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「俺から逃げるなんざ、いい度胸してるぜ」

 左右に揺れるペンデュラムに意識を集中させ、アオイは深く静かに目を閉じる。
 さまざまな動物の皮膚だとか、あのナイフだとか――あそこまで揃っていれば、アオイの力があれば、あとを追うのは容易い。

「待ってろ変態野郎……ぶちのめしてやる!」

 さきほど腹に一発やられたのを、忘れた自分ではない。倍返しにしてやると心に決めて、ダイヤモンドの指す方に向かって走り出した。



 一味と合流しようとしたときだった。あのルフィの影を入れたゾンビが暴れだしたのと同時に、実はまだ生きていたアブサロムが、サンジの腕からナミを奪い去ったのは。
 タイミングが悪かった。瓦礫が崩れる中、状況を追うだけで精一杯だったのだ。――それに、奴に透明になられてはすぐに追えるわけもなく、サンジが奥歯を噛み締めるのも、仕方のないことだった。

「く、ナミさん……!」

 鬼気迫った表情のサンジを苦虫を噛み潰したような顔でアオイは見たが、一瞬考えてすぐ意を決すると、彼を落ち着かせるように振り返り、静かな声色で言った。

「コック、お前はそのまま一味の所へ行け。俺が奴を追って、ナミを取り戻す」
「な、何言ってやがる! おれがさっき言ったこと、もう忘れやがったのか!」

 酷く腹を立てているらしい。今までにないくらい険しい顔をしたサンジに内心冷や汗をかくが、もめている場合ではない!
 努めて冷静に彼を見やって、アオイはこうしてる時間すらもったいないと捲し立てた。

「忘れちゃいねーよ。けど、これも適材適所だ。俺にはあいつの後を追う方法があるが、お前にはない。それにこれ以上、一味の人員も割けられない。違うか?」

 聞いておきながら、サンジの言葉など待ってはいられなかった。アオイは素早くホルダーを構えると、神経を尖らせてペンデュラムを垂らした。するとペンデュラムはゆっくりと頭をもたげ、ある方向を指示してそこに浮かび上がる。どうやら成功だ。
 サンジの驚きに満ちた顔を仰ぎ見て、アオイはにやりと笑った。

「こいつの機能、なかなかすげーんだぜ。あいつを追うくらい、わけない」
「でも、お前ひとりで――」
「あいつももう弱ってる。いけるさ。またあとでな!」

 そもそも、ナミをアブサロムの手に渡してしまったのは、最初はアオイなのだ。責任を負うためにも、しっかりと奴と対峙したい――
 アオイは背中にかけられるサンジの声を気に留めることなく、そのまま示された先へと駆けた。少しして振り向いた時、サンジは瓦礫と粉塵に紛れ、見えなくなっていた。



 アオイがそこに飛び込んだ時には、ナミは既に目を覚ましていた、が――予想外の人物が彼女に襲い掛かっているのを見て、束の間思考が止まった。

(あれは……ローラ!?)

「てめェローラァ! いきなり式をぶち壊した上に、おいらの花嫁に何してやがる!」
「うっさいわい! 結婚して!」

(なるほど)

 どうやら恋に盲目なローラのおかげで、ナミと変態野郎の婚儀は今のところ未遂に終わっているらしい。これは不幸中の幸い、か。
 アオイは気配を消して部屋の中へこっそりと忍び込むと、ローラの登場に困惑しているナミ目がけて小石を投げた。この部屋だって、あのルフィゾンビの震動で崩れ始めているのだから、こうしたところで瓦礫の一部だ、敵にバレはしないだろう。
 足元に飛んできたその石の不自然さに気付いたナミはすぐに振り返ると、しっかりとアオイを認識して視線を合わせた。その表情は驚きのあと、みるみる色が戻り――見るからにホッと表情を綻ばせたのが分かって、アオイもつられて笑みを零した。

(聡い奴で助かった)

 それから口元で「待ってろ」と伝えると、ナミもぐっと力強く頷いて返す。
 その時、ローラがナミに襲いかかった。アオイは慌てて助太刀しようとホルダーを構えた――が、ローラの動きになにやら無駄が多い気がして様子を伺うと、その真意に驚いた。

(ローラ、お前……)

 女の友情も、どうやら捨てたものではないらしい。アオイは口元に浮かんだ笑みを、自分でコントローラできなかった。それでいい。

(ローラの心意気に応えるか)

 ナミの殿を務めるため、笑顔のまま部屋の出入り口まで戻った。

 ――だが。血走った瞳のアブサロムと目が合ったとたん、その判断は間違っていたのだと、脳天が震えた。

「……そこの奴と違い、あいつは間違いなく女だローラ! 邪魔を……」

(――まずい!)

「するなァ!」
「ローラ!」

 ドン! と放たれたバズーカは、ナミを助けたローラ目掛けて解き放たれた。
 血しぶきを上げ、白目を剥いて倒れこんだローラが――そこにはいた。

「くそ、ローラ!」
「ゾンビの分際で……ムダな労力、使わせやがって!」

 息も絶え絶えに言うアブサロムには、もうほとんど力は残っていない。貫いたアオイのペンデュラムは心臓付近をえぐっていたし、サンジの攻撃のダメージだって未だその身を蝕んでいるはずだ。アオイは大きく舌打ちをすると、ゆらりとホルダーを構えて、まっすぐにアブサロムを見据えた。

(すぐに仕留めてやる!)

 だが、瞬間肩に触れた温度――震える手を感じ取って、アオイはハッと振り返った。

「ナミ」
「アオイ。ここは……私が」

 唇を必死に噛みしめ、クリマ・タクトを手にアブサロムを見据えるナミに、アオイは何も言うことができなかった。瞼を閉じて、深く深く、呼吸を整える。それから胸の痞えがほぐれたところで、ようやく、ゆっくりとナミの後ろに立った。

(ここでも俺は、後衛ってやつなんだな)

 それでもここは、彼女に任せなければならないと思った。

「ほう……利口だ。逃げるのをやめたか。そうさ、どの道逃げ切れるものじゃねェ。おいらは"透明人間"だ」
「サンダー=チャージ! ……よくも、ローラを」

(橋の上では、あいつには効かなかったが)

 ここまで弱った今の奴になら、或いは――
 バリバリと電気をほとばしらせると、ナミは思い切りタクトを振りかぶった。

「スイングアーム(風速計)!」

 濃い雷が地面を叩き付ける。アブサロムが、それに飲まれていく――
 煙を上げながら地面に倒れこんだ奴を見て、ナミが荒い息を吐いた。

「どうせ効かないんでしょ……! そんなこと分かって……」
「いや――そうでもないぜ」

 アオイはつま先で黒焦げになったアブサロムを小突くと、ピクリともしないそれをしっかりと確認してから、ナミを近寄らせた。彼女はアオイの瞳を見つめ返し、それから不思議そうにアブサロムを見て言った。

「何で? 橋の上では、全く効かなかったのに……」
「あぁ、こいつもダメージが蓄積してたんだろうよ」
「ってことは、あんたが……?」

 ナミの瞳を受け、アオイは肩をすくめた。

「ま、大半はコックかな」
「あぁ、そういうこと……」

 合点が行ったようで、ナミは苦笑した。

「怒り狂って爆発してたぜ、あいつ。お前が結婚するって聞いて」
「するわけないじゃないの、こんな変態と!」
「危機一髪だろ。ローラに感謝するんだな」
「……っそうよ、ローラ!」

 ナミは蒼ざめて後ろを向くと、いまだに白目を剥いたままのローラへと駆け寄った。

「ローラ、大丈夫? しっかりして! ……ありがとう、私を助けに来てくれて!」

 呼ばれたローラの瞳が、徐々に光を取り戻す。そうしてしっかりとナミを見つめると、ローラはすすきれたような声で、静かに笑った。

「何言ってんのナミゾウ……友達じゃない」

 息をのんだナミの気配が伝わり、アオイは口元を弛めた。この航海士は、狡猾なようで――どこまでも義理人情に篤い。さすがは麦わらの一味、なのだ。

「だけど私……! あの時あんたが怖くて、ウソついたの! ごめん! 私本当は……女なのよ!」
「……バカね、知ってるわよ」

 その時、確かな友情がそこに芽生えたのを、アオイは神聖なものでも見るかのように、そっと傍で見守った。

(本音と本音は、こうして絆になるんだな)

 自分には決してできない芸当だと、ただ二人を見つめていた。



 それから逃がしてくれたローラから聞いた話によれば、やはりあの巨大ゾンビに入った影はルフィであることが分かった。またそれは、オーズと呼ばれていることも知った。ナミとアオイはその状況に顔を見合わせると、お互い何も言えず沈黙する。が、アオイはなんとなく、ナミの次に零しそうなセリフを既に脳裏に用意していた。

「――でもその前に宝物庫!」
「はぁ……やっぱりな」
「なによ。これだけ怖い目にあって、手ぶらで帰れますかっての!」
「そうかよ。まぁお前はぐっすり眠ってたおかげで元気そうだし、この辺にはもう、それらしい敵はいないようだし……俺はこのまま一味に合流して――」

 別行動する、と言おうとした瞬間、いつかのように耳を思いきり引っ張られ、アオイは悲鳴を上げた。

「いてぇ! 何すんだお前!」
「あんたこそ何言ってんのよ、アオイ! あんたは私を守りなさいよ、何のためにここにいると思ってんの!」
「えええ横暴……」
「あら、耳が赤くなって涙目なんて、かわいいわね。もっと引っ張りたくなっちゃう」

(ドSこえぇぇえ!)

「すみません泣きません。喜んでお供させていただきます」
「それでいいのよ」

 そんなやりとりの間にも、ナミの足の向かう先はブレない。さすがは記憶力のいい彼女だ、例え喋りながらであろうと宝物庫のある場所まですんなりと辿り着いた。
 今となっては宝物よりジンジンとする耳のが大事だ。アオイは走るスピードを緩めると、一目散に扉を開くナミの背中を見つつ、耳を優しくマッサージしながらゆっくりと後を追った。

「え……?」
「……どうした?」

 呆然と色を失うナミに訝り、アオイは小走りに駆け寄ってその部屋を覗き込んだ。二人は、また顔を見合わせて、そこに立ち尽くすより他なかった。

「宝物が、ない――!?」

(20161102)
Si*Si*Ciao