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やはり女というのは末恐ろしい。
アオイはリスキー兄弟を黒焦げにした、よく知る美女を肩越しに見遣ると、少し躊躇いつつも控えめなため息をついた。
「情け容赦ないよな、お前って」
例えミイラでも、あんなに可愛らしい生き物をああも平然とまる焦げにできるか?
アオイは、彼らのその愛らしい見た目から非情になりきれず二匹とも逃した経験(立場的に前科と言うべきかもしれない)があるため、少し信じられない面持ちで彼女を尚見つめた。彼女――ナミはその視線にちらっと横目を重ねると、それから正面を向き、考え込むように口を開いた。
「そういうあんたは、意外に情け深いわよね」
「……はぁ?」
思いがけない言葉に、アオイは素っ頓狂な声を上げる。先ほどのサンジといいナミといい、彼らは一体自分のどこを見てそう思ったのか、アオイには皆目検討もつかない。
アオイの表情を見て悟ったのか、ナミは続けて言う。
「エニエス・ロビーでだって、サンジくんやチョッパーに肩貸したのはあんたでしょう」
「あれは、まぁ、成り行きで。チョッパーは動物枠だったし」
「私たちと一緒に戦ったわ」
「そうせざるを得ない状況だっただろ」
「……私、あんたが何を考えてるのか、分からない」
キッパリと、けれど伺うように言葉を投げられて、アオイはそれを拾うこともできず無言になった。
フランキー作の橋を、2人で並走した。オーズの暴れ狂っているだろう空気が、音の切れ端となってアオイたちの背中に鋭く届く。ヒシヒシと痛む気がして、この会話はひどく場違いだとアオイはかぶりを振った。
「俺の話はあとでいいだろ。まずは、全員無事にここを出るのが優先だ」
「……そうね」
それから話を変えるためか、ナミが橋の出来について疑問をこぼしたので、アオイはこいつはフランキー作だと答えて話題の軌道修正を図った。
――何を考えているか、だって?
(お前らは、知る必要のないことさ)
これを打ち明けてしまうなんて、万に一つもありえないけれど。だからこそ、やはり人には近づきすぎない方がいいのだ。
アオイは顔を上げ、前方を見据えた。すると見知らぬ黒い帆がすぐそこまで迫っていて、なんとなく状況を察してひとまず胸を撫で下ろした。
「あの船から荷物でも移してんだろうな。てことは、まだ出航はしてねーだろ」
「サニー号は……見えた!」
黒い船よりもずっと小さな見覚えのあるマストをとらえたのと同時に、ナミはサッと顔色を変えた。
「あの女の子ね、我が物顔で“私たちの”お宝を運んでるってのは!」
「いや、まだ俺らの物では……」
そう言いかけて、アオイも追ってその女のシルエットを認識した途端、無意識にこめかみが引きつった。――嫌な記憶が蘇る。
(そういえば、キューティーちゃんの名前、ペローナだったっけか)
サンジの呼び方の方が記憶に残っていたため、リスキー兄弟にペローナの情報を聞いた時に思い出せなかった。
「あの宝物はすぐにサニー号に乗るんだもの。既に私の物も同然よ」
「お前のその、もはや一本筋とも言える金銀財宝に強欲なところ、嫌いじゃないぜ。……だが、あいつには注意しろ。例のゴーストを操ってるのはあいつで――」
アオイが言い終わる前にナミはクリマ・タクトを連結させると、城壁の上で腰に手を当て息を吸い込んだ。
「ちょっとあんたァ!」
「聞きゃしねぇ」
なるようになれ、と天を仰いだ、その時だった。
(……なんだ?)
微かな緊張が、あたり一面にざぁ、と敷き詰められた。オーズのものではない。あの荒れ狂う嵐のような、激しい気配ではない。周囲の騒音怒号の中にあって、今ここにある緊張は弧を描かない水面のように乱れなく、静かだ。
(俺はこれを、知っている)
知らず、硬くなった唾を飲み込んだ。
そうしてる間にも、ナミとペローナのやり取りは続いていたが、ペローナはナミの後ろに下がっていたアオイには気付いていないようだった。
「てめェ程度ならこのミニホロ軍団でズタズタにしてやる! 私の天敵はあのネガッ鼻の男ただ一人……!」
ペローナの台詞が吐かれたのと同時だった。彼女の背後に突然現れたその巨体。見覚えのある聖書を片手に立つ異様な存在――アオイは思いっきり横から頭を殴られたような衝撃を受けた。
「く、ま……」
無意識に弱々しく溢れたその言葉が、彼の――バーソロミュー・くまの耳に届いたかどうかは、分からない。少なくとも、目の前にいるナミはただただ突然の出来事に呆然としており、何も聞こえていないようだった。
あまりに急な七武海という大物の登場に、その場は混乱の限りを尽くす。それまで余裕気だったペローナでさえ腰を抜かしていたが、それはアオイの視界に入るだけで、脳はそれを情報としてまったく処理できていない。
(何で、お前がここにいる! 目的は何だ。モリアに用があるのか!? それとも……)
急展開に、アオイは自分でも混乱していることが分かって、酷く焦っていた。そうした間に果敢にもくまに挑んだペローナは、忽然と姿を消してしまったが。
「……あのコは……?」
アオイ以上に白い顔をして呟くナミのおかげで、アオイはようやく一人の世界を破ることができた。早鐘を打つ心臓のあまりの痛さに、胸元の服をギュっと掴む。口の中が乾ききって、声が枯れていた。
「あいつは、飛ばされたんだ」
「飛ばされた……!?」
ナミが振り返って送った視線と、それとは別の静かすぎるそれを一身に浴びせられて、アオイは眩暈を起こした。
「“泥棒猫”だな……それと、今となっては“虹のアオイ”か。――通り名がついたようだな」
「ついたよう、って……! まさかアオイ、あいつとも知り合いなの!?」
ナミの上擦った悲鳴にアオイが答える間も無く、二人の前にバーソロミュー・くまは現れた。
「麦わらの一味……モンキー・D・ルフィに兄がいるというのは、本当か」
ナミの息を飲む気配にアオイはまずいとようやく本来の生気を取り戻したが、アオイが思うより彼女はずっと強い。ナミはすぐさま表情を立て直すと、まっすぐにくまを見つめて言った。
「い、いるわよ。エースでしょ? ……それが何?」
「成程……本当だったのか……」
「何なの!? ルフィに用!? 目的は何!? 本当に七武海!?」
「――本物だよ、“こいつ”は」
ナミの土壇場での根性に感化されて、アオイはようやく自分らしい声を出した。腹に力を入れて、自分としては朗々とした声を発する。
「久々だな、くま」
片手を上げて軽く言うアオイをジッと見つめると、くまはぼそりと言った。
「おれをおれと思うか、アオイ」
「まぁね。お前がここにいる目的は、てんで想像もつかないけど」
「それは、本心からか」
「……希望的観測から、かな」
アオイの言葉にバーソロミュー・くまは暫し考えを巡らせると、ゆっくりと口を開いた。
「的を得ている。その観測通りで問題ない」
「そうか」
「ちょっと、何なのよアオイ! 一体どういう繋がりなわけ!?」
苛立ったナミに肩を思い切り捕まれガクガクと揺らされるも、アオイはくまを凝視し続けた。
「なぁ、くま。聞いてくれねーの」
「何を」
「……俺の、旅行したいところ」
アオイの脳内に、麦わらの一味に乗り込んだ時、ルフィの手を握り返した時に見た影が浮かび上がる。希望の光に照らされて浮き上がった、自分勝手なそれの行き先。
(革命軍)
今ここでなら、それが叶う気がしていた。ただ、クルーたちを助ける約束をしたから、今すぐというわけにはいかないが――
アオイの静かな横顔にナミは顔色を変えると、くまとアオイの間に体を割り込ませた。その身体は、気丈な表情とは真逆に震えていた。
「アオイ!」
「旅行……おれから見れば、今のお前はまさしく“旅行中”だ。どこかに飛ばす気にもなれん」
「なるほどな。的を得ているぜ」
(さすが、核心をついてくれる)
アオイは苦笑いを零して、それまでの話題を切り替えるように殊更明るげにくまに問いかけた。
「で、うちの船長の話が出たけど、要件を聞いても?」
「お前にそこまで話す義理はない」
「そう言うと思った。が、今のところ俺は麦わらの一味って扱いになってるし、モリアには影を取られちまってる。あの野郎をぶっ飛ばして脱出する予定だから、邪魔すんなよ」
腕を組んで言うも、バーソロミュー・くまはそれに答えることなく目の前から姿を消すと、遠くからぼそりと答えた。
「なにをしようと、おれの自由」
ナミと2人、静かにその後ろ姿を見送る。ナミは先程までの震えをようやく治めると、キッとアオイを睨みつけた。アオイはそれを受けて、彼女の言いたいことが手に取るように分かって、慰めるようにふっと笑った。
「言ったろ、俺の話はあとだ。それに、男に二言はねぇ。今ここで一味を抜けるなんてことは、しねーよ」
「全部終わったら?」
「ん?」
とぼけるアオイに、ナミは諦観のため息をついた。
「……分かった。あとにするわ。とにかく今は、ルフィにあいつのこと知らせないと!」
「そうだな。つーかそれじゃ動きにくいだろうから、船で着替えてこいよ」
「それもそうね。……覗かないでよ」
挑発的に見つめられ、アオイは吹き出した。
「エロコックじゃねーんだから」
「あら、サンジくんはああ見えて紳士だから、少なくとも船の上で覗きをしたことはないわよ」
「へぇ、紳士、ねぇ」
(その紳士は、スケスケの実を喉から手が出るほど欲しがってたけどな)
覗き目的で。
そのサンジに心の中で、アオイはそっと報告をした。
(ナミは助けたぜ、コック)
これで気兼ねは、本当に無くなるのだ。
(20161115)