べてダメージが蓄積されやすいだろ。つまりは傷つきやすい! もっとてめェの身を大事にしろって言ってんだよ」
――みなまで言わなきゃ、分かんねェのか――
煙草を噛みしめてそう言うサンジを、アオイは初めて見る人のように見つめた。
おそらく、さきほど一緒にワイヤーで飛んだ時に、その体格の差を認識したのだろう。まさか、そこまでの心配を彼にかけているとは思わなかったし、心配されること自体、とにかく驚いたのだ。
だが、思い返せば彼の影は、アオイを守ろうとしたではないか。彼本人は、アオイを女と認識していないのに。
(きっとはじめから思ってたんだろうな)
弱い、と。
「ご忠告、どうも」
声が硬くなってしまうのは、胸が痛むのは、なぜだろう。
守られたいわけじゃない。対等でやってきたつもりだった。だからこそ、こうしてナミを守って戦っているのに。
どれだけ女を捨てたって、男としても、お前はダメだと烙印を押された気分だった。
――だから、気丈に振る舞って、声を絞り出すのが精一杯だった。
「弱いままでいるつもりはねェよ。迷惑もかけない。……これでいいだろ」
尖らせて言った。サンジはアオイを黙って見つめると、呆れを忍ばせた紫煙を細くたなびかせた。
「……やっぱり強情だよなァ、てめェは」
「うるさい」
「適材適所って言葉、知ってるか」
「知ってる。それがなんだよ」
「てめェが今の戦闘スタイルのままなら、後衛にいるべきだ」
「…………」
「弱いなんて言ってねェ。……だから、今は、おれの後ろにいろ」
わかったな、と念を押され、アオイは悔しげにサンジの瞳を見つめた。なのに、見つめたサンジの瞳の中には、有無を言わさぬ静かな炎があった。それは、決してバカにしているのではなく――ただ純粋に、こちらを映していたものだから。
(本当に、こいつは……)
どこまでも、紳士だ。
それはきっと、アオイだからそうするのではない。こういう戦い方をする味方になら、誰にだってきっとそう言うのが、彼なのだろう。
アオイはゆっくり息をつくと、「仕方ない」と瞳を伏せた。仲間でいる間は、連携を大事にしようと思ったことを、思い出して。
「分かった。背中は任せろ」
はっきりと言えば、サンジの、ふっと柔らかく笑う吐息が、頭上から降った。
「――おれの背を預かるなら、せめてもう少しタッパいるなァ」
「てめぇえ! こっちが素直になった途端調子に乗りやがって!」
「ぁあ? てめェで素直とか言ってりゃ世話ねェな、クソチビ!」
やはり、一言多い! やっぱりいけ好かない!
それでも、こいつの横に、後ろにいるのは――悪くないかもしれないなと。少しだけ思う自分も、いた。
(20161023)