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サニー号の柵に頬杖をついて、アオイはナミの着替えを待っていた。ウェディングドレスではあるが、まだシンプルな作りの物でよかったと思う。着替える時間すら惜しいこの状況だ、できたら彼女の着替えを手伝ってやりたい気持ちもあるが――
「伝え忘れた」
男姿の自分には、と、この場とは不相応な感情を燻らせていたからか、反応が遅れた。
また唐突に現れたバーソロミュー・くまにアオイは一瞬ギョッとして振り返るも、すぐに神妙な面持ちになって顔を合わせた。
「俺が一人になるのを狙ってきたか」
「お前は、何も話してないだろう。仲間に聞かれたくないはずだ」
それには何も答えずアオイは視線を千切ると、遠くオーズや一味の戦闘の音を聞いた。早くそこに行かねば。モリアは、厄介な敵なのだから。
「で、伝え忘れって?」
「お前の親からの伝言だ」
――呼吸が止まると思った。肺を一瞬で石に変えられたような感覚を覚えた。
これまで生きた中でも上位に入る、それは驚きによるものだった。
無言が流れる。周りの喧騒が、波の音が、更にその無音を引き立てた。暫くしてようやく絞り出した声は、干からびたような、惨めな響きをしていた。
「なん、て」
「無理はするな、と」
「それだけか」
「それだけだ」
恐らくは、アオイの手配書を見たのだろう。だがまさか、向こうから言伝があるとは微塵も思っていなかった。
胸が痛い。こんなにも、心の奥の方を握り締められたみたいに、苦しいのに。この一味に入ってから、忘れて、いたのに。
「奴にとってお前は、ずっと子どものままだ」
「……ふん、くまらしくない情緒的な台詞だな」
「お前がモリアに影を取られたことを知ったら、嘆くだろう」
「呆れるだろうよ」
「海兵に、世界政府の中に身を置きたいなら、奴といればそれで良かったはずだ」
突然斬り込まれた本題に緊張して、アオイはひっそりと息をした。
「俺の真意はそこにはない。それはお前の方が分かってるんだろう、くま」
育ての親よりも、寧ろお前の方が――
みなまで言わずとも、目の前の巨漢は承知している。アオイの吐き捨てるような態度に何も言わずにくまはパッと姿を消して、また遠方に現れた。
「用は済んだ。戻る」
そうして本当に消えたその場所を、アオイは複雑な気持ちで見つめた。
「モリアにはああ言ったのに、な」
――もう縁は切ってるって。
もはや、それぞれが過去のはずなのに。過去なんてものは、今となっては本当だったかも分からない、保証できないほど、揺らめくものなのに。
別の誰かを間に挟まれたことにより、これが現実なのだと。アオイはただ思い知らされた気がした。
「終わったわよ!」
そこで明るく扉を開けたナミの登場は、アオイの沈みきって硬くなった心臓をほぐすのに十分だった。
「よし、すぐに向かおうぜ」
過去に囚われる。籠の中の鳥。いつだかそう、あの鷹の目で射るように突き付けられた台詞が、アオイの足首に絡みついて離れない。
(それでも、俺は)
それを果たす義務があるから。
ストールをきつく巻き直して、その下にある冷たい感触に指を沿わす。これがある限り、決して解かれはしないのだ。
*
「サンダーボルト=テンポ!」
ナミの雷が、フランキーにトドメを喰らわせようとしたオーズに直撃する。致命傷には至らないだろうが、足止めには十分だった。
眼下では、突然の雷にざわつく一味がいる。全員期待して周囲を探っているのが分かった。
そして、バチリと。音がしそうなくらい視線が交わって、その視線の主に軽く微笑むと、アオイは手をヒラヒラとさせた。
「よ、コック」
「無事だったかクソチビ! ナミさんは……」
それからアオイの隣にいるナミを見つけると、サンジは途端に目をハートにさせいつものように叫びだした。
「んナミさ〜〜ん!」
「ちょっと呼ばないでよ、気付かれるでしょ!?」
「毎度お馴染みの夫婦漫才だよなぁ」
「ふ、夫婦だなんて! そんな本当の未来のこと言うんじゃねェよ、チビ!」
「ふざけてる場合じゃないでしょーが!」
ゴッと脳天をクリマ・タクトでど突かれ、アオイは小さく悲鳴をあげた。
「お、お前それ、用途完全に間違ってる!」
「五月蝿いわね、ほら睨まれたァ〜!」
「ゴムゴムの〜!」
拳をこちらに向けるオーズにハッとして、アオイはナミの前に出た。先程からの様子から言って、オーズの中にあるルフィの意思はほとんど残っていないと言っていいだろう。
とはいえ、あの距離から拳が届くはずはないのだから、慌てふためく必要もない。
(隙を見て逃げるか)
モリアの能力を知らないナミよりも、アオイは冷静でいるつもりだった。
――だが。
「ピストル!」
「え!?」
向かってきた拳を、ナミを抱えて間一髪で避けたのと、何かに巻かれて空中に浮遊したのは同時だった。
「これは……ニコ・ロビンか!」
「ああああ!」
そういえばナミは空中遊泳が得意ではなかったことを思い出して、アオイはがっちりとナミの腰を掴んだ。アオイとしても、いつもは自分でコントロールできるこの状況が、誰かの手によるものという非常事態にどこか落ち着かないのだが――
(こういう後衛として上手いんだな、ニコ・ロビンは)
適材適所という言葉を思い出した。
地面が近づく。速度が減速してふわっと地上に着けば、ロビンの後ろ姿が見えた。
「驚いたわね……2人とも大丈夫?」
「俺は慣れてるから平気だ。助かった、ニコ・ロビン」
ナミはまだ膝をついて肩で息をしていたが、アオイは一味とようやく合流が出来た、と安堵の息を漏らして、周囲を見渡した。
オーズの腹の中にいつの間にかいるモリアを認識する。モリアもこちらを見た。
冷徹な線が、緊迫感を持ってそこに生まれた。
「マズイことが起きたぞ、今……!」
「あいつの腕が何で伸びるんだ!? ゴム人間はこの世に一人だろ!」
「……これは、俺も知らない能力だ」
ザッと足を踏み出しゾロの前に立つと、アオイは人を馬鹿にしたような薄笑いを浮かべるモリアを睨みつけた。
「相変わらず、お前の戦い方はジメッとしてて気持ち悪ぃな。ヘドが出る」
アオイの侮蔑のこもった言葉に、モリアは冷笑した。
「キシシシ…… テメェはもう少し賢くて冷静だったはずだが、こいつらに感化されたのか? のこのことおれの目の前に出てくるなんざァ、戦闘術を仕込んだあの野郎が泣くぜ」
「またその話か。芸のない野郎だ」
そう言う間にも、オーズの攻撃は止まない。ルフィの如く伸び縮みする身体に、その場にいる全員が最悪のパターンを想定してしまった。
「これじゃまるっきりルフィの化け物じゃねェか!」
(そうだ、船長は……?)
オーズの攻撃を辛うじて避けながら、アオイはキョロキョロと周りを振り返った。姿の見えないことに苛立ちが募る。なぜ、対抗できるであろう本人がここにいないのか――
どうやらナミも同じことを思っていたらしい。それに、あのくまの発言もある。これから何が起こるか分からない今の状況に、アオイは背中に冷や汗が流れたのを感じた。
モリアの影革命なる技のせいで、影をモリアが操ることにより主人たるオーズが変幻自在になるという。
(わざわざ説明したこと、後悔させてやる――)
ようは、元を断てばいいだけなのだ。であれば、やることは一つ。
「シルク・ロード(貫く光)!」
飛ばす。瞠目したモリアの顔。オーズの腹を、モリアの心臓を――貫いた。確かな手応えとオーズの叫び声に、アオイの口角は釣り上がった。
「おれの腹がァ!」
「よっしゃア、アオイ! ナイスだ!」
ウソップが腕を振って喜ぶ横で、ゾロとサンジは一瞬目を見開くと、眉間にしわを寄せた。
「効いてねェ――」
「え? そんな、まさか」
ワイヤーを巻き取り、バシリとホルダーに収める。だが二人の言った通り、アオイの視線の先には涼しい顔をしたモリアが、そこにいた。
「キシシシ……何でだろうなァ。教えてやってもいいが、おれァまだそこまで追い詰められてねェんだよなァ」
「くそ!」
一筋縄ではいかない――
アオイは拳を握り締めると、相変わらずせせら嗤うモリアを憎らしく見上げた。
(20161115)